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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

共産党指導部のサークル化・化石化・・(7)─セクト的で政策実現を忘れ た6中総─

2008/7/25 原 仙作

  52、ガラパゴス諸島と『iPhone』とjcp指導部
7月11日から第六回中央委員会総会(6中総)が開かれている。志位の報告 は志位の自作自演、自分で発表した政治方針や選挙方針を自賛する賑やかさが満 載であるが、内容ということで見れば、志位らjcp指導部の”ガラパゴス化”が 進んでおり、選挙方針としては政策実現を忘れた議席拡大最優先のセクト的なも のである。
 先日、ソフトバンクが『iPhone(アイフォーン)』なる新製品を携帯電話市場 に投入して話題になっているが、それというのも日本の携帯電話市場の特殊性と 関係がある。日本のケイタイ市場はガラパゴス化していると呼ばれて久しかっ た。言うまでもなくダーウィンの進化論で有名なあのガラパゴス諸島のことであ る。
 日本の独自規格で国内でしか通用しないケイタイ市場5000万台をめぐって 国内メーカー10数社がしのぎを削ってシェア争いをし独自の技術進化を進めて いた。ところが、世界市場は11億4千万台あり、気がつけば技術的に先行して いたはずの日本メーカー全体の世界シェアがわずかに4.5%にしかすぎない有 様である。フィンランドのノキアは1社で4億台の端末を販売することと比較す ると、日本メーカーは技術の持ち腐れで自縄自縛となり世界市場から淘汰される 一方である。
そのガラパゴスの島・日本にケイタイの世界標準準拠、タッチパネル操作方 式、プラス『iPod』、プラス・パソコン(ソフト変換)機能を搭載した 『iPhone』が官製民間企業ドコモならざるチャレンジャー・ソフトバンクと組ん で黒船のごとく登場したから大人気となっているのである。
 jcpも『iPhone』人気を研究してみる必要があろう。政治も一面では人気稼 業であり、政策は良くても不人気という理由を一度研究してみるべきである。 jcpの場合は国内独自規格というよりさらにせまくて古いjcp独自規格で志 位が自作自演し、庶民の”ニーズ”をそっちのけにしているものだから、党外から 見れば見当はずれの主張と自画自賛で党員の尻たたきをやっているという印象し か湧いてこない。党員が屋上屋を架す6中総を読むのは退屈なだけで負担感ばか りが募るであろう(注27)。

  <(注27)、5中総の党勢拡大目標が未達成にもかかわらず、新たに来年はじ めの党大会むけに「党勢拡大の次の目標」が打ち出され、「年内にそれをやり きって党大会をむかえ」るというのである。2万人を越える党員拡大、日刊紙3 万部以上、日曜版13万8千部以上。5中総以後、実績からすれば毎月1000 人の党員拡大で手一杯であるはずなのに、残る半年は毎月3000人以上の拡大 だというのである。10年も負け続けた指導部にしてはじめてできる新たな目標 提起なのである。「赤旗」に載っている志位の顔が醜怪なガラパゴスのは虫類の ように見えてくる。>

  53、クレージーな6中総の選挙方針
 6中総の極めつけは総選挙向けの選挙方針のクレージーぶりである。

「わが党は、総選挙で問われる焦点は、政権の担い手の選択ではなく、政治の中 身の変革だ、日本共産党をのばしてこそ国民の利益にかなった政治の中身の変革 の道が開ける、ということを攻勢的に押し出してたたかいます。」

 志位は総選挙の方針をこう言っているのであるが、これでは参議院選で支持者 に愛想を尽かされた選挙方針の再版である。「確かな野党」と言わないだけであ る。とてもじゃないが、比例区で流出した50万の支持者を説得できる議論では ない。
 この選挙方針で、jcpは来るべき総選挙で躍進するチャンスを自ら閉ざした という印象が強い。第一にわかりにくい。選挙の要諦はまず政党の主張のわかり やすさであるが、そのセオリーに反している。第2に、政治革新をめざす大半の 国民の意思(政権交代)に反している。参議院選の結果をまともに検討していな い証拠である。第3に、志位らが指導部の都合により頭の中で無理やりひねり出 した妄想の二者択一論であることである。
 問われているのは政権交代か、政治の中身の変革か、という志位らが無理にひ ねり出した”志位的”人工的な二者択一問題ではない。
 政権交代も、政治の中身の変革もなのである。
 これこそ国民多数が求めているものなのである。違うと思うならば大々的な世 論調査を実施してみればいい。党外の「赤旗」読者にアンケート調査をしてみる ことである。これまでの全国紙等の各種世論調査をみれば明らかだが、国民多数 は政権交代も政治の中身の変革も両方を求めていることがわかるであろう。だか ら、小沢民主党は「生活が第一」と転換したのである。参議院選の結果を見よ。 志位らjcp指導部の目は自分らの都合と屁理屈で自縄自縛となっており、節穴 である。
 選挙方針を決めるという、こういう大事なところでも志位らは国民の政治意識 のありかを見ることはせず、自分らの都合と屁理屈を国民の政治意識に置き換え て選挙政治方針を決めている。だから、現実の政治情勢から遊離するのであっ て、志位らの思い通りにはいくわけがなく先の参議院選のように国民からしっぺ 返しを食うのである。エンゲルスが言うように、この党の指導部は国民を社会主 義(jcp)に接近させる方法を知らない。というより、その理論と思考方法と 感覚が原因でどうしてもわからないのである。

