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「北朝鮮問題」討論欄

青瓦台事件について

2006/01/09 風来坊 50代 自営業

 やすし様の投稿で書いている青瓦台事件の赤旗報道は、
1968年1月24日「ソウル市内で銃撃戦」-武装部隊かいらい警察署長ら射殺ソウルからの通信報道によれば、21日夜から22日未明にかけ。ソウル市内に多くの人員からなる武装小部隊が出没し、かいらい警察部隊と激戦を繰り広げました。略武装小部隊は朴正熙一味がねじろしている青瓦台から500メ-トルの地点まで進出し、ここで朴一味が急遽出動させたかいらい警察部隊及び特殊部隊と銃撃戦をくり広げました。戦闘は22日未明まで数時間にわたって激しく続きました。略
 米日反動派に国を売り渡している売国奴朴正熙一味を打倒しようとする南朝鮮人民の英雄的闘争は日増しにいっそう力強く、繰り広げられています。
 しかし、当時のベトナム反戦闘争を行っていた人々が、韓国の朴正熙軍事独裁政権を、南ベトナムかいらい政権と同列にみていて、赤旗の記者や編集者が、このような記事を書いていても、一概に非難はできないのではないか。だから当時、この記事に対して大きな反論が起きなかったかったのではないか。
 しかも公明党との論争で見るならば、(2002年11月23日赤旗)共産党が言うように、それぞれの党と朝鮮労働党との友好関係がどういう時期におこなわれたかです。北朝鮮が国際的に問題になっている無法行為を犯したときに、その問題に抗議せず、「友好関係」を続けて続けていたとすれば、それは、無法への「迎合」にほかなりません。
公明党1972年北朝鮮との共同声明
「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成首相のチュチュ思想を指針として千里馬の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩ををとげたことに対し祝賀した」と金日成個人崇拝体制を礼賛しました。

 拉致問題でも、公明党は日本共産党の橋本議員の質問で拉致実行犯容疑者であることが明らかになっている辛光撞洙をふくむ韓国大統領あて釈放要望書に公明党議員六人が署名するなど、拉致疑惑追求に逆行することまでおこなっています。
 このように公明党は、1972年から金日成個人崇拝に迎合し、無法行為への批判も回避してきたのです。
以下略
以上から明らかなように公明党からの批判という点だけなら共産党の完勝である。
 しかし、二つの問題点を指摘しておきたい。
 一つは、ソ連・中国・北朝鮮-三つの覇権主義 不破哲三著 新日本出版
p208この"武装部隊"が南での闘争の必然の所産ではなく、きわめて人為的な色彩のつよいものであったことは、当時の状況からも、容易に推察されることでした。
 これは重大な問題です。もし、共産党指導部が、北から送り込まれているとわかっていて、あのような記事を載せていたとしたら、重大な背信行為としか言い様がない。
 二つ目は、問題は、北朝鮮が、国際的な無法行為を進めたとき、どういう立場をとったか、にあると公明党を批判しながら、なぜ日朝正常化交渉をしたのかである。一体北朝鮮が変わったと言うのだろうか。
視点を変えるとこんな日本が見えてくる 緒方靖夫 新日本出版
p83「北朝鮮の現状の見方と日朝正常化交渉」
 私たちは特別な情報源を持っているわけではありませんが、みずからの経験で、経験で、その変化を経験的に一歩一歩判断してきました。99年12月の超党派の国会代表団に参加したさいに、私たちの党を攻撃した故金日成氏の廟や像に頭を下げませんでした。これは北朝鮮にとってはたいへんな行為にあたるわけですが、それにもかかわらず、北朝鮮の代表団長は、会談でのわれわれの発言を道理あるものと評価しました。そんな経験を通じて、北朝鮮は道理が通じる、まともな話し合いができる状況にあると感じてきました。
 一体何を言っているのかさっぱり分からない。たったこれだけのことで北朝鮮が変わったと言えるのか。
 日本共産党と朝鮮総連との関係では、2000年十月に意見が異なっても敵対しないという合意をして、正常化しました。
 第二の共創協定にならない事を期待するのみ。
 今、北朝鮮=朝鮮総連と正常化しても日本の進歩的運動にとってプラスになることは何一つない。何か事件が起きるとかつてのソ連のチェコ侵略、中国の文化大革命、天安門事件のように反動に利用されるだけである。