投稿する トップページ ヘルプ

「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

不破哲三の「古典研究」にみるカラクリ芝居が教えること--「議会の多数を得ての革 命」から--

2006/11/4 原 仙作

1、はじめに
 この投稿は、もともとは無党派層の見方についての論考にひとつの<注>として書 いたものであるが、<注>としては膨大になりすぎたため、独立の投稿にしたもので ある。その論考では、この<注>は日本の共産主義運動の歴史的傾向(退潮)を明ら かにする一指標として、日本共産党の言う「科学的社会主義」の理論水準をレーニン を基準に取り、見定めようとしたものである。
 検討の素材はマルクスの革命論をめぐって国家機構の『粉砕』か「改造」かという 問題を取りあげている。主要な文献は『共産党宣言』、『フランスにおける内乱』、 レーニンの『国家と革命』と不破哲三の『議会の多数を得ての革命』が中心になる。

2、帝国主義戦争の時代の主要テーマであった
 議論の展開の仕方はマルクスが唯一行った『共産党宣言』への修正に関わる古典解 釈の真相解明という形をとる。言葉でいえば、『粉砕』か「改造」かというのは、な にほどのこともない言葉遊びのような議論に見えるが、第一次世界大戦の渦中にあっ ては、帝国主義戦争から抜け出す唯一の道であるプロレタリア革命の方法をめぐっ て、労働者階級の運命を決める実践上の最重要課題であった。「帝国主義戦争を内乱 へ」という方針をいかなる方法で実行するかという問題でもあった。
 19世紀も70年代以降、ヨーロッパは相対的安定期の中で、一定程度、民主主義 の定着傾向がみられ、当時の政治・労働運動の主流である社会民主主義運動は資本主 義の発展と共に労働組合運動を中心として順調な発展をみていた。比較的平和裡に あった社会情勢の中でマルクスの革命的学説は忘れられ、社会改良的運動が大きな比 重を占めるようになっていく。そこに第一次世界大戦が勃発し、資本主義大国同士の 総力戦が始まり、時代は一挙に暗転することになるのだが、この暗転の中で、旧来の 社会民主主義運動は自国の帝国主義戦争へと動員され無力な姿をさらすことになっ た。
 そこに『国家と革命』をひっさげて登場してくるのがレーニンであって、忘れられ たマルクスの革命学説を復活させようとするわけである。その焦点がここにあげた 『粉砕』か『改造』かという古典解釈論争なのである。そして、この問題は、今日、 日本共産党の新綱領採択の前提として、決着をつけておくべき問題でもあったのであ る。
 あらかじめお断りしておかなければならないが、文献解釈論争を見る場合、徹底的 に細部にこだわるという姿勢がないと、得手勝手な解釈、議論の運びが見過ごされて しまうということである。そこでは相当の忍耐力が必要とされる。古典の巨人達は一 字一句にこだわり、ゆるがせにしない文章を書いているのだということも念頭におい て読んでもらいたい。

3、問題の文章がこれだ
 周知のように、『共産党宣言』の「1872年ドイツ語版への序文」に次のような 文章がある。

「最近25年間における大工業のはかり知れない進歩や、・・・プロレタリア階級が はじめて二ヵ月のあいだ政権をにぎったパリ・コミューンの実践的諸経験を考えれ ば、この綱領は今日ではところどころ時代おくれになっている。特にコミューンは、 『労働者階級は、既成の国家機関をそのまま奪い取って、それを自分自身の目的のた めに動かすことはできない』という証明を提供した。(『フランスにおける内乱、国 際労働者協会総務委員会の建言』をみよ。ドイツ語版19ページ・・・ここにこの点 のくわしい説明がある。)」(岩波文庫版、大内、向坂訳8ページ)

 『共産党宣言』に述べてある内容への唯一の修正がこれである。若干のコメントを すると、最初の二重カギ括弧内の文章『労働者階級は・・・動かすことはできな い。』の部分だけが『フランスにおける内乱』からそのままコピーされた文章であ る。その後に続く「という証明を提供した。・・・」以下の全文は、その前にある 『フランスにおける内乱』からコピーした文章への説明である。要するに、このコ ピー文の意味する内容は『フランスにおける内乱』ドイツ語版の19ページに説明し てあるから、そこを見ろというわけである。
 以下の議論の整理のために、コピー部分である『労働者階級は、・・・動かすこと はできない。』を修正文本文と呼び、それに加えて、コピー部分の前にある「特にコ ミューンは」という部分と、コピー部分に続く終わりまでの説明文を含めて、両者の 全体を修正文と呼ぶことにしよう。だから、修正文という場合、「特にコミューン は」以下の全文を指す。また、上記引用文の一行目は前書きと呼ぶ。したがって、上 記引用文は、前書き、修正文本文、修正文という3区分で呼ぶことになる。この区別 は非常に重要で、これから検討する論者のデタラメな議論を見分けるかなめとなるも のである。
 問題となってきたことは次の点である。パリ・コミューンは既成の国家機構全体を 粉砕したというのが事実であるのに、なぜ、国家機構を粉砕し、まったく別の国家機 構を造り上げてからでなければ労働者階級はその国家機構を動かすことはできないと 言わずに、抽象的に「国家機関をそのまま奪い取って、それを自分自身の目的のため に動かすことはできない」という表現にしたのかということである。マルクスにして は多義的な解釈ができる曖昧さの残る文章なのである。この謎をめぐって古典解釈史 がはじまる。もちろん、解釈論争の背後には政治路線の対立がある。そこで解釈史の 検討に入る前に、この修正文のマルクス・エンゲルス全集版のものを引用しておこ う。多義的な解釈ができそうな文章の翻訳は、いくつかの翻訳文を参照しておいた方 が良い。

「この25年間に大工業がなしとげた長足の進歩や、・・・プロレタリアートがはじ めて2ヵ月のあいだ政治権力をにぎったあのパリ・コミューンにおいて得られた実践 的経験に照らしてみれば、この綱領はところどころ時代おくれになっている。とりわ け、コミューンは、『労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分 自身の目的のために行使することはできない』(『フランスにおける内乱、国際労働 者協会総評議会の呼びかけ』、ドイツ語版、19ページを参照。そこではこの点がさ らに展開されている)ということを証明した。」(全集18巻87ページ)

