投稿する トップページ ヘルプ

「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

共産党指導部のサークル化・化石化・・(9)-不破・志位指導部の小ブルジョア政治の限界-

2008/9/5 原 仙作

68、国政選挙のふたつの総括視点
今回は、不破や志位らjcp指導部が一般党員をどのような存在として見ているかを検討しよう。彼らにそれを直接聞いてみても、下にもおかない大事な同志であると言うに決まっているので、ここでは観察の方法を工夫してみなければならない。以前に聞いた話であるが、消防署は定期的に管轄地域に存在する危険物(石油、ガス、ガソリン、その他の化学物質)を扱う事業所の現場視察・検査を行う。その際、危険物の保管状況等の他に社員の安全管理意識も点検するのであるが、これがむずかしいと言う。日常的に高い安全管理意識を持っているか? と社員に訊いても「はい、持っています」と答えるに決まっているからである。そこで一計を案じて、事業所内の喫煙状況をつぶさに点検していくというのである。危険物の保管場所の近くに吸い殻があちこちに投げ捨てられていれば、安全管理意識が高くないというわけである。
 ここでも同じように手法を工夫して考えてみなければならない。まず、二つの具体的事実を拾い出し、それらを突き合わせるという手法を用いてみよう。昨年の参議院選を総括した5中総で志位はまともなことを言っているので、それを取り上げる。

「選挙結果をみるさい、わが党の進退だけでなく、その結果の全体を大局的、歴史的にとらえることが重要であります。」

 ”井の中の蛙”である志位もたまにはまともなことを言うのであるが、この見方は国政選挙であれば常に堅持しなければならない選挙戦総括の基本視点である。誰しも志位の主張に異存はあるまい。国政選挙の結果についての全体的な特徴を押さえてこそ、個々の政党の選挙結果の勝敗やその勝敗の意味するところも見えてくる。
 そこで、この志位の見方で2005年の郵政選挙の総括が行われたのかを点検してみよう。衆議院の2/3を越える巨大与党が生み出され、民主党は惨敗、jcpは9議席の現状維持であった。選挙結果からすれば与党の大勝利であり、その大暴走が危惧され、改憲日程の加速化や社会福祉制度の切り捨て、大増税の危険が一挙に現実化する事態に国民は追い込まれたのである。昨年の通常国会における安倍政権の17回にわたる強行採決を覚えている人も多いであろう。
 jcp指導部もさぞや深刻な選挙戦の総括を行ったであろうと思われるのであるが、予想に反して「善戦健闘」ということであった。2005年総選挙後の4中総は次のように言う。

「まず総括の第一の角度─『善戦・健闘』という結果を全党の深い確信にするということについて、報告します。」(「赤旗」2005年10月12日)

 二つの引用を見比べてみればいい。二つの国政選挙の総括の視点は明らかに相反する。あれこれ解説するまでもないが、総選挙総括の視点はjcpが9議席の現状を維持したということだけを見ているのであって、巨大与党が生まれたことを一切無視していることは明白である。総選挙結果の一部、jcpの獲得議席数だけをみており、どこにも、「その結果の全体を・・・・とらえる」という視点はない。全体を見る視点が欠落しているばかりか、jcpの獲得議席だけを見て、その現状維持を「深い確信にする」ことが選挙戦総括の「第一の角度」、すなわち、もっとも重要な論点だというのである。

69、なぜ二つの総括視点は相反するのか?
 私はこの総選挙の総括を次のように表現した。

「このような総括視点から見えてくるものは、選挙戦の結果全体ではなく、選挙戦を力戦敢闘した党活動の評価すべき点である。党の内部にのみ目を向け、しかも評価すべき点だけを見ようとする視点である。あたかも、野球の試合で自軍の選手の守備や打撃だけをビデオに録画し、それらの場面のうち、よさそうな場面のみを編集して再生するようなものである。むろん、エラーや三振の場面はないし、相手の試合ぶりや試合全体の様子、試合の結果も写ってはいない。」(現状分析欄「共産党の2005年総選挙総括」2005年10月28日)

 この二つの総括視点の比較からわかることは、客観的な真実の、全体を視野に納めた総括をめざすのではなく、その時々の選挙結果により、総括の視点は指導部の都合で恣意的に変化しているということである。総括の視点が変われば、見えてくるものも異なってくる。
 若干の解説をしよう。2005年の総選挙では、jcp指導部にとって評価できるところがあるとすれば現状維持の9議席という事実だけだったのである。そこで現状維持=「善戦健闘」という評価をあらかじめ不動の前提にして、他のことは一切考えずに「善戦健闘」ということだけを「全党の深い確信にすること」が後生大事な総括内容として全党に向けて強調されたのである。
 ところが、この「角度」は昨年の参議院選では使えなかった。議席は5から3へ、比例区も選挙区も議席を減らし、かつ得票率も減らしたからである。そこで何か評価できる点を求めて、指導部は党内から視野を選挙戦全体に広げる必要に迫られたのであって、それが「選挙結果をみるさい、・・・その結果の全体を・・・とらえる」ということになったのである。
 まともな総括の基本視点が、党指導部の自己弁護の目的で採用されることになったのである。視野を選挙戦全体に広げれば、そこには与党の惨敗、過半数割れという事態があり、その事態を生み出すことにjcpが貢献したという評価すべき点が総括の視野に転がり込んでくる、というわけである。「わが党の論戦は、自公政治を追い詰めるうえで、全体として論戦をリードし、重要な役割をはたしました。」(5中総)という具合になる。

