右翼評論家として有名な俵孝太郎氏が久しぶりに9月15日の日刊ゲンダイの辻斬り説法にイラク問題を書いた。以下その部分を抜き書きしてみよう。
「テロとの戦い」と「テロ的体質政権との戦い」の違い
問題は衆目の見る通り、アフガンに完全な民主的秩序と平和を確立できないうちに、ブッシュ・アメリカがフセイン・イラクとの戦争にエスカレートした点だ。
「テロとの戦い」と「テロ的体質の政権との戦い」とは別の話だ。前者は国際社会が一致して取り組むべきだが、後者は一義的にはそうした政権に抑圧されているその国の民衆が決起して打開すべき問題だ。
国際社会の役割は、当面は経済封鎖などの手段で政権の弱体化を図りつつ、民衆の抵抗を支援することだ。その手順を誤ったツケは大きいというほかはない。
思わず吹き出してしまった。この人は立場は別として、ジャーナリストとしての自分の以前の発言に対しての責任をどう思っているのだろうか。
昨年の私の昨年11月18日の「右翼評論家の厚顔無知」を抜き書きしてみよう。
2003年3月21日
イラクが大量破壊兵器を使うかどうかで双方の正邪が決まる。
米英軍によるイラク攻撃がいよいよ始まる。いまさら国連新決議がない開戦はけしからんとか、あくまで平和を守るべきだとか言っても意味がない。
戦争に反対した仏ロ独中を褒めるのは、もっと意味がない。この戦争の当否、正邪を決めるポイントは単純かつ明快だ。
戦争に際してイラクが大量破壊兵器をいっさい使わず、米英軍がイラク領内で最終的に大量破壊兵器を発見できなかったら、たとえ戦闘の結果はどうなろうと米英の負けだ。ブッシュ大統領は国際的非難にさらされ、米英の国際的指導力は地に落ちる。逆に、イラクが米英軍に対して長距離ミサイルをぶっ放したり、米英軍が砂漠に埋まった生物化学兵器を見つけたりしたら、仏ロ独中、そして世界中の「平和屋」の目は節穴か、ということになる。彼らは今後何を言っても信用されなくなる。
国連旧決議は、イラクが大量破壊兵器を持つことを禁じてきた。イラクはそんなものは全く持っていないと主張してきた。危急存亡のふちに立っても大量破壊兵器をいっさい使わなければ、イラクの潔白は一応証明される。米英がいくら探してもなにも発見できなければ、イラクの無実は完璧になる。そうなるかならないかだ。
2003年4月18日
文明遺産を略奪する国民に援助する必要があるか
2003年4月11日
イラクの戦後処理、官僚主義と腐敗の国連にできるのか
イラクの戦後処理をめぐって、米英主導でいくべきか、国連中心で進めるべきかが、論議の的になっている。
この問題はアメリカが主張するように戦場で血を流した米英が主導するのが当然だ。日本政府やマスコミは一足飛びにイラクの戦後復興というが、その前にフセイン独裁から脱した敗戦イラクの戦後秩序の確立という課題がある。開戦に反対し、砲弾飛び交うとき遠く離れた安全地帯で小田原評定をしていた仏独ロ中や国連が卑怯未練にもいまごろになってしゃしゃり出てきても、断固たる力の背景もないのに秩序が確立できるわけがない。
同じ新聞の同じ欄にこれほど整合性のない主張を、よく書けるものだ。前回も書いたように厚顔無恥としかいいようがない。
「大量破壊兵器を使うかどうかで双方の正邪が決まる」「この問題はアメリカが主張するように戦場で血を流した米英が主導するのが当然だ」と言っていたことと今回の主張との矛盾をどう説明するつもりなのだろう。 ぜひ聞いてみたいものだ。
所詮、権力者の提灯持ちの右翼ジャーナリストの正体とはこんなものなのだろうが。