 ふたつの翻訳の文意は同じだと言っていいだろう。ついでに、ドイツ語原文を掲げ ておこう。翻訳文の原文の文章構造がよく理解するためである。

 Fortentwicklung der großen Industrie in den letzten fünfundzwanzig Jahren und der mit ihr fortschreitenden Parteiorganisation der Arbeiterklasse, gegenüber den praktischen Erfahrungen, zuerst der Februarrevolution und noch weit mehr der Pariser Kommune, wo das Proletariat zum erstenmal zwei Monate lang die politische Gewalt innehatte, ist heute dies Programm stellenweise veraltet. Namentlich hat die Kommune den Beweis geliefert, daß "die Arbeiterklasse nicht die fertige Staatsmaschine einfach in Besitz nehmen und sie für ihre eigenen Zwecke in Bewegung setzen kann". (Siehe "Der Bürgerkrieg in Frankreich. Adresse des Generalraths der Internationalen Arbeiter-Association", deutsche Ausgabe, S. 19, wo dies weiter entwickelt ist.)

 このドイツ語原文で注意しておくべきことは最後の括弧内(・・・)の部分で、ま ず、動詞・見るの命令形の「Siehe」(見よ、参照せよ)が来ており、最後に 「deutsche Ausgabe, S.19, wo dies weiter entwickeit ist」とある。意味は、国 際労働者協会の声明である『フランスにおける内乱』ドイツ語版19ページを見よ、 そこで、このことがさらに説明されている、ということである。文章構造ではコピー 文に直接続いて「(Siehe ・・・) 見よ」が来ていることがよくわかる。(Siehe ・・・)以下がその前にあるコピー文「"die Arbeiterklasse・・・・setzen kann"」への補足文であることがよくわかる。
 二つの翻訳とも大差はないが、この括弧内の部分の翻訳としては、大内訳の方が原 文の文意をわかりやすく伝えている。後に、修正文のこの(・・・・)内の部分が重 要な問題となるので、よく記憶しておいてほしい。

4、論争の発端と不破の政治目的
 さて、この文に最初に目をつけたのが、19世紀末からのドイツ社会民主党の改良 主義派のイデオローグ・ベルンシュタインで、この表現は「権力を奪取するさい過度 の革命的手段にはしらないように・・・注意を与えた」ものだと言う。「運動がすべ てで究極目標は無だ」という資本主義の改良オンリーの主張をする人物ならではの解 釈である。このようなベルンシュタインの解釈からすれば、既成の国家の改良、改 善、改造という解釈までは半歩の距離もないことになる。
 それに対して、レーニンはベルンシュタインらの解釈はマルクス国家論の核心を隠 蔽するもので、修正文の真意は国家機構の『粉砕』にあると批判するわけである。 『粉砕』だと断定する際に、レーニンは、この修正の出所はパリ・コミューンという 歴史的経験なのであるから、この文章の意味するところは『粉砕』であると言わず に、クーゲルマン宛のマルクスの手紙(1871年4月12日)を持ち出してくる。 その手紙はつぎのとおり。

「もし、君が私の『ブリュメール18日』の最後の章を見るなら、そこで、私が、フ ランス革命のつぎの試みは、もはやこれまでのように官僚・軍事機構を一つの手から 他の手へ移すことではなくて、それを打ち砕く(「ゴシックはマルクス。原文は zerbrechen)ことである、と述べていることに気がつくであろう。そして、これは大 陸におけるあらゆる真の人民革命の前提条件である。まさにこのことがわれわれの英 雄的なパリの同志たちが企てていることなのだ。」(『国家と革命』国民文庫52 ページ) 

 レーニンが引用するこの手紙はパリ・コミューンの真っ最中に出されたものであ る。レーニンはこの手紙を持ち出して、どうだ、フランスの革命史はその歴史の進行 過程で国家機構の『粉砕』を政治課題にのせる日がくるとマルクスは予見し、現にパ リ・コミューンがその政治課題に取りかかっている真っ最中だとマルクスが言ってる じゃないかというわけである。
 『国家と革命』批判の著作は東欧・ソ連の崩壊以降、いくつか出ている(加藤哲郎 の「東欧革命と社会主義」(1990年)、大藪龍介「国家と民主主義」1992年 など)が、ここでの論点にはふれられていない。レーニンの国家機構の『粉砕』論を どうするか、という問題は実践的な視点に立たないと論じられない問題であるだけ に、正面から論じているのは不破哲三の「レーニンと『資本論』5」、そのうちの 『国家と革命』批判を中心に選別・独立させた著作「議会の多数を得ての革命」 (2004年)である。この著作のオリジナルは1999年の「経済」(新日本出 版)11、12月号が中心である。以下、不破の著作は「議会の多数を得ての革命」 を使うことにし、特記なきページ数だけの表示は不破のこの著作のページを示す。
 彼の問題意識は最初から鮮明で、新綱領が社会主義社会でも現憲法が規定する国家 体制を堅持すると明記した以上、レーニンの主張する国家機構の『粉砕』を不破の理 解ではどうしても「改造」と読み替えなければならないという政治的必要性から生ま れたものである。むろん、不破自身はそんなことを語ってはいないが、共産党の新綱 領と衝突するマルクス主義の革命理論(レーニン理論)という客観的な理論問題が存 在することは否定しようがない。この理論問題は本来であれば、新綱領の見地をすで に示していた「自由と民主主義の宣言」(1976年)の採択時点で解決しておかな ければならなかったものである。いわば、4半世紀遅れの作業なのである。
 政治目的として『粉砕』を「改造」と読み替える必要がある以上、攻略図式が必要 になる。むやみに文献を読んで、アイデアがわき、そのうち何かを発見できるかもし れないという神頼みをするわけにはいかないのである。そこで計画はこうなる。ま ず、レーニンの『国家と革命』の『粉砕』を「改造」と読み替えるのは無理がある。 そこでマルクスに戻り、マルクス、エンゲルスの文献から「改造」と読めるものをさ がす。そのうえで、レーニンの『粉砕』論をマルクス文献の誤読にすれば解決でき る。レーニンに悪役になってもらう。これが文献解釈、探索史のロード・マップであ る。

5、不破の議論の進め方
 不破の出だしもベルンシュタインが目をつけたところから始まる。『共産党宣言』 (以下単に『宣言』と記す)の修正文をどう読むかからはじまるのである。不破は言 う。

