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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

共産党指導部のサークル化・化石化・小児病化とその淵源(2)

2008/4/4 原 仙作

6、jcp指導部の主観的情勢認識の特徴(1)
 前回は、jcp指導部が参議院選敗北の原因をまともに検討していないために、参議院選同様、その後も主観的な情勢判断をしていると事例をあげて説明してきた。そこで、今回はどうしてjcp指導部の政治情勢認識が主観的で我田引水なものになるのかを検討することから始めよう。
 通常の理解では、参議院選で惨敗して「綱領と情勢が響き合う」政治情勢が生まれているはずはないのである。しかし、jcp指導部によれば、生まれているという認識になるのである。あまりにも奇異な主張なので「綱領と情勢が響き合う」政治情勢についての説明を見ると、経済格差問題であれ、労働者派遣法の問題であれ、jcpの指摘した問題が国民的認識になってきたと言うのである。これが「綱領と情勢が響き合う」ということの意味である。たとえばこういう具合である。

「労働法制の規制緩和に一貫して反対をつらぬいたのは日本共産党だけでした。・・・ところが、その主張がいまや多くの国民と広く響き合い、政府・財界を追い詰める情勢が展開しているのであります。」(「幹部会への志位委員長の報告」「赤旗」3月6日付)

 それでjcpへの支持はどうなっているかというと、それはこれからの頑張りよう(jcpの出番)の問題なのである。何のことはない。jcp指導部の言う政治情勢認識には、国民からjcpがどのように見なされているか、どの程度支持されているかということは含まれていないのである。
 これは何とも特異な政治情勢認識なのであって、普通は政治情勢認識・評価とは、経済状態の分析をベースに置き、政策、党派勢力その他の政治的諸要因を分析・総合し、政党支持率とその動向を把握することを意味する。単純化して言えば、政治情勢認識とは事態を国民の政党支持の現状とその動向にまで煮詰めて捉えることである。各党はそのために世論調査も実行する。
 ところが、jcp指導部はその肝心要のところを排除している。jcpの政党支持率がどうなっているかは視野の外にある。3人に一人が非正規労働者で所得格差が広がっているという事実が明らかになり、格差問題が社会的に脚光を浴びれば、もうそれだけで、jcp指導部には「綱領と情勢が響きあう」政治情勢だという認識なのである。jcpの出番がやってきたのである。国民の政党支持率の現状がどうであろうが、jcpの支持率が2.4%でも、jcpの出番がやってきて、jcpの働きかけで国民の政治意識は変わりjcp支持が飛躍的に増える情勢だと指導部は思っているのである。
 jcp指導部の政治情勢認識がまったく主観的なものになる一原因がここにある。一方では政治情勢認識から国民の抱くjcp観を排除しており、他方ではそのjcp観を簡単に変革できるものと見る楽観論で塗りつぶしている。だから、この指導部は常に政治情勢を”リアルに見る”ということがない。現実を”リアルに見る”ことがないというこの特徴は、今後、何度も触れていくことになるが不破指導部の思考の根本的特徴の一つである。
 なお、ここに見る楽観論にはもうひとつ他の原因がある。それはマルクス主義の一般理論である共産主義の必然性をjcpが政権に到達する必然性として理解するという信じがたい誤解、錯覚である。この錯覚はjcpの独善性の究極の源泉でもあるのだが、この点も後に改めて述べることにしよう。

