投稿する トップページ ヘルプ

「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

共産党指導部のサークル化・化石化・小児病化とその淵源(4)

2008/5/17 原 仙作

22、衆議院山口二区補選とjcpの候補者見送りが教えること(1)
 前回はjcpの政治情勢分析が主観的・楽観的となる究極の原因、同じことだ がjcp指導部の独善性の究極の原因でもある不破の説く「必然性」論の誤りを みてきたのだが、その「必然性」論を視点を変えて衆議院山口二区補選と突き合 わせて考えてみよう。
 jcp指導部が抱える諸問題の根源にある不破指導部の「必然性」論の誤りを 様々な側面から明確にすることが、選挙戦術の誤りを再確認することにもなり、 また、よりカルト的になり衰退しつつあるjcpの再生にも必要なことだからで ある(注12)。
 不破を信奉する党員諸兄よ。考えてもみるべきではないか。21世紀に入って からの三度の衆議院選で、ゼロ勝900敗とも言うべき戦績は尋常なものではな く、普通の感覚の持ち主であれば、その選挙戦術の誤りが実証されていると考え るのが当然ではないのか? その当然なことがjcpでは通用しない。旧天皇制 の下で”現人神”の呪縛に陥っていた戦前の国民のようではないか。
 二大政党制を打ち破るとか、自共対決の当然な戦術だとか、あるいは国民に投 票の選択肢を提供する責任とか、全小選挙区に立候補しなければ選挙運動全体が 弱体化するとか、不破に至ってはゼロ勝900敗も「政治対決の弁証法」(不 破)のしからしむるところでjcp発展の必然のプロセスなのだという気違い沙 汰の理由づけも含めて、様々な理由を持ち出してゼロ勝900敗をむしろ果敢な たたかいの”勲章”とする様相がある。
 ネット上では”オリンピックでもあるまいに”と揶揄されてきたが、これらの 「理論」やら戦術論議で忘れられているのは、何のために国政選挙に参戦するの かという、そもそもの議論である。jcpが国政選挙に参戦するのは国民大衆の 諸要求を実現するためであって、jcpの議席を増やすのはその手段であるはず である。政治革新だ革命だと言ってみたところで、この目的と手段の関係は変わ らない。ところがjcp指導部にあっては、この目的と手段の関係が逆立ちして しまっており、すでに何度も不破や志位の演説を引用したように、jcpの議席 増が自己目的になってしまっているのである。最近の「赤旗」の「学習・党活動 のページ」も総選挙向けの党勢拡大大運動一色になっている。
 そもそもの議論に立ち返れば、弱小なjcpが国民の諸要求を実現するには 「確かな野党」ではなく、部分的なものではあれ、他の野党の協力を得てその実 現の方策を探るべきだということが簡単にわかるはずなのである。jcp指導部 にあっても、まさか、他の野党は頭のてっぺんからつま先まで悪しき存在だと言 わないであろうから、協力し合える部分はあるはずなのである。現に国会内野党 協力はやっているではないか。
 そして、協力し合える部分があるなら、選挙戦の段階から協力関係を築くべき であろう。というのも、与党を負かさないことにはjcpの要求はどんなもので あれ実現できないことが多く、小選挙区制の下では野党がバラバラでは与党に勝 てないからである。山口二区補選を見てもわかるように、与党を選挙で負かして こそ、後期高齢者医療制度の見直し騒ぎも与党内で起こってくるのである。
 国政選挙に参戦する基本に立ち返れば、こうした考え方は常識的で当たり前の ことであろう。すでにその誤りは明白なのだが、全小選挙区立候補戦術はjcp 指導部の逆立ちした「思想」の産物であり、その逆立ちを生み出す根源もまたあ の「必然性」論に支えられているのである。jcpだけが国民を資本主義のくび きから解放する導き手であってjcpの議席が増えなければ政治は何も変わらな いと、相変わらず考えているからである(注13)。

<(注12)、この問題の重要性を現代哲学(史)の分野のテーマとしてわかり やすく解きほぐして見せたさつき論文(「カール・ポパーの反証科学哲学とマル クス主義批判(1)~」科学的社会主義欄2008年4月4日~)の参照をお願 いする。哲学にうとい私にはポパーの主張と心理を理解するうえで大変参考に なった。>
<(注13)、資本主義の限界を示すような地球温暖化問題であれ核兵器廃絶問 題であれ、自然環境保護問題であれ、労働条件改善であれ、今ではjcpの活動 も広範な世界的規模での民主主義運動の一部でしかないのだが、従来の思考の惰 性というか、「唯一前衛党」思想の残骸が残っており、この残骸もまたあの「必 然性」論に支えられているのである。
 サンデープロジェクトに中曽根康弘や土井たか子とともに出席した不破は、地 球温暖化問題に関連して「ヨーロッパの資本主義」は「今のこの問題に直面し て、どんな社会体制にしなければいけないか、資本主義の限界まで挑戦してみよ うという意気込みが(ヨーロッパでは)どこへいっても感じられるんですね。」 (「赤旗」5月12日)と発言している。とすれば、ヨーロッパは資本主義の総 本山自体が、これまでのマルクス主義からすれば資本自身では解決できないと見 なしてきた課題に挑戦していることになるのだから、日本を例外と見てjcpだ けを”オンリーワン”と考える必要はなくなるはずである。>