「(レーニンのいう-引用者)『できあいの国家機構は粉砕しなければならない』と いうのが、はたしてマルクス、エンゲルスがパリ・コミューンの経験から引き出した 一般的教訓だったろうか」(58ページ)と疑問を呈し、上記のマルクスの修正文の 検討にはいっていく。
 明瞭ではない多義的に解釈できる文章であることを指摘したうえで、不破は、レー ニンはクーゲルマンの手紙を持ち出してその修正文の内容を一義的に決定するよりほ かなかったのだとするのである。
「クーゲルマンへの手紙の助けを借りることなしには、レーニンの解釈は、なり立ち えなかったのです。」(59ページ)

 いやいや、そんなことはない。ここから不破のすり替えが始まる。ロード・マップ の開始である。修正文本文は国家機構を『粉砕』したパリ・コミューンの事件の総括 としておこなわれたものであるから、修正文本文が想定していることは国家機構の 『粉砕』であることは明瞭なのである。修正文がわざわざ、『フランスにおける内 乱』の19ページにある当該箇所を読めと指示していることでもわかることである。 それに、修正文本文は『フランスにおける内乱』(以下、単に『内乱』と記す)の中 の文章であり、修正文本文以降にその説明が約7ページにわたって説明されているの であるから、『内乱』の中の文章としては少しも多義的ではないのである。その『内 乱』のなかの一行の文だけを持ち出して『宣言』の序文の中に置くと、その文の後に 続く説明から切り離されて、文字面だけでは抽象的で意味が曖昧になるため、修正文 の後半で『内乱』を読めと指示して、一義的な解釈を確保しているのである。わざわ ざ、クーゲルマンの手紙を持ち出すまでもないのである。
 レーニンがクーゲルマンへの手紙を持ち出した理由の一つは叙述上の問題であっ て、『内乱』の中の7ページにわたる長い説明の代わりに、クーゲルマンへの短い手 紙で”真意”を明確にしているということである。『国家と革命』の中では、クーゲ ルマンの手紙で『粉砕』ということを明確にした上で、次の項(第3章2)「粉砕さ れた国家機構をなにととりかえるのか?」で、修正文に指示された『内乱』の当該箇 所の記述の検討へと進む構成になっているのである。
 クーゲルマンの手紙の助けがなければ『粉砕』とは読めないとするのは不破の明ら かな歪曲である。これから検討する不破の疑問への回答は、以上のことで全てなので あるが、以下、思いつきをあれこれ書き連ねる不破のおかしな疑問へ、退屈だがしば らくおつきあいしていただこう。
 さて、不破はクーゲルマンの手紙なしには『粉砕』とは読めないと議論をすり替え たうえで、不破は何をしようというのか?
「しかし、そこから疑問が出てきます。・・・世界の革命運動の全体に影響する重大 な提言を、はたして、このような『明瞭でない』言葉で語るだろうか? と言う疑問 です。」(59ページ) だから、『内乱』の文章全体から切り離されたから、修正 文本文を見ただけでは「明瞭でない」状態になっているだけなのだ。
「かりにマルクスの”真意”が国家機構の粉砕論にあったのだとしたら、マルクスは なぜ、その”真意”を、読者がくみとりにくい、このような形で書いたのかというこ とが、大きな疑問になります。」(59ページ) 『内乱』から抜きだして持ってき たからだよ。『宣言』のために改めて書いた文章じゃない。
「クーゲルマンへの手紙は、私信であって、・・・クーゲルマンは別にして、ほかの 誰もその内容は知りえないものでした。・・・マルクス、エンゲルスが、世界の革命 運動への一般的な教訓を語るときに、誰も読みえない未公開の私信の助けなしにはそ の真意を理解できないといったやり方で、問題を語る--私には、このようなことは絶 対にあり得ないように思います。」(60ページ)
 ずいぶん力が入ってきたが、クーゲルマンの手紙を唯一の頼りにしなければ修正文 本文の”真意”が読めないと言っているのは、レーニンではなく不破君、君なんだ。 レーニンは、修正文に指示された『内乱』の長い文章の代わりに、クーゲルマンの手 紙を持ち出して、簡単に修正文本文の真意を明確にしているにすぎないのである。そ れをクーゲルマンの手紙なしには真意がわからないとレーニンが言っているというの は、ひどい歪曲である。

「また、『できあいの国家機構』は使えない、これを粉砕する必要があるということ を指示するのだったら、なぜ『そのまま』という言葉が必要なのでしょうか。」 (60ページ) 

 いやはや、これはもう八つ当たりぎみですな。ロード・マップの方向へすんなり進 めないいらだちがよく現れています。私信の助けがなければ意味がわからない、しか し、それだけでは『粉砕』とは読めないとは論理的に断定できないわけだ。なかな か、レーニンを否定できないイライラはよくわかりますよ。しかし、イライラするに しても、この疑問はあまりにも自己流だ。
 『粉砕』と文面で明言できないからこそ、「そのまま」という言葉が必要なので す。「そのまま奪い取って・・・動かすことはできない」というのと、「奪い取って ・・・動かすことはできない。」では意味が全く違うはずだ。「そのまま奪い取って ・・・動かすことはできない」と言う場合、何らかの変更を加えれば動かすことがで きるという含意がある。一方「奪い取って・・・動かすことはできない。」となる と、奪い取っても動かせないのでは奪い取る意味がなくなってしまう。その文字面に はぶっ壊せ、『粉砕』だという含意はない。不破はこの違いがわからないようだ。
 「奪い取って・・・動かすことはできない。」という文章が、その文章自体には含 意として含まれていないぶち壊せという意味になるためには、反語法が成立する条件 が必要だ。「君は天才だ」という文章が逆の意味になる条件が必要なのである。その 条件とは国家機構を『粉砕』して、まったく別な国家機構を造り運転することが絶対 に必要だということが、経験的にも戦略スローガンとしても労働者階級に十分理解さ れているということである。このような条件がある場合にのみ、「動かすことができ ない」のであれば、まずぶち壊してしまえということになる。ところが、当時は、こ の前提自体が歴史的に暗中模索の段階にあったのである。
 先に引用したクーゲルマンの手紙に「フランス革命のつぎの試みは、もはやこれま でのように官僚・軍事機構を一つの手から他の手へ移すことではなくて」とあるよう に、パリのプロレタリアートは一度も国家機構全体をぶっ壊したことがないのだか ら、「奪い取って・・・動かすことはできない。」という文面では、ぶっ壊せと言っ てるんだと読み取ることは、経験的にもできない相談なのである。また、『宣言』で は「プロレタリア階級を支配階級にまで高めること」(前掲大内訳『宣言』68ペー ジ)と書いてはあったものの、どのようにして支配階級に高めるのかという方法につ いては、抽象的に「これまでの一切の社会秩序を強力的に転覆することによって」 (同『宣言』87ページ)としか言えなかった。『宣言』では、国家機構ではなく、 すべての社会秩序( aller bisherigen Gesellschaftsordnung )の暴力的転覆なの である。転覆の対象がまだ一般的なのである。ここに修正文本文を革命の経験として 載せる必要が出てくる根拠がある。だから、「奪い取って・・・動かすことはできな い。」ではパリ・コミューンの教訓を生かせないのである。転覆すると言っても、社 会秩序から国家機構に焦点をしぼり、しかも、奪い取って、どうにかして国家機構を 動かすという意味を出せなければだめなのである。マルクスはこの修正文本文作りに 心血をそそいでいる。
 不破の疑問を続けよう。「レーニン的な解釈が正しいのなら、『そのまま』などな い方が、真意はいっそう明瞭になるはずです。」(60ページ) いやいや、そうで はない。

