ただ拉致問題と核問題が解決されればいいって問題じゃ
ないんだ。分断され、緊張を持つ東アジアで日本が朝鮮民族統
一のお手伝いができることはないのか?それは朝鮮半島に親日
政権を作るなどというケチな理由からではなく、東アジアで日
本人と朝鮮人と中国人が永遠に仲良く暮らせるためにですよ。
その場その場で「危機が起きたから解決しましょう」ってい
うのじゃなくて、もっと南北朝鮮や中台と日本が共存できるこ
とを日本も考えないといけない。ただ当面の危機を乗り切るた
めの対話だったら、拉致や核すら解決しないだろう。でも、我
々が望み、考えるべきはそんな当面の危機をなくすことだけじ
ゃない。東アジアで東アジア人が共存していく構想を持つこと
だ。小手先の危機解決なんて、絶対解決にはならない。
アジアは一つじゃない。一つにしようと思わなければ、いつ
までたってもアジアはバラバラのままだ。それでいいのか?問
題はそういう大きいことなんだ。ちょっと隣国との目先の交渉
でこじれたり、うまくいったりいかなかったり、領土が少し得
した損した、そんなことを私は望んでいるんじゃない!
「我々はいつまで対立し、殺し合いの準備をしなければなら
ないのか?」そこを問いたいのだ。
対話であれ圧力であれ、新しい世界構築のための構想と哲学
を持たぬ者がいかにどんなパフォーマンスをやろうと、新しい
平和な世界は開けず、いつまでたっても軍需産業が儲かる体制
から抜け出せることはない。真に心から人類の平和共存を望ん
でいるのか?それともただの国民人気取りなのかどうかが政治
家に問われている。
かつての大東亜共栄圏は日本独裁の象徴だった。しかし、今
の政治家は今度こそ日本人と他のアジア人が対等に共存する、
あの時には実現できなかった本当の大東亜共栄圏を作ろうとは
思わないのか?それとも、あれはただのアジア人を騙すための
ただの嘘で、本音で対等な形でそんなことを考える政治家は日
本にはいないと言うのか?
なるほど、傀儡国家を作って国連を脱退した後の戦時中の日
本の行為には身勝手なものがあったと思う。しかし、マハティ
ールは戦時中の日本の建前にもどっかで真実があると考えてい
たからこそ最近まで日本に期待していたのではなかったのか?
次の首相が安部か福田か、靖国か国立施設か、そんな次元の
話ではなく、もっと日本と日本人がアジアとどう幸せを分かち
合うのかを議論すべきではないのか?19世紀じゃないのだか
ら、本当は軍事だけでなく、もっと食とか、自然環境などでア
ジアのことを議論が深まっていいはずだ。19世紀の民権運動
の活動家が今の議論を見たら、「まだ日本も世界もこんな段階
なのか!」と驚くだろう。
何故、戦争で国家のために死ぬ議論ばかり先行して、これか
らもアジアでずっと何十年も生きていくための議論がないのか
?戦争を拒絶した女子中学生を非国民呼ばわりした校長。特攻
隊の時代から一歩前に出てくれ。たった一歩でいいんだ。