30、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(1)
前回の最後に残した宿題は次のことである。政治が変化し始めた今、jcpに必要なことはその政治の変化をjcpが常々言っているところの「真の政治改革」へと結びつけてゆく道筋を発見し開拓することであると述べたのであるが、ここに言う「道筋を発見し開拓する」とはどういうことであろうか、という宿題である。
この宿題は、抽象的に語っては何をどうすればいいのかわからないことになるのだが、抽象的な「理論」のレベルや歴史の「大局観」、あるいは自分の作り上げた政治図式に現実をはめ込むことでしか政治を語れず、政局となると全くの”政治音痴”になる不破指導部は変化する政治へのコミットとして何をどうしていいかわからず、ひたすら党勢拡大運動に励んでいるわけである。
前回も述べたことだが、jcpの「正しい」旗(政策)を掲げておけば、支配階級は自滅の道を進む宿命にあり、舞台は自然に回ってくるという歴史観(その「必然性」論)をもつ不破には、この舞台をどう回すかということがわからないし、その発想もない。政局は小事で、移ろいやすいものであり、そのような不確かなものに関わる必要はなく、歴史の大局を見据えて党の旗を掲げて党勢拡大に励むことがどう転んでも間違いのない対処の仕方なのである。
したがって、不破指導部には戦術という観念がない。神(真実)は細部(現実の具体性)に宿り、その細部で試されるという発想は不破にはない。具体的なことはどうでもいいのであり、大局だけが問題なのである。21世紀に入ってからの6連敗の国政選挙も大したことではなく、歴史の大局観を見失わないことが何より重要なことなのである。世の戦闘の理法であり、また囲碁、将棋のことわざにもなっている『大局着眼、小局着手』ということや、あるいは『大場より急場』という”理”に反すること著しい。
現在のjcp指導部を見るとき、この点はよくよく押さえておくべきその思考の特徴なのである。だから、この党指導部は事態を積極的に打開するということがなく、国民生活が悪化する事態が巡ってきてはじめて少々の注目を浴びるのを待っているだけの、口先だけの先進性と行動における”受け身”の姿勢が本領なのである。その具体例は先の参議院選を見ればわかるであろう。この党は安倍政権打倒より自党の一議席増を大事にした政党である。
31、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(2)
したがって、その受け身の姿勢が、全小選挙区立候補戦術を取りやめても出てくるのである。すなわち、立候補者を出さない約170近い選挙区では自主投票にすると予想されていることである。その先例がさきの山口二区補選である。
この指導部は本領としての受け身の姿勢があるためにレトリックを使っており、候補者を立てない選挙区は国政に何の影響も与えないかのごとくに取り扱っている(注18)のである。また、不破らにとってはその「同じ穴のムジナ」理論のせいで、与党が勝っても民主党が勝っても同じことなのだという認識もあるであろう。
さらに、これまでの全小選挙区立候補戦術を正しいとする建前を堅持しているため、実力不足で候補者を立てない選挙区は自主投票にするという以上には、その選挙区に政治関与できないのである。仮に、有力野党候補者を支援するという判断を示せば、即座にこれまでの選挙戦術の誤りが露呈してしまうからである。
どのような事情があるにしろ、誤りを率直に認められないというのは恐ろしいもので、嘘をつきとおすためには次々と嘘を作り続けなければならないのと同様で、おのれの誤りに苦しめられ続ける運命に陥るのである。不破らは己のついた嘘で今や自縄自縛状態になっていると言わざるを得ない。
候補者を立てない選挙区については”知らぬ存ぜぬ”という自主投票を方針とするjcp指導部の態度は、言うまでもなく誤りなのである。仮に170の選挙区で野党側が圧勝すれば、政治は激動の情勢を迎えることになるのだから、与党ばかりでなくjcpの9議席の重さにも大きな影響を与える。
jcpが候補者を立てない約170の選挙区こそ、今後の政治変化の動向を決めるのであって、jcpの真価も試されているのである。jcpの言う「真の政治改革」へ進むための道筋をつける”とっかかり”がここにある。しかし、jcp指導部はそれがわからず、あるいは、わかっていてもこれまでのいきさつに自縄自縛になり、党勢拡大だけで来たるべき総選挙を乗り切ろうとしているのである。
相変わらず、自党の議席増がすべてなのであって、総選挙で政治の大きな変化を作り出すという発想はない。自党の議席増の方針にとどまっておれば、方針の誤りというリスクを犯すことはないというその本領に相応しい受動性に浸るのである。もちろん指導部の誰一人として異議を唱える者があるはずもない。この党の指導部にあっては、プラス1(+1)はどのような条件のもとでもプラス1で変わることはない。プラスがマイナスに変わることはないのである。
しかし、昨年の参議院選が教えていることは、その受動性すなわち自党第一の選挙戦術そのものが支持者に嫌われるというリスクを犯しているということである。例証としての比例区での議席減少と50万票の支持者比例区票の流出はすでに別の投稿(「共産党85周年記念講演・・・(1)」現状分析欄2007年8月24日)で指摘したことである。
前回の最後に述べたことであるが、今やリスクそのものに転化した受動性に安住して、実績を作り出さずに議席を大幅に増やせるはずがないのである。総選挙で大きな政治の変化(政権交代)を作り出すことに貢献するような功績を挙げてはじめてjcpの評価も高まるのである。
<(注18)志位や市田の発言では、独自候補の取りやめは民主党への選挙協力ではなく、昨年9月の5中総で決めた新方針(党の実力に合わせて候補を立てる)によるもので、山口二区は独自候補見送り選挙区であったにすぎないと言っている。確かに、それは事実であるにしても事の非本質的な一面を述べたものにすぎない。独自候補を立てるのも候補を見送るのも政治の領域では選挙戦術の一形態なのであって、その証拠にどちらの場合にも相応の政治的影響力を発揮するのであって、相争う主力候補者のどちらかに有利、不利になるのである。
だから、市田の説明は政党の説明としては本来選挙戦術の変更として回答しなければならない。金がない、候補者がいないという理由づけは、政治への主体的関与を回避する”逃げ”の説明なのである。これまで10年にわたって選挙資金も用意し候補者も擁立してきたものをなぜ一挙に半減以下にするのかを選挙戦術の変更として説明するのが政党の義務である。にわか仕立ての新党なら説明になる理由も85年の党史をもつ党では戦術変更の説明理由にならないことを知るべきである。>
32、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(3)
問題を具体的に言えば、来るべき総選挙で候補者を立てないという小選挙区において山口二区補選同様に自主投票という名の”中立”方針をとるのか、それともどうするのかという問題なのである。臆病な不破たちは、自民党政権を倒すために、あるいは政治革新や政権交代を求める国民の声に応えて、候補者を立てない選挙区では最有力野党候補や民主党、社民党候補を支持するとは言えないのである。これまで全小選挙区立候補戦術で野党を分断し、事実のうえでは露骨に自民党政権に肩入れしてきたにもかかわらず、不破はよくよくの小心者なのであろう。