7、jcp指導部の主観的情勢認識の特徴(2)
 jcp指導部にとっては「綱領と情勢が響きあう」政治情勢があれば、党勢の飛躍的拡大のための客観的政治情勢が存在するということであり、あとは国民への働きかけ方次第、”やる気”の問題なのである。党勢拡大に伴う困難は克服の対象でしかない。こうして一本調子の、何度も失敗した党勢拡大運動が性懲りもなく繰り返されるのである。
 目標未達成は一般国民と接触する党員の努力不足なのである。トップが笛を吹いているのに現場が踊らないのが原因なのだ。セクト的選挙戦術やセクト的他党批判、惨敗した党首が辞任もせず無責任であることなど、国民に見える志位ら”表の顔”がブーイングを受けて党勢拡大の大ブレーキになっていても、それらは無視、排除され、目標未達の原因は末端に押しつけられるのである。ここには経済主義と精神主義の奇妙なミックスがあり、それらがjcp指導部の抱く一般国民観を作り出していることがわかる。
 国民は経済生活上の問題を決定的動機として政党選択をするという経済決定論の行きすぎ(経済主義)があり、他方では、国民の政治意識についてはjcpの働きかけ如何で変わるという楽観論(それは国民の政治意識の現実を無視し無色透明なものと仮想するに等しい)が置かれている。行きすぎた経済決定論と精神主義の奇妙な取り合わせがあり、その取り合わせを結合させる仕掛けが国民の抱くjcp観の排除という奇妙な方法である。この方法は二重に奇妙なのであって、一方では排除し、他方では無色透明なものとして取り込んでくる。jcp指導部の威勢のいい精神主義は奇妙な作為=方法とともに行きすぎた経済決定論に支えられていると言えよう。
 しかし、現実には、jcp指導部の言う「綱領と情勢が響きあう」事態からjcp支持が急速に増大する状況までの間には千里の距離があることは先の参議院選が示したとおりである。不破・志位の指導部では万里の長城(注4)が横たわっているとさえ言えよう。

<(注4)、世間では常識に属することなのだが、jcp流に「綱領と情勢が響きあう」事態が生まれていても、それだけでjcp支持が広がるわけではない。なぜなら、国民の多くはその”響きあい”を認識しているわけではないし、また国民による政党選択は、jcp流の「響きあう」点だけを捉えて決めているわけでもないからである。国民動向を注視する競争相手の政党があるし、政策はいいが実行力がないとか、国政選挙に何回負けても党首が責任をとらない点がダメだとか、議員や党員の主張が画一的だとか独善性が強いとか、組織が独裁的だとか、社会主義世界体制の崩壊を見て共産主義はもう古いという確信を抱いているとか、それぞれの生活経験で養った選択基準や感覚があり、jcpに投票しない理由があるわけなのである。
 こうした国民の政治意識が現にあり、jcpへの投票への阻害要因となっているのであるが、それを無視すれば、より大きな阻害要因に成長することをjcp指導部は気がつくべきなのである。国民の抱く批判点を無視するのであるから、批判されていることが是正されずに日常的に国民の目に晒され、国民の批判意識を掻き立て、何度も繰り返せばその非常識に嫌悪感さえ催させるということになる。
 例えば、何度も選挙で負ければ党首は辞任すべきだというのが国民の常識である。この常識は政権党であろうが野党であろうが変わらないのである。jcpの指導部は基本政策に誤りがなければトップの責任問題は発生せず、トップの交代はしないという独自のルールをつくっているが、国民にはこのルールが非常識で非民主的に見えているのである。jcpの独裁的体質と言われることの象徴、この党の抱える古くからの問題の象徴のようにさえ見られている。特に社会主義世界体制が崩壊して以降は、東欧の庶民が否定したものと同じものを日本国民の多くは、この不変の指導部体勢に感じ取っているとさえ言えるだろう。
 民主主義社会では国民の審判に服することこそ、公党の採るべき民主主義のルールだと国民は考えているからである。敗北を繰り返す党はどこかに重大な誤りがあると国民は理解しているのであって、その誤りを是正せず、同じ顔が代表として繰りかえし登場することは、国民の審判への重大な挑戦だと受け止めているのである。
 だから、jcp指導部がいかにjcpの独自ルールを説明しても国民は決して納得しないし、この党の指導部の馬鹿げた頑固さに非常識なものを感じるのである。そして、政治においては、国民の民主主義観に反する非常識なものとは危険なものであり、そういう政党に多くの国民は権力や大くの議席を授けようとはしないし投票もしないのである。これはすぐれた民主主義感覚だと言うべきであって、ここではjcp指導部の独自ルールと国民の民主主義観が対立(注5)にまで発展し、万里の長城にまで成長している。>