 「レーニンの解釈には、最初から、このような矛盾が深刻なかたちではらまれてい ました。」(60ページ)

 どのような矛盾であろうか、その深刻な矛盾というやつは? 「明瞭ではない」修 正文本文をクーゲルマンの手紙を借りて『粉砕』と読むことが矛盾なのか? 明瞭で なければ、他の資料を参照するのは誰でも普通にやることではないのだろうか? 後 に見るが不破もエンゲルスの手紙を持ち出してやっていることである。
 私信の頼りなしには読めないような秘密の言葉で書かれた革命の教訓化ということ が矛盾なのか? 修正文は、詳しくは『内乱』19ページを読めと指示しているでは ないか。「そのまま」という文字があることが矛盾なのか? これは不破の超自己流 解釈であった。
 ご覧のように、これらの「矛盾」(?)は、みな、不破の勝手な解釈が作り上げた 「矛盾」、というより、「いいがかり」というほかない程度の疑問にすぎない。「明 瞭ではない」修正文本文には何らかの理由がある(それは「9」項で述べる)のだ が、その不明瞭な部分は『内乱』の当該箇所を読めという指示で一義性を確保してお り、クーゲルマンの手紙の助けなしにも『粉砕』であることは明確になっているので ある。
 エンゲルスはこう言っている。

 「コミューンは、そもそものはじめから、次のことを認めないわけにはいかなかっ た。すなわち、労働者階級はいったん支配権を獲得したなら、古い国家機構を用いて ものごとを処理してゆくことはできないということ、この労働者階級は、いま獲得し たばかりの自分の支配権をまたもや失うまいと思えば、一方では、これまで彼ら自身 にたいして用いられてきた古い抑圧機構をすべて取りのぞかなければならず・・・」 (「『内乱』(1891年版)への序文」全集22巻、203ページ) 

 例の修正文本文の真意が「古い抑圧機構をすべて取りのぞかなければならず」とい う言葉で示されている。要するに『粉砕』なのであって、レーニンの正しさがわかっ ていただけよう。
 そういうわけで、ここまで追ってきた不破の疑問は、誠実な学問的探求のうえに出 てきた疑問ではないのであって、ある目的の方向へ議論を引きずるための「作為の疑 問」なのである。それだから、疑問の内容が支離滅裂なものになるのである。そもそ の、不破の言う疑問では、レーニン解釈が否定される論理さえ明確ではない。もう少 し、合理的な疑問の出し方があってもよさそうなものだが、そのずさんさからすれば 読者層をなめているということになろうか。

6、不破が決定打とする二つの手紙
 さて、わけのわからん「矛盾」を作り上げた不破は次はどうするか? いきなり、 結論が出てくるのである。

「結論的にいえば、”労働者階級はできあいの国家機構をそのままでは使えない、こ れを労働者階級の利益のために行使できるようにするためには、必要な「変革」ある いは「改造」の措置をくわえなければならない”--これが、私には、この文章のいち ばん素直な、文意どおりの読み方だと思います。」(同61ページ) 

 ふむ~、「いちばん素直な」読み方か、しかし、それは感覚の持ち方でどうにでも 変わる印象以上のものではないであろう。 不破の勝手な解釈から生まれた「矛盾」 から突然、結論へと跳躍する論理、思考の筋道は「いちばん素直な・・・読み方」と いう以外、別の記述はされていない。記述の仕様がないのである。まさか、不破の ロード・マップを記述するわけにはいくまい。すでに「改造」と解釈できる二つの手 紙を用意していただけのことである。いずれもエンゲルスの手紙で、一つはアメリカ の社会主義者の質問に答えた手紙、もう一つはベルンシュタインへの手紙(1884 年1月1日)である。しかも、後者の手紙はベルンシュタインがあの修正文本文の意 味をエンゲルスに尋ねたことへの回答であるから、検討するにはベルンシュタインへ の手紙がうってつけである。

 「『宣言』への序文のなかに『フランスにおける内乱』から引用している箇所のこ とで、まえにあなたから出されていた質問についていえば原書(『内乱』、19ペー ジ以下、全集17巻312ページ以下-不破)にあたえられている回答を読めば、た ぶん、あなたも納得したというでしょう。・・・そこで問題になっているのは、たん に次の点を示すことです。すなわち、勝利したプロレタリアートは、旧来の官僚的、 行政的、中央集権的な国家権力をまずもってつくりかえてからでなければ、それを自 分の目的のために利用することはできない、ということです。」(64ページ、全集 36巻71ページ)

 ここでエンゲルスが使っている「つくりかえる」という原語はumformen というこ とばであるが、辞書では変形する、造り変えるとあり、その名詞形Umformung とな ると、変形、改造という意味になる。Umformer となると変圧器の意味になる。
 そこで不破の解釈を聞いてみよう。