彼らの”思想”では与党に肩入れすると発言しなければ、事実の上で肩入れすることになっても何の問題も発生しないのであり、政治はいたって単純な構造を持っているのである。だから、不破にとっては1998年の事例は鬼門なのであって、不破の提唱した安保凍結の連合政権論が民主党に拒否されたばかりか党内からの批判にもあい、以来、すっかり”羮に懲りて膾を吹く”引き籠もりぶりである。
この党は何をやるにしろやっかいで、やる前に仰々しい理屈がくっついてこなければならず、理屈が立てば”全てよし”であって、その行為がもたらす実際の結果については今度は逆に、与党を支援することになろうが”あっけらかん”としていて、まったく眼中にないのである。何をやるにしろ、jcpの指導部には”結果責任”という概念がその辞書にはないようなのである。
このアンバランスは非常に極端である。これも85年の風雪の党史がこの党に刻みつけた歪みであろう。壊滅と敗北とわずかばかりの功績という党史からすれば、結果を考慮した行動を考えていたのでは行動自体がほとんどできないという”経験則”が出来上がったようにみえる。戦前、『全協』(共産党系労組連合体)に天皇制打倒の政治スローガンを押しつけ、組合員が根こそぎ検挙されるような”自殺戦術”を採用させた前歴が思い出されるほどである。
仮に行動の結果がもたらした事態について精査し、厳格な総括と責任を負う姿勢があれば、行動提起の初発からもう少し理屈を柔軟に適用するすべを身につけられたであろうし、同じ誤りを10年も繰り返すこともなかったであろう。
ところで、jcpの理屈の問題というのは、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要であるというjcpの「公式」である。民主党とは一致がないから共闘できず、協力すれば無原則の野合となり無間地獄に陥るというわけなのである。
jcpにあっては、庶民の利益を促進する政権づくりの行動規範として定められたこうした規則、「公式」が一人歩きしてしまっており、政治革新のためというより、むしろその妨害の準則になり変わってしまっている観がある。ここにもjcp指導部の思考停止状態、サークル化、化石化の一例がある。
同じ幹部の面々が数十年も教条化した理論に基づき同じ発想で同じ議論を繰り返す組織中枢の会議を今日の日本のどこに想像できるだろうか? しかもこの党にあっては、”余人をもっては代え難い”二人の大幹部宮本・不破が半世紀にわたって常任幹部会を支配し、鶴の一声よろしく「ぼくは違うな」(注19)と不破が言えば、それで決まりとなる会議なのである。そこで新風を吹き込むためにこの「公式」を検討してみよう。
<(注19)元常任幹部会員であったが離党した元参議院議員・筆坂秀世の著作「日本共産党」100ページ>
33、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(4)
宮本時代は連合政権の合意であっても相応の工夫があったのであって、一致点を求めて『独立』というjcpの最重要課題を連合政権の基本政策から取り下げる姿勢を示していた。70年代初頭に提案されたjcpの民主連合政府案にはアメリカからの独立という政策課題がないのである。相互に後生大事に抱えている基本政策を示して突き合わせを行い、一致しないねと言ってバラバラに我が道を進んでいたわけではない。
また、『よりまし』政府論を掲げたり、その時々の政治で重要ないくつかの一致できる政策(たとえば消費税反対や小選挙区制反対)だけでつくる『暫定政府』論も提案していたものだが、不破・志位jcpになってからはjcpの言う基本政策(主に「革新3目標」であろう)が一致しないところとは共闘しないという”引き籠もり”姿勢に転換している。その変化の詳細は当サイトの現状分析欄に載せた投稿(「共産党は屁理屈を言わずに平和共同候補・・・」2006年6月18日)を見てもらいたいのだが、概略すると次のようになる。
直近の24回党大会における志位の中央委員会報告では次のように言う。
「国政選挙での共闘は、国政の基本問題での政策的一致と、先方に共闘を行う意志が必要であり、その条件がある相手は、全国政党としては、現在は存在していません。」(「前衛」No803、90ページ)
この主張は「統一戦線の展望について」という見出しの下で言われていることだから、ここに言う「国政選挙での共闘」は連合政権を前提に置いた国政選挙共闘であると見ていい。ところが実際は連合政権づくりの一環としての国政選挙共闘の原則が連合政権づくり以外の領域にまで拡張され、護憲共闘を提唱するにすぎない平和共同候補擁立などにまで適用され、事実上、様々な条件のもとで生起する政党間や政党と大衆組織・個人の間の国政選挙共闘の一般原則=「公式」にまで”格上げ”されているのである。
志位のこの表現自体にもあらわれているように、連合政権をつくるにあたってはという条件が見えなくなっており、「国政選挙共闘」一般が「国政の基本問題での政策的一致」を必要とするかのような口ぶりになっている。簡単に言えば、連合政権づくりの原則である基本政策の一致があらゆるレベルでの国政選挙共闘の原則として準用されているのである。
その結果、様々な条件のもとで生起する国政選挙共闘・協力がことごとく拒否されることになる。”もったいない”ことである。要するに、jcp指導部のメガネにかなう候補者、団体になることは容易ではないのである。
ここ10年の間の例外は1998年の参議院選高知選挙区から無所属で立候補した西岡るり子・元社会党参議院議員と2000年の衆議院補選東京21区で立候補した川田えつ子(当選)HIV被害者家族・活動家、そして沖縄の糸数慶子・参議院議員の3件しかないのではなかろうか。沖縄の場合はブリッジ共闘のような形が工夫されてやっと成立しているという状態である。
jcpが三度の衆議院選でゼロ勝900敗となっても、jcpは有能な市井の人を発掘することもできなければ、知名度の高い人材の協力もほとんど得られない状態なのである。 国会ではjcpの周りには誰もおらず、議席も一貫して減り、参議院選前のjcpは政界”ニート”たる有様だったのである。
このような「公式」は政権共闘の原則として限定し、政権共闘以外では柔軟な国政選挙共闘(協力でいい)を工夫し、自民党候補に代わる”友軍”を国会に送り込むようにしないと、弱小な自らの力の発揮をますます制限することになる。そうなれば、jcpの選挙公約の実現力もますます弱いものとなり、「空手形」の連発という今日の事態を招き、支持者離れも起きて、要するに弱小化の悪循環の泥沼に自らはまりこんでいくことになるのである。
34、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(5)
政治の現実は多様であって、政権連合に入るような党派関係ばかりではない。今日の民主党とjcpやjcpと社民党、そしてjcpと政治革新を志す大衆組織や有力個人との関係がそうである。そうした多様な現実に適用するあの「公式」は宙に浮いているわけではなく、現実の一定の政治的枠組みの中で作用することを考慮しないと「公式」の一人歩きが始まってしまう。
現在の政治状況は中選挙区制時代とは明らかに異なる。あの時代には政権共闘の相手となる政策を持つ強力な社会党という存在があり、また中選挙区制があった。単に中選挙区制と小選挙区制の違いがあるのではない。中選挙区制という土台の上にいわゆる55年体制が乗って一つの政治構造ができあがっており、その構造のなかにあって連合政権づくりのあの「公式」が置かれていたのである。しかも宮本時代は連合政権の相手がいたこともあって「公式」をかなり柔軟に使っていた。