23、衆議院山口二区補選とjcpの候補者見送りが教えること(2)
 補選では民主党の平岡候補が116,348票を獲得し、自民党の新人・山本 候補の得票94,404票に約22,000票の差をつけて当選している。投票 率69%は衆議院補選としては過去最高の投票率となり有権者の関心も高かっ た。勝者も敗者も勝敗を分けたポイントは4月から後期高齢者医療制度が実施さ れたことであると共通に指摘しており、とりわけ、高齢者の保険料が年金から天 引きされたことの影響が大きかったようである。
 この1勝は民主党にとっては大きなものである。まず、このところ不協和音が 目立っていた民主党内の結束が固まるからである。そして早くも政局への影響が 出ており、ガソリン暫定税率を復活させた福田内閣の支持率が18%(毎日新聞 5月2日WEB版)へと下落しており、日経新聞では「21%に急落」、政党支 持率さえ自民33%、民主36%(日経新聞5月2日)へと逆転が起きている。
 こうして衆議院解散へのプロセスがまた一歩、野党側に有利な条件を積み上げ つつ進んでいく。民主党はあわてて問責決議を提出する必要はなく、他の野党と 連携してポイントを稼ぎ、「生活が第一」という政策に忠実かつ有能な候補者を 発掘しつつ、じっくり攻めていけばいいのである。自民党がどんなに引き延ばそ うとも1年3か月後には総選挙がやってくる。
 選挙後の出口調査では、jcpが独自候補を擁立しなかったために、jcp支 持層の「9割」(朝日新聞4月28日)が民主党の平岡候補に投票したようだか ら、jcpは労せずして福田政権にダメージを与えることに貢献したわけであ る。これは独自候補を立てた場合と比較すると、政権へのダメージを与えた点で も、jcpへの国民の評価を高めた点でも、より有効な戦術であったことはまち がいないであろう。これが政治の現実が教えてくれることであり、jcp指導部 が覚えておくべき第1の教訓である。
 昨年の参議院選までの国政選挙方針であれば、独自候補を立て自民も民主も 「同じ穴のムジナ」で民主党も後期高齢者医療制度法案に賛成し、反対したのは jcpだけですと宣伝して、近隣から大量動員を行いビラまきと街頭演説を行っ たはずなのである。これをやれば救われたのは自民党候補であり、民主党の平岡 はかなり苦しい戦いを強いられたにちがいない。jcpは前回より票を増やした かもしれないが当選はできず、自民党を助けたと批判されるリスクをも背負う可 能性があったのである。誤った戦術は労多くして益なく、徒労に終わるばかりか 主敵を助け自己を無用な批判にさらすリスクを生む。jcp指導部はそういう選 挙戦を全国で10年にわたって続けてきたのである。
 政治に限らずどんな世界でもそうであるが、自分の意図したことと実際の行動 の結果が必ずしも一致しないことが多いものである。その場合、どんな「理論」 で理由付けをしてそうした行動に及んだにせよ、意図せぬ結果になったのはその 「理論」、その理由づけにどこか間違いがあったからだということになる。 情 けないことに、85年の党史を持つ政党の指導部にこんな政治のイロハから教え 始めなければならない実情(「理論」倒れの現実)がjcp指導部にはあるので ある。

24、衆議院山口二区補選とjcpの候補者見送りが教えること(3)
 もう少し、補選の余波を見ておこう。jcpが独自候補を擁立しない選挙区の jcp票がにわかに脚光を浴び始めている。5月3日の「日経新聞」は「自民、  共産票に警戒強める」という見出しで次のように書いている。

「山口補選では共産票が予想以上に民主党に流れたと分析。次期衆議院選で も・・・『多くの選挙区で共産票を上乗せした民主党候補に競り負ける』との懸 念が強まっている。前回衆議院選で民主党は52選挙区で勝った。これに共産票 を単純に上乗せすれば、さらに約50選挙区で与野党の勝敗が逆転する計算 だ。」