<(注5)、不破や志位は、国政選挙に何度負けても居座る不変の指導部体制が多くの国民の民主主義観に対立し、国民の民主主義観に挑戦状をたたきつけているということを理解するべきなのである。この民主主義観は実に強固なもので、左翼流にブルジョア議会主義だとののしられようが変わることはなく、ののしる者は逆に議会制民主主義のルールを知らぬ者として取り扱われるのである。
 確かに、こうした党首交代のルールはレーニンのロシアにはなかったものであり、日本国憲法に定めがあるわけでもないが、議会制民主主義の長く定着した国ではほとんど例外なく成立しているルールであるから、”郷に入りては郷に従え”で、議会を通ずる社会変革をめざすjcpも受け入れるほかないルールなのである。仮にjcpが民主党並の議席を持っていると仮定して見れば、ここで言っていることがわかるであろう。
 その意味では、議会を通ずる社会変革の政治路線(新綱領)が従来の組織路線(「民主集中制」)と衝突するという関係が現実化してくることになるのである。だから、この衝突を前者の政治路線にあわせて克服しなければ飛躍的な党勢拡大、議席拡大の道に軌道転轍できないと知るべきであろう。この衝突に目をつぶり自分たちに都合のいい、政策だけで支持を広げる道がどうなるかは、すでに21世紀に入ってからの6回の国政選挙で実証済みである。
 そこで、万里の長城を越える方法を提案しておこう。不破・志位の現執行部体制を完全に一新することである。新綱領によれば、憲法の枠内における民主主義的改革が仕事の中心なのだから、政治路線の基本は定まっており難しい舵取りの判断はないと言うべきで、不破と志位でなければ勤まらないということはあるまい。党の一新をアピールできる顔に変えることである。
 委員長になって一勝もできない志位では票が集まらないしjcpの「出番」は来ない。第1、発表から半年が過ぎてなお、現今の最重要文書である5中総の読了率が41.9%(「赤旗」党活動のページ、学習・教育局、3月29日)では一般党員からも見放されていると知るべきである。この数字は不破・志位指導部の組織管理、”指導の惨状”を示す数字にほかならない。
 その顔にふさわしい人物は不破が選ぶのではなく、小泉を選出した自民党に習い党員選挙で選べばよい。党の救世主が発掘される可能性があるし、何より党内が議論百出で活性化するであろう。有能で国民への好感度の高い人物が誰かは不破や志位より一般党員の衆知の方がよく知っているはずである。そして、規約どおり、党組織運営の中心を中央委員会に戻し、不破専制を廃止することである。そうすれば、選挙で惨敗しても党の顔も替えられず、選挙戦術その他の誤りも自己批判できない悪しき”習慣”を改めることもできるはずである。 むろん、こうした改革は「民主集中制」なる不破独裁となる特殊な組織運営に衝突することになるが、「民主集中制」の改革については後に触れる。>