しかし、この「公式」を小選挙区制と自・民の二大政党制の構造の下で使おうとするとどうなるかである。不破jcpのように杓子定規に「公式」を一般化してしまうことで共闘・協力の相手が少なくなるだけではない。政争の重心が選挙においても諸党派間から二大政党間に移る結果、政党はもちろんのこと、個人であれ独自(孤立・独尊)路線をとるjcpの共闘・協力の相手がほとんどいなくなってしまうのである。jcpは一人相撲の全小選挙区立候補戦術に取り組まざるをえず、結果的には与党の支援隊となり果て議席も減らすのである。中選挙区制では各党が3~5議席の定数を争うので野党間の競争が即与党を有利にするという関係は生じなかった。
また、この小選挙区制と自・民二大政党制の構造にはもうひとつ、中選挙区制時代にはなかった”空気”が流れていることが付け加わっている。社会主義世界体制の崩壊という”空気”である。この”空気”の存在があるために、「公式」を杓子定規に使えばなおさらjcpの孤立を助長するのである。
jcp指導部にあっては、あの「公式」は時代も歴史もなく、超歴史的に、言わば真空中にあるかのごとき「公式」なので社会主義世界体制の崩壊とは何の関係もない。関係があるというような発想自体が彼らの思考にはない。弁証法的思考の初歩は事物を相互関係のうちに考察することだと、それ関係の本にはどこでも書いてあるのだが、さっぱり応用されることがない。相互関係のうちに考察するということがわかりにくいのであれば、具体的に考察すると言い換えても良い。現実には「公式」と社会主義世界体制の崩壊は大いに関係があるのである。
そこで、この「公式」と”空気”とjcpの孤立の相互関係を次項で検討してみよう。
35、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(6)
①、大方の国民の政治意識としては、思想としての共産主義は完全にダメなものとして認識されており、その思想を信奉する政党に政権をまかせるということは、日本を崩壊した社会主義国のような独裁政治に委ねることを意味している。だから、jcpに政権をゆだねることは考えられないことなのである。多喜二の『蟹工船』が読まれているとか、サン・プロがマルクスを取り上げたとはしゃぐのも良いが、その程度のことではこの認識は覆らない。この認識は戦前来の反共主義とは別のものであって、現代世界史の経験に基づくものであり、一度は共産主義を信奉した元左翼とさえ共有できるものである。
この国民の認識はjcpがソ連の崩壊に賛成したとか、ソ連は社会主義ではなかったとか、あるいは労働者が主役の生産手段の社会化と言ってみたところで覆せないものである。実際に見たものをjcp指導部の口舌でひっくり返すことはできない。jcpが将来行うと言う「真の政治改革」を担保に票は集められない時代なのだと知るべきなのである。この変化だけでもjcpには時代は大きく変化したと知るべきなのである。
また、かつては共産主義思想とその運動に理解を示していたインテリ層でさえ、古い共産主義の殻(例えば、その組織原則たる民主集中制)をまとうjcp指導部へ相応の批判を持っている場合が多いのであるから、簡単に共感を元に連帯するというようなわけにはいかなくなっている。かつては国会内の会派として日本共産党・革新共同というものがあったが、今日ではそれがないことに示されるjcpを取り巻く時代の変化がある。
②、jcpの指導者にはjcpを取り巻くこの時代の変化、国民の政治意識の変化という認識がゼロなのであって、jcpの「新」綱領を説明すれば、わかってもらえるという幻想がその「必然性」論の影響もあっていつまでも残っているのである。jcpと国民の認識のどちらに真実があるかということがここでは問題ではない。すでに述べたような国民の認識が定着しているという現実を正確に捉えられているかどうかが問題で、jcpの全実践の出発点なのである。後期高齢者の不破には世界の民主主義の発展は語れても、国内のjcpを取り巻く国民の政治意識の変化、時代の変化がわからなくなっているのである。2006年の「赤旗まつり」の講演で述べたように、不破には反共主義が強まっているという程度の認識にしかならない。だから「綱領を語る」大運動が提唱されるのであるが、まさにjcp指導部の机上の空論、書生論なのである。不破の書生論が常任幹部会を壟断している。
③、前にも書いたことだが、マルクスはパリ・コミューンというフランスの1都市の反乱という事件の勃発からでさえ『共産党宣言』を再点検し、一部古くなったところはあるがその他は大体において今なお有効だと書いていた。そして、その古くなった部分を検証する意味もあり三つの草稿(『フランスにおける内乱』)を用意したほどである。エンゲルスにあっても、画期的な武器の発明が行われるたびに階級闘争の形態は変わると主張(『フランスにおける階級闘争』への1895年の序文)していた。それならば、まさに文字通りの世界史的な大事件と言うべき社会主義世界体制の崩壊という出来事が資本主義国の共産党の運動形態を根底から変更させるであろうという予感があってしかるべきであったろう(後に述べる注20も参照されたい)。
④、もはや、口先の演説や古い共産主義の理想を語ることだけではjcpへの国民の支持を集められないのであって、実地にjcpが国民に役立つ存在であることを一歩一歩証明しなければならないのである。あたかも地域の党員が近所の具体的な要求を取り上げて自治体を動かし、その要求を実現するようにである。
この事情が市町村議選におけるjcpの堅調ぶりと国政選挙における凋落ぶりを説明する。地域では実地にjcpの有用性を実証しているが、国政では口先だけのjcpのままだからである。今では国民は身近なところにいるjcpと遠い国政にいるjcpを区別しており、社会主義世界体制の崩壊の経験から、実績を示すことのない国政におけるjcpをまるで信用していないのである。もはや60年代、70年代のように市町村議選の前進が国政選挙の前進とはタイアップしないのであって、国政の領域ではこれまでとは別のやり方が求められているのである。
別のやり方とは即実効性があり、国民にjcpが有用であることが簡単に実証できるやり方でなければならない。将来こういう社会をつくりますというような約束、「空手形」はすべてダメであって、”今”が勝負なのである。社会主義世界体制が崩壊して以降、jcpが約束する将来社会像は国民多数には”ガセ”と相場が決まっている。
今、おのれの有用性を国政において国民に実証しなければならない。労働者派遣法破りの違法を追求したり、あれこれの会社で是正させたとか残業代を払わせたとかいう程度の実績では小さすぎるし、体験者や注意深い観察者にしかわからない。国民の過半が感じ取れるほど目につきやすくてわかりやすく規模の大きいものでなければならない。そうでなければ、国民の過半が抱いている批判的jcp観(共産主義ダメ論)の一角を崩せないのである。
⑤、ところが、jcpの指導部は「公式」を杓子定規に振り回してjcp流の選別を繰り返しているのであるから、jcpの周りには誰もいない状態をつくり出すことになる。jcp指導部は主観的には「正しい」選別をしているつもりであろろうが、実際は周りから独善として選別敬遠(排除)され、結果としてどんな実効性のある国政上の行動も提起できていない。元々の支援者には失望を与えるばかりで、援軍もなければ支援もしない孤立と口先だけの「空手形」乱発の道を進み、結果として孤立無援路線の歩みが与党の援軍の役割を果たして自滅の道を進んでいるのである。
