矢吹晋氏は「マオ」について「失敗作」「三文小説」と 酷評している。又「マオ」についての書評を書いた人達に対し ても、なで斬り状態で、「三文小説に騙された、したり顔の白 髪老人」「典型的な提灯記事」「ど素人のたわごと」等々・・ ・それぞれ青木教授、加藤千洋氏、松原教授に対してのコメン トとなっている。
まず、矢吹晋氏の品性について疑問を感じざるを得ない。同 じ研究者に対して、感情むき出しで人格を否定するのは如何な ものか?又、真のプロならば、常に「道半ば・・」のような言 い方をする。自惚れの極みのような人物は、入り口段階で信用 できない。
次に、氏がベ-スとしているものが、中共中央の文献(毛沢 東伝等)となっている。時の権力側が発行・管理している文書 だ。権力側が不都合なことは記述されないことは常識。徳川政 権が、豊臣の根絶やしのために、史実を改ざんしたことと同じ こと。氏が自惚れているのは、文献・証拠の多さの競い合いで はないのか?
歴史書か小説かは、どちらでも良いことで、その道の研究者 が時間をかけて行えばよいこと。ただ、矢吹氏は冒頭で結論を 出している。「マオ」は中国脅威論を煽る悪書であり、由々し き事態と。歴史研究家の看板をたて、文献の不整合を並べ立て 、その結論として、意図的に悪書に仕立てようとしている。不 破訪中団の中国礼賛の側面援助をしていると疑いたくなる。歴 史家ならば、史実を研究するのが本業で「中国脅威論を煽る」 との固定観念から出発していることで、氏の本性が見え隠れす る。
社会主義とは無縁の毛沢東路線については、当時の日本共産 党が全面的に分析し、批判を展開した。いわゆる10.10論 文で、日本の論壇では高い評価をうけていた。その論文と「マ オ」はかなりの部分で整合する。但し10.10論文では、「 解放」前の実情とその後の進捗の関連性については、触れられ ていない。前史の部分とその後の流れとの関連付けについて「 マオ」は補っているものと考える。
本来は、10.10論文以降の理論的展開を、日本共産党が 継続すべきところだが、不破執行部の変節(理由なき中国礼賛 )によって止まっている。「マオ」の発行を期に、更に日本で 研究がすすむことを願いたい。「マオ」は確実に一石を投じた と評価したい。