8、jcp指導部の主観的情勢認識の特徴(3)
 jcpの政治情勢認識では、経済格差問題に国民が目覚めたかどうかという政治意識は政治情勢認識に組み込まれるのであるが、国民がjcpをどう見ているかという政治意識は排除されているのである。jcp指導部流の特異な区別だてといわなければならない。
 jcpは国民から名指しで嫌われる政党の筆頭という不名誉な地位を長年保持してきたのであるが、jcp指導部がjcpの好悪、是正すべき点などの世論調査を行ったという記事を「赤旗」で読んだ記憶はないのである。jcp指導部には国民がjcpのどの点を評価し、どの点を批判的に見ているかを知ろうとする気がないことがわかろう。
 政治の世界においては国民の支持を調達するのが仕事であるから、その調達のためにおのれの全身を点検し、国民から批判されている点を是正して支持の調達に努めるものであるが、jcp指導部にはそうした意識はまるでないようである。不破や志位らは、自分たちの姿が国民という鏡にどう映っているかを知ろうともしないのである。そうした”習慣”は宮本jcp以来の伝統を踏襲しているようにも見える。これは考えてみると、実に奇妙な”習慣”、”奇習”と言えるほどのものである。というのは、繰りかえしになるが、国民の大多数は生活弱者なのであるから、弱者救済の事業を効果的に進めようとすれば、おのれの姿が大多数の国民にどう映っているかを気にしないわけにはいかないからである。
 いや、その気はあるのだという反論があるのならば、一度、全国的な世論調査を実施することを提案したい。随分と有意義な調査になるはずである。全国の「赤旗日曜版」読者にアンケートをお願いすればいい。調査項目を工夫して100万通を目標に集める。アンケート調査を一大運動にして党員自身が国民という鏡に映ったおのれの姿を見つめる機会にするのである。jcpの飛躍的発展の基礎となる歴史的な調査になること請け合いであるが、こうした調査はまず行われないであろう。
 (注4)で書いたような国民の大半が抱いている批判的jcp観は虚妄であり、根強い反共主義による偏見だとjcp指導部が考えているからである。だから、特異な区別立てをし、国民の抱く批判的jcp観を政治情勢認識から排除するのである。大多数の国民が抱くjcp観に関心が向かない。考慮の外に置く。無視する。無きものとして取り扱うのである。
 要するに、その現状は無視され、単なる変革の対象でしかない国民のjcp観という取り扱いなのである。jcp指導部には何とも都合の良い国民のjcp観の取り扱いなのである。jcp指導部は国民のjcp観を恣意的に、自分の都合の良いように取り扱っていることがわかるであろう。
 だが、自分が関心を持たないのに相手がこちらに関心を持ってくれるということは稀なことである。支持を得たいのならば、そうした国民多数のjcp観をつぶさに研究してみなければならない。国民のところへ足を運ぶことである。末端の党員には足を運べという指導部が、国民の政治意識の実態には無関心どころかその視野から排除してしまうのである。  
 このような国民の政治意識についての取り扱いは、どう言えばいいか、言葉の真実の意味での共産党の取り扱い方とは違うのではないのか? 真に庶民的な、あるいは人民的な土壌から生育した党の指導部ならば、もっと別の取り扱い方になるはずだと思うのである。私は以前に「インテリゲンツィアの党」(「2005年都議選・・・(2)」対抗戦略欄2005/8/12参照)と規定したのだが、この規定にはいずれ立ち返ることにして、ここでは不破や志位には国民という鏡に映ったおのれの姿に関心がないということを確認しておこう。

9、jcp指導部の主観的情勢認識の特徴(4)
 仮に百歩譲って、大半の国民が抱くjcp観が虚妄の認識であったにしても、その認識、その政治意識は投票行動に大きな影響を与えていることでわかるように、現実の政治情勢の一部なのである。jcp得意の反共デマ宣伝が選挙に悪影響したと言う場合と同様に考えていい。政治の世界では虚妄であれ現実的なものがある。
 したがって、国民のその虚妄の政治意識を政治情勢認識から排除するのは誤りなのであって、事実のうえでは都合の悪いものは見ないということになるであろう。主観的で我田引水の情勢認識となる原因だし、セクト的選挙戦術の原因ともなり、国民から見ればjcpの独善性の一要因であり、批判拒否的傾向やダブル・スタンダードに見える要因ともなる点である。すでに何度か書いたが”政治音痴”となる一因にもなっている。
 不破や志位の指導部では、国民には見えるjcpの欠陥は是正されないまま、その政治情勢認識は絶えず主観的で楽観的なものに傾斜していくことになるのだから、さきの参議院選の結果は不破や志位らにはまったく予想外のことであったろう。実際、参議院選挙前から志位は「今日の政党状況のなかで、日本共産党が出番の情勢であるということが、日々明らかになってきます。」(「全国都道府県委員長・・会議」2007年1月8日「赤旗」)とか、「『たしかな野党』の立場が、こんなに情勢とかみあうときはない。」(「参院選勝利 全国いっせい決起集会」2007年6月25日「赤旗」)と言っていたのである。jcpの躍進が期待されていた。
 まさかの惨敗を突きつけられて、実感としては国民の反共的偏見や虚妄の反共意識がjcpに呪いをかけている、というような感覚に囚われたであろう。あれだけ自民党が叩かれる選挙戦でありながら、それでもなお反共主義の亡霊が国民の中から広範に立ち現れてくるのか、という実感と言えばよかろうか。2006年の「赤旗まつり」で行った不破による反共主義の格上げ宣言(拙稿「共産党85周年記念・・・(3)」の項30参照、2007/9/1)はそうした実感の吐露の一例である。したがって、彼らの心情からすれば、参議院選の惨敗を国民に謝罪する気になれないのも無理はないのである。謝罪するのは屈辱的でさえあるだろう。彼らにとって惨敗とは”濡れ衣”なのである。
 参議院選直後に出た常任幹部会声明(「赤旗」2007年7月31日)に一言の謝罪もないのはそのためである。まことに常識はずれの声明であって、木で鼻をくくるような一面的な事実の羅列で”濡れ衣”を着せられたことに抵抗したのである。常任幹部会は一丸となってそうせざるをえない心情だったのであろう。その後、国民の批判に押されて85周年記念講演会では志位が形ばかりの謝罪をしているが、その謝罪にはいかなる意味でも謝罪の実感がこもっていないのもそのためである。同じ講演会で、党最高実力者の不破にあっては一言の謝罪もなく、革命党にあっては選挙戦の勝敗に一喜一憂するべきではないと、自己の議会革命路線を忘れて党員を説教する有様であった。こちらが彼らの本音である。この指導部には確かに国民に対する隠された”敵意”がある。

