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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

共産党指導部のサークル化・化石化・小児病化とその淵源(6)

2008/7/4 原 仙作

44、「党の力量をリアルに検討」しなかった指導者たち(1)
 前回はjcp指導部がみずからを自縄自縛にしている「公式」を検討し、「国政選挙共闘では基本政策の一致が必要」という「公式」は連合政権をめざす場合に限定し、その他の場合は柔軟な国政選挙共闘のあり方を追求するべきだと述べ、そうでなければ、社会主義世界体制が崩壊した後の日本の2大政党制と小選挙区制の下ではjcpは孤立するとし、来るべき総選挙の選挙戦術を具体的に提案した。二つの大勢力を相手に弱小政党が採用するべき戦術には”最大限の柔軟性”が必要であり、その柔軟な戦術を構想するベースには相互の”力関係の計算”が置かれなければならないということも指摘してきたところである。
 要約すれば、わずかこればかりのことに膨大な分量の記述が必要となったのは、jcp指導部の”石頭”(注21)に加えて半世紀を越える政治指導(活動)で身につけてきた”悪しき習性”があるために、関連するいくつかの事実や判断にいろいろな視点から解説を加えないと、彼らにその”石頭”ぶりと”悪しき習性”を認知させられないだろうと考えたからである。
 さて、今回は次のことから始めよう。前回、jcp指導部が戦術を考えるにあたりレーニンの言う「力関係の計算」ということがまるでわかっていないと述べたのであるが、このことを志位が証明してくれているのでそのことからはじめよう。
 周知のように、参議院選の敗北を総括した5中総で、jcpは全小選挙区立候補は止めることにしたのであるが、その理由は次のようなことであった。

「現在の党組織の力量を、もっとも効果的、効率的、積極的に、比例代表選挙に集中できる選挙体制をとることが必要であります。そのために『すべての小選挙区での候補者擁立をめざす』という従来の方針を見直して、次の方針でたたかうことを幹部会として提案するものです。」

 このように述べて、8%以上の得票を得たところとか、日常活動ができる候補者を擁立できるなどという条件を置くわけである。それらの条件を計算して、マスコミは独自候補擁立数を135前後と報道しており、この数字どおりであれば、擁立しない選挙区が170前後となり、かなり大がかりな選挙戦術変更となる。志位はこの方針変更を5中総で次のように説明する。

「この方針の見直しは、今回の参議院選をふまえて、現在の党の力量をリアルに検討したうえでの提案であります。」

 呆気にとられるとはこのことである。今までさんざん批判され連敗を重ねてきて、ようやく「現在の党の力量」を検討することに気がついたわけである。
 私がjcpの指導部には戦術という概念がなく、その基礎となる”力関係の計算”ということがまるでわかっていないと主張してきた(注22)ことが、この志位発言で証明されている。この10年、負け続けていながら、一度も「現在の党の力量をリアルに検討」してこなかったことを志位の発言は明らかにしているのである。

<(注21)、jcpの指導部が”石頭”と呼ばれるのは今に始まったことではなく、半世紀前も同様にそう呼ばれていた。「中央公論」の1957年3月号における宮本顕治、鶴見俊輔、久野収の対談「日本共産党は何を考えているか」で、鶴見俊輔(『9条の会』の呼びかけ人)は次のように言っている。「ぼくは共産党のものわかりの悪い石頭に魅力を感じていた。ものわかりが悪くて、いくら言ってもわかってくれない。」(久野収「対話史Ⅰ」所収、208ページ、マドラ出版)
 鶴見は多少の皮肉を込めてjcpの石頭ぶりを評価している。戦前来の天皇制打倒・民主主義擁護の旗を降ろさなかったことへの肯定的評価なのであるが、今日、それらがいずれも基本的に実現されてしまえば”石頭”ぶりだけが残ってしまうということになるようである。だから、この”石頭”ぶりは今日では取り柄のないひとつの”持病”とみなした方が実態に合っているであろう。>
<(注22)、前回、「39」以下でも説明したことであるが、同じことは「全野党の選挙協力で・・・(2)」の「12」以下(現状分析欄2006/8/6)ですでに指摘していたことである。>

