1、はじめに
3月13日の「赤旗」に「小樽多喜二祭についての佐高信氏
の社会的常識に反する言動」なる一文が載っている。筆者は小
樽多喜二祭実行委員長であり、記事の形式は『寄稿』となって
いる。内容は多喜二の墓前祭と夜の「小樽・多喜二を語る夕べ
」に参加した佐高信氏が「サンデー毎日」(3月16日号)に
載せた記事(「佐高信の政経外科」)への反論となっている。
多喜二祭へ参加したわけではなく委細についてはわからぬこ
とが多いので、この対立に口を挟むことは賢明ではないが、あ
えて取り組んでみることにした。というのは、日本共産党(以
下、jcpと略す)が抱える重要問題である党勢低迷の一大原
因を照らし出していると思うからである。
一言で言えば、国民大衆と”むすびつき”、”溶け合う”(
レーニン「共産主義における左翼小児病」国民文庫11ページ
)能力の問題である。マルクス、レーニンの文献にも模範解答
がみつからない問題であり、それぞれの国の歴史・文化事情に
おおきく左右される問題でもある。むろん、理論問題と言うわ
けにはいかず、言わば党勢低迷問題を解く経験、知恵、ノウハ
ウに属する具体的な問題である。
2、少々形式的な点の確認を
検討するにあたって、少々、形式的なことを先に確認してお
こう。第1は、委細についてはわからぬことが多いので、『寄
稿』の主張に沿って対立点をたどるという検討の仕方をする。
その意味では佐高信氏は少々分が悪い取り扱いを受けることに
なる。第2は、『寄稿』の筆者は古くからの共産党員であると
いうことである。第3は『寄稿』という記事の形式をとってい
るが、「赤旗」編集部ならびに党指導部がその内容を承認して
いる、つまり、党中央の見解でもあるということである。jc
pは個人を名指しで批判するのに、党員個人や団体の意見をそ
の見解の如何に関わらず「赤旗」に掲載することはないはずで
ある。
3、『寄稿』が言う佐高信氏の主張
『寄稿』は佐高信氏(以下敬称略)の主張を次のように要約
している。
佐高は「文学を政党の僕(しもべ)にしてはなりませんね」と
題する一文を「サンデー毎日」に掲載し、次のように言ってい
る。「墓前祭全体に漂う共産党臭が鼻について、私は一人、と
っとと坂を下ってきました」 夜に行われた夕べの集いで挨拶
を求められ、「私は昼に墓前祭に参加して悲しくなりました。
あまりに政党が前面に出て、その宣伝臭紛々だったからです。
・・・あれでは”主人持ちの葬式”ではありませんか」「政治
的な少数派が勝つ道は文学を含む文化を大事にして、その可能
性に賭けるしかない」「それなのに、文学を政党の僕にしてい
ては勝てるわけがありません。」
要するに、墓前祭ではjcpが前面に出すぎていてjcp臭
が強く、多喜二がjcpのための宣伝や政治の犠牲になってお
り、多喜二の文学を広範な国民に伝えるには支障があるし、多
喜二に共感を寄せる政治的少数派が採るべきやり方ではないと
いうのが佐高の批判である。
4、『寄稿』の行う反論
では、『寄稿』は何を問題にしているのか? 5点にまとめ
ることができる。
①、多喜二の墓前祭と夕べの集いの歴史は「20年以上」もあ
る。
②、プロレタリア作家であるとともに共産党員であった多喜二
を偲び、共産党員や治安維持法犠牲者国家賠償同盟の挨拶を受
け、また全国の多喜二祭実行委員会や文学団体、個人のメッセ
ージを紹介したが、それは「至極あたりまえのことではありま
せんか。」
③、当日は、小樽商科大学と白樺文学館多喜二ライブラリー共
催による多喜二読者のエッセー・コンテストの授賞式が同大で
行われ、その審査員や講師、受賞した若者15名も夕べの集い
の舞台へ上がっていたのであるが、その夕べの集いで「事の成
り立ちや経過についての理解もなく、個人的な憤懣を一方的に
語り、文学を政党の僕にしてはならないなどという場違いな佐
高氏の言動こそ、一人よがりの不見識な態度」である。
④、夕べの集いに参加した400名を越える人たちは「多喜二
の生命力に共感の拍手を送り」、佐高の「指摘は杞憂に終わっ
ただけでなく、佐高氏の発言の異様さを浮き立たせました。」
⑤、佐高の書きぶりでは、彼の挨拶をこちらから頼んだかのよ
うになっているが、「週刊金曜日」から彼の挨拶を「要請」さ
れたものである。「挨拶させてほしいと要請しておいて、一方
的に見当違いの非難をすることは、社会的常識に反する」
5、あまりに”子供じみた”反応だ
以下、各項目を検討していくことになるのだが、先に結論か
ら書いておこう。これしきの佐高の批判に「一人よがりの不見