70、国政選挙の総括さえ、党内統制のために歪曲される 
 参議院選の結果全体を見れば、自民党の過半数割れであり、野党全体の多数派形成であった。jcpは惨敗したがそれは小事として扱い、自民党が半世紀ぶりに過半数割れしたことを選挙戦の評価すべき総括点として今度は強調するのである。
 jcpが「確かな野党」を掲げて他の野党を批判しまくったことや、自民の過半数割れという政治目標を歯牙にもかけず自党の1議席増を最優先した選挙戦術を反省することはない。全体の結果を評価することで、与党の過半数割れもjcpの貢献によるものという口ぶりになってしまうのである。自民党政治を批判してきた第一人者はjcpであるという具合にである。
 いやはや、いうべき言葉もない。参議院選では自党の惨敗が小事として扱われ、与党の敗北が最重要事として取り扱われ、与党の敗北に貢献したjcpの選挙戦が大きく評価されるのである。与党の敗北より自党の1議席増に選挙戦の「最大の焦点」があると主張していたことはすっかり忘れられている。
 このように、総括視点がjcp指導部の都合でコロコロ変わるのであるが、それはなぜか? ということが問われねばならない。この二つの総括視点の対比のうちに見えてくるものこそ、この連載で何とか明らかにしようとしてきたことのひとつ、しかも最も重要な論点のひとつなのである。
 言うまでもなく、国政選挙の総括文書とはjcpにとって重要な文書であるわけだが、総括そのものが不破・志位指導部による党内支配・統制の手段となっていることをこの対比は明瞭に示しているのである。総括が客観的で真実なものであることなど不破・志位指導部にとっては二次的なもの、極端に言えばどうでも良いことなのである。第一義的に重要なことは、総括によって党内を掌握し統制すること、掌握と統制という目的にかなう内容の総括文になりさえすればいいのである。この党の指導部にあっては、それ自体としては正しい「その結果の全体」を見るという視点も、党内支配の道具にされ三百代言に変質してしまっている(注33)。
 彼らの苦心は指導部批判を回避するもっともらしい表現を工夫するところにある。別な言葉で言えば、一般党員は真実を知る必要はないのである。真実は指導部が押さえておけば十分で、一般党員は指導部の提起する方針や総括を批判せず、丸飲みに受け入れて指導部に忠実な実践に励む存在であればいいのである。下部党員は指導部が提起する方針・総括を効果的に具体化すること、その具体化にあたって創意工夫を発揮してくれること、これが不破・志位指導部の理想とする党員像なのである。むろん、狡猾な彼ら指導部はこうした見解を抱いていることなどはおくびにもださないが、二つの総括視点の相違はことの真相を雄弁に物語っているのである。
 jcp指導部によるこのような党員の取り扱いは、以上の検討からの結論であるばかりでなく、私が長い間、身近に見てきた有能な党員たちが受けた処遇の事例とも一致する。

<(注33)、不破にあっては、トリックを使ってまで、レーニンはマルクスの平和革命論を読んでおらず知らなかったと決めつけてレーニンを暴力革命唯一論者に仕立てる(「レーニンが無知なのか・・・」理論政策欄2004/9/9参照)くらいだから、選挙総括の真実性などはじめから歯牙にもかけないのであろう。不破の学生時代をよく知る安東仁兵衛が、不破はその論文を党から批判されると主張をコロコロ変えると書いていたが、その記述には十分な信憑性があると言うべきだろう。
 「私は一高の同窓会館で持たれた東大細胞以来の友人・三輪昌男の結婚披露宴で久し振りに不破と合い、『前衛』論文を称賛して『今度は変わるなよ』とひやかした。『うん、変わらないよ」と彼は私と握手を交わしながら答えた。ところが後日に彼が自己批判したことを聞いて、『やっぱり』と苦笑した次第である。(なお佐藤経明の話では、井汲塾で力石は不破論文を評価しつつ、『だけどこの際お前さんに言っておきますがね、あまりコロコロ変わりなさんなよ』と釘をさしていたそうである。)」(「戦後日本共産党私記」文春文庫291ページ。)>

