私が、だからどうしろと言うのだ、と言ったのは、レーニンを擁護する原氏が、レーニンとは正反対の日和見主義、敗北主義の結論に至っているのを奇妙に思ったからだ。だったら、暴力革命路線を取れと言うのか、という意味がある。不破氏が、トリックを使っているとか、ロードマップがどうとか、それについてはここでは保留にしておこう。私は、不破氏を個人崇拝しているわけではないし、現在の世界には新しい理論的な解明が必要な問題もたくさんあることは解っている。マルクスやレーニンだけでは、今の世界を説明は出来ないだろう。それは、ともかくとして、レーニンを擁護して不破氏を批判する割には、レーニンらしい断固さは微塵も見られない。原氏は、改憲を阻止するために、他の野党と組んで選挙を闘うべきだと言う。だが、その主力になる民主党は護憲ではなく改憲の党である。自民党よりもひどい改憲案をつくっている党である。たとえそんな党が国会で議席を増やしても、ますます国民にはわかりにくい形で改憲を進めるだろう。やれ、修正案だとか何だとか言って、わけのわからない反自民ポーズをとって、国民から見れば一体何をやっているのかと、思っているうちに憲法が変えられてしまうだろう。そのような例は、今までにいくらでもあった。そのような党と組むわけにはいかないのは、あまりにも明らかだ。今の情勢の下で、そのような道を取れば、それは工夫ではなく変質である。国民への裏切りである。
参議院で自民党が過半数を割れば、自公民の協力体制が国会で出来るだけだ。それも、国民にはとても解りにくい形でだ。今までの政党の離合集散を見ればよく解る。政治は、そんなに甘くない。
共産党自身の力を強めることと他党派との協力共同を探ることは、矛盾するものではない。共産党の力を強めることによって、共産党を無視できない勢力へと押し上げることにより、共産党の思う方向での共闘を他党派と組むことが出来る。今のままで変な妥協をして共闘すれば、飲み込まれてしまうだけだ。それこそ、旧社会党と同じ道になるだろう。自公民はそれを望んでいる。民主党への見方があまりにも甘すぎる。彼らは、国民の方は向いていない。だから、その自公民の欺瞞性を国民の中に明らかにして、小選挙区でも候補者を立てて、断固闘うべきだ。それこそ現在におけるレーニン的な戦術ではないのか。それが、自公政権の側面援助だと言うのは、詭弁である。どうして、自公政権を終わらせるために闘うことが、側面援助なのだ。それは、闘っている人たちの足を引っ張るものだ。結果としてそうだというなら、民主党と共闘しても先ほど述べたように同じ結果になるだろう。その辺の甘い見方が、日和見主義、敗北主義だと言っている。
それから、私が、実は国民を馬鹿にしているということ。この言葉の意味をよく考えたことがあるかと。現在は国民は騙されており、馬鹿だと言っていると。これこそ、言葉遊びだろう。私は、今の国民は馬鹿で騙されているが、将来は馬鹿でなくなって見破るなどと言っていない。元から、馬鹿じゃないからそのうち見破ると言っているのだ。非常に卑劣な言い回しであり、心外だ。
議席を増やせない原因を国民に押し付けているわけではない。それだけ、この課題が困難で大変な課題だということだ。だから、断固さとともに創意工夫は必要だと思っている。国政選挙での前進である。ありとあらゆる方法を使って向こうもやってくる。そういうものを打ち破って前進しなければならないのだ。それは、昨日今日始まったことではない。ちょっと増やしただけでも、とんでもない反動がやってくる。その困難さから逃げていては、いつまで経っても変えられないだろう。
以上言葉足らずな所は、多々あるだろうが、原氏と樹々の緑氏への返答とする。