「結局、この二つの手紙に示されたエンゲルスの解釈では・・・『できあい』のまま では駄目で、必要な『改造』をおこなったり、うまく『つくりかえる』ことをやって からでないと、労働者階級の目的のために使えない、ということを指摘したものだっ たのです。」(65ページ) 

 めでたし、めでたし。不破はここでエンゲルスが言うumformen が「改造」であ り、『粉砕』ではないというわけである。 これで目標達成だ。新綱領を書けるぞ! と思ったのであろうが、そうは問屋が卸さない。
 それじゃ、訊くが、レーニンがクーゲルマンの手紙を持ち出したのは駄目で、不破 がエンゲルスの手紙を持ち出すのはオーケーのようだが、その理由は何であろうか?
 不破の言うレーニンの「矛盾」からすれば、不破がエンゲルスの手紙を持ち出すの も深刻な不破の「矛盾」ではないのか? 
 こうして、不破は早くも墓穴を掘っているのだが、自分では気がついていないよ うだ。不破の疑問には理屈も論理もなく、とにかく、疑問を連ねてそれを「矛盾」と 称し、何とかエンゲルスの手紙に持って行きたいという不破の思惑=ロード・マップ だけが浮き上がって見えてくるのである。まあ、いいだろう。大目に見よう。しか し、同じ手紙ならマルクスの手紙の方が重要じゃないのかね? 先にレーニンが引用 していたクーゲルマンの手紙は、あれも同じ手紙であるうえに「打ち砕く」と明記し てあり、しかも原語の zerbrechen はゴシックになっている。手紙の主もエンゲル スではない、例の修正文本文を書いたマルクス当人だ。同じ手紙を根拠にするつもり なら、クーゲルマンの手紙の方がよっぽど重要だということになるのではないか?  手紙の日付から言っても、マルクスが『内乱』を書きはじめる直前に出したものであ る。また、先に引用したエンゲルスの『内乱』への1891年の序文にある「古い抑 圧機構をすべて取りのぞかなければ」というのは、どう解釈するのか? まさか、 「古い抑圧機構をすべて取りのぞく」のを「改造」とはいうまい。
 不破があげたエンゲルスの手紙への不破解釈を否定する他の材料はいくらでもある のである。

7、『内乱』の本文には何が書いてあるか?
 ここまで検討してきて不思議に思うのは、例の修正文で、「明瞭ではない」修正文 本文の内容は『内乱』の当該箇所を読めと指示しているのに、不破は「明瞭ではな い」と何度も言いながら、一度も、『内乱』の当該箇所を読もうとしないことであ る。これはどうしたことか? 普通なら、修正文に読めと指示してあるのだから、真 意を探るためには、それこそ、真っ先に「素直に」読んでみるべきだろう。 それが 一番の近道である。不破が持ち出したエンゲルスの手紙にも同様のことが指示されて いる。
 そこで、エンゲルスの手紙が言う「まずもってつくりかえてからでなければ」 (umformen)ということの意味を確認するために、不破が読もうとしない『内乱』の 当該箇所にあたってみることにしよう。そうすれば、不破がエンゲルスの手紙を「改 造」を指すと解釈したことの当否も明らかになるだろう。
 「読め」と指示された『内乱』の当該箇所は、例の修正文本文を冒頭に置き、全集 版の312ページから319ページまでの7ページあり、そこには次のような有名な 文章が連ねられている。

 「帝政の反対物がコミューンであった」(全集17巻315ページ、以下17- 315と略記する)、「常備軍を廃止し、それを武装した人民とおきかえる」 (同)、「コミューン議員の大多数は、当然に、労働者か労働者階級の公認の代表 者」(同)、「コミューンは、議会ふうの機関ではなくて、同時に執行し立法する行 政機関」(同)、「警察は・・・いつでも解任できるコミューンの道具に変えられ た。」(同)、「行政府の他のあらゆる部門の吏員も同様であった。」(同)、「公 務は労働者なみの賃金」(同)、「旧来の政府の物質的強力の要素であった常備軍と 警察をいったん取り除いてしまうと、コミューンはすべての教会を国家から分離し、 ・・・精神的な抑圧力すなわち『坊主権力』を打ち砕くことに熱心に努力した。」 (同)

 常備軍と警察を解体して人民部隊に変え、官吏を労働者なみの賃金にしたうえで自 由に解任できるようにし、議会を立法と執行を兼ねた機関に変え、教会を解体してし まった。議会も、行政機構も、常備軍や警察機構も、要するに旧国家機構をまったく 破壊して別のものに取り替えているわけである。「こういうわけで、近代的国家権力 を打ち砕くこの新しいコミューンは」(17-317)とマルクスは書いている。

「こういうわけで、近代の国家権力を打ち砕くこの新しいコミューンは、当の近代的 国家権力にはじめ先行し、のちにはその基盤となった中世のコミューンの再現だと、 思いちがいされた。」(同) 近代の国家権力の機構をすべて打ち砕いて別のものに 変えるものだから、中世のコミューンの再現かと勘違いされたとマルクスはいうので ある。「コミューンは、二つの最大の支出源--常備軍と官吏制度--を破壊することに よって、ブルジョア諸革命のあの合い言葉、安上がりの政府を実現した。」(17- 318)

 とてもじゃないが部分的手直しをする「改造」というレベルではない。クーゲルマ ンの手紙にある「打ち砕く」zerbrechen のレベルであることは明白である。ちがう かね、不破君。エンゲルスの手紙に言う「まずもってつくりかえてからでなければ」 ということの意味は、ここで見た『内乱』の内容からすれば、国家機構をそっくり壊 して「つくりかえ」るという意味なのであり、一言で言えば『粉砕』して造りなおす と言うことである。

8、不破はなぜ『内乱』の中の当該箇所を読もうとしないのか?
 不破の解釈は、『内乱』の当該箇所を読むことなく、エンゲルスの文章の表面づら のumformen という言葉の語感に頼っただけの議論、解釈であることが明らかであろ う。これで、どうして不破が修正文の指示にある『内乱』の当該箇所を読もうとしな いのかという理由も明らかになった。「改造」と読み込むためには、『内乱』の当該 箇所を読むわけにはいかないからである。そして、このような不破の態度に、最初か ら、学問研究、「古典研究」ではなく、ある政治目的をもって、あらかじめ予定して いた結論を得るために、ロード・マップをつくり文献探索にはいったという証拠が示 されているのである。
 この点を確認して、不破の議論を振り返ると気がつくことがある。不破の著作で は、例の修正文は2カ所(27、58ページ)で引用されているのだが、驚いたこと に、いずれも、『内乱』の当該箇所を読めと指示した部分は削除され記載されていな いのである。前文と修正文本文だけが引用されているか、修正文本文だけが引用され ている。ドイツ語の原文にある括弧内の部分(Siehe・・・)が引用されていないの である。こんな具合である。不破の引用をそっくりそのまま掲載しよう。

