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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

共産党指導部のサークル化・化石化・小児病化とその淵源(1)

2008/3/28 原 仙作

1、参議院選後の政治情勢について
 安倍が突然政権を投げ出して周囲を驚かせたのは、ついこの前のことであったが、もう、誰もが彼のことを忘れるほど今の政治の流れは速い。安倍の後は、「対話と協調」「低姿勢」の福田政権が成立し、17回の強行採決を敢行した安倍政権とは様変わりの国会状況が生まれているのは周知のことである。
 論者の中には、参議院選の勝利を大衆運動の裏付けなき勝利として”屁”のようなものと評価する向きもあるが、そのような定型的な尺度による評価では進行しつつある政治の変化を見失うことになる。政治革新派に必要なことは、どんな小さなものであれ、新たに切り開かれた有利な政治情勢を利用しつつ、弱点を補い、さらなる前進の方策を使い古しの物差しに囚われることなく、柔軟に具体的に構想し実践に取り組むことである。”帯に短し、たすきに長し”という現状にある政治革新派にはそうした進み方以外に方法はないであろう。
 75%の高い支持率で成立したあの安倍政権が1年足らずで瓦解し、安倍改憲ロードマップが破綻したのである。これが特筆するべき大きな成果であったが、それだけには留まらなかった。大きな勝利は様々な副産物を生む。障害者自立支援法の見直し、農業保護制度の見直し、後期高齢者医療制度の見直し、消費税増税論の後退、はてはテロ特措法の延長破綻と補修、中国残留孤児支援法改正、薬害肝炎被害者一律救済、原爆被爆者認定基準の見直し、目立たぬところでは日本版NSC(国家安全保障会議)創設断念、財務省主導の日銀総裁案否決も大きい。見方によってはタイミング良く出された滋賀県栗東市の新幹線新駅起債の上告棄却など、予想外のところにまで政権党敗北の余波が広がってきている。
  むろん、与党側からの反撃も起きてくることは当然である。小沢の大連立騒動以後、民主党は一時攻めあぐねている様子が見えたが、政権不支持率が50%を越え、ガソリン暫定税率問題で政局は緊迫感を加えつつあり、民主党の「攻」と自・公政権の「守」という政治の基調に変化はない。
 今、焦点となっているガソリン暫定税率問題にとどまらず、これまでの年金問題、新たに始まる後期高齢者医療制度と政権の難題は目白押しで、早くも福田政権は窮地に立ちつつある。慌てることはない。アメリカの一極世界支配体制の崩壊を促進する未曾有の米金融危機を含めて、対米従属派の自民党政権に”時の利”はない。民主党は奇をてらわず、参議院選の公約を押し立てて総選挙に持ち込み、政権交代(注1)をめざせばよいのである。

<(注1)、共産党は政権交代へと進む政治変動の中で、政権交代の機運を促進(これが大事だ。政局上の作戦、戦術の基本を決めるポイントだ)しつつ、党勢拡大の活路を見いだすべきであろう。”政治音痴”の共産党指導部が国会内で独自性を発揮しようと目論んでも、たいがいは、額賀証人喚問問題や「参議院正常化」=審議促進・提案のように与党有利の状況を作り出すだけである。東京新聞WEB版(3月9日)では「野党共闘の足並みの乱れを誘うのは重要だ。」という自民党幹部の発言を署名入りの記事で載せている。今また、ガソリン暫定税率問題の土壇場の紛糾のなかで審議促進なるピンぼけ提案を出している。
 時と場所をわきまえず「正論」を振りかざす悪い癖(政治音痴となる一因)は直っていないのだから、目立ちたがり屋の小細工は止めて、野党としての足並みをそろえることに重点を置くべきである。また、共産党の好きな「同じ穴のムジナ」論の出番はあると仮定しても、もっと後の話であり、今は民主党への牽制球程度の位置づけで語る必要があるだろう。
 自・民の連立騒動や政界再編の動き(「せんたく」など)は政権交代の型(総選挙における野党の明白な過半数確保か否か)により決定づけられるのであって、あれこれの推測を元に議論してみても生産的ではない。画策している当事者達でさえ、事態の展開に確信があるわけではなく手探り状態なのである。政治情勢の基調は予測どおり(「共産党85周年記念講演・・・」の(2)の項20、対抗戦略欄2007/8/31参照)、自・民対決型へと向かっており、明々白々な野党の過半数確保が国民に有利な政権交代と政治情勢を切り開くはずである。>