45、「党の力量をリアルに検討」しなかった指導者たち(2)
  私は志位の発言を見たとき、正直言って絶句せざるを得なかった。この党の指導者は一体何を研究し、何を研鑽してきたのであろうかという慨嘆である。不破は、それこそ何十冊というマルクス主義関係の本を書きながら、「党の力量」も検討せずに全小選挙区立候補戦術を指令し、何億円ものカンパを供託金で没収される連敗の選挙戦を10年も指揮してきたのである。
 生活弱者に一票を求め、政治を変えると約束し、生活弱者の切実な願いを託されながらぶざまな選挙戦をやって巨大与党を誕生させ、追い風の参議院選では惨敗し、今頃になって「党の力量をリアルに検討」する? いい加減にしろよ、と言いたくなるのは私の方が悪いのであろうか? そうではあるまい。彼らに誠実な反省がないのである。何たる怠慢、何たる自堕落という思いが募るのである。
 彼らは政治を変えると訴えながら、その敗戦の原因をまともに研究せず、「現在の党の力量」を検討することさえ忘れて10年も負け続け、指導者の地位にとどまっていることを一体どのようにして正当化するのであろうか? その心根がわからないのである。同じ戦い方を指揮して三度も負ければ政治指導者としての能力の欠如を証明されたものとして、私ならその地位を退くが、彼らはどういう正当化理由を見つけ出して居座っているのであろうか? 
 生活弱者に貴重な一票を求めながら、同じ選挙戦術で6度も負け続け、ろくな敗因研究もせずその地位に居続けるのは”罪悪”ではないのか? 生活弱者は日々追いつめられた生活をしており一刻も早く弱者のための政治に変えてほしいと願っているのであって、その願いに照らせば政治を変える能力なき指導者は即刻その地位を去り、何らかの手だてを尽くし、より有能な後継者を発掘してその位置につけるのが指導者と党の義務ではないのか? 無能な者が指導者の地位に居座り続け、カラ文句の公約を振りまき続けるのは生活弱者(党員ではない)に対する”冒涜”ではないのか? 
 その意味ではjcpの敵である自民党は衰えたとはいえはるかに厳しい自己規律を課している。選挙に大負けすれば即刻第一人者の首が飛ぶ。党内権力闘争という競争を媒介にして、責任の所在を明確にし、新たな指導者を選び出すシステムがまだ機能している。
 対するjcpの組織はどうなのか? 責任の所在も明確にできなければ、敗因も明確にできず、有能ならざる政治指導者がその無能ぶりを10年にわたって実証されながら指導部(サークル)のお手盛りで安住している。これでは生活弱者のための政治革新より、指導者のために党組織維持が優先されているではないか? 政治指導者としてその無能ぶりをさらしてなお「余人をもって代え難い」というのであれば、それは生活弱者のための政治を忘れた党内事情優先ということでしかない。これでは生活弱者救済の看板を掲げて票を集めカンパを募り新聞を買わせ、生活弱者を食い物にする指導部集団の”ビジネス”とどこが違うのか?
 不破や志位らの指導者が、こうした”嫌疑”をかけられてもやむを得ない組織運営をしていては、いつまでも、広範な国民の共感を喚起することは難しいであろう。
 沖縄県議選の2議席増を躍進とはしゃいでいてはなるまい。得票数はそれほど増えているわけではない。与党の失政(後期高齢者医療制度)で保守票が棄権に回り、怒りの一票が若干jcpにも回ってきただけである。躍進という言葉は、70年代初頭のような場合に使うべきで、あの時は得票数が2~3倍増はざらだったのである。

 

46、「党の力量をリアルに検討」しなかった指導者たち(3)
 志位は「現在の党の力量をリアルに検討」したというのであるが、その検討ぶりを簡単に吟味してみよう。そうすれば、その検討なるものが恐ろしく一面的で不自然なことが明らかになる。

「従来の方針のままでは、『支部が主役』の党活動を指導・援助する機関体制、『比例を軸』にした選挙体制、多額の供託金没収などによる財政圧迫などの点で、党組織と党活動に過重な負担をかけ、比例代表戦で前進をはかるうえでも、総合的に考えてマイナスが大きいという判断をいたしました。」(5中総)