「・・・この綱領{『共産党宣言』のこと--不破}は、今日ではところどころ時代おく れになっている。とりわけコミューンは『労働者階級は、できあいの国家機構をその まま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない』(・・・・・)と いうことを証明した。(全集⑱87ページ)。」(27ページ) 

 『内乱』の19ページの当該箇所を読めと指示した部分が不破の引用では(・・・ ・・)という形で省略されている。修正文の半分しか引用されていないことがおわか りになろう。
 これでは、修正文本文が不破の作為によって、ことさらに曖昧な文章に仕立てられ ていることになる。不破の意図的な引用の一例である。そういう事情を知らない読者 は、不破の数々の疑問(いいがかりだ!)に付き合わされても、不破がどうして『内 乱』の当該箇所を読まないのだろう? という疑問を持つことはない。そうしておい て、不破は修正文本文のことをあれこれ詮索しながら、『内乱』の当該部分を検討す るというリスクを回避して文献解釈をしてくるわけである。
 不破は読者の心理にまで分け入って、論文構成のトリックを仕掛けているのであ る。実に狡猾なやり方である。
 当該箇所を読めという指示が不破の引用にはじめて出てくるのは、ここにあげたエ ンゲルスの手紙である。不破もさすがにここではエンゲルスによる『内乱』への指示 を省略するわけにはいかなかった。しかし、『内乱』の当該箇所をエンゲルスは umformen という単語を使っておおまかに説明しているのであるから、数々の不破の 疑問に付き合わされた読者が、今更、どうして当該箇所を参照しないのだろうという 疑問を起こすことはあるまいと不破は考えているのである。そのために、不破は安心 してエンゲのルスの手紙にある『内乱』への指示を掲載したのであり、今度は削除し た2カ所にうってかわって、ご親切にも「(『内乱』、19ページ以下、全集17巻 312ページ以下-不破)」と記載し、日本語版マルエン全集の当該ページまで読者 に教えてくれるという豹変ぶりなのである。全集の翻訳では「『内乱』、19ページ 以下」とだけ記載されている。
 いやはや、恐れ入った「古典研究」ではないか! 不破の検討の最後は例によっ て、不破得意の文章である。「エンゲルスの二つの手紙は、当時の条件のもとでは、 レーニンの見る機会のないものでした。」(67ページ) レーニンがこの二つの手 紙を読んでいたとしても、結論は変わらないこと請け合いである。
 以上が、不破による『粉砕』「改造」をめぐる「古典研究」(この文字が著作の表 紙に記載されている)のカラクリ芝居の舞台裏である。ここに現れた不破の「古典研 究」は、何と呼ぶべきなのだろうか? 要するに、ある政治目的のために、その政治 目的を達するために、”何でもあり”なのだ。
 不破の数々の疑問、レーニンによるクーゲルマンの手紙のことや、その他あれこれ の疑問は、エンゲルスの手紙に読者を引っ張っていくための”目くらまし”である。 しかし、この”目くらまし”が効を奏するには、ちょっとしたトリックが必要で、そ の仕掛けが修正文の引用から、修正文の後半部分を削除することだったのである。こ れが「古典研究」という不破の”学問研究”なのである。
 これが研究者の著作であるなら、一発で学会追放になるしかない代物なのである。 不破の「共産主義」は、信じがたいことであるが、こういう「古典研究」を許容する ものなのである。新綱領の民主連合政府を「科学的社会主義」によって基礎づける作 業の一端がこれである。
 このような不破の「古典研究」のカラクリ芝居は以前に「レーニンが無知なのか、 不破哲三が無恥なのか?」(「理論・政策欄」2004年9月9日)という投稿で書 いたが、ここまでの部分はそこで書いたカラクリ芝居の姉妹編にあたる。レーニンは マルクスの平和革命論の著作を知らなかったという自説をデタラメな仕掛けで「論 証」したのは、出来心ではないことが、ここで見たカラクリ芝居で納得していただけ るであろう。