 朝日新聞の4月28日の記事に次のようなものがある。

「出口調査では、共産党支持者層の9割以上が平岡氏に投票した。・・・一方、 自民党は危機感を強めている。・・・この日の自民党総務会では、『戦い方を今 後研究する必要がある』といった声があがった。『これは民共連合だとアピール しないといけない』と、両党支持者層を分断する戦術を練るべきだとの意見も出 た。」

 jcpと他の野党が選挙協力して一本化すれば、日経新聞の記事のように野党 議席が50選挙区ほど増えるわけで、久しくネット上で指摘されてきたことの一 端が山口二区補選という実例で実証され、自民党が「民共連合」だと慌てふため く姿をあぶり出している。
 昨年の参議院選後に、東京新聞や産経新聞が行った衆議院選シミュレーション では、参議院選の得票実績をベースにjcp票を民主党に上乗せすれば、自公 212、民主253という数字がでていたが、そうした数字がにわかに現実味を 帯びて自民党には感じられてきたわけである。
 5月5日の東京新聞には白鳥令・国際教養大学教授のシミュレーションが載っ ている。2005年衆議院選と07年参議院選の得票実績を平均したものをベー スに来るべき衆議院選の議席を計算すると次のようになるという。jcp票の 50%が民主党候補に流れれば、自民217、民主208(2005年の衆議院 選の結果は自民296、民主115)となる。次に自民支持票のわずか1%が民 主党に流れるという条件を付け加えると自民203、民主221と逆転し、野党 がかろうじて過半数を制することになる。2%では自民192、民主231とな り野党の議席は過半数を大きく上回り250を越えることになる。
 もう一つ参考に見てみると、「週刊文春」5月15日号の宮川隆義・政治広報 センター社長の議席予測がある。彼は昨年の参議院選で自民党38議席を当てて いるのでその予測方法には一定の信頼性を置いていいのであるが、自民195、 公明26、民主226、共産10、社民9、国民新4、新党大地1、新党日本 0、無所属9となっている。
 小沢を含めて選挙のプロは一度の選挙で与野党逆転は至難とみているが、この ようなシミュレーションを見る限りでは、プロが経験則に囚われて判断を誤る可 能性が高い。小選挙区制の下では激変が起こりうる。来るべき衆議院選は直近の 衆参議院選の平均値ではなく、参議院選の得票実績をベースに展開すると見るべ きで、jcp票がまとまって動けば与野党逆転のハードルは限りなく低くなるの である。jcp票が動けば、小選挙区制は野党の味方に”変節”するということが 起こる。
 不破・志位指導部がお馬鹿というのか、0勝900敗という気違い沙汰、正気 の沙汰ではない全小選挙区立候補戦術を10年も続け、もし止めれば、これだけ 自民党をあわてさせることができ、政権をひっくり返す可能性がふくらむことが 見えなかったのである。誤った「理論」は現実を見る目を盲目にするというべき か、恐ろしいものである。それに野党が圧勝すれば、自民と民主の大連立の芽も つぶれるのだから、口先の大連立批判よりjcp票という”実弾”での批判を構想 するべきであったろう。
 政治情勢を考慮することのない自党の1議席増に固執するセクト主義(手段と 目的の転倒)、自民党政権を助けてきた定型的で紋切り型の全小選挙区立候補戦 術、”理論倒れ”で小選挙区制を利用する構想など夢にも描けない想像力の欠如、 それにもかかわらずjcpの綱領に国民が「接近・合流」してくる「必然性」が あると夢想する独善性と批判拒否体質、こうした欠陥を持つ不破指導部が21世 紀の政治革新運動とjcp自体に与えたダメージははかりしれないものがある。

25、衆議院山口二区補選とjcpの候補者見送りが教えること(4)
 山口二区補選の基礎的データを見てみよう。
 第1は69%という投票率の高さである。前回も同じ69%であった。
 第2は前回衆議院選との比較である。2005年の郵政解散選挙では、平岡は 103,734票で、自民・福田が104,322票で平岡は588票差で負け ている。このときjcp候補は13,499票であった。今回の平岡票は 116,348票であるから、前回より12,614票だけ増やしたわけであ る。前回のjcp票の大半が平岡支持に回ったと見ることができる。事実、共同 通信の出口調査(日経新聞4月28日)ではjcp支持層の「84.6%」、毎 日新聞(4月28日)では「92%」が平岡支持となっている。
 第3は自民票が前回より約1万票減っていることである。今回の自民票94, 404票は自民支持層の1割が脱落しているということになる。つまり自民支持 層の自壊現象なのである。脱落した自民支持票は出口調査では「23.5%」 (共同通信調べ)が平岡に流れているという。
 出口調査の数字には解明すべき論点(注14)があるが、はっきりしているの は次のことである。 山口県は安倍前総理の地元でもあり、自民党の強い地方の 一つであったが、そういう場所で野党が自民党候補に勝利するには、第1に選挙 への国民の高い関心があること、第2に自民支持層に自壊現象が起きること、そ して第3にjcp票が最有力野党候補(現状では主に民主党になる)の支持に回 ることが条件である。
 それらの条件の中で特にjcp票の役割が決定的なのである。選挙への関心が 高まり、自民党支持層に棄権票や流出票が起きるだけでは十分ではない。jcp 票の帰趨が政権党の候補者を負かす保証、アンカーの役割を担っているのであ る。
 今回の補選ではjcpが独自候補擁立を見送ったことで、結果としてjcp支 持票がほぼ丸ごと平岡に回ることになり民主党の勝利という結果を確実なものに している。今回の場合、jcp支持票が回らなければ1万票差でしかなく、後期 高齢者医療制度の実施に伴う保険料の年金天引きの時期が後ろにずれていれば、 勝敗はわからなかったと言ってもよいだろう。 実際、年金天引きが行われた4 月15日直前のころは、新聞や週刊誌などの下馬評では混戦模様に持ち込まれて いたのである。

