7月17日昼、イラク派兵されていた陸上自衛隊最後の
220人の部隊は無事クウェートに到着、満面の笑顔の額賀防
衛庁長官らに迎えられ、指揮者の山中群長は「イラクでの人道
復興支援活動の任務を達成し、復興支援が現地で高く評価され
たことを誇りに思う」などと話した。
ところがこの「順調な撤退作戦」にはもう一つの真実が隠さ
れていた。
朝日や読売など大手新聞、またテレビでは全く報道されてい
ないが、サマワの宿営地ではとんでもないことが起きていたの
だ。
実は16日の午後、引渡しのセレモニーが行われ、正式に地
元のイラク陸軍に引き渡される予定だった。しかし自衛隊の引
き上げへの怒り、賃貸料や雇用で不安に駆られた地元の有力部
族長たち地権者が次々宿営地前に集結、座り込むと言う大混乱
が起こったのである。
そのためセレモニーは中止され、せっかく作った鍵形の記念
品を渡すことも出来ず、と言って出ようにも出れず、逃げ出す
こと出来なくなり、宿営地は武装した200人のイラク軍に守
られ、自衛隊は夜になってやっと、秘密の裏口から、あれほど
友好的関係を宣伝していた地元の人々に別れの挨拶も出来ない
まま、命からがら逃げ出したのである。
少し前には地元有力者に無理やり、「感謝状」を書かせよう
としたことも判明している。
これが自衛隊のイラクでの「人道復興支援活動」の実態であ
る、だから「日の丸」のマークを全てはずし、駐屯地からの逃
亡したのだ。
こんな体の自衛隊と、地元の要請に全く応えようとしなかっ
た日本を見て、イラクの人々がどんな信頼を寄せると言うのだ
ろうか。
まあ同じころ、遥か北方のサントロペテルブルクでは自衛隊
総司令官・小泉純一郎が「最後の修学旅行」ではしゃぎすぎ、
あのパフオーマー、ブッシュにさえ、たしなめられ、人々のひ
んしゅくを買っていたと言うから仕方ないことなのだがー。
自衛隊のみなさんご苦労さま、でもすぐ横のインドネシアで
はまた大津波による多大な被害が出ている。任期半ばなんだか
ら早く帰国する必要はない。
早速、増強された空自のC130でインドネシアでの救援活動に
頑張ってもらうことが最大の貢献だろう、それが本当の税金の
使い道だ。
名誉回復のために是非頑張ってほしいものだ。