  54、政治の中身の変革と政権交代は切り離せない
 簡単なことなのである。志位らの屁理屈どおりに考えてみよう。志位らの言う ような政治の中身の変革をどうすれば実現できるのか? jcpの議席を数百に 激増させてjcpの政策を国会で成立させることである。それは具体的にはどう いうことか? 自民党を下野させてjcpが政権につくことである。
 何のことはない。jcpの屁理屈でも政治の中身を変革するには政権交代が必 要なのである。そもそも、変革と言うほどに政治の中身を大きく変えるのに、政 権交代と分離して中身だけの変革を主張することが馬鹿げた議論なのである。た とえて言えば、すいかを食べるのに皮を割らずに中身を食べようとするようなも ので、志位らの”石頭”でなければ思いつかない手品、屁理屈、観念論なのであ る。
 jcpを政権に、と言ったのでは誰も相手にしてくれず、あまりに非現実的な ことがばれてしまうから、両者を強引に分離してjcpの売りである片方だけを という二択の選択肢を無理やりひねり出しているのである。
 しかしまた、どうしてこんな馬鹿げた二択論を考え出さなければならないのだ ろうか? 不思議というよりは不可解、不可解と言うよりは奇怪な印象が湧いて くるのである。
 問題は至って簡単なことなのである。志位らは政治の中身を変革するには政権 交代が必要であることを国民に訴え、そのうえで政権を担うことになる民主党の 政権党政策の問題点を突きjcpの政策を提起すればいいだけの話なのである。 政権交代を実現して民主党の政策に対してjcpの政策を対置し国民に是非を問 えばいいのである。そうすればjcpの政策の一部が民主党の政権政策に取り込 まれるとか、民主党との政策協議の場が持たれたりする機会もできjcpが大き な影響を及ぼすことさえありうるのである。庶民第一に考えれば、jcpの政策 の一部であれ実現する可能性を無視するべきではない。
 また、参議院選後の政治情勢の変化がjcpに活躍の機会を与えているという 現実もよく見るべきであろう。志位はjcpの働きで、労働者派遣法や後期高齢 者医療制度について政府が手直しに追い込まれ「新しい劇的な進展」があったと 胸を張っているが、そうした事態が起こってくるのも参議院で自民党が過半数割 れという状態に追い込まれたからである。衆議院でも同様に自民党を下野させる ことになれば、さらにjcpの活躍の場が広がるはずである。
 志位らの6中総の選挙方針は、jcpの活動を有利にさせるこれらの条件づく りにあえて反対し、みずからを苦境に追い込むまねごとをしているのである。政 治的マゾヒズムと言うべきであろうか? 私が不可解、奇怪、クレージーだと言 う理由である。