2、参議院選とその後における共産党指導部の姿(1)
 日本共産党(以下、jcpと略す)は、昨年の参議院選後、すっかり影が薄くなったと感じるのは私ばかりではないだろう。参議院選後の各種全国世論調査を見ても、政党支持率ではおおむね3%が上限で、なかには1.5%(NHK、2007年11月9日、朝日2%、同12月20日)いうものまであった。この3月10日に発表されたNHKの調査では2.4%である。
 昨年の参議院選での惨敗(5から3への2議席減)に対するjcp指導部の反省なき態度のために、多くの有権者に愛想を尽かされたという印象が強い。この事態は京都市長選における善戦や労働者派遣法問題についての志位・国会質問などで挽回できるものではないだろう。
 参考までに、昨年の参議院選直前のデータを拾ってみると、NHK3.8%(7月6日調査)、読売4%(7月10日調査)、共同通信4.6%(7月25日調査)という数字が出てくる。読売2%(7月1日調査)、朝日3%(7月8日調査)という数字もあるが、参議院選の前後では明確な有意差があると言わなければならないだろう。明らかにjcpに対する国民の支持率は落ちているのである。
 以下、jcp指導部の欠点を具体的に示し、党勢立て直しのための具体策を提案することにしよう。総選挙もそう遠いことではなく、能天気な指導部の楽観論とは裏腹に、このままでは現有9議席も危ういからである。参議院選後の政治の変化を経験した国民の”学習効果”と、反省なきjcp指導部の態度の相乗効果で、政権批判票はより民主党に集中する流れになることは必至である。

3、参議院選とその後における共産党指導部の姿(2)
 そこで、まず、昨年の参議院選前後のjcp指導部の言動を振り返ってみよう。志位委員長(以下、敬称略)は参議院選後の政治情勢を「新しい政治プロセス」(第5回中央委員会総会、通称5中総「赤旗」2007年9月11日)のはじまりと肯定的に評価したのだが、そうした評価と選挙前の主張との間には大きな食い違いがあった。
 思い出してみると、不破や志位らの指導部は与党の過半数割れをめざそうと他の野党に呼びかけたわけではなく、ましてや安倍政権打倒という政治目標を打ち出したわけでもなかった。民主党も自民党と「同じ穴のムジナ」だと主張し、「確かな野党」jcpが伸びなければ政治は変わらないと言い続けて他の野党を批判し、一人区すべてに候補者を立て、jcpの1議席増を参議院選の「最大の焦点」(「全国いっせい総決起集会」志位演説。「赤旗」2007年6月25日)とまで位置づけ選挙戦を行ったのである。
 しかるに事実を見れば、jcpが5議席を3議席に減らしても、政治は志位が「新しい政治プロセス」と言うほどに変わった。 不破や志位らjcp指導部は政治情勢把握も選挙戦術も完全に誤っていたのであり、jcpが参議院選後の「新しい政治プロセス」を主導的に切り開いたとは言えないどころか、むしろ、その妨害者としての役割の方で主導的であったというのが実態に近いであろう。
 途方もない”政治音痴”ぶりであり、まったくの主観的な情勢認識に陥り、盲目的なほどにセクト的な選挙戦術となってしまっていた。ここにjcpが参議院選で敗北した直接の原因がある。何年も前から指摘していたように、選挙戦では政治革新(小泉・安倍政権打倒)の妨害者としての役割の方が大きかったからこそ議席も減らしたのである。
 選挙結果は、国民多数の政治革新の意思がjcp指導部のセクト的主張や選挙戦術を乗り越えてしまったことを示している。参議院選における地方の一人区ではjcp基礎票の約3割が野党有力候補に投票し自民候補を破る原動力となっていた(「共産党85周年記念講演・・・(2)」の項13参照、対抗戦略欄2007/8/31)。ここにjcpの真の危機がある。後衛たる大衆が「前衛」たるjcpの先を進んでいる。