9、エンゲルスの高潔と不破の下劣
 不破とは対照的なのがエンゲルスである。ここから先は、修正文の本文が多義的な 解釈を許す表現になった原因はどこにあるかという、本来の文献史上の問題への私な りのアプローチである。不破の議論では数々の疑問を口にしながら、この問題はどこ かに消えてなくなってしまっている。もともと、不破には本来の文献史上の問題を解 く気などさらさらなかったのであるから当然のことなのであるが、不破のデタラメな 議論を暴くだけでは片手落ちでもあろう。
 最後に不破が持ち出したエンゲルスの手紙で、エンゲルスが修正文の真意は、実は 国家機構の『粉砕』 zerbrechen  だよと直截に言わなかったことの意味が探求 されていい。何しろ当時は、ベルンシュタインといえども、エンゲルスに師事する 34歳の働き盛りで、エンゲルスはマルクスの『哲学の貧困』のドイツ語訳をベルン シュタインにやらせている。ベルンシュタインはエンゲルスが将来を嘱望する有能な 青年の一人であって、言わば内輪の人間なのである。しかしである。そのベルンシュ タインに対してさえ、表面的にいえば、エンゲルスの説明は『宣言』へ付加された修 正文から一歩も出ていないということである。修正文本文に含まれている含意を語っ ただけである。その理由を考えてみる必要がある。
 十分根拠があると思うのだが、私の推測では、手がかりは『内乱』という文書の性 格にある。修正文本文が含まれている『内乱』はマルクスの個人的著作ではなく、国 際労働者協会がマルクスに起草を依頼し、公表されたときは国際労働者協会の公式声 明として出されたものである。考えてもみたまえ。各国の諸党派、労組の大勢が集 まってある文書を採択する場面を。それぞれの意見の相違、政治的思惑があって、文 書は事実の記述を除いて、革命の総括的な記述部分となれば多義的な解釈を許す表現 にならざるをえない(注1)。そうでなければ、まとまらないのだ。外交文書と同じ である。しかし、多義的な解釈になる文言でも公式解釈は行われるはずで、通常は各 派は自派に帰ったときに、いや、あの文書はああ書いてあっても、実はこういうこと だと言って自派をなだめるであろう。どの党派にとっても満足のいく文言ではないの である。
 イギリスの労働組合主義者(改良主義者)と国家をぶち壊すことだけが目標のバ クーニン派らの無政府主義者がいる中で、パリ・コミューンの経験をどう総括的に表 現するかというのがマルクスの苦心のしどころであったろう。それがあのような表現 になったのである。改良主義者には改良と読めるように、無政府主義者には国家は労 働者には使い物にならないと読めるような文章、それでいて、何らかの変更があれば という含意のうちに、『粉砕』を封入し、労働者が国家機構を奪い取って動かすこと ができることを表現したのである。
 同じことが修正文本文ばかりでなく、プロレタリアートの独裁という言葉にも言え る。エンゲルスの前掲『内乱』への序文では「よろしい、諸君、この独裁がどんなも のかを諸君は知りたいのか? パリ・コミューンをみたまえ。あれがプロレタリアー トの独裁だったのだ。」(全集22巻205ページ)と明確に述べている。このプロ レタリアートの独裁の最初の歴史形態が、「改造」と総括されるはずがないのである が、『内乱』の中にはプロレタリアートの独裁という表現は一度も出てこない。「そ れは、本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の所産であ り、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった。」 (全集17巻319ページ)とあるだけである。
 マルクスはプロレタリアートの独裁という観念を当時持っていなかったというわけ ではない。すでに『フランスにおける階級闘争』(1850年)で、ブランキの闘争 スローガンから拝借して「プロレタリアートの階級的独裁」(全集7巻86ページ) なる観念(注2)を構成している。それにもかかわらず、『内乱』のなかにプロレタ リアートの独裁という表現が出てこない理由も、修正文本文と同じ事情によるものな のだと推定されるのである。
 このような私の推論に不破は異論を唱えている。不破は革命形態は平和革命も含め て各国で多様だから、そうした多様性も包括できるように、将来の革命運動の手足を 縛らないように警戒し、「普遍的な意義を持つ原則的な見地を、あの簡潔な文章で示 したのです。」(66ページ)と言っている。先ほどは「その”真意”を読み取りに くい」修正文本文だったが、ここではいつの間にか「簡潔な文章」になっている。 どっちなのかね、不破君! 不破は「その”真意”を読み取りにくい」修正文本文を 「簡潔な文章」に解釈改憲して、文献史上の問題をきれいさっぱり「解決」してし まったわけである。 まあ、それはいいとして、「労働者階級が国家を掌握したと き、これを『つくりかえる』内容と方法には、・・・多様な状況がありうる」(65 ページ)ということは、革命の形態に関して何も一般的に規定できないということで はない。『宣言』は「durch den gewaltsamen Umsturz」(暴力的に転覆することに よって)と言っているではないか。 革命の形態規定のレベルが問題であって、各国 の革命が多様な形態をとるということは、一歴史時代の革命が一般的に暴力革命の形 態をとるということを否定するものではない。マルクスの時代もレーニンの時代も事 実が示すように暴力革命が典型、通例であったのである。だから、不破の議論は革命 形態のレベルを混同した議論で成り立たないのである。よく考えもせず、知っている 公式を場違いなところへ持ち出しただけなのである。
 エンゲルスはあの修正文本文の不十分性は十分知っていた。知っていながら、そ のことには手紙で一言も触れていない。ベルンシュタインという内輪の者に対しても である。よく理解するためには『内乱』を読みたまえというだけなのだ。修正文の指 示通りのことを言うのである。
 エンゲルスは、公私にわたって、13年後も例の修正文本文の文言を決めた時の合 意・公的解釈を守っているのである。ここにエンゲルスの政治的にも人間的にもたぐ いまれな誠実さ、精神の高さを見ることができるように思う。たぶん、エンゲルスが その合意から解放されたのは、1889年の第2インターナショナルの結成を待って のことであろう。ベルンシュタイインへの手紙が1884年、『内乱』へのエンゲル スの序文で「古い抑圧機構をすべて取りのぞかなければならず」と書いたのが 1891年である。
 このエンゲルスの誠実さからわかることがある。マルクスとエンゲルスが『宣言』 に『内乱』の真意である『粉砕』ということを、直接、書き込まなかった理由がわか るのである。国際労働者協会の拘束がないはずの『宣言』であっても、彼らが自由に 『宣言』を修正する権利を持っていたにもかかわらず、『内乱』を公式見解として採 択した時の合意を守っているのである。二人は『内乱』の公式見解を守り、その範囲 で『宣言』を修正したのである。自己の著作への簡明な修正を犠牲にし、国際労働者 協会の立場を最優先に置いたのである。そこにはインターナショナルということへの 彼らの信義が表明されている。そして、犠牲にされた簡明な修正を補うために『内 乱』の当該箇所を参照せよと付け加えたのである。これで、私の長年の疑問が解け た。
 そして、思うのである。日本の左翼が、こうした精神で運動をすることができたら なぁと思うのである。
 ところが、そんなことを想像することもないのであろう不破は、エンゲルスが修正 文本文の合意を守り、多義的に解釈できる手紙を出したことをいいことに、その手紙 の文字面だけに頼り、『内乱』の当該箇所の内容を知りながら、何食わぬ顔をして 「改造」だと言うのである。こういう人格を何と評すればいいのか? 言葉が見つか らないのである。