識な態度」だ、「社会的常識に反する」と反応するのはあまり
に”子供じみている”ということである。佐高の批判の内容は
jcpへの”苦言”というほどのものである。その程度のもの
にさえ、一々反論を書かなければ収まらないという政党の性格
は、個人の性格と同様に決して賢いものではないし、周囲に人
は寄ってこないものである。”苦言”程度ではなく、見過ごせ
ないほどのjcp批判だと判断するようでは、その判断、その
感覚こそが世間の常識的感覚から相当かけ離れているのである
。
『寄稿』の文章を読んでいると、よく親に言われた言葉を思
い出す。「相手にされているうちが華」というものである。
こんなテーゼ(?)はマルクス文献にもないのであるが、しか
し、おのれを鍛え成長させ、味方を増やすには非常に実用的で
効果がある。
6、反共攻撃という便利な”どんぶり”とjcpの体質
jcp文献を読むと、反共攻撃にはどんな些細な点も見逃さ
ず、徹底的に反撃するということが”セオリー”になっており
、『寄稿』もその”セオリー”に従っているようである。『寄
稿』は佐高の発言を「異様」だと言っているのであるから反共
攻撃扱いしていると見て間違いなかろう。がしかし、何が反共
攻撃で何が反共攻撃ではないjcp批判なのか、jcpには明
瞭な区別の基準がなく、みなゴチャ混ぜになって、この『寄稿
』のように反共攻撃扱いとなる印象が強い。
例えばjcpの民主集中制への批判は反共攻撃か否か? 党
の公式見解はどうなっているかと訊く気はないが、区別の基準
を作るにしても抽象的で大まかなものしかできないのであって
、個別具体的判断ということになると、それはそれは経験の蓄
積が物を言うはずなのである。
ところがである。jcpの場合には『寄稿』が良い例である
が、古参党員になればなるほどjcp批判は何であれ反共攻撃
と受け止める傾向が強いのである。jcp批判のほとんどを反
共攻撃と受け止めて、躍起となって反論するものだから、jc
pの外にいる者にはjcpが批判拒否的、独善的体質をもつと
見なされるのである。
7、大衆に”溶け込む”能力の欠如
自分たちの思想が正しいと思うことと独善的なことは別のこ
となのであるが、jcpに限らず、どうしても相互浸透しやす
いのである。そのうえ、長い弾圧の歴史や社会からの”風雪”
の歴史がjcpに与えた影響が大きいために、批判拒否的・独
善的傾向が加重されているようにさえ見えるのである。さらに
付け加えて言えば、党外への警戒心や猜疑心も非常に強いとい
う印象がある。しかし、そうした歴史の事情があるにしても、
一旦、身につけてしまえば、批判拒否的傾向、独善的傾向、強
い猜疑心などの属性・体質についてjcpは責任負わなければ
ならないのである。まさに自己責任なのである。
jcpのこの体質については、多くの場合、古参党員であれ
ばあるほど気がつきにくいのである。自分の口臭は自分では気
がつかぬものであり、その体質が党と大衆の距離を広げている
のである。政党を個人になぞらえて言えば、こうした性格の持
ち主は概して敬遠されるのが相場である。佐高の言う「共産党
臭」も同じようなことを指している。大衆に”溶け込む”能力
がない、”溶け込む”やり方を知らないということなのである
。
この独善性、あるいは批判拒否的傾向を防ぐ良薬が「相手に
されているうちが華」という”思想”、あるいは心構えである
。広く人々を味方に引きつけるノウハウのエッセンスである。
多喜二祭は2月22日であり、北海道の小樽は冬の真っ直中
である。札幌からの道は良くなったが、それでも冬は難儀なこ
とに変わりはない。私なら、そこへやって来た佐高に、ではど
うすればいいかと具体的なアイデアを聞き出したであろう。来
年は佐高信に多喜二祭の実行委員会に加わってもらうべく、当
該組織に提案するであろう。
8、『寄稿』の反論についての簡単な検討(1)
さて、『寄稿』の行う反論の①についてである。佐高は批判
するが、そのやり方で20年以上もやってきたのであって、突
然やって来て、人の苦労も知らずに批判するとは何事だという
言外の思いが『寄稿』にはあるのであろう。しかし、20年来
の行事であろうが、新参者の批判であろうが、直した方がいい
のであれば是正するべきであるし、新参者だからといって的は
ずれな批判をするとは限らない。要するに佐高の批判への反論
にはなっていない。
②について。多喜二の墓前祭であるから、jcpとその関連
団体が多く集まることは自然の成り行きであるが、しかし、そ