<(注14) jcpの1万票以上が平岡に流れ、自民支持層の「23.5%」 が平岡に回ったとすれば、単純計算では平岡票は前回より3万票程度は増えなけ ればならない計算になるが、実際には3万票ではなく、その4割しか増えていな い。その理由は主に次のような事情によるであろう。
 まず、平岡に流出した自民票「23.5%」であるが、前回の総選挙でも 「21%」(朝日新聞4月28日)が平岡に流れているので、今回の流出分は平 岡の得票に実質増としては現れていないことになる。そして、出口調査のデータ に現れないが、前回と比較して自民支持票の1万票が棄権に回っているのであ る。今回、自民は「23.5%」が流出したうえに1万票を棄権票として失って 自壊し、他方の平岡は無党派層の増えた分(前回の58%から69%へ。朝日4 月28日)とjcp票を得て、自民党にとっても予想外の22000票という大 差が生まれたのである。>

26、衆議院山口二区補選とjcpの候補者見送りが教えること(5)
 国政選挙における山口県での候補者見送りはjcpにとっては53年ぶりのこ とらしい。長年奮闘してきた地元には敬意を表したい。山口二区に含まれる光市 が故宮本顕治の出身地であったこともあるのであろう。中選挙区制のもとで独自 の候補者を立て続けることは必要なことであった。しかし、小選挙区制に変わ り、自民対弱小諸野党という一時期を経て民主党が抜きんでて大きく成長し、自 民対民主という二大政党制の構造が出来上がれば、jcpは選挙戦術を転換しな ければならなかったのである。
 時期で言えば、不破が安保凍結の連合政権論を民主党に持ちかけた1998年 の参議院選後あたりから2000年の総選挙で民主党が自民に匹敵する1506 万票(比例894万から1506万票へ)を獲得し127議席を獲得するに至る 頃のことである。jcpは民主党とは逆に2000年の衆議院選から議席後退を 開始する。その関係は法則化するように今日に続いており、先の参議院選も例外 ではなかった。
 前回の衆議院選山口2区が典型であるが、jcpが候補者を立てなければ、自 民党候補ではなく民主党の平岡が当選したのである。平岡103,734票、自 民・福田104,322票で票差がわずかに558票であった。このように、 jcpの票の上積みがあれば野党が勝てた選挙区は郵政解散選挙では全国で40 選挙区(注15)にのぼっていた。自民党の議席は296から256に激減し自 公合わせても287となり、衆議院の2/3である320議席に遠く及ばない選 挙結果になったのである。そうなれば、再議決で復活したイラク給油法であれ、 ガソリン暫定税率再議決であれ不可能であったろう。
 つまり、2005年の郵政民営化選挙で、今回の補選のような独自候補見送り をやれば、あるいは5中総で実力不足という口実で全小選挙区立候補戦術を取り やめる決定を前回の総選挙の段階で行っていれば、自・公政権に2/3議席を与 える愚行を労せずしてjcpは防止できたのである。多くの批判があったのだか ら、昨年の5中総で軌道修正したことを2年前にできても何の不思議もない。 が、不破は自分で考え出した政治図式に自縄自縛となり、自党の1議席増を最優 先にし、自・民の二大政党制では政治は変わらないと主張して、全小選挙区立候 補戦術を強行し、小泉の大勝利に貢献したのである。その罪は万死に値する。
 昨年の参議院選後の政治の変化と山口二区補選の結果を見れば、その政治変化 や自民党へのダメージをとらえられなかった不破らjcp指導部の不明、政治情 勢の見方の非現実性、観念性は明らかであり、その独自の政治図式に現実の政治 情勢をはめ込むことから生ずる自党の1議席増最優先の選挙戦術=セクト主義の 全小選挙区立候補戦術の誤りもまた明白なのである。
 何度でも、繰り返し手を変え品を変え、全小選挙区立候補戦術の誤りを指摘す るのは、5中総でその戦術を取りやめたとはいえ、全小選挙区立候補戦術は正し かったとjcp指導部は強弁し続けているからである。彼らの言い分では、正し い戦術だがそれを維持する実力がないから他の工夫をするというのである。これ ではオーム真理教のスポークスマンとして有名であった「ああ言えば上祐(じょ うゆう)」の口上と少しも変わらない。

