潤さん、あなたは相当重症だと感じます。思い込みが…。
あなたは、上記返答投稿を書かれた際に、私からの11/1 6付投稿もお読みになりましたか。あなたが非難なさっている 原さんの先の投稿は、その後公開された別の投稿の<注>とし て書くつもりのところを、長くなったので独立の原稿にして先 に投稿したということでした。ですから、
>最後の結論と感想は、だからどうしろと言うのだ、というこ とだ。
というのは、まったく筋違いです。それは、いわばそ の後の「本論」の中で詳しく展開されるべき性質の事柄なのだ と、原さんは断っているのです。
あえて言いますと、もし、あなたの「だからどうしろ」
という形になるべく引きつけて、原さんの先日の投稿の趣旨を
私なりに述べれば、まず第一に、「不破氏がマルクスやレ
ーニンの『古典研究』と称して行っていることは、学問的誠実
さのかけらもない手前勝手な解釈だ」ということを理解せよ、
ということです。
第二に、そのような手前勝手なマルクス解釈、マル
クスの「誤解釈」は、過失による偶然の産物などではなく、不
破さんの前掲著書における引用の仕方から見ても明白なように
、「故意に」行われている行為である、と理解せよ、というこ
とです。
そして第三に、「そのような故意の『手前勝手な解
釈』は何の目的でなされているのか」を原さんは検討され、不
破さんの「理論的解明と指導」の正統性や正当性を一般党員や
民衆に強く印象づけ、「不破氏や現在の日本共産党指導部の政
治方針こそ、マルクス・エンゲルスが本来意図した道だ」と思
わせるためであることを理解せよ、と主張されているのです。
この三点を「理解しろ」というのが、あえて「どうしろ」と
いう観点から見た、先日の原さんの投稿の論旨です。
この三点について、そもそも潤さんは、原さんの論旨に
同意されたのでしょうか。まず以てその点をはっきりさせない
と、あなたが、筋違いの非難をしているのか、それとも「まっ
とうな議論」をしているのか、判断はつけられません。こ
れは「現代国語」の問題だと思います。
ところで、ここで、一般党員や民衆の誘導先の中心である「
不破氏や現在の日本共産党指導部の政治方針の正統性・正当性
」として取り上げられているのは、潤さんがいうような、「レ
ーニンの暴力革命論・国家機構粉砕論の一般化は誤りか」とい
うような理論問題ではありません。
潤さん、あなたは、「レーニンによる暴力革命論、国家
機構粉砕論の一般化が誤りだったか」「平和革命は可能か」と
いう眼でしか、原さんの投稿内容や問題を見られなくなってい
るために、自らで「わけがわからなく」なっているだけな
のです。もっと落着いて下さい。
言い換えると、あなたは、不破哲三著『議会の多数を得ての 革命』という本の全体の論旨(主題)をベースにして、先日の 原さんの論考を読んでしまったために、どうしても、不破さん (そして潤さん)の問題意識のフィルターを通じてしか、原論 考の内容を読み取れなくなってしまっているのではありません か? それで私は、「思い込みが重症だ」と指摘しているので す。
それは、あなたの次のような記述からも、はっきりと読み取 れます。
> 原氏の言うように不破氏が我々をどこかに導こうとして、 意図的にレーニンを批判しているのなら、一体どこに導こうと 言うのか。
それは、あなたが非難された先日の原さんの投稿の本来の趣 旨を逸脱していますが、右投稿中から私の責任で一箇所だけ抜 粋させていただくと、
> その自党第一主義「思想」が、全小選挙区立候補戦術に固 執し、自公政権の側面援助というその選挙戦術の政治機能に目 をつぶらせるのである。その自党第一主義が護憲派との国政選 挙上での共闘をかたくなに拒否しているのである。しかも改憲 の危機が迫っているその時においてである。だから、私は不破 の反自民、弱者擁護が偽物だというのである。本物であれば、 自公政権を側面援助する政治機能を払拭することに注力するは ずなのである。