 要するに、金がない、人がいない、組織が動かないということで「比例代表で前進」もままならないというわけである。ここには考えるべき二つの側面がある。一つは金がない、人がいない、組織が動かないというのは純粋に組織内部の問題であるということである。これらの党の力量の要素を考慮するだけでjcp指導部は選挙戦術の大がかりな変更を行っているわけなのだが、それは大間違いだと言わねばならないだろう。まるで、できたての新党のようではないか。政権をめざす政党にあるまじき浅慮、視野の狭さだと言わねばなるまい。政治情勢をまったく考慮していないことが問題なのだが、「党の力量」の検討自体にも問題がある。後者から先に検討しよう。
 党の力量というのは、”戦術の行使において発揮される力量=戦力”のことなのだが、jcp指導部は言わば自己の部隊の兵員数を数えているだけなのである。レーニンのいうのは”力関係の計算”、すなわち相互の戦力比較、比較のうちに置かれた自己の兵力=戦力である。志位らが計算しているものとレーニンが計算するものは違う。
 例えば、jcpに1万の兵があったとして、その兵力の過不足は何によって決めるのか、と考えてみればいい。1000名の兵力を相手にすればjcpは大勢力であるが、50万の兵力を持つ敵と対峙すれば屁のような兵力にすぎないという具合である。10分の1の兵力で奇襲をかけ、今川勢を打ち破った信長の桶狭間の合戦を持ち出してみればよかろうか。あるいはjcpの兵力で全小選挙区戦術を実行すれば巨大与党を生み出すが、20選挙区に絞れば政権を打倒するような力を発揮するという具合である。「党の力量」が不足しているのではなく、戦術次第で自民党を下野させるに十分な力量があるのである。
 志位らの検討では自己の兵員数だけを数えるという一面性がここにあるのだが、こうした一面的な検討は決して「リアル」な検討ではありえない。「リアル」な検討とは具体的であり、相手との相互関係のうちにおかれた「党の力量」の検討のことでなければならない。

47、「党の力量をリアルに検討」しなかった指導者たち(4)
 「リアル」な検討とは党の力量=兵力を戦闘の場において検討しなければならず、戦闘の場では兵力配置が問題になり、兵力配置を決定するのは戦術に他ならない。だから、党の力量は具体的な戦術の下で検討してはじめて「リアル」な検討になるのであり、戦術如何でその兵力は大きく変化する戦力に変貌する。
 戦術ぬきの「党の力量」の検討・計算とはひとつの抽象的な、一面的な、部分的な検討にすぎないのである。党員35万、実稼働率30%、実稼働人員10万人等々というのは、それぞれ個々に見れば具体的なものであるが、戦力としては一つの抽象、一面、部分にすぎない。
 俗な事例を取り出せば、いかに高額な選手をかき集めても勝率5割前後で低迷をつづける原・巨人の問題は個々の選手の力量が不足しているからではないであろう。だが、jcpの指導者は指揮官の采配とその能力を棚にあげて、選手の働きが悪くチームの力量が不足していると言うのである。
 そして、お定まりの党勢拡大大運動の推進がjcp飛躍の土台だとばかりに党員の尻をたたくわけである。与党の支援隊となる選挙戦を何回もやってきたのであるから、国政におけるjcpの大いなる実績なしには成果は期待薄であるものを、無償奉仕の党員の労働力を当てにして大運道だという。年中無休の大運道では、タダで使えるものは使わなければ損という発想のようにみえる。これでは無償労働が党の強みではなく、無能な指導者の欠点隠しに動員され、党員多数が疲弊させられてしまうことになるだけである。
 この党の指導者らはありふれたことであるが、しかし重要な党の力量の検討ということでさえ相互関係のうちに考察するという当たり前のこと(弁証法のイロハでもある)をしらない。不破は弁証法を講釈できても日常的にその判断、考察、検討等々で適用するすべを知らないのである。エンゲルスの「フォイエルバッハ」を党本部大会議室で講釈できても、10年も「党の力量をリアルに検討」したこともなかったのである。
 指導部内部で真剣で責任ある議論が長年行われてこなかった証拠、宮本や不破のこけの生えた古い言い回しをエンドレスに繰り返し聞かされるだけのことで、やらずもがなの会議で化石化しサークル化した証拠である。

48、「党の力量をリアルに検討」しなかった指導者たち(5)
 もう一つの点である不自然さというのは、党の力量の検討が選挙戦術の変更に帰結するものでありながら、その戦術変更が政治情勢にどういう影響を及ぼし、その及ぼす影響を指導部としてどう判断するかということをまったく放棄していることである。この判断の放棄は、全国政党の司令部としての任務放棄にほかならない。
 「32」の<注18>でも簡単に触れたことであるが、選挙戦術変更に関するマスコミの問い合わせに、志位、市田は一貫して党の力量だけを計算した結果の判断で、他党との関係は一切考慮していないと発言している(注23)。
 この指導部は2、3の選挙区ではなく、マスコミ計算では170にもなる小選挙区で候補者擁立を止めながら、それらの選挙区の勝者が誰になろうと我関せずだと言うのである。170もの選挙区での勝敗の行方は総選挙の行方を決するほどのものになるはずだが、それでも我関せずだと言うのである。これでは総選挙後の日本の政治情勢について、jcp指導部は関係がないし関心もないということになり、全国政党の司令部としてあまりにも不自然、無責任極まりない態度だと言わなければならないだろう(注24)。
 党外の政治情勢や選挙情勢がどうなろうが、我関せずでしゃにむに選挙戦術を変更しようとする姿勢が顕著である。10年にわたって負けても負けても同じ選挙戦術に固執してきながら、まことに奇異な、がむしゃらで不自然な選挙戦術の変更なのである。一体、この党指導部に何が起こったのであろうか?