<(注15)「24」に引用した日経新聞の記事にある50選挙区とは全野党協 力の場合である。ここに言う40選挙区を具体的にあげてみよう。jcp票が他 の野党に回れば自民候補を落選させられた選挙区は次の通りである。1北海道3 区、2宮城1区、3群馬2区、4埼玉4区、5埼玉7区、6東京6区、7東京7 区、8東京19区、9東京20区、10東京21区、11千葉2区、12千葉7 区、13神奈川6区、14神奈川8区、15神奈川9区、16新潟2区、17長 野1区、18長野4区、19愛知5区、20愛知6区、21愛知7区、22愛知 8区、23滋賀1区、24京都1区、25京都4区、26大阪3区、27大阪5 区、28大阪7区、29大阪8区、30大阪12区、31大阪17区、32兵庫 2区、33兵庫3区、34兵庫6区、35兵庫8区、36兵庫11区、37高知 1区、38広島5区、39山口2区、40福岡9区。
 この40議席が自民から民主にひっくり返ったからといって、国民がより不利 益を受けるわけではなく、jcpも何らのダメージを受けることもなかったであ ろう。京都1区や大阪5区のように、相応の票を取れるところは独自候補を立て てもよいし、それでも38議席は自民議席を奪える勘定である。38議席をひっ くり返せれば、自・公政権に2/3議席を与えずに済み、その暴走を抑制する点 では国民にプラスであり、jcpも政権交代派の無党派層から高い評価を得たで あろう。巨大与党が成立した後で、「48%の得票で73%の議席」と選挙制度 批判をしても”後の祭り”、負け犬の遠吠えであって、不破らjcp指導部の政治 的無能・無策を示しただけのことである。そんな批判より、jcpの言う「真の 政治改革」へ向けて政治に変化を起こさせるために小選挙区制を有利に使うこと を構想すべきだったのである。>

27、衆議院山口二区補選とjcpの候補者見送りが教えること(6)
 不破が自分の考え出した二大政党制論や自共対決史観、そして例の「必然性」 論で自縄自縛になり、変化し始めた政治情勢が見えなくなっていたのは、そのマ ルクス主義理解の程度に比例していると言うしかないのである。彼はマルクスら の古典を講釈できても、その理論を時代の変化に合わせて加工し実践に応用する ということができない。言わば、数学の公式は暗記できても、それを使って応用 問題を解くことができないのである。
 宮本が方針を決め、不破がその方針に適当な講釈をほどこし、古典で味付けし て形を整えるという仕事を長く続けてきた弊害でもあろう。彼は政治の現実を 「理論」の”大風呂敷”でくくる大局観しか語れないのであって、戦術となると判 で押したようなものにならざるを得ないのである。不破には政治の革新的変化と いうとjcpの発展という政治図式しかないものだから、現実が民主党を押し出 すことでその変化を実現しつつあることが見えず、逆にjcpの発展という政治 革新の”本道”を閉ざすものとして攻撃してしまうのである。
 彼の観念では十全に革新的でなければ、政治の革新的変化をもたらすことがで きないのであって、現実の諸条件の組み合わせ(jcpの化石化した姿もその条 件の一つ)が革新的とはおよそ言えない民主党にその役割を負わせていることが 見えないのである。単純化して言えば、本来の革新派jcpが国民の批判に耳を 傾けず(注16)化石化して役立たずになってしまっているので、政権争いをし ている民主党を利用して国民はその諸要求を実現しようとしているのである。と ころが、庶民の気持ちを知らないjcpは民主党の投げる”藁(わら)”をつかめ ば沈むぞと知ったかぶりをするわけである。そういうわけで、不破の”政治音痴” ぶりは21世紀に入ってからの国政選挙における6連敗と統一地方選2連敗で実 証済みなのである。
 不破の「科学的社会主義」における認識論では、実践は最重要な真理の判定機 として位置づけられているのだが、この党指導部ほどおのれの立てた真理の判定 機をないがしろにする指導部もないのである。10年にわたる国政選挙における 後退も不破指導部の政治的無能力や選挙戦術などの誤りに原因があるのではな く、「反共謀略ビラ」やら「小泉旋風」、「二大政党制」によるjcpの締め出 しなどのせいで前進が阻まれるという第4の反動攻勢の時期、「政治対決の弁証 法」(不破)のしからしむるところなのである。むしろ、後退があって来たるべ き飛躍的前進も可能になる、跳躍する前にはかがまなければならないというよう に後退が”正当化”されてしまうのである。反論するのも馬鹿らしくなるのだが、 こんな議論を他党がやったらどうなるのだろうか? 前総理の安倍晋三がやって いたら自民党内は納得するであろうか? 
 不破指導部の馬鹿げた後退正当化論が党内で通用しているところに、この党が 陥りつつあるカルト風の思考停止状態が現れている。ゼロ勝900敗というよう な戦績の狂気をみよ。世界の歴史を振り返ると、常軌を逸したカルト風の政党 (人間集団)に政権を委ねることほど恐ろしいことはないのであるが、不破指導 部はおのれの党内での地位防衛のために党内を思考停止のカルト状態にすること に利益を見いだしているようにみえる。不破のペダンティズム(詭弁・衒学趣 味)が党内を壟断しているのである。
 ついでながら、ネット上でjcp指導部の言説を繰り返してきた信奉者につい て言えば、彼らの政治を見る目の経験不足によるところが大きい。今起こりつつ ある政治の変化を目にするような経験がここ30年ほどなかったことが負の遺産 となって、不破らの単純な自共対決史観や二大政党制論の誤りに気がつかなかっ たのである。「自・民は同じ穴のムジナ」だから、どっちが勝っても政治は変わ らないと観念的に思いこんで政治情勢がわかったつもりになっていたのである。 今日の政治の変化を見れば、これまでの主張のどこに欠陥があったかがわかって くるであろう。
 現実の政治とjcpの言う「真の政治改革」の間には、現に目にするような政 治変化の一過程が避けがたく存在するのである。レーニンも”左翼小児病”患者に 何度も警告したように、ここを飛び越えることはできないのである。ここを飛び 越えて直接に「真の政治改革」に着手しようとすれば不可避的に観念論に陥る。 現実を観念で飛び越えてしまうからである。そうした観念的な跳躍を実行すれ ば、必ず今のjcpのように現実に逆襲されるのである。現実(国民多数の政治 意識)が相手にしてくれないのである。jcpに追い風であった参議院選での jcpの惨敗ぶりを見ればいい。比例区でさえ議席を減らしている。ところかま わず「真の政治改革」は、とやりがちなjcp指導部には国民の政治意識を無視 することが伝統で”十八番”でさえあった。国民の政治意識を無視して適切な采配 を振るえるわけがなし、意図した結果も得られないのは当然である。