36、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(7)
小選挙区制と二大政党制と社会主義の世界の崩壊という政治的条件のもとでは、「公式」の別様な運用が工夫されなければ、jcpは孤立し与党の支援部隊に身を落とすことになるのである。そういうわけで、この「公式」は政権共闘のための「公式」に限定し、それ以外の場合は弾力的な別の運用規則を創案するべきなのである。
もともと、この「公式」の出所は第二次世界大戦時におけるフランス人民戦線やスペイン人民戦線の政権共闘を教訓化したものである。日本では左翼連合政権が成立した経験はなく、保守派の超政策的な連合政権があるばかりであるが、政権連合を組むもの同士があらかじめ基本政策を決め、その一致のもとで政権を組むのは必要なことである。連合政権が何をする政権であるかを国民に明示し、成立して以後の政策路線を巡る無用な争いを避ける意味がある。
しかしながら、政権連合を前提としない場合にまでこの「公式」を広く適用するのは誤りと考えるべきであろう。国政における多様な政治関係のもとで政治革新に有利な政治変化を創り出そうとする場合には、すでに見たように様々な共闘・協力への無用な制約要因に転化し、自己を無力化と孤立化に追い込むからである。
「公式」は連合政権を成功させる重要な条件を示したものであるが、そこに流れる基本精神はそれぞれに異なった政治見解を持つもの同士が人民的な政治を実現するために共通点を見つけ出して手を結ぶということである。この「公式」から取り出し適用できるものがあるとすればこの基本精神の方であろう。
政権共闘・連合を前提としない場合の国政選挙共闘では、基本政策の全般的な一致如何に拘泥せず、その時々の政治的諸条件の中で、より政治革新を前進させる可能性のある選択肢であれば躊躇せずに他党派や諸団体、個人と協力関係をつくり、それらを国政の舞台へ送り込むべきなのである。何が何でもjcpの党員である必要はないであろうし、jcpだからといって党員候補以外は支援すべきでないという理由もないはずである。
jcpの基本政策と部分的に一致しているだけでも協力関係をつくるべきで、自・公の候補者を当選させるよりはよほど政治革新に役に立つであろう。今日のように、政権交代が日程に上り、自民党万年与党の日本政治史が覆されようとしている場合は、柔軟な共闘態勢を組み政権交代の鍵となる役割を果たすべきである。それこそが、実地にjcpが日本の政治に役立つことを実証することになるのである。前に述べたように、今のjcpに必要なことは口先ではなく事実でもって、誰の目にも明らかで反論の余地のないjcpの重要な政治的役割を国民に実証することなのである。
また、その柔軟な共闘態勢を組むことで孤立から脱することができるうえに、公約のいくつかを実現できることにもなる。たとえば、民主党中心の政権ができれば、4野党共同の後期高齢者医療制度廃止法案が成立するという具合にである。
さらに、直接目にすることができるわけではないが、民主党政権で政治革新をめざす民主党支持者や無党派層と非敵対的な親和的な関係を作り出せるということである。この親和的な関係を作り出すということは、将来を展望するときには非常に大きな財産となるのである。民主党が将来、無様な姿を晒したときに国民の支持がjcpに移行してくる土壌を準備するという意味がある。
37、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(8)
連合政権を前提にしない国政選挙共闘・協力の原則をどのようなものにするかは、あらかじめ頭の中で考え出しても役に立たない規則を増やすだけになることが多い。ここは多くの経験を実践しそれらを集約して作り出すべきであろう。jcpには国政においても地方政治においても70年代にはかなりの実戦経験があったはずなのだが、その経験の総括はあまりに”偏狭”のきらいがあるように見受けられる。すでに述べたように、ここ10年でわずか3例ほどの共闘・協力の事例があるだけだという事実が事態を雄弁に物語っていると言えよう。
jcp指導部にある”偏狭さ”は、国民からjcpを孤立させる重要な原因の一つである。長くjcpの党員をやっておれば気がつかないであろうが、世間では党と接触する瞬間に抱く違和感として多くの国民には感じられているのである。その一例は「多喜二祭をめぐる佐高信氏と・・・」(政策欄2008年3月21日)で示してあるので参照されたい。
jcpの陣営内にありjcpの指導に服するような個人、集団でなければ、陣営外の魑魅魍魎の世界に住む住人で、そこの住人は疑うに値するものであるというような認識がjcp指導部にはあるようだ。jcpの陣営外で政治活動をする者には”不信”をベースに置いた接し方が基本になっているという印象が強い。
こうした国民への不信感については、他にも「2005年総選挙における小泉圧勝・・」の「9」(対抗戦略欄2006年9月9日)や「共産党85周年記念講演・・・(3)」の「30」(対抗戦略欄2007年9月1日)などで触れてきたのであるが、そのような不信感が原因で、jcpの支援を受ける者には”食い逃げ”されないようにとか、jcpへの批判的言論は許さないとか、協定でがんじがらめにするというような趣がある。これではjcp陣営外の人たちの共感も好感を得られないし、当選した候補者も十分に活躍するというわけにはいかないだろう。
相手への不信をベースにおいた提携・協力関係はうまくいかないことが多いし、それゆえにまた、jcpのために一肌脱ごうという人材も減り続けているのである。
jcp指導部は自己の陣営外の人物たちに対する基本姿勢を根本的に転換する必要がある。党外への不信感というのは、実は不信感ではなく”警戒心”だという意見もあろうが、党外の国民には大同小異で同じことである。
jcpはよく「党防衛」という言葉を使い、スパイの潜入やら、スパイの手引きによる弾圧とか言うのであるが、党外から見れば”過剰防衛”である。たとえば、60年代以降、不当な弾圧によって党中央の活動が不能になるような多大な被害を受けた事例はどれほどあるか? 半世紀にわたって絶無であるとすれば、戦前や50年代とは異なった「党防衛」の水準を考え出すべきであろう。また、党員であることがばらされて企業内で不利益な取り扱いを受けるような場合でも、すべて「党防衛」という”どんぶり”に一括していては組織自体をハリネズミのようにすることになり、世間から寄りつきがたいものにしてしまうであろう。
党の中央に戦後のスタートから半世紀にもわたってソ連のスパイとjcpが言う野坂参三(二重スパイの疑いも残されたままだ)を抱えてきたことは、中央の「党防衛」システムが半世紀にわたって落第点をつけるしかなかったことを物語っているのだが、それでも党が存続してこられた理由を考えてみるべきである。「敵」はもはや、それほどjcpに脅威を感じてはいないのであって、jcpの指導部の側に誇張された「敵」とそれに対応した「党防衛」観念があるばかりなのである。
「党防衛」の名で過剰防衛し過剰な警戒心で党を武装することで、党を守るより国民の支持を得る活動を毀損している側面の方が強くはないだろうか?
