イスラエル人は、ゲットーやナチスの強制収容所からの解放を目指して戦ってきた筈なのだが、今のイスラエルは「ナチスと戦う人々」から 「ナチスそのもの」へとなってしまったと言っても過言ではないだろう。パレスチナ問題に取り組んでいる京都大准教授の岡真理さんが京都新聞に寄稿した「ガザの殺戮に「否」と言ったか」を取り上げてみたいと思う。
私たちは知らなかったーホロコーストのあとで、ドイツ人はそう言って自らを免罪しようとした。「知らなかった」ということが、もし言い訳になりうるとすれば、それは「知っていたら必ずや黙っていなかった」という含意があるからだ。だが、本当にそうなのか? 私たちは、人間が収容所に閉じ込められて、なす術もなく殺されているのを知っていたら、必ずや「否」の声を上げるのだろうか?
では今、ガザで起きていることは? 百五十万の人間を出口なしの檻に閉じ込めて、空から海から陸からミサイルを砲弾を浴びせて 殺戮する。そんなことが、世界注視のなかで公然と、半月以上にわたり続いている。まるで、「知っていたら、おまえたちは本当に声を上げるのか?」と問わんばかりに。
この「公然性」は私たちをみな、殺戮の共犯者にする。いや私たちはその前から共犯していたのではないか。過去三年間、封鎖されたガザで、水も電気もガスもガソリンも、ライフラインのすべてをイスラエルにコントロールされ、かろうじて生命だけを維持するような「生かさず、殺さず」の状況に百五十万もの人間がとどめおかれてきた。だが、私たちはそれに異議を唱えず事態を許容し、そうすることで殺人者たちにメッセージを送っていたのではないか。パレスチナ人の生など、私たちには関心がないと。ガザという監獄でパレスチナ人が「これが人間か!」という生を強制されていたとき、私たちが大きな声で「否」を訴えていたならば、果たして今回のこの殺戮はありえただろうか。殺人者たちに青信号を出したのは私たちではないのか?
ガザは今「監獄」から「絶滅収容所」に変貌した。「アウシュヴィッツ」「ヒロシマ」と同じく、「ガザ」は人間が人間であることの臨海を意味する言葉となってしまった。「ホロコースト」とは、「ヒロシマ」とは、私たちにとっていったい何だったのか? 「人間の命は決してこのように扱われてはならない。人間とは、決してこのように死んではならない」という命題は、これらの悲劇から私たちが掴み取った決して手放してはならない真理ではなかったのか。
このような出来事のあとで、ガザの人々はなお、人間の善性を信じることができるのだろうか? 彼らは許すことができるのだろうか? ミサイルと砲弾の雨のなかで逃げ惑っていた彼らを知っていながら、見殺しにした世界を。ガザを瓦礫の海にして、八百名以上を犠牲にすることで、 イスラエルは証明したいのだろうか? 世界は人間がこんな形で殺されるのを知っていても止めはしないのだということを。このとき、破壊され尽くしたガザの街とは、倫理的に破壊されたこの世界の似姿になるだろう。
だが攻撃が始まってから、二週間のあいだに、市民社会のネットワークはインターネットを駆使し、グローバルにつながりながら、世界各地で緊急の抗議行動を組織し、「否」を訴えている。人間はなんぴともこのように死んではならないと。攻撃をテロに対する自衛と位置づける日本のマスメディアは報道しないが、テルアビブでも三日、ユダヤ系市民を中心に一万人以上が一大反戦デモを行ない、封鎖と占領による尊厳の破壊こそが問題の根源だとして、大義なき戦争を告発した。
たとえ停戦が実現しても、封鎖と占領が続く限り問題は解決しない。爆撃で虫けらのように命を奪うことも、封鎖で尊厳ある生を奪うことも、人間を顧みない点において等しい。私たちは訴え続けなければならない。なんぴとも決してこのような生を生きてはならないと。
イスラエルによるパレスチナ侵略に反対の声を上げると、「ナチスによるユダヤ人虐殺への配慮」がないと指摘する人がでてくる。しかし、「ユダヤ人虐殺」にパレスチナ人が関わったわけではない。これでは、過去に悲惨な経験をした民族は無関係な人を攻撃しても、過去の経験分配慮されてしかるべきという奇妙な理屈になります。最後に、多くのマスコミがイスラエルのガザ攻撃を自衛と位置付ける中で、この寄稿をとりあげた京都新聞の勇気に敬意を表します。