<(注23)、昨年9月、国会内の定例記者会見で志位は民主党との協力という一面があるのか訊かれて次のように言っている。「何らかの政局的なねらいをもってこの方針を決めたとか、民主党を考慮して決めたというものものでは、いっさいありません。」(「赤旗」2007年9月21日)>
<(注24)、さっそく、この一面的な「党の力量」把握や不自然な対応は自民党からその弱点を突かれている。きたる8月の臨時国会で、次の衆議院選に間に合わせるように公職選挙法を改正して供託金没収のバードルを下げる案が検討されていると報道(MSN産経ニュース6月18日)されている。
 産経が言うように、供託金の負担で候補者を絞らざるを得なくなったと言うjcpに自民党が援軍を送っているのであり、供託金の没収基準を下げるから候補者を多数擁立してくれというサインなのである。自・共対決ならぬ自・共連合があったわけである。
 このニュースはいくつかの重要なことを教えてくれている。①、全小選挙区立候補戦術が自公政権の側面支援になっていたことを自公がよく認識していることであり、知らぬは”政治音痴”であるjcp指導部の不破や志位とその『不破』雷同派だけであったということである。②、不破式「科学的社会主義」にもとづく二大政党制に対決する選挙戦術や、今気がついた「党の力量のリアルな検討」は、自公の供託金没収のさじ加減ひとつで手玉にとられるていのものであるということである。③、選挙制度の非民主性を変えたいのならば、その非民主性を念仏のように唱えているだけでなく、jcpの選挙戦術を工夫することでも変えられるということである。供託金没収のハードルを選挙戦術の変更で変えられるのなら、小選挙区制を変えるヒントもそこに隠されているということである。不破や志位はもっと頭を使え!
 これで、もし全小選挙区立候補戦術を復活したら、jcpは自・共連合復活と笑いものにされるであろう。>

49、「党の力量をリアルに検討」しなかった指導者たち(6)
 志位らの言う金がない、人がいない、組織が動かないなどの理由だけならば、さきの参議院選にかぎらない。2005年の総選挙でもそうであったし2004年の参議院選でもそうであった。2004年の参議院選で戦術変更をしても何らおかしくなかったはずである。変更していれば郵政解散でも巨大与党を生み出さずに済んだであろう。
 それなのに今回になって、なりふり構わず方針の見直しを言うのは、金がないなどの理由にとどまらない別の理由が発生したからである。ないないづくしの選挙戦術を唯一の正しい選挙戦術として内外の批判をものともせず敢行してきたのだから、突然、思い出したようにないないづくしの要因を指折り数えて「リアルな検討」をし戦術変更の原因に取り上げるほうが不自然というものなのである。
 さきの参議院選の惨敗が示す何事かが不破や志位らをして戦術変更に追い込んだのである。上に引用した文章をもう一度見てもらおう。

「比例代表戦で前進をはかるうえでも、総合的に考えてマイナスが大きいという判断をいたしました。」

 これである。与党に猛烈な逆風が吹き、jcpには願ってもない追い風であったにもかかわらず、jcpに投票しても死票となることはない比例区であったにもかかわらず、比例区で1議席を減らし3議席となったことが戦術変更を迫った主要な原因なのである。
 これまでは、比例区で得票を増やすためにこそ100%当選可能性のない、しかも供託金を没収されることがわかっている選挙区でさえ、与党の側面支援隊という批判を甘受してまで独自候補を擁立して来たのである。だから、この引用文には指導部判断の大逆転が表現されているのである。全選挙区に候補を立てるのは比例区票獲得にマイナスだと言うのである。
 1998年の躍進以後、2001年も2004年も比例区議席を減らしながらその判断の逆転を行わなかったにもかかわらず、なぜ先の参議院選の比例区の議席減が10年間も固執していた判断を大逆転せしめる原因になったのか?
 基礎票の流出である。志位は昨年の記念講演で10%の流出があったことを認めたが、実際は20%、約50万票の基礎票の流出(「共産党85周年記念講演・・・(1)」現状分析欄2007/8/24参照)が原因で比例区議席を減らしたことが明確になったからである。
 一人区の基礎票が民主党に流れるのは彼らにもわかっていたことであるが、しかし、与党へのあの大逆風、jcpには追い風のなかでjcpの基礎票が20%も比例区で流出し比例区の議席を失ったことが彼らには予想外のことだったのである。2004年の参議院選ではjcpに追い風が吹いたわけではなく、また現職3名を市田の議席確保のためにリタイアさせるという変則選挙を行いながら、それでも4議席を確保したことを考えれば今回議席を失うとは考えられなかったであろう。
 この比例区流出票は明らかにjcp指導部への批判票と見るほかないものである。では何が批判されたのか? わかりきったことだが生活弱者本位の政策ではなく、与党の支援隊として機能するその選挙戦術に他ならない。