<(注1)、『共産党宣言』の「1890年ドイツ語版へのエンゲルスの序文」に次 のような文章がある。この文章を頼りに『内乱』を起草するマルクスを想像してみれ ばわかることである。「インターナショナルのいわゆる分裂」(全集18巻)という 第1インターの「非公開回状」が出るのはパリ・コミューンの翌年のことである。国 際労働者協会自体が分裂の危機を抱えていた時期でもあるのだ。
「この協会(国際労働者協会のこと-引用者)は、ヨーロッパとアメリカの戦闘的な 全労働者層を結びあわせて一つの大軍団を作ることを目的としていた。したがって、 協会は、『宣言』のなかに含まれている諸原則から出発することはできなかった。協 会はイギリスの労働組合に対しても、フランス、ベルギー、イタリー、およびスペイ ンのプルードン主義者に対しても、ドイツのラサール派に対しても門戸を閉じないよ うな綱領をもたねばならなかった。この綱領・・・はマルクスによって、バクーニン や無政府主義者からさえ承認されるほどの巧みさをもって起草された。『宣言』にか かげられた諸命題の究極の勝利については、マルクスはひたすら労働者階級の知的発 展に信頼した。」(『共産党宣言』岩波文庫版17ページ)>
<(注2)レーニンは『国家と革命』の第2版で1852年3月5日のワイデマイ ヤーの手紙を増補・収録しており、その手紙では「階級闘争は、必然的にプロレタリ アートの独裁にみちびくということ」(『国家と革命』前掲47ページ)と書かれて いた。なお、平田清明は「市民社会と社会主義」(1969年)で、レーニンがその 手紙を第2版で増補・収録しておきながら、『国家と革命』で、この概念が「パリ・ コミューン以後」に用いられるようになったという第1版の記述を訂正していないこ とを批判している(同書315ページ)。が、平田の見落としているのは、それが歴 史概念として歴史によって証明され成立するのはパリ・コミューンを待たねばならな かったということである。
 また、加藤哲郎は「東欧革命と社会主義」(1990年)で『内乱』にプロレタリ アートの独裁という用語が見えないことを理由にパリ・コミューンをプロレタリアー トの独裁の実現形態とみることに疑問を投げかけている(同書135ページ)が、上 記、エンゲルスの『内乱』への序文を見てもわかるように、根拠薄弱であり採用でき ない。> 

10、おわりに--不破哲三の罪は深い-- 
 「古典研究」という名の下に不破が二度までも、それこそ、学術研究書ならば一発 で学会から追放となるような議論、意図的で、トリックを使って読者をだますデタラ メな議論をしてきたことを二つの投稿で論証してきた。こういう人物が共産党という 政党の実権者にして、「科学的社会主義」の第一人者になっているのである。この著 作が「古典研究」というのであれば、三百代言という言葉は辞書から追放しなければ ならない。
 これほどデタラメな議論を平然と行えるということは、不破は数々の三百代言「古 典研究」を行って無事に世渡りをしてこれたということを意味している。かつて考古 学の「神の手」なる人物がいたが、その人物同様、不破の「古典研究」はすべて、徹 底的に批判されなければならないだろう。
 カラクリ芝居を許容する不破の議論とそれを遂行する人格、それらを統一的に体現 する不破の「共産主義」は、マルクスやエンゲルス、レーニンらの共産主義とはまっ たく異質のものである。人格の上でもあまりに異質である。ここで見た不破の議論の 仕方には共産主義思想の片鱗もないのである。社会通念のレベルで見ても唾棄すべき 議論の仕方である。今では、不破の「共産主義」は単なる商売の便宜、道具にすぎな いものになっている。彼の反自民、弱者擁護は偽物である。
 これだけ狡猾に、意図的に読者をだます仕掛けをする人物が、日常の演説や組織指 導で国民や党員に誠実な態度をとっていると考えることができるだろうか? 本音で 党員や国民に話しかけていると考えることができるだろうか? 私にはできない。彼 には自民党の腐敗をつくモラルの優位性がもはやない。
 ここに見た不破による議論から見えてくるのは、その議論が真実のものかどうかと いうことではなく、読者の心理にまで立ち入って、ひたすら一定の方向へ読者を誘導 しようとする不破の狡猾な姿勢である。読者が操作の対象でしかない。操作の対象で しかないのは読者ばかりでなく、マルクスもエンゲルスも同様である。マルクスの書 いた『宣言』への修正文を半分しか引用しなかったし、エンゲルスの手紙では『内 乱』への参照を省いている。読者も古典の巨人たちも不破にあっては操作対象でしか ないのである。彼が古典の巨人達を敬愛して已まないのであれば、かくも無惨に古典 の巨人達を愚弄することはなかったであろう。
 どうして、こんな人物が、よりによって共産党の頂点に君臨するようになってし まったのだろうか? 考えられることは、彼の言動が党内で批判、点検されるシステ ムが党内にはないからである。党のトップであろうと、党内で点検、批判されるシス テムが欠如していること、すなわち、この党の「民主集中性」の実態が独裁的である ことが、不破のような「ラスプーチン」を生み出すことになったのである。仮に、党 内民主主義が存在すれば、私がやらずとも、古典に造詣の深い多数の党員達から不破 の著作への批判が出ていたであろう。そうすれば、不破も共産党も国民も救われたの である。
 しかし、現実には、その「ラスプーチン」に成長した不破が党内の実権を握り、政 治情勢にお構いなく自党第1主義を振り回す。国民も党員も古典の巨人も操作の対象 でしかない不破に残っているのは、共産主義ではなく、自党第一主義という「思想」 だけである。もはや、不破にとっての共産主義は、自党第一主義をカモフラージュす る格好の看板にすぎない。不破の頭の中では逆転劇が起きているのである。その逆演 劇が起きたのは、おそらくは社会主義世界体制が崩壊して以降であり、従来の不破の 理解する「科学的社会主義」では事態を捉えられなくなったことを契機としている。

 その自党第一主義「思想」が、全小選挙区立候補戦術に固執し、自公政権の側面援 助というその選挙戦術の政治機能に目をつぶらせるのである。その自党第一主義が護 憲派との国政選挙上での共闘をかたくなに拒否しているのである。しかも改憲の危機 が迫っているその時においてである。だから、私は不破の反自民、弱者擁護が偽物だ というのである。本物であれば、自公政権を側面援助する政治機能を払拭することに 注力するはずなのである。
 この不破の誤りが政治情勢を複雑なものにし、護憲派の運動の攪乱要因となり、政 治を単純明快な構図にして国民にわかりやすい選択を迫ることを困難にしているので ある。彼の罪は深い。

追記: ここで検討した『粉砕』か、「改造」かをめぐる古典解釈で、修正文の意味 は不破の結論とは逆に『粉砕』にあったのであるが、そのことは、現代の社会変革で も『粉砕』を必要としているという意味ではない。古典の結論を歴史条件が大きく異 なる現代にそのまま当てはめることはできないことはいうまでもない。2006/ 11/2