れらの団体の紹介が多くなることは「至極あたりまえのこと」
とは限らない。それこそ主催者側が手腕を発揮すべきところで
あって、佐高はjcpが前面に出すぎていると感じており、j
cp臭を消すほうが多喜二の大衆的影響力・評価を高めるため
には良いと言っているのである。『寄稿』はjcp臭を消すべ
きであったかどうかを語らねばならないのだがその中身がない
。自分の口臭がわからないから、「至極当たり前のこと」にな
ってしまうのである。
③について。夕べの集いは小樽商科大や白樺文学館、多喜二
エッセー・コンテスト受賞者の若者15名などの参加もあり大
衆的なものであったが、そこで文学を政治の僕にするなと言う
佐高の主張は「場違い」で「一人よがりの不見識」だと『寄稿
』は言うのである。しかし、これは見解の相違だという程度の
違いでしかないだろう。
党大会でも”全会一致”に慣れている『寄稿』の筆者は”シ
ャンシャン”の集会にしたいのであろうが、”シャンシャン”
の集会の方がいいか、佐高のような”苦言”が出る集会の方が
いいかは見方の違い程度のものでしかなく、低迷のjcpは”
シャンシャン”の集会より”実”のある集会(”苦言”の出る
集会)を求めた方が良くはないかと思うのである。
9、『寄稿』の反論についての簡単な検討(2)
④について。『寄稿』は集いが成功裏に終わったことの証し
として400名の参加者からの「共感の拍手」を持ち出してい
るのであるが、集会の成功はただちに佐高の指摘が「杞憂に終
わった」とか、「発言の異様さを浮き立たせた」と断定する根
拠にはできないであろう。佐高が「帰れコール」に見舞われた
とでも言うなら別であるが、佐高の発言も含めて、夕べのつど
いは成功したと見ることも可能であろう。ここでの『寄稿』の
反論は”料簡の狭さ”だけが目につくのである。
⑤も同様である。挨拶を頼んだ頼まれたはどっちでも佐高の
批判への反論とはなり得ない。頼まれたから挨拶させてやった
のにjcpを批判するとは何事だ、ということでは苦節85年
の”風雪の歩み”を誇る政党にしてはいかにも”ふところが狭
い”。すでに簡単に検討してきたように、「一方的に見当違い
の非難」だとか、「社会的常識に反する」と書くことになるの
はjcp流の体質が原因なのである。批判拒否的、独善的体質
はここでは”料簡の狭さ”となって現れていると言えるだろう
。
jcpの指導部は考えても見るべきであろう。批判拒否的傾
向や独善的傾向が強く、他者への警戒心や猜疑心が旺盛で、”
料簡の狭い”人間や政党とのお付き合いがどういうものかとい
うことをである。世間はこうしたjcpの体質を感じ取ってい
るのであり、その体質が弱者救済に奔走するプラス面を相殺さ
せ、党勢低迷の大きな原因になっているのである。
10、『寄稿』に見るjcp中央の感覚、体質
総じて、『寄稿』の主張だけから判断しても佐高の批判はj
cpへの”苦言”という程度のもので、その批判するところを
jcpは”明日への糧”にすればいいだけのことなのである。
見方を変えるだけで味方を増やせる方法がある。ところが、『
寄稿』はそこから学ぶチャンスを失っただけではなく、佐高の
主張を反共攻撃と受け取ってしまっている。愚かしいこと、こ
のうえない。
佐高は言うまでもなく護憲派であるが、それでなくとも勢力
減少の護憲派をjcpは取りこぼしている。しかも、『寄稿』
に特徴的な批判拒否的傾向や”料簡の狭さ”という体質は、最
初に確認したように、不破や志位ら党指導部全体が共有してい
るということである。この体質のための、みずからjcpは大
衆から孤立する”堀”を掘り続けているのである。
なお、佐高は大衆ではないという反論がありそうだが、佐高
の批判と『寄稿』の反論は、jcpと大衆が接触する場では、
ほとんど常に起こってくる問題だと指摘しておこう。もう、国
政選挙は6連敗になるのであろうか? jcp指導部は国民大
衆の批判という”明日への糧”を我がものにできずに失敗を繰
り返している。
生活弱者のための政策さえ掲げておけば、「必然性」(志位
、5中総報告2007年9月11日)として、国民がやがてj
cp支持に変わるという幻想から、もうそろそろ目覚めてもよ
さそうなものである。マルクスも志位のようなことは言ってい
ない。マルクスなら幻想どころではなく理論的な誤りだ断言す
るであろう。
政策が良くても独善的で”料簡が狭い”のであれば、国民大
衆はやってこないのである。「人はパンのみに生くるにあらず
」であり、国民は政策だけで政党を選ぶわけではないのである
。