50、「党の力量をリアルに検討」しなかった指導者たち(7)
 ないないづくしの「党の力量」が直接の原因で選挙戦術を変更したのではなく、比例区での基礎票の流出が不破や志位らの”石頭”に衝撃を与え選挙戦術の変更を強制したのである。直接の変更原因はこちらにあって、それをカモフラージュするのが10年も忘れていた「党の力量のリアルな検討」なのである。
 だから、「リアルな検討」もおざなりで一面的なものになる。また、新しい試みであるから上に引用した志位の発言のように「もっとも効果的、効率的、積極的に、比例代表選挙に集中できる選挙体制」になるかどうかもわからないのである。「もっとも効率的・・・」と判断する広範な実践データは何もない。ここにも志位らの戦術変更のまやかしの理由づけが露呈して見えている。実際は、確かな実践データもなく目をつむって新戦術に飛び込むのであって、カモフラージュの馬脚が現れているのだが、しかしとにかく、それらしい理由をつけて戦術変更するほかないのである。
 このように理解すれば、なぜ今なのか、そして戦術変更が及ぼす他党や政治情勢への影響に目をふさぐ不自然さの謎も氷解するのである。とにもかくにも、批判の多い全小選挙区立候補戦術は止めなければならなくなったのであり、その理由として、基礎票の流出だとは言えないから現実にもそうであった金がない等々の党内要因にお呼びがかかったのである。戦術変更の従属的な原因が主要な原因に格上げされ、主な原因が隠されてしまっている。
 やっかいなのは止めた場合の他党への影響である。民主党が有利となることは計算のうえと言ったのでは事実上の国政選挙協力ということになるのであるから、これまでの選挙戦術の是非が問われることになる。前回検討した「公式」にも反することになるのである。
 そこで、ここは党内事情による変更という一点張りで切り抜けることにしたのである。だから、170にものぼる選挙区の政治情勢を全く考慮しない”見ざる、聞かざる、言わざる”の三猿のような極端な不自然さだけが残ったのである。
 不破や志位らはこうして誤った選挙戦術の変更を比例区の議席減という事実をもって強制させられたのである。しかし、彼らは誤りなき指導者を演出して戦術変更を遂げなければならないわけで、”手品師”であることが強制される。この指導部は政治に働きかける時は”石頭”だが、指導部の失敗を隠すときだけは途方もない柔軟性を発揮する特徴がある。

51、「党の力量をリアルに検討」しなかった指導者たち(8)
  この戦術変更にあたって、志位は次のように言っている。

「今回の措置は、現在の党の力量を考慮してのものであり、本来は、すべての小選挙区で候補者を擁立してたたかうことが、綱領路線の実現という見地からも、将来にはめざすべき当然のあり方であります。」

