この度、米軍のシナリオどおりに死を遂げたイラクの抵抗勢力グループの代表・ザルカウィ氏を、知人の心理学者の言説を利用し、「人を殺すことで快楽を得る典型的な異常性格者タイプ」としてピリオドをうつ朝日新聞である。
これほどの「異常で野蛮な犯罪者」なら、なおのこと、捉えてその心理分析を試みるほうが妥当ではないか。
そういえば、朝日にも度々出ていた某著名な心理学者は、「心のノート」という軍国ノートの監修者であった。
2006年、6月22日の15面、ワールドクリック、松本仁一編集委員の「他人の権威で語る」この記事を切り抜いておこうと思う。
「ザルかウィ容疑者の異様さは、組織の指導者である彼自身が刃物を握り、犠牲者ののどをかき切っていたことである(汚れ役を引き受けたということか)。その場面はビデオで撮影され、メディアに送りつけられた。」
と書くが、私はそのビデオの中身を余り記憶していないし(朝日の記事を念入りに読むほうだが)、テロ首謀者の記事はもらさず読んでも、首切り公開という手法のメッセージは今一つたわらない。
いつか、「我々の言葉には力がない。言葉に血を吹き込まなければ」と語ったテロリストの言及だけが、印象に残っている。朝日は国益という大義名分のためなら、大国の差し出す毒でも何でも飲むのだろうか。否、自らの手は決して汚さずボタン一つで殺してくれるある大国の狂人もどきの忠犬にエールを送るということで、自らの「民主的な残虐性」にはそ知らぬ顔をする。
本多勝一氏が嘆いておられるが、あまりにも、情けないではないか。世の中が反動化するとき、道は一つである。反動に徹底抗戦するか反動に甘んじるかである。朝日の今の姿勢が部数増に結びつくとはとてもおもえない。
なによりも、読者に媚びるだけなら、いくらでも一、ニ流の文化人やメディアがごまんとある。いずれにしろ、今の混沌状況の中で何が光るかといえば、徹底した真実の追究であろう。社会の木鐸としての誇りであろう。スローガンを広告するのではなく、日々の記者の視点の中で実践してもらいたいものである。
朝日には本多立太郎氏も含めて、優れた先輩たちがおられるのだから、本音をいえば、これ以上、腐ってもらいたくない。