「尹奉吉・ユンボンギル」この韓国と朝鮮では「義士」と慕われ、たたえられる男のことを、日本人はもとより、大半の在日の人々も知らない。
そして「尹奉吉」が日本に連行され、金沢で処刑されたことを知っている人は更に少ないだろう。
かつては日本の歴史教科書でも必ず出て来たことのある、初代朝鮮総監「伊藤博文」(あの千円札の伊藤さん)を、中国ハルピン駅で射殺した朝鮮人の英雄「安重根・アンジュングン」さえ、覚えている人が少ないのだから、まあ致し方ないと言うべきなのだろうがー。
「安重根」による伊藤博文の射殺は1909年、「尹奉吉」が日本軍の上海での「天長節兼戦勝祝勝会」に爆弾を投じて白川義則大将等多数の軍首脳部を死傷させたのはずっと下って1932年4月29日である。
死刑判決後、「尹奉吉」は金沢に連行され秘密裏に12月19日処刑、遺体は埋葬される事なく、金沢郊外のゴミ捨て場の地下に埋められた。
しかし、「尹奉吉」が「義士」とたたえられるのは、彼のこの行為が植民地下にある朝鮮の人々に独立への勇気を与えたと同時に、日本の中国侵略、15年戦争への突入に危機感を抱いていた中国の人々に、大きな感動を持って迎えられたからである。
この闘いは、当時上海にあった金九らの「大韓民国臨時政府」の活動にも一定の弾みをつける事となる。
「尹奉吉」の遺骨は、戦後、地元金沢の在日の有志の懸命の調査によって発掘され、大半の遺骨はソウルの記念墓地に埋葬された、しかしその一部は発掘現場の小さな慰霊碑の下に静かに眠っている。
さて戦後60年を記念して今年、この「尹奉吉」の闘いの劇が「熱り(ほとぼり」として東京と金沢で公演された。
東京では板橋区の文化センターで、金沢では県立音楽堂で、東京の公演はまずまずの入り、金沢では満員御礼の盛況だったと言う。
残念ながら私はどちらにも参加出来なかったのだが、金沢では予想以上の600人余りが入ったと言う、「尹奉吉」の慰霊碑があると言え、在日が少ない北陸でのこの盛況は、拉致問題や「つくる会」教科書などによる反動化がますます進行するこの国でも、これら歴史に関心を持ち、闘いの意志を持つ人がまだまだ多数存在すると言うことの証しである。
「尹奉吉」は今の言葉で言えば間違いなく「テロリスト」である、だがその価値を決めるのは歴史である。
今、イラクで闘われている武装抵抗勢力の闘いも、やがて「テロ」や「自爆テロ」ではなく「祖国解放の闘い」として高く評価される日も来ることだろう。