 志位らは将来とるべき選挙戦術を「党の力量をリアルに検討」することもせず、気の早いことに10年も前から実行していたわけである。とんだ先取りである。「本来は」という言葉に注目してほしいのであるが、「本来は」とは標準的状態とか、あるべき理想的平均的条件のもとではという意味なのであるが、彼らはいつも現状ではなく、目の前の現実とは別の「本来」の状態から出発しており、負け続けの選挙戦術を10年も続けてきたのである。
 彼らはいつも現実ではなく、平均的条件のもとにあるものとしての政治情勢(あるいは大局観に規定された政治情勢、彼らの政治図式で裁断された政治情勢)に対応しており、したがってその戦術、対応も現実とはかけ離れた「公式」どおりのもの、「本来」のものになるのである。ここに彼らの”石頭”ぶりの根源がある(注25)。現実の政治情勢と現実のjcpの力量を政治目標に合致した戦術を媒介にかみ合わせるという思考がない。
 他方、指導部に不都合な真実を隠す場合は、マルクス主義の何らの「公式」もないのであるからどんな「公式」の助けも借りられず、自分の頭で考えるほかないわけで、結局、途方もなく柔軟性を発揮するというわけである。二つの対照の秘密がここにある。「公式」漬けの”石頭”と誤りを隠蔽するにあたっての無節操なまでの柔軟性は両立するのであって、不破らの頭の中では一つのものの両面なのである。政治は「公式」で考え、党内支配・操縦は文字通り「リアルに検討」するのである。
 こうした「公式」漬けと途方もない柔軟性の対照は、jcp指導部が抱える”古傷”にも見て取ることができる。原水禁運動における「いかなる国」の問題である。「いかなる国」の核実験にも反対するというスローガンにjcpは反対し、社会主義国の核兵器は専守防衛の「きれいな」核兵器として擁護した問題である。この主張は社会主義国の武装は非侵略の防衛専門という「公式」の適用であったが、その誤った主張の変更にjcpの柔軟性(?)が発揮されたのである。
 ソ連は変質し社会主義国ではなくなったから、もはや「きれいな核兵器」とは言えないというものである。「きれいな」核兵器論は誤りではないが、その理論があてはまる国がなくなったというわけである(注26)。
 しかし、今日であれ、「いかなる国」が問題になり、原水禁運動が分裂した1960年代前半でさえ、jcpの「きれいな」核兵器論は誤りであった。ソ連が社会主義国であったかどうかは核兵器の本質把握に何の関係もないことであって、人類絶滅兵器に「きれい」も汚いもありはしないという世間の常識がjcp流のマルクス主義の「公式」を凌駕していたのである。
 jcpが犯したこうした不都合な真実に目を背け、不破らは長年の指導部生活でその場しのぎの多くの”手品”を演出してきたであろうし、そうした繰り返しがやがてミイラ取りがミイラになるように、彼らの人間を変え厚顔無恥な”手品師”が生まれてくるのである。不破が学者を装った”手品師”であることはすでに二つの論考「レーニンが無知なのか・・・」(理論政策欄2004/9/9)、「不破哲三の『古典研究』・・・」(理論政策欄2006/11/4)で証明済みである。(つづく)

<(注25、前記「中央公論」の対談で、鶴見が統一戦線に関連して中間層について次のように発言している。「中間層は労働者とやっぱり違う役割を持っているし、滅亡していくのではなく、増えていく階級だと思います。」
 1957年段階で、このように見るのは炯眼というほかないのだが、宮本の議論は「いわゆる小市民と言われるものには二つの面・・・」というマルクス主義の一般的中間階級論でしかない。一般論では中間階級は分解しその大多数はプロレタリア化していくものという見通しになる。鶴見は反対に日本の現実について中間階級が増えていくと言っているのに宮本はその現実を見ないで、現実の変わりに「公式」で型取られた「小市民」をもって現実に代置しているのである。「公式」で裁断した「小市民」(中間層)を日本の現実に押しつけるのであるから、それだけでもう、日本の現実から離れ現実が見えなくなるのだが、その乖離が宮本にはわからないのである。今日のjcpの不破達も同じである。
 それにしても鶴見はどうして半世紀も前に中間層の増大を見抜いたのであろうか。鶴見はマスコミの発達ということを言っているが、そのほかに若い頃に留学したアメリカが念頭にあったであろう。自称プラグマティスト鶴見の炯眼と「マルクス主義者」宮本の盲目ぶりが鮮やかであり、jcpの指導者が政治情勢に盲目になる認識上の原因(マルクス主義の一般論による現実の裁断)が鮮明に見えるのである。>

<(注26)、jcpによるソ連評価の変遷と原水禁問題と宮本顕治というDNA
 jcpの主張ではソ連の評価は2転3転しているのだが、有名なのは社会主義生成期論というものである。人類史の尺度からすれば社会主義国は生まれたばかりであり、しかもロシアというヨーロッパの後進国で生まれ世界の列強の侵略などにあったために様々な問題を抱えているが、やがて「社会主義の本来の優越性と生命力が・・・全面的に発揮される新しい時代に到達する」(第14回大会決議。「前衛」No419、1977年)という主張である。
 社会主義生成期論ではソ連は明確に社会主義国と規定されている。したがって、「きれいな」核兵器論は基本的に生成期論が否定される1994年まで維持されてもよさそうだが、実際は1973年に修正されている。1973年の7月5日、記者会見した宮本(当時委員長)は、ソ連のチェコ侵略や中ソの国境紛争を例に挙げ、「そういう段階で初期のように、中ソの行動がすべて無条件に防衛的なものだとか、余儀なくされたものだとは、簡単にいえなくなってきている。」(「赤旗」1973年7月7日)と述べ、「きれいな」核兵器論を事実上撤回したのである。しかし、彼は「きれいな」核兵器論に立った議論で原水禁運動を分裂させた張本人であったが、jcpの過去の対応を自己批判することはなかった。
 社会主義国における「きれいな」核兵器論が誤っているのではなく、現実の社会主義国に社会主義国にあるまじき誤りがあったのである。珍妙な理屈であろう。第二次大戦中からポーランドやバルト三国を併合し、千島を奪いハンガリーを侵略したソ連という現実の社会主義国の核兵器、核実験を問題にしているのに、jcpは地上には存在しない理想の社会主義国の核兵器についての理論で「いかなる国」という言葉に反対し原水禁運動を分裂させていたのである。
 1981年の「真の平和綱領のために」という文書で「社会帝国主義的誤り」という表現が登場し、1985年の17回党大会では、社会主義国における覇権主義が綱領に追加されたが、その場合でも「社会主義国の一部に他国に軍事介入する覇権主義の偏向が表面化した。」(『綱領』「前衛」No530、144ページ)とあるのだから、ソ連の社会主義国としての規定はここでも否定されていない。
 ソ連の崩壊を見てから開かれた第20回党大会(1994年)でソ連崩壊万歳論(発表は1991年)が定式化され、事実上、社会主義生成期論が否定される。