80年代以降の党勢の凋落は、こうした過剰防衛や過剰な警戒心や不信感が党外の国民に与えている違和感と無関係ではないだろう。旧社会党が社公合意(1980年)によりjcpと距離を取り始めると、社会党支持者層ではないいわゆるノンポリ国民と直接向き合うほかなくなって、jcpの持つ不信感、警戒心が目立つようになっているのである。
jcpは国家権力に対する警戒心や不信感と国民一般へのそれとを厳格に区別するべきで、国家権力と国民両者に対して防壁を張り巡らせば、狭い塀の中にいるのは孤立したjcpとその「同類」だけだということになりかねない。正面対峙する国家権力への防壁を備える一方、自分の後方にいる国民との垣根はできるだけ低くする必要があるだろう。社会主義世界体制が崩壊し、共産主義の信用ががた落ちになっているのに、相も変わらぬ「党防衛」体制では国民が相手にしないのも当然であろう。
38、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(9)
また、jcpが党外に抱く警戒心なり不信感の転換が必要だと言うのは、党外の対人関係を世間並みにすることが党外からの協力を得る秘訣だと言うだけではない。jcp中央の抱く人間観が世間とはだいぶズレていることの問題があり、そのために不当なまでの不信感で世間を眺め回すことになっており、そのマイナス面が国政選挙共闘・協力にも否定的な影を落としているのである。
猜疑心に富んだjcp指導部の人間観が共通してズレてくるのは歴史的な理由があるのであって、時代の大きな転換(暴力革命の時代から平和革命の時代への転換)の意味がよく理解されていないことに原因がある。この点について、その場所でもないが若干触れてみよう(注20)。
いずれにしろ、野党系でjcpと一定の協力関係を持つことを一時的にも肯定したり、重要な政策で一致する党派やそこに所属する個人、無党派層に対しては一定の信頼関係をベースにおいた姿勢に転換するべきなのである。
<(注20)、マルクスやレーニンの時代は暴力革命が歴史上の出来事としては主流だったのであり、そこでは階級に分かれた人間たちは最終的には暴力でお互いの生存、利害に決着をつける運命から逃れられなかった。そのような時代の運命に置かれていれば、階級に分かれた人間相互がお互いを最終的にはどのように認識し、どのように取り扱うべきかは時代の運命、歴史によって定められていたと言える。たとえばフランス大革命(1789年)期に生まれたフランス国歌ラ・マルセイエーズの歌詞(ウィキペディア記載、あまり訳がよくない)がその取り扱い方を示している。
いざ進め 祖国の子らよ
栄光の日は やって来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた
血塗られた軍旗は 掲げられた
聞こえるか 戦場で
蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
奴らはやってくる 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの女子供の
コーラス
武器を取れ 市民らよ
組織せよ 汝らの軍隊を
いざ進もう! いざ進もう!
汚れた敵の血が
我らの田畑を満たすまで
”階級の敵は殺せ”という歴史時代には階級ぬきの人間観は成立のしようがなく、階級を超克した人間概念に立脚したヒューマニズムもその歴史の地盤を持たない観念論であったと言っていいだろう。レーニンがセンチメンタルなヒューマニズムを嘲笑した理由である。人間観は時代の命ずるところに従い階級別の人間観に分裂している。そこでは、敵階級ならびにその同調者、同調者とおぼしき者は基本的に疑ってかかるのが正当な対応の仕方なのである。しかし、今日、その階級ごとに別々の人間観をもち、頭のてっぺんからつま先まで憎悪の対象であり抹殺の対象でしかない人間観を持つことは正しいのかという問題が提起されていると考えるべきであろう。
まさに人間についての完璧なまでの二元論をフランス大革命(1789年)が提出し、マルクスやレーニンに継承され彼らはダントンの弟子とさえ公言したほどであった。むろん、だからといって彼らが具体的な個々人をその出身階級によりこの二元論で機械的に裁断したわけではない。
jcpの指導部は、その独自の歴史の刻印を刻まれていることもあるが、この二元論の残骸を無自覚に抱えているという趣があり、自己の陣営外の住人に対処するその態度のうちにこの人間観の残骸がもたらす不信感が顔を出すのである。しかし、平和革命が主流となる今日、階級関係は残っているにしろ、この2元論の歴史の地盤はなくなったと見るべきではなかろうか。というのは、階級関係は残っているが階級矛盾、階級利害の対立を平和的に解決できると言うことは殺し合わなくて済むということであり、相互の存在の承認、話し合いでその利害を解決できる歴史地盤の成立、ヒューマニズムの人間観の成立のための歴史条件が生成したとみるべきだからである。
一言で言って、平和革命の時代の到来とは、一方では階級的利害の対立が存続し他方ではヒューマニズムの人間観が成立する歴史時代の到来ということができるであろう。当然、そこでは連帯の広がりは古い階級中心の連帯を越えて進む可能性をも示している。階級的利害の共通性に基づく連帯と並んでヒューマニズムの精神に基づく連帯もまた成立する時代がやってきたのである。
この歴史時代は今日、資本主義がマルクスらの想定を越えて生きながらえた結果、プロレタリア革命によってではなく、おのれの生成基盤である自然そのものによって延命の限界を画されようとする時代に突入して、ますます成熟してくる印象が深い。すなわち、かつては核兵器廃絶運動における階級を越えた取り組みは、平和運動から地球温暖化防止運動に代表される自然環境保護運動へとグローバルに発展していることである。
従来、平和革命と暴力革命の論争はその革命の形態にばかり視点が注がれるのが常であったが、この形態が成立する歴史の地盤には十分に目が向かなかった。この革命の形態のちがいとはその背後に数十年以上を単位とする世界史的な歴史の地盤の違い、時代の転換を持っているのであって、現実的な可能性を持つ平和革命の形態の登場は、総体としての社会システムの大きな変化を伴う時代転換の象徴、時代転換の頂点に位置するものなのである。「敵の出方」で革命の形態が変わるという、狭い形態転換の違いにとどまらないのである。
平和革命の可能性の承認は、ある革命形態の承認にとどまらず、大きな歴史時代の転換の承認に、その転換は人間観や敵階級に対する日常の対処の仕方に至るまでの一連の広範な大転換の承認を要請しているのである。当然、jcpのあの「民主集中制」も同様である。
こうした変化を他の惑星の出来事のように見るだけで、従来どおりの猜疑心をたくましくする最近のjcpの事例を見れば、まず元議長事務室責任者なる岡宏輔の小論「闇から出てきた亡霊」(「赤旗」2007年8月23日)があげられよう。宮本顕治の死去に対する立花隆の感想への反論であるが、猜疑心の空腹を満たすがごとき文章は半世紀も前に連れ戻されるようで読んでいて気色が悪くなる。当然、不破や志位の発意と点検が入って発表されたものであろうが、猜疑心の肥だめから這い出してきたような文章が発散させる臭気は尋常ではないのだが、不破も志位も気がつかないのであろう。
もう一つは一昨年の滋賀県知事選に見ることができる。新幹線新駅凍結派の嘉田候補(現知事)が当選したのだが、jcpは当初、嘉田陣営と共闘の姿勢を示しながらも、嘉田陣営に自民県議がいるとか新駅凍結政策が新駅反対ではなく中間的だという理由で独自候補を立てるに至った。独自候補擁立に踏み切る判断には嘉田陣営への疑心暗鬼が大きく作用したことは明らかである。党外へのこの疑心暗鬼、不信感が独自候補擁立に踏み切らせ、jcpを孤立させ、新駅建設派の現職の側面援助隊にjcpを陥れているのである。嘉田人気がダントツであったからjcpは救われたものの、現職がわずかな票差で当選すればjcpはまたしても汚名を着るところであった。