  55、6中総における選挙方針の4大特徴
 志位らがクレージーな二者択一論を無理やりひねり出してまで政権交代が選挙 の争点になることを回避したい理由はどこにあるかと言えば、二大政党の争いに 埋没して票が集まらないことが怖いのであろう。しかし、志位らはよく考えてみ る必要がある。そもそもが政権交代という総選挙の争点を志位らの演説やビラで 回避させることは不可能なのである。
 二大政党は総選挙が決戦だと思っているし、国民の大多数もそうである。マス コミも政権交代を争点にクローズアップするのは必定である。志位自身も政権選 択キャンペーンが「これまでのどの選挙よりも激しいものになるでしょう」と予 想しているばかりか、「きたるべき衆議院選挙では、政権交代の現実的な可能性 もはらむ」とさえ言っている。
 だから、実際には志位らの選挙方針は「政権交代の現実的な可能性もはらむ」 という政治情勢を認識しながらそれに楯突き、支持者が政権交代論に乗せられて 票が流出するのを防ぐ意味合いしかないのである。
 やり方次第で政権交代が起こる可能性が大いにある時には、政治情勢を大きく 変えてjcpの活動と政策を実現しやすくする方針を断固選択するのが革新政党 の本性と言うべきなのだが、jcp指導部は相変わらず支持者の票の流出をどう 防ぐかということに選挙方針の焦点を据えており、「政権交代の現実的な可能 性」つぶしとなる側面には目をつぶっているのである。全小選挙区立候補戦術の 時と同じである。
 この選挙方針の政治的特徴をまとめてみよう。①、みずからの活躍の場を広げ るチャンスをつぶす政治的マゾヒズム、②、志位が言う「政権交代の現実的可能 性」をつぶす反動性、③、自党の1議席増のために支持者票の流出防止を最優先 とするセクト主義、④、これが最大の問題なのであるが、jcpのセクトの利害 優先で生活弱者の政策実現の機会をつぶす反庶民性ということである。
 ②の点については、志位らは「同じ穴のムジナ」論を採用しているせいでその 選挙方針の反動性という自覚はないのであろう(注28)。しかし、自覚があろ うがなかろうが、その選挙方針とそれに基づく政治行動は現状では唯一の政治革 新への通路となっている政権交代(自民党政権打倒となる)をつぶすという反動 的な役割を果たすのであって、彼らは参議院選が実地に教えていることさえ学ぶ 知恵も知的柔軟性も持ち合わせていないのである。私が躍進のチャンスを自ら閉 ざしたという理由である。

  <(注28)、あるいは十分自覚があるかもしれない。というのは、志位ら指導 部はどうも民主党主敵論を採用しているふしが見えるからである。すでに先の参 議院選が実証している与党の過半数割れというjcpが活躍しやすい政治変化、 チャンスが政権交代でさらに広がるはずなのであるが、そのチャンスをみすみす 捨てていることや、「同種同類の党」であれば、どちらが政権にあっても実害は 同等であるにもかかわらず政権交代を拒否する姿勢は一貫していることである。
 jcp指導部にある民主党政権アレルギー、民主党主敵論は次の点から説明で きるであろう。第一に、二大政党制つぶしは、未だ政党組織としては脆弱な民主 党の成長を阻害しつぶす方が容易であると考えやすいこと。第2に、選挙戦では 民主党に票を食われる可能性が大きく、自民党に食われる心配はない。第3に政 権党としては民主党より自民党の方が対決型を演出しやすく戦いやすいうえ、不 破の年来の持論たる「自共対決」史観の実現ともなるからである。
 要するに、社民主要打撃論と同様の考え方に立っている可能性があるのであ る。セクト主義が嵩じると、政策実現が忘れられ、みずから政治反動に転落して いくのである。>