「大局的にはなお社会主義への歴史的な過渡期に属するという見方であって、今日からみれば明確さを欠いていた。」(大会決議、「前衛」No651、78ページ)

 この主張はごまかし、詐欺師の口上である。この党の指導部がその誤りを率直に認められない”本能”のようなものがここに現れている。世界史上に類例のない出来事であり、誰であれ誤りは避けられないのであるが、この党の指導部は何者かを非常に恐れており、本能的に誤りを隠すことに熱中するのである。「きれいな」核兵器論と同様である。
 この引用文の意味を解説すると次のようになる。生成期論はソ連が社会主義国として「社会主義への歴史的な過渡期」にあるという見方であるが、その見方は社会主義国ではないという見地に立つjcpの「今日から見れば」社会主義国ではないと断言していない点で「明確さを欠いていた。」というのである。しかし、「明確さを欠いていた」どころか、生成期論はソ連を明確に社会主義国と規定していたし、すでに半世紀前の1956年のフルシチョフ秘密報告によるスターリン批判でソ連の悲惨な歴史が明らかになっていたのだから、「今日から見れば」という見地そのものが半世紀遅れだということになる。
 かつては、ソ連を批判する者をその生成期論で動揺分子と非難し、スターリン批判をする者をトロツキストなどと罵倒してきたjcpの歴史を知る者にとっては、jcp指導部のこの主張は白を黒といいくるめる詐欺師の言い分に聞こえるだろう。
 さて、こうして1922年の党創立以来、社会主義国と規定してきたソ連は日本共産党史から消滅したのであるが、いつからソ連が社会主義国のかけらもなくしたかということになると、レーニン死後、スターリン支配が完成した1920年代後半ということになるようである。
 そうなると、jcp指導部の理屈でもソ連は一度も「きれいな」核兵器を持つことはなかったことになり、1973年の宮本見解も誤りで、「きれいな」核兵器論を主張して60年代前半の原水禁運動を分裂させたjcpの言い分は二重にも三重にも誤っていたことになる。しかし、何度も言うが、その誤りの自己批判も相変わらず皆無なのである。
 この党の指導部は、多くの国民が関わった原水禁運動を分裂させ、平和運動に関わった多くの人々を嘆き悲しませたことへの一片の反省もないのである。この厚顔さ、無慈悲な権力者のような顔はいったいどこからくるのであろうか? これが労働者階級の党の指導部のやることなのかと思うのは私だけではあるまい。
 前記の「中央公論」での議論のなかに歴史に残すべき対話があるので、少し長くなるが掲載しておくことにしよう。半世紀前の対話である。が、紹介する前に少々の予備知識を書いておこう。jcpはよく戦前jcpの評価として、日本思想界における「北斗七星」なる表現を用いるが、この表現は久野収と鶴見俊輔の共著「現代日本の思想」(岩波新書54ページ1956年)で示されたものであることである。

久野:「(jcpを党外で支持してきた--原)多くの人々も突きつめて言えば、共産党は信頼できないと思っている。とにかくわれわれの場合だったら、どんなに党に誤りがあっても、共産党が戦争に対して徹頭徹尾闘ったことにたいする尊敬、その尊敬から生じる一種のまぶしさを持っています。しかしそれのない戦後の人たちには、われわれと違った気分を持つ人が多い。この人たちの共産党への強い不信とか、無関心が、結果において、民主主義、革新勢力あるいは進歩的インテリゲンチアに対する不信を生み出して、日本の民主主義の確立をはばむ条件になりかねないということを私は憂えるんです。」