この例のように、jcpは新駅凍結派を推進派に対抗する”準”反対派として手を結ぶことができないのである。凍結派=中間派=”準”推進派という把握になる基礎にはjcp陣営外への根強い不信感が横たわっている。ここでの論旨の流れからすれば嘉田陣営をヒューマニズム派と読み替えれば、jcp指導部の欠陥が鮮明になろう。
党外への旺盛な不信感・猜疑心をそのままにして不破綱領では議会革命路線を定式化したものの、その他の領域では、昨日までこき下ろしてきた民主党に安保凍結の連合政権論(1998年)を持ちかけたり、アナクロニズムの規約(2000年)を作ったり、滋賀県知事選のようなことをしてみたりと統一性のない不破の思いつきが横行し、うまくいかないものだから、引き籠もり選挙戦術(2000年以降の全小選挙区立候補戦術)に固執し、日本資本主義には「強い反共主義」が生き残っていると講演(2006年「赤旗祭り」)して世間への不信感を吐露するという結果になるのも不破jcpの実態が旧態依然たるままだからである。大規模な綱領の書き換えは単なる紙の上の変化にすぎないのである。彼が引き籠もるのは彼の自由なのだが、”政治音痴”の彼の指揮する選挙戦術で450万票の政治革新票まで引き籠もらせるから困るのである。>
39、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(10)
ここではあの「公式」に代わる準則を一般的定式にすることはしないし、またするだけの材料もないが、その準則の基本精神を述べておこう。「36」項では「公式」の基本精神というものを取り出したが、レーニンが明確にしていることがあるのでそれを先に紹介しよう。すでに以前の投稿(「全野党の選挙協力で改憲の発議を封印する(2)」の「14-1」項、2006年8月6日)で引用したものである。
「だが、力関係や、力関係の計算については、わが共産党左派は・・・考えることができない。ここにマルクス主義とマルクス主義戦術の核心があるのに、彼らは次のような『高慢な』空文句を弄してこの『核心』をよけている。」(「左翼的な児戯と小ブルジョア性について」全集27巻330ページ)
「力関係や力関係の計算について」考えることができないという特徴は、私の観察では各国の「共産党左派」ばかりでなく日本の左翼全般の特徴であるように見える。そしてこの引用の核心部分は「力関係の計算」こそが「マルクス主義とマルクス主義戦術の核心」であるというところにある。
jcpの不破指導部にはこの言葉の意味がわからないであろう。まず、マルクス主義戦術の「核心」が「力関係の計算」であるとはどういうことかがわからないはずだ。ゼロ勝900敗という衆議院選の戦績がその証拠である。そこで簡単な解説をしてみよう。戦術を決定する要因は、ここで考察している「公式」やら、jcpの言う「同じ穴のムジナ」論やら様々あるが、戦術を決定する根本的なファクター、最重要視すべき要因は「力関係の計算」なのだとレーニンは言っているのである。だから、「公式」も「同じ穴のムジナ」もすべて「力関係や力関係の計算」がどうなっているかによって、戦術を決める際の重要性の比重は無限に変わることになる。「公式」も「同じ穴のムジナ」という規定も「力関係の計算」の”従属変数”にすぎないのである。どんなマルクス主義の大命題であっても、戦術の領域では従属変数に格下げされる。
この主従関係を理解することがマルクス主義の戦術の核心なのであるから、「力関係の計算」を考慮できず、あれこれの理由を優先させてゼロ勝900敗の戦術を繰り返えす不破の「科学的社会主義」はマルクス主義の戦術でもなければマルクス主義でもないことになる。奇妙なことに21世紀の日本では、マルクス主義の戦術の核心を知らぬ者が、マルクスの古典を講釈し、「科学的社会主義」なる看板を掲げマルクス主義の党(?)を指導しているのである。前回検討した「必然性」論が神懸かりであったことを思い出せば愕くべきことでもなかろうか?
念のために、上の引用をもう少し具体的に、不破や志位、市田らにもわかりやすく言い換えて説明しているレーニンの文章があるから、それを以前の投稿と重複するが再掲しよう。教条的な議論をするばかりでどうにも頭の固いjcp党員諸兄は何度でも読む価値がある。
「力のまさっている敵に打ち勝つことは、最大限の努力を払う場合にはじめてできることであり、かならず(「かならず」にレーニンの傍点あり)、最も綿密に、注意深く、慎重に、たくみに、たとえどんなに小さなものであろうと敵のあいだのあらゆる『ひび』を利用し、各国のブルジョアジーの間や、個々の国内のブルジョアジーのいろいろなグループまたは種類の間のあらゆる利害の対立を利用し、また大衆的な同盟者を、よしんば一時的な、動揺的な、ふたしかな、たよりにならない、条件的な同盟者でも、手に入れる可能性を理解しないものは、マルクス主義と科学的な近代社会主義一般をすこしも理解しないものである。」(「共産主義内の左翼主義小児病」全集31巻58ページ)
ここには、あの「公式」のたぐいの規則は何一つないことに気づくであろう。従属変数は無限に変化するのだから具体的には記述のしようがなく、「力関係の計算」ということの意味を具体的に、象徴的に示そうとすれば、こうした表現になるのである。この文章に解説はいらないだろう。
今日の日本の政治情勢に引き寄せて言えば次のようになろう。「同じ穴のムジナ」だろうが何だろうが、当面の政治を牛耳っている万年与党の自民党に対して政権をめぐって権力争いをしている民主党を利用しない手はなく、その争いを庶民の利益をより多く実現させるための手がかりにしない手はないのである。
そのためには両者の「同類」である部分を見るだけでは利用するための手がかりは得られないのであって、その争っている部分の相違を注意深く見つけ出さなければならない。jcpの指導部がやっていることは「同類」の側面だけを見てその争いを利用するという視点がない。それどころか、その争いは茶番だというのであるから「同類」の側面だけで両党が作り出す現実をすべて「同類」と塗りつぶしているわけである。だから現実は自・民対jcpとなるほかない。戦術はjcpだけが正しくて両者は「同じ穴のムジナ」だという口先だけの対抗にならざるを得ない。ゼロ勝900敗の負け戦になるだけの貧しい現状把握である。
レーニンは『かならず』両者の違いを見つけ出し、それがささいなものであっても利用し、一方を一時的なものではあれ、不確かなものであれ、同盟者に引っ張り込めと言っている。勢力の小さなものが二つの相争う大勢力を相手に己の利害を少しでも実現するにはそれ以外の方法はありえない。
これは、マルクス主義に限らず戦術上の単純な真理であるが、しかし、不破のやっていることはこの単純な真理に反し、レーニンとは逆のことばかりである。「同類」の側面だけを見て、それを現在の政治情勢を特徴づける全本質に祭り上げ、国政上のありとあらゆる政党政派を批判し、唯我独尊の「確かな野党」を歌いあげて他党からも国民多数からも”お声がかからない”状態に自分を追い込んでいる。
不破は単純な戦術上の真理(マルクス主義の戦術の核心でもある)がわからない政治指導者なのである。私が彼ほど政治指導者に向かない人物はいないと言い続けてきた理由である。
40、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(11) さて、上記二つの引用を一言でまとめると、レーニンは次のように言っている。あまりにも有名なものだけに不破もその言葉だけは知っているはずである。しかし、彼は知っているだけで、それを実地に適用することができない種類の人間であることは何度も述べたことである。