<(注16)、国民は1998年の参議院選でjcpに820万票を与えチャン スを提供したのだが、不破jcpはjcpの政治路線に国民が接近しつつあると 手放しで自画自賛するばかりで国民の批判には耳を傾けようとはしなかった。そ のあげくに、国民の批判に与えた回答は2000年11月の22回党大会での規 約改悪であって、党員の言論の自由をさらに狭め、夫婦党員であっても所属支部 が違えば中央の方針を批判的に論じ合うことさえできないものにしたのである。 多くても数十人規模の狭い所属支部のなかでしか中央への批判的言論ができない というインターネット時代を敵視するアナクロニズム民主集中制を不破は作り出 したのである。
 こうしたことをやっていては青年が寄りつかず、いくら党勢拡大の「大運道」 をやっても成果があがるわけはないのだが、不破らにはそれもわからないのであ る。「必然性」の本道を歩み誤ることのない党指導部への批判は無用であり、そ んなものは支部の中でガス抜きすれば済むことで、庶民本位の「正しい」基本政 策の旗を掲げておけば不破には十分なのである。>

28、衆議院山口二区補選とjcpの候補者見送りが教えること(7)
 jcp指導部は参議院選後の政治の変化について、5中総では「新しい政治プ ロセス」と肯定的に評価しており、志位は藤村の小説を意識して「夜明け前」 (CS放送・朝日ニュースターインタビュー「赤旗」2007年12月19日) とさえ表現して喜び勇んでいる。明治維新前夜に匹敵するかのごとくである。
 しかし、選挙前にあっては、志位は「民主党には、安倍・自公政権の暴走を止 める力はありません。政治を変える力にはなりません。」(「参議院選勝利全国 いっせい決起集会」2007年6月25日「赤旗」)と言っており、選挙後の見 通しを完全に見誤っていたのである。現実は志位らの杓子定規な政治理論・政治 図式の先を行っている。
 不破も同様だが、現実の政治全体を”ありのまま”に見るのではなく、民主党を 「自民党と同種・同類の党」と規定するjcp独特の「理論」で政治をみるか ら、こうした目算違いが出てくるのである。自民党の補完勢力でしかない民主党 が勝ったところで政治は何も変わりはしない、だから政権交代も意味がないとい うのがjcp指導部の固く信じる教義だからである。
 彼らにあっては現実の政治は彼らが作り出した諸政治概念の合成物であり、そ の諸概念に含まれていない現実の諸要素は現実にも存在しないのである。保守で ある同類の党の争いからは、政治革新に役立つようなどんな可能性も生まれない のである。生まれるとすれば、全身これ政治革新の産物であるjcpの議席が増 えた場合だけなのだ。だから志位の上記のような発言が臆面もなく生まれてくる のである。
 彼らの概念はトランプのカードのように奥行きがなく、その概念でつくる政治 理論はトランプのカードを重ねて作った家のように薄っぺらで脆い。マルクスの 資本概念は『資本論』全3巻に展開されているが、不破らの資本概念はさしずめ 資本とは自己増殖する価値であるということで、それが全てという具合なのであ る。搾取の側面も見えなければ生産力を発展させる側面もみえないようなもので ある。
 2006年1月の第24回党大会決議では自民と民主は「政治の中身のうえで は、すでに両党は事実上の『大連立』状態にある。」(「前衛」2006年 No803、31ページ」と規定しているのだから、不破らにはイラク給油法の失 効もガソリン暫定税率の失効もすべて国民の怒りを”ガス抜き”するための自・民 の仕組んだ茶番劇に見えているのであろう。
 しかし、茶番劇にしてはガソリン暫定税を一月分約2000億円も失うなど、 ずいぶんと高いコストを払っているようだが、不破らから見れば安いものなのだ ろう。 自・民の支配体制を守るコストとしては安いものだと言うようであれ ば、もはや、彼らにつける薬はないようだ。
