投稿する トップページ ヘルプ

「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

原仙作様、 11月4日論文は、こんなメッセージ?

2006/11/9 人文学徒

 原仙作様、僕の「客観主義」投稿(27日当欄)の直後に拙 稿に添えられるように提出された貴方のメッセージは十分に伝 わってくるような気がします。多分意識してそうされたのでし ょうね。このように。

「人文学徒さん。日本共産党の中の哲学的・理論的に誠実な方 々には貴方が言うような過去への反省があって良いにせよ、民 主集中制の元でこれを率いる不破哲三氏は少なくとも、そうい う理論的間違いを犯したというようなそんな結構な輩じゃない んですが、ご承知でしょうね。古典を誠実に読むというような 理論的誠実さは毫もないどころか、もっと悪質だ。その時々の 自党の都合に合わせて、古典の文言をその本来の文脈からはま ったく切り離して利用するだけなのである。利己的なご都合主 義はもちろんだが、まるで三百代言のような確信犯のやり口と 言って良い。このことはいつも覚えておいて下さいよ」

 上記のような僕の結論は、以下に見る貴方のまとめに関わっ て出てきました。

「 ここに見た不破による議論から見えてくるのは、その議論 が真実のものかどうかということではなく、読者の心理にまで 立ち入って、ひたすら一定の方向へ読者を誘導しようとする不 破の狡猾な姿勢である。読者が操作の対象でしかない。操作の 対象でしかないのは読者ばかりでなく、マルクスもエンゲルス も同様である。マルクスの書いた『宣言』への修正文を半分し か引用しなかったし、エンゲルスの手紙では『内乱』への参照 を省いている。読者も古典の巨人たちも不破にあっては操作対 象でしかないのである。彼が古典の巨人達を敬愛して已まない のであれば、かくも無惨に古典の巨人達を愚弄することはなか ったであろう」 「現実には、その『ラスプーチン』に成長した不破が党内の実 権を握り、政治情勢にお構いなく自党第1主義を振り回す。国 民も党員も古典の巨人も操作の対象でしかない不破に残ってい るのは、共産主義ではなく、自党第一主義という『思想』だけ である。もはや、不破にとっての共産主義は、自党第一主義を カモフラージュする格好の看板にすぎない。不破の頭の中では 逆転劇が起きているのである。その逆演劇が起きたのは、おそ らくは社会主義世界体制が崩壊して以降であり、従来の不破の 理解する『科学的社会主義』では事態を捉えられなくなったこ とを契機としている」

 さて、こんな貴方のメッセージを僕は既に過去に十二分に肯 定的に受け取っていると、改めてお伝えしたいと思います。0 4年9月「組織論・運動論」欄の拙稿、「日本共産党の惨状の 本質に関わって」で、貴方の「レーニンが無知なのか、不破哲 三が無恥なのか」に言及している下りがそれです。そこでは僕 の論旨を、貴方の今回の論文と同趣旨のこの論文で補完させて いただいているのですから。

 以上、貴方の4日投稿への一種の読後感として、投稿しまし た。