こういうところに、「我々」だけでなく、日本の民衆・日本 の政治情勢全体が転落して行くのを放置する地点へ導こうとし ている、それは、現下喫緊の課題(50年、100年先の話で はなく)である改憲阻止・日本ファシズム再来阻止の民衆闘争 を、敗北必至の自己満足に転落させるものだと、原さんは警鐘 を鳴らしているのだと、私は受け止めています。
ちなみに、あなたが「我々」を導こうとしているという表現 を使ったのは、実は潜在意識下で、「自党」の立場からしか、 現下の日本の政治的課題を捉えられないでいることの、問わず 語りの現われであると感じました。
>今の情勢において重要なのは、他党派との協力共同を探るこ とも大事だが、共産党自身の力を強めることが最も重視されな ければならないと、私は、思っている。
「他党派との協力共同を探ること」と「共産党自身の力を強 めること」が、何か対立的に述べられています。しかし、問わ れるべきは、現下の情勢で、「共産党自身の力を強めること」 の実質は何なのか、ということではないでしょうか。そしてそ れは、取りも直さず、「他党派との協力共同を探ること」に向 けた粘り強い能力の、飛躍的発展ではないでしょうか。
>今の勢力でさえ、かなり、脅威だと思われているのが現実だ 。
「偽装請負」「やらせタウンミーティング」「若者の正規雇 用促進・労働保護法制の改悪阻止」等々の個別諸課題の啓発で は、まさにそのとおりでしょうね。問題は、このような個別的 な支配勢力の攻撃が、その背景に凶暴な抑圧国家化・軍事国家 化の進展という全体像を持って進められていることです。その 現下の歴史画期的「結節点」が、「改憲」だと思いませんか? そうした観点から見ると、潤さんの「自己評価」は、率直に 言ってかなり甘いと感じます。
>民主党は、社民党や共産党よりも自公の方を向いている。本 当は、自公民で政権を取りたいのだ。しかし、それをやると、 国民にそっぽを向かれるので、仕方なく二大政党制で政権交代 をと言っているに過ぎない。
一般的議論としては、民主党がそのような、共産党と同じ意 味での一枚岩の政党かどうか、疑義があります。それとともに 、先の沖縄県知事選や、教基法改悪阻止、貸金業等規制法共同 修正提案に見られるような国会内外での共闘を推し進める可能 性を、社会全体レベルにまでどれだけ拡げるかも、考えるべき ではありませんか。それなのに上のような一義的「政党本質論 」で対処することの硬直性には、堪えられません。
>国民がそのことを見破れば一気に激変が起こるだろう。
「国民がそのことを『どのようにして』見破」るの かが、まさに問題なのです。国民自身の政治的経験を通じ て、その認識を飛躍的に高めるための具体的戦術が、戦略的に 重要なのです。「革命の道すじがあらかじめ『科学的・理 論的』に『よく分っている』」人々が、「まだ気づいていない 無知な・昏い民衆を啓蒙する」という発想では、「後衛」の位 置に取り残されるだけなのです。
私は、毎日「しんぶん赤旗」を相当丹念に(偏見なく)読ま ざるを得ない状況に置かれているので、潤さんがこのような考 え方をすることを、非常に素直に理解できます。その点あなた は、現在の日本共産党指導部の路線を正確に理解なさっている 。しかし、それが現下の歴史的課題に対する革命勢力の方針と して正しいかどうかは、まったく別の問題だと思います。
追記:原さんへ (1)~(3)までを拝読しました。何も私がしゃ
しゃり出ることでもないのですが、原さんはまだ第一部を完成
されただけだとのこと、第二・第三部の執筆に専念されるよう
、お願いいたします。
私も、いま緒方靖夫氏のアルジェリア訪問における発言とイ
ンタビュー記事(「赤旗」11月7日・18日・19日)を検討して
いるところですが、自分の力に余るかも知れません。 11/
24