  56、指導部のセクト主義が諸悪の根源にある
 ご覧のように、志位らの言う「政治の中身の変革だ」というのは口先だけの 「変革」であって、政治情勢に突き合わせて翻訳すれば支持票の流出防止策にす ぎないのである。この党の指導部の長い歴史で培った本性である”受動性”(党防 衛最優先思想)がいつも重要な政治戦で顔を出すのである。その”受動性”がいか に強烈なものか、本能というほどに指導部の心身に食い入っていることは、すで に検討した馬鹿げた二者択一論をひねり出したことに現れている。
 党防衛最優先思想は、多くの場合セクト主義の政治方針、政治行動として現れ るのであって、そのセクト主義の方針、行動が反動的な役割を抱え込むというこ とになるのは政治の通例であって、ここでも例外ではない。
 現実の政治情勢が刻々と政権交代という一大事件への階段を登りつつあるとき に、志位もまた「政権交代の現実的な可能性もはらむ」と認識しながら、あえて 政権交代が衆議院選の焦点ではないと主張して自党の1議席増が政治変革の扉を 開くという妄言を吐くのだから、これは悪い冗談か、政権交代反対の反動的立場 の決意表明のようなものなのである。jcp指導部は重要な政治局面では常にア クセルとブレーキを同時に踏むのである。この党が戦後の60年を経てなお3~ 4%の支持率しかえられない根本的理由のひとつである。
 また、この指導部の政治的本性が”受動性”であるために、参議院選ですでに実 証されているjcpの活動を有利にさせる政治的条件の変化もなにも一切が目に 入らないのであって、jcpの活動を活躍へと刺激した参議院選後の政治の流れ を促進するという発想さえ生まれないのである。
 民主党へ流れる票を少しでも食い止めたいという”小志”があるだけで、国民多 数を結集しうる現実的で可能な政治変革の手順(プロセスだ)を示すという見地 がまるでみられない。代わりに国民多数には関心のないjcp綱領を連呼するだ けである。国民多数の現在の”政治綱領”が政権交代であることを見ないし、志位 らには気に入らないからjcp綱領を「大運道」で国民に押しつけようとする。
 「大運動」は恒例のことだが、失敗することになる運命にある。国民の現在 の”政治綱領”は政権交代であって、政権交代とは無関係なjcp綱領ではない。 そのため押し売りとなり成果が上がらない。成果が上がらないから針小棒大な成 果をことあげして「綱領と情勢が響きあう」と党員の尻をたたく。jcp指導部 は国民の政治的引き回しを党員に煽っているだけなのである。
 この指導部は戦前の第2次共産党の時代から、政治的引き回しと国民を社会主 義(jcp)に引き寄せる方法との区別がわからない。この党の指導部の経歴が 大卒即専従活動家となるかそれと類似の経歴で、いわば純粋培養の人種(jcp 内エリートコースの人種とでも言えようか)であることと関係があろう。庶民の 心理の機微がわからない。
 何度も失敗したパターンの繰り返しであり、惨敗の事実を突きつけられると 「党の力量が足りない」と敗因を全党の責任に転嫁し、敗因と指導部の責任をう やむやにする。jcpに関心を持つ党外の人間には飽き飽きするほどわかりきっ たパターンの繰り返しである。
 すでにこれまでの連載で述べたように、様々な原因がこの党の指導部を”政治 音痴”へと追い込んでいくのだが、最大のものはこの党防衛本能と言うべきもの であって、それが発動されて政治を革新的に変化させる機会が犠牲に供せられ る。政治に変化を求める国民の動きが本格化するとjcp指導部の政治方針は革 新的国民に乗り越えられ、結果として、好条件があったにもかかわらず先の参議 院選におけるような惨敗が生まれるのである。そして、今また同様の轍を踏みつ つあるのが志位ら指導部の6中総の政治方針なのである。

  57、志位の針小棒大病
 その他には6中総には見るべきものはないのだが、選挙方針が受動的である分 だけ見当違いの自画自賛はにぎやかである。その辺のところを簡単に見ておこ う。 6中総では5中総を賛美し「一、綱領と情勢が響きあう---新しい劇的な 進展」があったと冒頭に言うのである。

「5中総決定は、・・・『国民が、自公政治に代わる新しい政治の中身を探求す る新しい時代、新しい政治のプロセスが始まった』とのべ、『この政治プロセス の行方がどうなるかは、今後の奮闘にかかっていますが、大局的には国民の認識 と日本共産党の立場─綱領の立場が接近してくる必然性があります』との展望を しめしました。それから10ヵ月の情勢の進展は、5中総決定の正しさを鮮やか に実証するものとなりました。綱領と情勢が共鳴しあう、新しい劇的な進展が目 の前で生じています。」

 この文章を読む限りでは、国民の認識がjcp綱領のすばらしさを発見し jcp支持拡大の動きが「新しい劇的な進展」で進んでいるというような印象を 受ける。国民の認識とjcp綱領が接近してくる「必然性」があるという5中総 の展望が「鮮やかに実証された」というのだから、そういう印象にならざるをえ ない。
 しかし、この発言は願望も現実もごちゃ混ぜになった志位お得意の針小棒大な 表現なのである。10ヵ月も党勢拡大の大運道を躍起となってやっているのだか ら、あちこちに小さいながらも成果が出てくるのであるが全体がどうなっている かというと次のとおりなのである。全体的には機関紙読者拡大でも2005年総 選挙時の「89.9%」であって、「こうした到達点、従来のとりくみの延長線 上では、総選挙に勝てる保障はありません。」という状態なのである。
 景気の良い志位の話しぶりと現実とは大きく異なっている。上の発言は願望9 割、事実1割という程度に考えた方がよいだろう(注29)。

  <(注29)、党幹部の老壮青の三結合ということで、1990年に志位が三段 跳びで抜擢されたのは、そのわかりやすい解説能力が買われたからであった。宮 本が方針を決め、不破がその方針を古典で着色してオーソライズし、志位がわか りやすい解説と方針実践の盛り上げ役という役回りであった。長年のその役回り が骨身に染みてしまっているせいか、志位は方針を提案して自ら”囃子方”までや るばかりでなく、盛り上げ役であったせいで見境もなく方針を持ち上げ、”鉦や 太鼓”をたたく癖がぬけないのである。その結果、事実と願望が混同する主張が 幹部会報告の随所に出てくることも連載の「(3)」で見てきたが、言葉の意味 が拡散しjcpの年来の悪習である自画自賛と我田引水の議論がひどくなってい る。>

