地元で朝鮮映画「アリラン」の2003年リメーク版の上映会が開催された。
私にとって「アリラン」とはあの物悲しい歌だけである、1ヵ月ほど前、「総連と
民団の共催で映画アリランを上映しますから」と試作様のビラをもらって初めて「ア
リラン」が1926年に朝鮮で作られた映画で、好評を博し,その時の主題歌として
歌われた歌があの「アリラン」と知らされたのである。
2003年、失われたフイルムの代わりにオリジナルの脚本と弁士の語りの録音テー
プを元にしてリメーク版映画「アリラン」が作成され、ソウルとピョンヤンで同時上
映され、南北の人々が笑い悲しみ映画を楽しんだと言う。
私が見た映画「アリラン」はもちろん今流行の「韓流映画」とは別物である。
しかし白黒画面で、弁士による解説つき、そして日本語字幕入りはかえって新鮮だっ
たし、何よりもチャップリン的手法を取り入れた回転の速い進行は快かった。
この映画は1919年3,1独立運動の後の、日本の植民地・朝鮮における人々の
怒りと悲しみ、そして植民地支配と言うもののある意味滑稽な姿を思い切り描き、風
刺している。
まるでオモチャのような支配者やその下僕の日本人警察官、そして駐留する日本軍、
それに対し弾圧され収奪され奪い取られる、朝鮮の人々のなんとしぶとく逞しいこと
か。
最後に処刑場に送り込まれる若者を送る人々が「アイゴー・アイゴー」ではなく、
「アリラン」の歌声と踊りであったことが印象的だった。
上映が終わると自然に拍手が送られ、暫く鳴り止まなかった、そして会場外ではそ
れこそ組織を超えた、人々の交歓風景を見ることができた。
韓国では8月28日1965年の日韓条約に関する外交文書の全てが公開され、人々
の関心を呼んでいる。
日本のマスメディアは竹島(独島)問題で日本の外務省高官が「価値のない岩だから
爆破してしまえ」と言ったこととか、児玉某の怪物ぶりを伝えただけであるが、文書
公開がどの様な効果をもたらすのか、見守りたいものだ。
映画「アリラン」は年内を中心に、日本各地で上映される予定である。