10、jcp指導部の主観的政治情勢認識の特徴(5)
 国民多数の政治意識の一部を政治情勢認識から排除するこの特異な思考の淵源を探ると、唯物史観における経済決定論的見方をあげることができるであろうか? しかし、唯物史観の見方は一般的特徴づけとしては経済決定論的なだけであって、ところかまわず経済決定論であるわけではない。レーニンの革命情勢論をあげるまでもなく、そこでは大衆の政治意識の決定的重要性が語られている。
 支配者がこれまでの支配ができなくなるという条件とともに、「下層が古いものをのぞまず(「のぞまず」は太字」)」(レーニン「共産主義における左翼小児病」、国民文庫版103ページ)ということが取りあげられている。
 大衆の政治意識の有様を十全にとらえることの重要性が語られており、それゆえに、国民の政治意識の一部をことさら排除するjcp指導部の政治情勢認識は唯物史観の見地からしても特異なのである。この特異性はマルクス主義とは別個のjcpの歴史に由来する特殊な見方として把握しなければならないであろう。今なお、牢固としてjcp指導部の政治情勢の見方として存在しているものであるから、それなりの存在理由があるはずだからである。各国の共産党はそれぞれに自国の特殊な歴史事情を身に刻みつけるものであって、この特異な政治情勢認識もそうしたもののひとつなのであろう。 