 持論を持つのは悪いことではなく判断の指針になるものだが、困ったことに、 現実と食い違ってもjcp指導部の場合はその誤りを公言し修正するということ がないのである。志位はおのれの目算違いに頬被りをして「夜明け前」だ、「綱 領と情勢の響きあい」の時期だと党勢拡大のチャンス到来とまで言っているわけ である。この辺の感覚も常識的なものからはずいぶんとかけ離れている。でたら めなことを言って選挙に惨敗すれば、党のトップは反省して引っ込むのが普通な のだが、志位にあっては「夜明け前」というチャンス到来なのである。
 不破らの言い分を聞けば、どこにも誤りがなかったのに21世紀は連戦連敗で あったということになる(注17)。これが「科学的社会主義」の見方だという のであれば、一部の党員カルトを除いて、冷静な頭脳を持つ党員や一般国民はこ の党指導部に見切りをつけるほかないであろう。並の感覚ではとてもついて行け るものではない。志位が5中総を読んだ党員は3割だと嘆く事態が、それこそ必 然的に生まれるのである。しかし、社会改革に参加しようという健気な入党者た ちを5中総も読まない”3割党員”にしたのは不破や志位に他ならないではない か。
 さて、ここで議論の本筋に戻って問いかけてみようではないか。このような党 指導部であっても、歴史は政権党へ至る「必然性」の栄誉をjcpに与えるので あろうか?
 あり得ないことである。政権党たる資格と能力は一戦一戦の実践を通じて、過 程として日々実証されていくのであって、誤りをまじめに総括できない政党が政 権党に必要な力量を身につけていくことはあり得ないことである。党員の7割 を”くさらせる”党に「必然性」という名の幸運の後ろ髪をつかむ能力も実力も備 わるはずがない。その基本政策で①安保破棄、独立、平和、②大企業の民主的規制 と国民生活擁護、③憲法擁護と民主主義を掲げているだけでは全く足りないので ある。
 自らの誤りを正し、党内を活性化し、国民の批判に耳を傾けて大衆に溶け込 み、広範な国民運動を支援し、他党・他勢力とも柔軟な連携を作り上げて一つ一 つの実績をあげ、そうして広範な国民的勢力を結集して政権を襲う力量を養うこ と。これなしには立派な政策も絵に描いた餅にすぎない。

<(注17)参議院選の総括を行った5中総では選挙の最大の教訓を次のように 言っている。

「どんな難しい条件のもとでも、選挙で前進・勝利するには、わが党は自力があ まりに不足しています。ここに現在のわが党の活動の最大の弱点があります。こ の弱点を直視し、その打開のためにあらゆる知恵と力をつくすことを、参議院選 挙の結果から導き出すべき最大の教訓にしたい・・」

 もっともらしい総括にきこえなくもないが、これでは何も言っていないに等し い。そうではないか? 自力が不足しているのは弱点ではあっても誤りではな い。 選挙に負けた政党ならどの政党にもあてはまる言い分である。自民党でさ え言いそうなことである。ということは、敗因があまりに抽象的なのであって具 体性がない。具体性がなければ具体的な対策を立てられる道理もないし、責任の 所在もわからないのである。jcp指導部には実に好都合な教訓ではないか!
 しかも、このような教訓は今度が初めてではないのである。2004年参議院 選前の1月に開かれた23回党大会決議の第10章の見出しは「どんな激動のも とでも勝てる党をどうつくるか」(「前衛」2004年4月No776、96ペー ジ)となっており、上記引用と同じことが書かれている。そして昨年の参議院選 で惨敗して上記のような「最大の教訓」を引き出すのである。
 この指導部は何度も同じ「最大の教訓」を引き出すばかりでまじめな反省はし ないのだが、長年の指導部生活で責任回避の官僚答弁をする技術だけはしっかり 身につけたようである。なお、ここに引用した教訓には別の問題があるのだが、 それは後日の投稿で取り上げることにしよう。>