  58、「民主連合政府を」と言えずに「綱領と情勢が響きあう」のか?
 総選挙における政権交代という、文字通りの「新しい劇的な進展」が起こる可 能性があるときに、そこから逃げ出してjcpの1議席増が日本の政治を変える という妄言ぶりなのだから支持拡大も進まないのである。そこで景気づけの小道 具が必要になる。「綱領と情勢が響きあう」というキャッチフレーズは党員の尻 を叩くために志位が発明した”鉦や太鼓”の小道具にすぎないのである。
 労働者派遣法反対や後期高齢者医療制度反対、消費税反対等と言って、それな りに政府を追い込むことに貢献したことが庶民の願いと合致し、そのことをもっ て「綱領と情勢が響きあう」というのであれば、何もjcpの綱領とだけ響き あっているわけではあるまい。新左翼の諸党派でさえ同じことが言えよう。
 民主党こそ、今日の政治情勢を切り開いた立役者であるが、他党派の貢献はす べて忘れて手前味噌な貢献ぶりを誇示する”鉦や太鼓”が「綱領と情勢が響きあ う」というキャッチフレーズなのであり、この騒々しい”鉦や太鼓”で一般党員が 追いまくられているのである。
 実際、「赤旗」の「学習・党活動のページ」は「綱領と情勢が響きあう」情勢 だから、どんどん拡大をやれという主張に尽きるのである。7月下旬の3連休も 拡大のチャンスだと発破をかけている(「赤旗」7月19日)が、これでは党員 とその家族の団らんや私生活はどうなるのだろうかと他人事ながら気になるほど である。
 志位らjcp指導部は、一度、党員の子弟のうち何%が党員になっているかを 調査して公表してみよ。全体が難しければ、中央委員と本部職員の子弟だけでも いいだろう。この党の指導部が党員を一体どういう状態においているかを測るバ ロメーターになるばかりか、現指導部下のjcpの未来を測る指標ともなるはず である。私の狭い見聞の範囲で言えば現在の政党支持率と同じ程度である。党員 の子弟にも見捨てられるような党員生活を強いる指導部では国民の支持を広げら れるはずがないだろう。
 「綱領と情勢が響きあう」と言うのであれば、党勢拡大や国会議席が劇的に増 加しつつ、その力で政治情勢を変え、またその相互作用のうちにjcp綱領に言 う民主連合政府への前進が開始された場合に限定するべきである。言葉は厳格に 使うべきだ。 選挙スローガンに民主連合政府も掲げられないで「綱領と情勢が 響きあう」も何もないだろう。
 非現実的でセクト的、かつ反動的でさえある選挙方針を掲げ、組織拡大にだけ 熱中し、針小棒大な”成果”を誇り、党内をお手盛りで盛り上げようとすることを やっていては、世間から遊離し指導部も党内もカルト化、ガラパゴス化するだけ である(注30)。

  <(注30)、この間の世論調査を見ると、6月14日の共同通信の調査では jcpの支持率3.9%、7月13日のそれは3.8%、7月14日のNHKの 調査では3%、読売の7月12、13日調査では2.3%となっており、昨年の 参議院選直後の上限3%よりは若干支持率がアップしているが、それでも参議院 選直前の読売4%、共同通信4.6%というような数字には届いていないのであ る。「新しい劇的な進展」とか「綱領と情勢が響きあう」という言い回しも、こ うした調査に基づいた事実ときちんとつきあわせるべきである。そうでなけれ ば、いつまでも指導部に都合の良いことを針小棒大に報告し続けることになるば かりでなく、政治方針や戦術に誤りをもたらす原因になるのである。
 ちなみに、jcp指導部の持病ともいうべき針小棒大病が批判されている古い 文献を拾ってみると、次のようなものがある。「日本共産党が、どんなに検証能 力を欠いてきたかは、各選挙ごとに、どんな結果からでも勝ったことを力説する 論法によっても明らかである。」(久野収・鶴見俊輔「現代日本の思想」岩波新 書67ページ、1956年)と述べて、1928年3月1日の「赤旗」3号の選 挙記事を分析している。してみれば、この針小棒大病は戦前来の第2次共産党時 代からの慢性病なのである。>(つづく)