11、jcp指導部の主観的政治情勢認識の特徴(6)
 この特殊な見方はjcp指導部の歴史的経験が彼らに押しつけたものと考えると理解しやすい。 すなわち、戦前における国民から拒絶された経験、孤立、大量転向、党の相次ぐ壊滅の経験がそれである。戦前のjcpは国民から孤立しその主張は受け入れられなかったが、jcpの主張する民主主義が、戦後、マッカーサーのもとで実現したという経験を持つ。 国民の政治意識は、一方では強烈な反共主義に被われ、他方では頑迷、固陋にして迷妄であり、移ろいやすく、それを考慮していたのでは正しい政治路線は堅持できなかったという経験思想が牢固として指導部相伝のものとして受け継がれているのではあるまいか?  
 あるいは、政治世界の羅針盤、”北斗七星”たる地位は大衆の雑多な政治意識に影響されない理論的見地を頑強に保持することにあるというように総括された戦前来の経験思想が党指導部に相伝されているとでも言うべきか?
jcpにあっては「獄中18年」と「北斗七星」という戦前党への賛美を除けば、見るべき戦前の総括ポイントは見あたらないことを考えると、文書に現れない指導部相伝の経験思想があると見ても不思議ではない。 戦前最後の中央委員の一人である宮本顕治が89歳の1997年までこの党の最高実力者であったという稀有な事実がこの推測に一定の根拠を与えるようにも思えるのである。
 「母乳とともに飲み込んだ天皇制」とコミンテルンに揶揄されるほど、戦前の日本国民には天皇制イデオロギーが深く根を下ろしていたのであるが、そのイデオロギーは反共主義と一体のものであっただけに、戦後も長く反共主義が国民の中に残ってきたことも事実なのである。その反共主義の海のなかで、泳ぎ回り生き抜く”知恵”とは一体どういうものであったろうか、と想像することも無益なことではあるまい。
 この反共主義の重さを”軽いもの”とみなすことがアクティヴな活動のための”知恵”だったのではなかろうか? ”軽いもの”とは重視しなくてよいもの、無視しても間違いではないもの、無きがごとくに取り扱ってもいいものなどを意味する。
 問題をもう少し広く、大衆の政治意識全体を視野に収めれば、大衆の政治意識とどう向き合うかという問題であり、遠くは第一次共産党の解党と山川イズム、福本イズムの勃興(1924~1927年)にまで遡ると因縁の問題と言えようが、 そこまで遡行しなくとも戦争直後の時期を一瞥しても次のような例が見られる。徳田球一の得意な言葉に「おれが荒ごなしをやっていく」(注6)というのがあったと聞く。聞く耳をもたない聴衆に多少ともjcpに関心を持たせるように演説し開拓してくるという程度の意味である。マルクス主義の一般理論の見地からすれば、反共主義は時とともに生命力を失い滅び去るものと把握して間違いではないということが”軽いもの”という取り扱いに妥当性の根拠を与えたであろう。”軽いもの”として取り扱うことは党生活における精神衛生上もプラスであったはずである。
 以上のような推論からすれば、戦前来の反共主義の重さ(それは戦前日本資本主義の後進性の反映でもあった)の重圧がjcpに特異な政治情勢認識の方法(国民のjcp観を排除する)を押しつけたのだと結論づけても、それほど見当はずれではあるまい。
 こうした特異ではあるが便宜的な方法は小さな勢力のうちは、相応に役に立ったであろう。戦前の党勢が最大と言われた1932年の風間jcp時代で党員数約500人(注7)である。その規模から言っても活動内容から言っても文字どおりセクトなのであって、少数であるうえに、逮捕・弾圧で絶えず補充を迫られたひ弱な人材を抱えた内部を固め維持し、そして外へ打って出るには周囲が峻険な”山また山”に見えない方がいい。また、百戦錬磨の強者となればなったで、徳田の例のように”軽いもの”に見がちであったろう。
 しかし、大勢力へ成長するには、その特異な見方から脱皮しなければなるまい。現実を”リアルに見る”ことから始めなければならないのである。それを拒否し一国の政治世界の小さなセクトに留まるつもりならば、こうした特異な見方は非常に便利なものである。自党の欠陥を見なくていいし、選挙の敗北は党外に原因があることになるし、惨敗があっても定められた運命(歴史の「必然性」)が未来の政権党を保証してくれているのである。
 しかし、この便利さはjcp内部でだけ棲息する場合のことで、党外からみればカルトそのものの姿でしかない。一時は3~40議席まで到達したものの、戦前来背負ってきたセクトの殻から脱皮しきれぬまま数議席しか持たぬ小政党に退化しつつあるのは、それ相応の内在的な原因があるというべきで、その一端がここに検討してきたjcp指導部の特異な政治情勢認識なのである。

<(注6)「徳田はこの時期(1946年頃-引用者)、さかんに”あらごなし”ということばを口にしていた。『オレがまずあらごなしをやっていくからあとはお前たちがよく耕せ』ということを党本部勤務員や中央、地方のオルグ連中に口ぐせのようにいっていた。」(亀山幸三「戦後日本共産党の二重帳簿」40ページ、現代評論社1978年)>
<(注7)、田中真人「1930年代日本共産党史論」7ページ、三一書房1994年。伊藤晃「転向と天皇制」53ページ、勁草書房1995年)>(つづく)