29、衆議院山口二区補選とjcpの候補者見送りが教えること(8)
 政権党たる資格と能力、その路線と戦術の正しさは、日々の一戦一戦の選挙戦 や大衆運動の積み上げの中で実証され獲得されていくものなのであって、小さな ものではあれ、実践の成果が果実として絶えず大衆に返され、大衆がその果実を 実感することによって、jcpの運動の正しさを肌で感じ期待と信頼を寄せ参加 してくる、そういう関係を大衆との間に作り出さなければ、政権党となる大勢力 へは成長していけないのである。10年も同じことをやって負け続け、誤りの自 覚さえないjcp指導部の異常さは言語に絶するものなのである。
 jcp指導部の姿は、政党として何の顕著な実績も成果もあげられぬまま、 「確かな野党」、「真の政治改革」は我にあり、とばかりにjcpの旗を掲げて 「赤旗」の拡大をやっているだけである。運動の成果を大衆に返すのではなく、 まず大衆が「赤旗」を読むことから始めなければならないのである。
 「綱領と情勢の響きあい」があるのだから、国民大衆は新聞「赤旗」を読みた がっているはずだと志位らは思い込む。なぜなら「赤旗」には「真の政治改革」 とは何かが書かれており、読めば「目からウロコ」の感激を経験することになる からである。国民は食わず嫌いなだけなのだ。党はその至福の経験を国民に提供 するべく、新聞「赤旗」をたずさえ広範な国民に「執念」(志位、市田)をもっ てコンタクトしなければならないのである。
 困難ではあっても、ここであきらめずに「綱領を語る」大運道を進めることが 肝心なのだ。やがて、いやおうもなく国民大衆はjcpの旗の下に「接近・合 流」してくる「必然性」にあるのだからと不破は丹沢の山荘で空を仰ぎながら考 えているのである。これが志位や不破が口癖のように言う歴史の「大局観をも て」ということなのである。
 これでは上手く行くはずはない。国民大衆の側の事情がまったく考慮されてい ないからである。というより、正確にはjcp指導部に押しつけられた国民大衆 の事情(国民は「赤旗」を待っている!)があるばかりなのである。国政選挙で 負け続けて何の成果も出せない「空手形」の公約と「赤旗」だけを持って庶民の 支持を得ようとしても、それは不可能である。やっていることが逆なのである。
 これでは、歴史の「必然性」はおろか、何をやってもうまくいかない運命に 陥っている。今のjcp指導部では何をやってもうまくいかない”必然性”にある とさえ言えよう。まず実績をあげよ、庶民に役立つ政治の一端でも切り開いて見 せてくれ、話はそれからなのである。

 最後に、jcpにとって今一体何が問題なのかを述べることにしよう。問題は 志位らが大騒ぎしている「綱領を語る」大運動ではないのであって、自・民の政 権争いに端を発して現に目の前ではじまっている政治変化の過程を「真の政治改 革」へと発展させてゆく通路を発見し開拓することである。ここをうまく実践で きれば、党勢拡大は後からついてくる可能性がある。
 しかし、この党の指導者は不破にしても、「真の政治改革」へと事態を発展さ せるというと、jcpの機関紙、党員の拡大しか思い浮かばないのである。党勢 の拡大こそ確かな政治、「真の政治改革」の保障だと思うからである。
 彼らの発想は現実の政治情勢と絡み合うということがない。「真の政治改革」 を保障する前に、それが現実の政治課題になる舞台回しをしなければならないの だが、どのようにして舞台を回すかということを彼らは考えたことがない。それ は不破の言う「必然性」がどこからかやってくるように、自然に回ってくるもの なのである。党勢拡大に注力し、「赤旗」と党員を増やしながら「正しい」基本 政策の旗をはためかしておけば、大舞台は地球が回転するように回ってくるので ある。
 「赤旗」を見る限りでは、彼らは総選挙に向けて党勢拡大に夢中である。 2003年の参議院選では「党を語る」大運動、今度は「綱領を語る」大運動、 当人たちはおおまじめでその違いを強調し、今度こそ、「綱領と情勢の響きあ い」があるから大成功間違いなしと確信しているようであるが、間違いなく失敗 するであろう。というのは、不破らは国民はjcpの「真の」姿を知らないと 思って同じ大運道を繰り返しているが、国民の方は耳にタコができるほどjcp のことは知っているのである。選挙に何度負けても党首も変えられない非常識な 党なのである。
 国民の大多数は大いなる政治不信、政党不信の一時代を経験してきており、し かも社会主義世界体制の崩壊も見てきているので、政党自身が語る政党の姿を信 用するわけがなく、自分の目と耳で経験したものの方を信用するのである。
 では「真の政治改革」へと結びつけてゆく通路を発見し開拓するとはどういう ことであろうか? 差し迫った問題で具体的に言えば、jcp指導部は来るべき 総選挙において、候補者擁立を見送る選挙区で山口二区補選のように自主投票と いう”逃げ”の中立を決め込むのか、それとも何らかの形で自・民の争いの一方に 肩入れするのかということである。
 この問題をどう解決するかは総選挙の帰趨に大きな影響を及ぼすだけでなく、 jcpの議席の増減にも大きく影響するのである。長くなったので次回に(つづ く)