4、参議院選とその後における共産党指導部の姿(3)
 この参議院選における惨敗は、jcp指導部のためには再生の良い機会であった。あれこれ、言い訳がましいことが言えないほどに明白な惨敗であり、その欠陥を赤裸々に示してくれていたからである。比例区は獲得目標数に遠く及ばず、逆に50万票の基礎票の流出(同「共産党85周年記念・・(1)」の項9参照、2007/8/24)で1議席を失い、半世紀もの間、議席を失わなかった東京選挙区で、しかも定数が5と1議席増えたにもかかわらず、革新系無所属候補に敗れ、次点にも入れず議席を失っている。どこから見ても明々白々な惨敗ではないか。
 しかし、”病膏肓に入る”状態なのであろう。5中総には惨敗への真摯な反省は何もない。セクト的選挙戦術の誤りによって政治革新の妨害者となったことへの自覚もない。厳しい国民の審判をうけて事実上の方針変更を行っても、誤りの摘出も自己批判もないのである。むろん、指導部が責任を取るということもない。
 驚くべきことである。全小選挙区立候補戦術の見直しや「確かな野党」のスローガンの見直しを提起しながら、この指導部は見直さざるを得なくなった誤りを認めることだけは絶対にしないのである。誤りには頬被りで事実上の訂正を行っている。誤りを認めれば指導部の辞任は避けられなくなるからである。
 誤りはどの政党でも避けられないものであるが、問題はその誤りを率直に公然と認めて迅速に訂正できるかどうかである。これは自民党であれjcpであれ、政党として持続的に発展していくための生命線である。jcp指導部のやり方はjcpがいつも批判する自民党のやり方そのものであり、誤りとその原因をうやむやにし誤魔化している。いや、党のトップが選挙戦の責任を負うことがない点では自民党より悪いとさえ言えるであろう。
 こうしてjcp指導部は選挙戦の事後処理においても誤りを犯しているのである。それが上記の支持率の低下として表れているとみて良いだろう。
 政策は従来どおりで、そこそこにまともなのだから、他に支持率を下げる原因は見あたらない。多くの国民は、たぶん、惨敗にもかかわらず指導部が引責しない無責任政党という形で指導部の隠蔽『体質』を視野に収めているのであり、その無責任指導部を更迭できないという非常識なまでの党組織の特殊性、その独裁的な『体質』をも感じ取っているのである。国民の多くは宮本時代と変わらない(注2)ものとしてjcpを見ているのである。

<(注2)政治の表舞台には立たなくなったが、今なお実質的な最高指導者である不破哲三が、戦後最高の到達点と評価する1998年の参議院選における得票は820万票、得票率にして14.6%であった。その後、6回の国政選挙の連続敗北でこの到達点をそっくり失い元の黙阿弥に戻っている。ピークとなった1998年の参議院選の躍進については、これまで主に3点の理由が言われていた。①政党の離合集散による既成政党不信の蔓延、②消費税増税(5%)とバブル崩壊後の不況の深刻化・リストラの横行、③社会党の与党化と解党による社会党支持者の離反。これらのことが相乗しjcpが社会党離反の有権者を中心とする国民の受け皿になったというものである。
 しかし、2007年参議院選と対比するとき、今や、これらにもう一つの点を付け加えるべきであろう。④1997年の宮本勇退である。何と言ってもjcpは40年にわたって君臨した宮本の共産党だったのであって、宮本勇退によってjcpの変化を期待する有権者(特に旧社会党支持者)も多かったのである。不破の「スマイリング・コミュニスト」ぶりも宮本勇退の副産物だったと言っていい。
 こうした党内外の要因を重ね合わせることで、結果として「雨宿り」となった820万票の謎は解ける。jcpが期待に反して、その『体質』というべきものが元の黙阿弥のままであったからこそ、820万票は「雨宿り」に終わったと言うしかないである。その意味では820万票には宮本勇退の”置きみやげ”という側面が見える。
 千載一遇の2007年参議院選では元の黙阿弥どころか、安倍政権のサポート隊のような役割を果たしたために、「生活が第1」と変化する小沢民主党に票を持って行かれることになったのである。「難しい風」(志位)が吹いたのではない。  なお、「雨宿り」については、安保凍結の連合政権論を例証に、不破jcpの右傾化路線が原因で票が逃げていったとする見解もある。が、逃げていった票はどこへ行ったのかという視点から見ると、この見解は当たっていないようだ。社民票が350万ほどで旧社会党の1000万票を回収できていないのだから、一旦、jcpに流れ込んだ票は先の参議院選では民主党に流れたと見るべきで、そうすると不破jcpの右傾化論を原因にできないことがわかるであろう。jcpの『体質』が主に咎められているのである。>