「われわれが勝利にむかって、もっと確信をもって、もっとしっかりすすむのに、ただ一つだけたりないものがある。すなわち、戦術のうえでは最大限の弾力性を発揮しなければならない(「ならない」にレーニンの傍点)ということを、すべての国のすべての共産主義者がいたるところで、徹底的に考え抜いて自覚することである。とくに先進諸国ですばらしく成長している共産主義に今たりないものは、この自覚とこの自覚を実践に適用する力量である。」(同上、91ページ)
戦術における「最大限の弾力性」のあるなしが、世界の共産主義の消長を決定する要因に転化しつつあると、すでに第一次世界大戦の革命的動乱期にレーニンは見通していたことがわかるだろう。戦術を決定する主要因は「力関係の計算」であり、力関係の状態によって戦術を千差万別に変化させなければならないのである。千差万別の変化を中身の固定した公式のようなもので表現することはできない。まさに、「最大限の弾力性」というしかないのであるが、その弾力性は具体的な戦術のうちに表現されるのであって、どれが弾力性のある戦術でどれが原則からの逸脱であるかは一律の基準では決められない。
瞬時に変化する政治が生起してくる諸現象を読み、即座に戦術を決定し、変化させてゆく能力は指導者の豊富な経験と努力と才能の問題になる。有能な指導者を育成することの重要性はレーニンの何度も説くところでもあった。ここでも、どうしても一言言わざるを得ないのは、誤りを認められない性格、組織システムでは、勝利の要である優れた政治指導者を決して育てられないということである。
こうして、来るべき総選挙で、弱小化したjcpはますます「最大限の弾力性」を発揮させなければならない状態に置かれていることがわかるであろう。
では、全小選挙区に候補者を立てる力量がないとして、jcpの候補者のいない約170の選挙区で自主投票にするのは「最大限の弾力性」を発揮した選挙戦術と言えるであろうか? そこでは”皆さん勝手にやってくれ”では、政治革新をめざす政党の政治目標の放棄、政治責任の放棄ではないか? それらの選挙区をどう変えるかをjcp指導部は語らなければならない。
私に言わせると、この自主投票戦術は”臆病な戦術”(注18参照)なのである。現在の政治情勢の下(具体的な戦術を語る場合は、いつもこの前提が置かれている)で、政治を大きく変化させ、庶民の利益を一つでも多く獲得する可能性を追求するつもりならば、政権交代を確実なものにするような選挙戦術を採用するべきであり、そのためには野党の最有力候補者に投票を集中させるように支持者に訴えるべきだからである。
jcp指導部はそれができない。あいつはここが悪い、改憲政党だ、そこが悪い、海外派兵を肯定している、消費税に賛成している、国民の反対で今はそんことを言っているが以前はこう言っていたから信用できない等々、庶民の政治的利益を一歩でも実現することよりも己のものさしで相手を選別することのほうに第一義的な重要性があるのである。そうだ、国政選挙では基本政策の一致が必要だということは、国際共産主義運動の教訓だと思い出すのである。力関係の計算より、おのれの好みや御託が優先するのである。
庶民の利益を実現するにはjcp指導部のメガネにかなったものだけが結集することが必要だと不破は考えているのであろう。理屈の上ではそういうことになるはずだ。どこから見ても「正しい」勢力だけの結集・連帯があってはじめて、「正しい」庶民の利益も実現できるのであって、邪悪なものが混じってくるのは神聖な庶民の利益の実現にはふさわしくないのであろう。
上に引用したレーニンの言葉と比べてみればいい。不破の「科学的社会主義」の戦術とレーニンの戦術では一体何がちがうのか? 左翼の多くは右も左も含めてこの違いがわからず、大体において不破jcpと同じような発想と戦術を採用する傾向にある。だから日本の政治史では、政権を取るよりいつも大義名分を取ることに熱中して左翼は喧嘩別ればかり繰り返して少数に分裂し自民党にいいように弄ばれてきたのである。
さて、この違いをひとことで要約すればどうなるか? これこそ、皆さんに自分の頭で考えてほしいところなのである。紙に書かれたものを読むだけでは公式を暗記するようなことになってしまい、さっぱり応用が利かない。というより、考え方が今までと寸分も変わらないままなのである。
自分の頭で戦術を考えてみる必要がある。自分ならどういう戦術を採用するか、である。
政治の現実は一つとして同じものはなく、ここでは応用こそが全てなのであって、10通りほどの要約を書き付けてどれが適当か、どの組み合わせがベストか等々、研究してもらいたいのである。そうした努力をして、実際にどういう戦術ならば現実的でしかも庶民の利益を少しでも実現しかつ政治革新へと接近していく近道であるかを考えてみてもらいたいのである。こうした訓練をしないと、jcp指導部のように馬鹿の一つ覚えの戦術を10年も繰り返し、いつまでたっても非現実的な(国民に相手にされないという意味である)絵空事から抜け出せない。
41、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(12)
私の具体的な提案を示すと次のようになる。果たして弾力性ある戦術の見本になるかどうか?
①、連合政権の共闘ではない(jcpは加わらない)のだから、あの「公式」は適用せず、政治目標=民主党中心の政権交代を実現するために最も効果的な選挙戦術を構想する。
②、形ばかりの候補者を立てられるだけで当選圏に遠く及ばない選挙区は、できるだけ候補者を絞る。戦術のねらいは政権交代にあるからである。特に当選可能な有力野党候補で護憲派がいるところは候補者を立てない。候補を立てる選挙区としては20以下になるだろう。100以上の選挙区で候補者を立ててもjcpの支持票が党の選挙方針に反旗を翻して他の有力野党候補にこれまで以上に流れるのだから、jcp指導部批判が蓄積されて逆効果なのである。基礎票の50万票の流出が起き、昨年の参議院選でも終盤は小選挙区の一票は捨てて比例区票に集中せざるを得なくなったことを思い出すべきである。
③、候補者を擁立しない各小選挙区においては、他党候補との支援・提携関係の権限を県党委員会に委譲する。県党委員会は他党の候補者の公約、人物を精査し、護憲派であれば、候補者と支援協定を結ぶことも含めて強力な支援体制を組むこと。政党間協議などということで両党中央の出番となりゴタゴタが起きるのであれば、協定の締結は条件とせず、相手好みの支援方法でよいし勝手連的支援でよい。極右並の候補者であれば、相手候補者と協議に臨んで要求を出し、返答次第では自主投票とする。
④、民主党候補を選別支援する自由を確保することに主眼をおいて、民主党との全国的な選挙協定は結ばないほうがいいだろう。かつて改憲の発議を封印する協定を結べと述べたことがあるがすでに時機を失している。選挙協定を結ばなければ、県別に自由な支援体制をつくることができる。右翼的な野党候補であれば自主投票もよしであり、護憲派であれば熱心に応援すると言うことになれば、民主党の候補者選びにさえ影響力を与えることができるだろう。
⑤、jcp中央は比例区中心の選挙戦を進めるのは従来どおり。
勝手に支援して、民主党を政権に押し上げ、民主党に「生活が第一」の政策の実現を迫るのである。5月9日の「赤旗」では後期高齢者医療制度の廃止をめざす『国民的共同』を訴えているが、形ばかりの呼びかけで党員中心の組織を作ってみても実効性はない。すでに国会では野党4党による廃止法案を提出しているのであるから、上に述べたような選挙協力を実行に移して民主党を政権に押し上げ、廃止を実行に移す具体的な作戦を作動させるべきなのである。
6日の全国紙には後期高齢者医療制度の廃止をめざして開いた集会で演説する志位の周りに小沢一郎、渡部恒三、土井たか子、福島瑞穂らが写っていたが、この調子でやることが肝心なのだ。