 六全協後の対話企画なので、久野は五〇年問題(党の分裂や火炎ビン闘争など)の誤りを明確にしないとjcp不信が支持者の間に蔓延し日本の民主主義にも否定的影響をもたらすと言っているのである。今日でも原水禁運動の分裂や全小選挙区立候補戦術中止の経過をみてもわかるように、この種の事情は何一つ変化しておらず、私がせっせと投稿する理由でもあるが、対する宮本の返答がふるっている。

宮本:「その点について言うならば、ここで私が強調したいのは、そういう問題を共産党が六全協後の一年あまりの間ほおかむりして、ごまかす方向で行こうとしたのか、それとも積極的に解決しようとしてきたのか、この大局的判断をはっきりしてもらいたいと思う。その大局的判断を失うと、・・・結果的には一般の反共論者の共産党攻撃と同じようなことになってしまう。」

 宮本はこう言っているわけだ。六全協とその後の党活動が肯定できると評価しろ、そうでなければ久野のようなことを言うのは反共主義者と同じだと。宮本には常識がまるで通用しないことがわかるだろう。これでは間違いを犯したのがjcpの宮本らではなく、党の分裂にも武装闘争にも関係のない久野の方になってしまいそうである。誰がこの国の主権者か、宮本の頭の中が逆立ちしていることがよくわかるであろう。この国を救う救世主である宮本らjcpが主権者なのである。理解し努力すべきなのは”オマイラ”国民の方なのである。
 国民にわかるように行動し説明してはじめてjcpへの国民の評価も生まれるのだが、宮本は逆に、文句を言う前にjcpが良くやっていることよく見て評価しろと要求するのである。この厚かましさ、主客転倒。こうした主客の転倒がマルクス主義を信奉したり民主主義を擁護する思想と矛盾なく同居しているところが”すごいところ”であって、コミュニストでありながら家庭では独裁者風であるよく見かける人物像と似ている。
 マルクス主義の理論を信奉すると言っても、理論が指示を与えられる実践の領域は狭いもので、党活動の日常の領域の大半は試行錯誤を経て経験的に作り上げられてくるものであって、多くの場合、党の指導的人物の判断による影響を色濃く刻むことになるのは想像に難くない。ましてや、宮本は半世紀もjcpに君臨した人物であることを考えると、宮本の人格にあわせて6全協後のjcpは形作られ、宮本の『体質』が党の『体質』になっていると考えてもそれほど見当違いではないだろう。
 この人格は労働者階級が生み出す人格の最良のものとは正反対であり、この男こそjcp指導部のDNAそのものであり、この男にjcpは五〇年も支配され、不破や志位らはその”薫陶”を受けて指導者になったのである。久野らが提起した問題が半世紀を越えてそっくりそのまま残る理由もわかろうというものである。
 彼らは誤りを率直に明らかにすることを回避し、厚かましく白を黒と言いくるめる”習性”を相続しているのであるが、その源は宮本のDNAであり、宮本がそうしたDNAを獲得したのはその生存競争、すなわち彼の戦前来の党活動の経験そのものからである。他にあるはずもない。彼は非常に特異な経験(例のリンチ事件)をしているが、それはまたこの党指導部の別の主題を構成する。
 誤りをきちんと総括できず、隠しごまかすという”習性”を払拭できないという欠点は、いくら強調しても強調したりないのであるが、革新政党として致命的なのである。みずから党の発展の扉を閉ざすに等しい。
 まず、同じ誤りを際限もなく繰り返すからである。政治革新をめざす国民はjcpの誤りを見逃さないし、ごまかしを決して忘れることはないからである。久野収がいみじくも言ったように、jcpを信頼できなくなる根本的原因なのである。ネット社会では、見逃さない国民の認識は新たに政治革新に目覚めた人たちに容易に伝播し、その認識が共有されていくからである。誤りを訂正できず隠す政党は、国民を誤った道に引きずり込んだ場合、軌道修正できない危険があり、国民のコントロールがきかず暴走するおそれがあるからである。そして、誤りを隠しごまかす政党は優れた人材を育成できず、人が集まらず、国民の広範な共感を集めることができないからである。
 これらのことは生活弱者のための旗を掲げていても回避できるものではない。生活弱者の旗で隠蔽とごまかしの罪は免罪されるということはないのである。むしろ逆である。生活弱者の旗を立てているからこそ、ごまかしと隠蔽の罪が鋭く問われるのである。jcp指導部の不破や志位らがこれらのことに気づくことができるかどうかである。>