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「北朝鮮問題」討論欄

キーワードは「15年戦争」!

2006/04/22 オーガ

 日本では、一般に「戦争」といえば、いわゆる「太平洋戦争」のことを指すかと思う。けれども、これがそもそもの間違いのもとなのだ。本当は「15年戦争」というのが正しい。こんなこと言っても、どうせ、「教科書ではそう教わらなかった」とか、「大東亜戦争って言いたいんじゃないの?」とか言われそうだけどね。
 15年戦争っていうのは、1931年に始まって、1945年に終わった戦争だから。ちょうど15年続いた戦争だからです。いわゆる大東亜戦争のことじゃありません。そして、この15年戦争という言葉は、従来3つに分けられていた、満州事変と日中戦争と太平洋戦争とを、1つにまとめあげる、便利な言葉でもあります。
 これまで、教科書的には満州事変と日中戦争と太平洋戦争とを、まるで別々の戦争であるかのように教えてきました。これこそが間違いの元なんです。これらの戦争は、どれ1つとして、単独で終結したものはありません。1945年の日本の敗戦によって、3つまとめて終わったんです。
 もっと言えば、従来の満州事変、日中戦争、太平洋戦争、という呼び方は、戦時中に日本政府が使っていた、満州事変、日華事変、大東亜戦争、という呼称をそのまま、あるいは単に言い換えているに過ぎないんです。しかし、この3つの呼び方は、単に当時の日本側の都合によるものに過ぎません。
 当時も中国は、日本側の言う、いわゆる「満州国」を認めませんでしたし、当時の国際社会もこれを認めませんでした。だから、「満州国」の存在が火種となって、ついに7年後の1937年に、日中両国による、本格的な武力衝突に発展したわけです。また、当時のアメリカのルーズベルト大統領は、日本の中国侵略に反対し、日本に対し、中国からの撤兵要求と、それに伴う対日経済制裁の発動を突きつけました。にもかかわらず、日本はけっして中国から撤兵しようとはしませんでした。ために1941年にはついにアメリカとも戦うことになりました。
 つまり、ひとことで言えば、「満州」をめぐる、日本の戦争が、「15年戦争」というわけです。
 ついでながら、1945年8月のソ連による対日参戦と、それにともなうソ連軍の満州侵攻が、日本のポツダム宣言受諾を決定づけた事実は否めません。いわゆる「満州国」が失われたとき、日本の戦争は終わったわけです。
 さらにいえば、このとき、本来ならば、日本はドイツのように東西に分割されていても、おかしくはありませんでした。地続きである、という、地形的な理由から、敗戦まで日本が植民地支配していた、朝鮮半島が、代わりに南北に分割占領されてしまったのです。
 現在の、日中間、日韓・日朝間における、日本側の言う、いわゆる「歴史認識の違い」に端を発する諸問題というものの、原因がどこにあるのか、そろそろ分かってもらえたんじゃないかと思う。
 日本は、客観的な歴史的事実に基づいて、「15年戦争」という捉え方をするべきなのに、そうはしないで、あくまでも、戦時中の日本の公式発表で使っていた呼称を、ほとんどそのまま使い続けてきた。
 結果として、日本では、最後の「太平洋戦争(=大東亜戦争)」だけが、「戦争」として認識されてしまっている。そして日本はアメリカとの戦争で、空襲の痛手を受けた、戦争の被害者という立場にすりかわってしまっている。しかし、15年戦争の本当の被害者である、中国や朝鮮半島のひとびとにとって、このような日本の身勝手な認識が通るはずはない。日本が、「満州」をめぐって引き起こした「15年戦争」の、加害者である、というのが、厳然たる事実です。

 だから、日本人は、今からであっても、「15年戦争」という言葉を、普通に歴史用語として使うべきである、と声を大にして言いたい。
 また、真に歴史を正しく理解しようと思う人ならば、今後は、太平洋戦争(=大東亜戦争)とか、第2次大戦(1939~1945)などと言わずに、「15年戦争」という言葉で記述してもらいたいものです。
 さらには、中国をはじめ、韓国や朝鮮など、東アジアの国々でも、この、事実のみに基づく、客観的な言葉を、歴史用語として使ってもらいたいと思うのです。

   「まことの知識は、まともな記述から!」

               世界史辞典常用者