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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

潤さんへ、人文学徒さへ

2006/11/11 原 仙作

潤さんへ
 コメントありがとうございます。しかし、批判をするのであ れば、全文を読んでからにしていただけませんか? 長文です から、読むのがたいへんだということはわかります。できれば 、「6」、「7」、「8」くらいは読んでいただきたい。そこ に不破のトリックの核心が書いてあります。そこにはむずかし い解釈はなく、事実とそれにもとづく日常の判断力で評価でき ることだけが書かれています。不破が他の著作で何を書いてい るかは、ここでは問題にしておりません。国家機構の「粉砕」 というマルクスの言葉を不破がどういう仕方で「改造」と読み 替えているか、そのことだけを問題にしています。
 「誹謗中傷」をするつもりなら、読者に忍耐までお願いして 長文を書く必要はないでしょう。だれも読んでくれそうもない 「誹謗中傷」では意味がありませんから。批判の内容を厳正に しようとするから、省略や要約をさけることになり、あのよう な長文にもなるのです。省略や要約を用いると、読者は不破の 著作の本文にあたり、私の省略や要約が正しいのか確かめなけ ればならなくなります。こうなると、もう、読者は、さらにた いへんな作業を強いられるのです。

 あなたの批判する内容に一点だけ触れると、「一般」という 言葉の解釈、たとえば、「通例、暴力革命」(レーニン『国家 と革命』)という場合の、この「通例」にあたるものですが、 その理解が、あなたの場合も不破の場合も共通で、まちがって いるのです。日常的に使われる「一般」と同じ意味で理解され ているのです。「通例、暴力革命」というのは一般に暴力革命 だという意味ですが、あなたも不破も「一般に暴力革命だ」と いうと、レーニンがおかれた時代とは関係なしに、時代を越え て革命は暴力革命が一般的で現代も暴力革命だとレーニンは主 張していると理解しています。
 つまり「一般」という言葉の意味が形式論理学で用いる「一 般」と同じものとして理解されているのです。たとえば、「一 般に人間は嘘をつく」と言うときに用いる「一般」です。しか し、レーニンがここでいう「通例」、「一般」は、レーニンが 置かれていた帝国主義戦争の一歴史時代という限定があるので す。マルクスもレーニンも歴史を語る場合の『概念』,や『命 題』はすべて歴史限定的な概念、命題なのです。その『概念』 や『命題』に「通例」、「一般」がつけば、その歴史時代には 一般的だという意味でしかないのです。ある歴史時代を飛び越 えて未来にも通用するという意味はまったくないのです。つま り、レーニンは列強が戦争をする帝国主義の時代では一般的に 暴力革命だと言っているのであり、そのような歴史的時代が続 く限りは、未来も、「通例、暴力革命」だということなのです 。
 しかし、暴力革命を通例とした歴史時代の歴史的諸条件がま ったく変われば、その別の時代にはもはや、この「通例」とい うものは通用しないのです。この「通例」、「一般」というこ との意味を混同することから、「通例、暴力革命」が限定され た歴史の一時代を飛び越えて現代にも適用されるとレーニンは 主張しているという解釈になり、それじゃあ、おかしいからレ ーニンの議論はどこかでマルクスを読み間違っているはずだと いうのが不破の議論なのです。
 「改造」と「粉砕」なる言葉にかかわる不破のトリックプレ ーも同じ原因から出てくるのです。マルクスのいう「粉砕」も 歴史限定的なものです。それを理解しないから、どうしても「 改造」と読み替えなければ現代の「国家機構の改造」ができな くなるというわけなのです。しかし、実際には読み替えられな いものだからトリックプレーに走ってしまうわけです。次にあ げるレーニンの文章をよく読んでいただけませんか? 私の言 っている意味が理解していただけるでしょう。

「マルクス主義の全精神、その全体系は、おのおのの命題を、 (α)歴史的にのみ、(β)、他の諸命題と関連させてのみ、 (γ)、歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察することを 要求しています。」(「イネッサ・アルマンドへの手紙」レー ニン全集35巻、262ページ)

 だから、「通例、暴力革命」という命題も「歴史的にのみ」 、同じ歴史時代の「他の諸命題と関連させてのみ」、帝国主義 戦争となる歴史時代の「歴史の具体的経験と結びつけてのみ、 考察することを要求して」いるわけです。『国家と革命』を帝 国主義戦争の時代だということを、絶えず念頭において、片時 もそれを忘れることなく読めば、今までの理解とは全く別のも のになるはずです。

人文学徒さんへ
 コメントをありがとうございます。いつも投稿にご配慮いた だき感謝しております。
 私も環境問題をはじめとして、中国にも非常な関心があり、 三峡ダムの建設開始を聞いて幾ばくもなく、三国志をはじめと する歴史遺跡の見納めと覚悟して、三峡下りに出かけたほどで す。ただ、人文学徒さんの投稿にコメントするほど力がないも のですから、ついつい、ロム専になってしまいます。ご容赦く ださい。
 不破の批判ですが、共産党が護憲のための国政共闘へ転換す れば止めようと思っていますが、今書いている無党派層の問題 で、改めてわかったことですが、その否定的役割が時代の変化 と共に大きくなっているのです。やはり、共産党の政治姿勢の 転換が政治情勢転換のカギになっていることも再認識している ところです。なお、無党派層についての原稿は膨大なものにな っており、もう少し時間がかかりそうです。私なりの客観主義 への批判の形になると思っています。