国政選挙では基本政策の一致が必要、院内共闘では部分政策の一致でOKとか、選挙では「確かな野党」、院内では部分共闘推進とばかりに自分でつくった「公式」で現実の政治をバラバラに裁断していては他者に自分のルールを押しつけることになり、一時的にでも手を結ぶ場合の障害になることを理解するべきである。昨日までの選挙戦でぼろくそに批判しておいて院内では、はい一致点で共闘しましょうと言っても、それはjcpの理屈にすぎない。精神的なしこりが残っていれば、できるものもできなくなるのが世の習いである。院内共闘をするのならば、その前段、国政選挙でも一定の配慮が必要である。選挙戦の段階から他の野党候補を一時的ではあれ支援するのである。
jcpの指導部は、その自前の論理・ルールをすぐに世界に普遍的な定理のように考え平然と他者との関係に適用する”癖”があるが、この独善の習性も直さなければならない。
42、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(13)
jcpが候補者をできるだけ絞ることがとりわけ重要である。 「24」で専門家の選挙シミュレーションを見たが、jcp支持票の動向で野党全体の議席数が200~250の範囲で動くからである。jcp指導部は党の力量というと不適切な基準で立候補者数を算定し、それを135程度と見ているようだが、これを実行するとシミュレーションでは与野党の議席数はほぼ互角となる。当選もできずに野党票分断となるjcp立候補者数があまりに多いのである。その力量と政治情勢を考慮すれば立候補者数は20以下くらいが適当だろう。公明党を見習うべきであろう。
万年政権の二枚腰と狡猾な”団結力”を考慮すれば、jcpの中途半端なこの選挙戦術は自・公政権に過半数を渡したうえに、自民党による民主党に対する分裂策動に手を貸す可能性が高くなる。つまり、自民党による民主党の一部の引っこ抜き策動を許し、自・公プラス一部民主の大連立を促進する選挙戦術になる可能性が高いのである。そうなればjcpの9議席という議席数の重みも何の意味もなくなる。その他野党議席の一部にすぎなくなる。
全国政党として選挙戦術を変更するということは、この程度のことは視野に入れて選挙戦術を検討することが絶対に必要である。選挙区ごとの党の実力と全国的政治情勢を組み合わせて候補者数を決めなければならないところを、選挙区ごとの選挙資金の徴収力や候補者の通年独自活動を保障できるかどうかの実力基準だけで候補擁立の有無を決めるという馬鹿なことをやっている。この党の司令部は全国政党の司令部としての資格も能力もなくなっているようだ。
自民党による大連立策動を断ち、民主党に「生活が第一」の政策を実行させるには、ぶっちぎりの野党の勝利が必要である。そのためにはjcpは思い切った戦術転換をはかる必要があり、小選挙区候補者をぎりぎりに絞り、そうしてこそ、多くの政治革新を求める国民から注目を浴びjcpへの見直し機運も出てくるのである。
この党の司令部は何をすれば党に対する国民の評価が上がるかがわからず、賽の河原の石積みのように党勢拡大の念仏を唱えるしか能がない。国民の誰にでもわかる実績をあげてからjcpの有用性を説かなければならないのに、「赤旗」を読めば政治が変わると言い続けている馬鹿さ加減に不破も志位もいつまでも気がつかない。
彼らの頭の中ではjcpの有用性は85年にわたって日々証明済みであろうが、社会主義世界体制が崩壊してからというもの、国民の頭の中はすっかり”リセット”されていて国政での共産主義政党ダメ論が盤踞していることがさっぱりわかっていないのである。
43、国政選挙共闘には基本政策の一致が必要だという「公式」の検討(14)
こうして、”イワシの頭”のように取り扱っている「公式」をその本来の位置に戻し、柔軟な選挙協力を実行に移し、民主党を政権に押し上げ、例えば後期高齢者医療制度を廃止に持ち込む。このプランの一体どこが悪いのだろうか? 国政の基本政策が自・民で同じなら、後期高齢者医療制度の廃止やガソリン暫定税率の廃止を主張する民主党を政権につけた方が良いのは当然のことではないだろうか? 政権交代に持ち込めば、自民党政権と官僚の万年腐敗関係にも一定のメスが入るであろう。何? 改憲阻止にはならない? これには次のように応えよう。実力がないのにあれもこれもと欲張るべきではないと。jcpが新政権成立に与えた功績の大きさだけで、現政権よりよほど護憲jcpの新政権への影響力が増しているではないか。
廃止を訴えるばかりで、廃止を実現する現実的なプランを提起できなければ、これまでのように絵に描いた餅、実現できない公約の大判振る舞い、「空手形」のjcpのままではないか。ガソリン暫定税率の一時廃止どころか、一人では何もできないjcpが「真の政治改革」は自分に任せろと言っても誰も相手にしてくれないのはわかりきったことである。
まず、現実の政治的条件の中で実績をあげることが必要であって、jcpが国政の領域で旧弊から脱する道は思い切った選挙戦術の転換のうちにある。
これではギブアンドテイクにならないなどと嘆くなかれ。jcpが直接テイクするものはなくとも国民がテイクするものがあるではないか。こうした思い切った選挙戦術の変更だけが、現状の力量でも政界全体に巨大な影響力を及ぼし、jcpの存在感を高め、国民の関心をjcpに引き寄せる契機になるのである。そのことはまたjcpへの見直し機運を生み出す。jcpの「綱領と情勢が響きあう」ことがあるとすれば、巨大な実績を示したその後のことである。増税と社会保障の切り捨てがあれば、jcpの「綱領と情勢が響きあう」のではない。ここでも不破指導部は大きな間違いを犯している。
思い切った選挙戦術の転換をはかり、政権交代を起動してjcpへの見直し機運を起こせなければ、綱領をいくら語っても誰も聞いてはくれないと知るべきである。不破指導部のように、与党の支援部隊となる選挙戦術を繰り返しておいて、jcpの「真の政治改革」の旗の下に集まれと、毛沢東語録よろしく不破綱領の「すばらしさ」を連呼するだけでは、国民は聞く耳をもってはくれないであろう。ましてや、政治革新をめざす無党派層ではなおさらのことである。
心配性の向きは担保も取らずに民主党を政権へ押し上げることは”空手形”をつかまされる心配がある、というかもしれない。しかし、”空手形”を振り出されたからといって国民は自・公政権よりひどい被害を受けるわけではなく、民主党が国民の信用を失うだけのことである。今度は大々的に民主党に公約違反の烙印を押せばいい。民主党の支持者は自民党や公明党の支持者と異なり”流動的”であり、民主党は次の選挙で即座に大きなダメージを受けるのであって、jcpの主張が振り向かれる季節がやってくるのである。だから、政権交代は自・公政権の継続より、どの面から見ても国民にはプラスなのである。もちろん、jcpにとってもプラスで自・公政権のつっかい棒役をやっているよりは100倍も有利な政治情勢が開けてくるのである。
また、協定も結ばず民主党の候補者を支援したのでは、jcpはその候補者の当選後の行動に責任が負えないという議論もでるかもしれないが、これこそ、笑い話にもならない反対論である。結果責任など一度も果たしたことのないjcp指導部が私が提起した方針への結果責任を問うているからである。心配はいらない。その議員は議員活動の大枠では所属政党の指揮の下にあるのであり、それほど奇想天外なことをするわけではない。あまりに奇想天外であれば、支援したことを国民に謝罪し次回に支持しなければいいだけの話である。
それより、jcpが振り向かれる時期が来たとき、1998年の轍を踏まないかが心配なのである。これまでの顔と『体質』のままであっては、崩壊した旧社会主義国共産党の生き残りでございと宣言しているようなもので、新たな支持を集めるには不適当であることは明白なのであるが、jcpはその準備をいつから始めるのであろうか?
さて、何事につけ「公式」グルメで中途半端にならざるを得ない”折衷主義”が本領の不破指導部は300の小選挙区でどうするであろうか? 政治指導者・不破哲三の政治人生最後の決断の時である。まさにここがロードス島なのだ。さぁ跳んでみよ。(つづく)