5、参議院選とその後における共産党指導部の姿(4)
 全小選挙区立候補戦術の見直しや「確かな野党」というスローガンの見直しは、jcp指導部がどう言いつくろっても、真相は参議院選惨敗という選挙結果を受けての軌道修正なのである。しかし、この指導部による軌道修正はその誤りの反省のうえにたったものではなく、うわべだけの、”小手先”のものであるために、選挙後の政治情勢についても参議院選同様すっかり見誤ってしまう結果になっている。主観的な情勢判断の誤りがそのまま引きずられているのである。
 例えば、志位は参議院選の総括をした5中総で次のように言っている。 「わが党にとっていちだんとやりがいのある激動の時代に入りました」、あるいは「綱領と日本改革の方針が、こんなに情勢とかみあい、共鳴しつつあるときはない」という具合である。
 参議院選で惨敗しても、jcpの出番がやってきたという議論をしているのである。こうした主張は常識的には理解できないことである。普通なら、惨敗の敗因を明らかにし、敗因の対策を立て指導部が責任をとり、そのうえで捲土重来を期そうということになるのだが、jcp指導部にこの種の常識は通用しない。指導部は惨敗しようが何連敗しようが、更迭されることはなく、独特の理屈で「余人をもって代えがたい」人物達が指導部を占拠し続けているのであるが、その行為が”民意の否定”、”民意への挑戦”であることにjcp指導部は気がついていない。
 この3月4日の幹部会での志位報告でも「綱領と情勢が響き合う」、「党勢拡大での新しい上げ潮」(「赤旗」3月6日)と威勢がいいのである。ところが詳細を読むと機関紙拡大では「合計では前進となりませんでした。」という具合なのであるが、不思議なことに、威勢のいい話はこうした”不都合な真実”と同居したままなのである。言わば、実績の前進がないまま威勢のいい話だけが野放しになっている。
 政党支持率にしろ、機関紙拡大にしろ、低迷を脱していないのだから、それらの実績と威勢のいい話との相互関係を検討し、威勢のいい話は実情からかけ離れた”カラ文句”だとわかってしかるべきなのである。機関紙の場合は4半世紀にわたって減少し続けているのであり、どんな大運道をもってしても増紙へと転換できていないのである。上に見た政党支持率しかりであって、これらの事実はjcpの出番が来たとする認識が希望的観測=主観的情勢認識であるばかりか、指導部の政治的都合・必要性に基づいて繰り返される”オポチュニズム”(ご都合主義)にすぎないことを明瞭に証明(注3)しているのである。

<(注3)、京都市長選や志位の派遣労働をめぐる国会質問、はたまた額賀証人喚問問題、参議院「正常化」などでjcpの存在感が増したという者もいるが、贔屓目ということになろう。全国的な世論調査を見る限りではjcpの支持率上昇の傾向は見えない。
 なお、国会内で存在感を増しているのは、皮肉なことに、自民と同類(「同じ穴のムジナ」)とjcpが批判していた民主党が第一党となり、参議院過半数のキャスチング・ボートを社民・共産の議席が握ることになり、また、あれだけ固執していた全小選挙区立候補戦術を取り止めた結果、民主党がjcp票の行方に配慮しはじめたからである。
 jcpの存在感は指導部の思惑とは逆の政治現象が生まれることによって生じている。フランス革命史を研究していたマルクスが、諸党派は、その行動によって自分らの意図とはことごとく逆の結果を招き寄せている、と評していたことが思い出される。おそらくは、社会変革期には古いレジームが崩壊過程にあるのに、その思考はそのレジームの諸前提のうえに立てられたままだからである。>(つづく)