71、真実の独占者と党の分裂
 この二つの総括視点の引用文を見比べて、読者の皆さんにはこの指導部がどんな姿で見えてくるであろうか? 
 不破・志位指導部についてどんな風景が読者の皆さんの心象に像を結ぶであろうか? 特に現指導部を信奉する党員諸兄は、この相反する総括視点をどのように”弁証”するのであろうか? 二つの相反する総括視点の引用文を見比べるだけで私には次のようなことが見えてくる。
 第一に、すでに述べたことだがこの指導部が一般党員をどのような存在と見ているかがわかり、従ってまた第二に、党の指導部と一般党員との分裂がみえる。不破指導部が真実を把握しているという仮定をおいての話であるが、真実を共有する指導部グループとその他との分離。それが長期にわたれば指導する特別な階層とその他とに分裂し、固定化が進むであろう。さらには第3に、この指導部が民主主義的組織原則だという「民主集中制」の実態が何たるかもわかるのである。指導部の都合で真実とはかけ離れた総括を与えられていては、「みんなで話し合って、みんなで決めたことはみんなで実行する」と指導部が喧伝する党内民主主義の前提そのものが破壊されている。そしてまた、第4に、今日、毎日のように「赤旗」に載る「支部が主役の党活動」や将来の話ではあるが「生産者が主役の生産手段の社会化」論がこの指導部のイニシアチヴのもとでは絵に描いた餅でしかないことも明瞭なのである。
 国民といい、国民の圧倒的多数を構成する労働者階級といい、彼らが社会の主人公になろうとする時代(21世紀はそうなるであろう新時代、新世界の根本的特徴だ)にあっては、指導部だけが真実を囲い込み、その他は指導される者という”分業”体制こそ、今日の政治不信の根源にあるものであり、古い遅れた時代の常套的政治支配の手段、すなわちブルジョア政治支配の常套手段なのであって、情けないことに不破や志位らのjcp指導部もこのブルジョア政治手法の継承者なのである。
 要するに、指導部による真実の独占とガセネタともいうべき総括で一般党員を支配・統制する不破・志位指導部のやり方は、単に党内政治支配の一手段というだけではなく、ブルジョア政治手法の継承であり、この指導部が新時代の政治モデルを提起するという”革命”政党の能力を根本的に保持していないことをも示しているのである。

72、不破・志位指導部の本性を照射するレーニン
 二つの総括視点に見られる不破・志位指導部のやり方を古いなじみのあるマルクス主義の文脈のなかに置いてみることにする。上記二つの引用文がマルクス主義の巨人の目から見ればどのように見えるかを確認することは有意義なことこのうえない。かつて当サイトへの投稿で引用したレーニンの文章であるが、jcp指導部には限りなく重要で日々思い出して座右の銘にしてほしいのであるが、それは次のようなものであった。

「政党が自分のおかした誤りにたいしてとる態度は、その党がまじめであったかどうかをはかり、党が自分の階級と勤労者大衆にたいする自分の義務を実際にはたしているかどうかをはかる、もっとも重要で、もっとも確実な基準の一つである。誤りを公然とみとめ、その原因をあばきだし、それを生んだ情勢を分析し、誤りをあらためる手段を注意ぶかく討議すること──、これこそ、階級を、ついで大衆をも教育し、訓練することである。ドイツ(とオランダ)の「左派」は、この自分の義務をはたさず、そのはっきりした誤りを研究することに、非常に注意深い、几帳面な、慎重な態度をとらなかったが、まさにそれによって、彼らは、自分たちが階級の党ではなく、サークルであり、大衆の党ではなくインテリゲンツィアとインテリかたぎのもっとも悪い面をまねる少数の労働者とのグループであることを証明している。」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」全集31巻43ページ)

 レーニンの文章の眼目は、党の誤り、誤った党指導という真実は全党の隅々にわたって共有されなければならないということにあることは明瞭である。さらに注意するべきことは、レーニンは党内に限っていないことである。労働者階級ばかりでなく「勤労者大衆」にまで真実の共有範囲を広げていることである。
 このことこそ、戦時の非合法下にあっても合法活動下にあっても労働者党指導部が守るべき鉄則なのであって、この鉄則があって初めてレーニン党の”鉄の規律”も歴史的な成立を見ることができたのである。組織の形態だけを移植しても魂なき抜け殻にすぎない。
 ブルジョア政治手法を一掃するレーニン党には新時代を切り開く革命政党の能力が備わっていたことがわかるであろう。ボルシェヴィキ政権が成立するや、ロシア帝国の一切の外交秘密が公然と暴露され、ドイツとのブレスト講和条約をめぐる公然たる党内論争もまた、この延長線上にある。
 しかして、不破jcpはどうであるか? まったく逆である。1960年の綱領ができて以来のこの党の規約改定の歴史をみてもわかることだが、改訂のたびに法則と言えるほど党員個人の権利は削減されてきたし、今日では一般党員は全国的な政治方針についてさえ、公然と支部組織の枠を越えて論議できないばかりでなく、指導部の誤りを含めて党全体の実情についての真実を知る必要がない存在に置かれている。言わば、メクラ状態で指導部の指示する党活動を強制されているのが実態である。

73、不破・志位指導部の小ブルジョア的本性
 なぜ、そうなるのかと言えば、レーニンの回答では、この指導部がプロレタリア政党の指導部ではなくプロレタリア政党の指導部を占拠している小ブルジョアの指導部なのだということにある。この連載やその他の投稿を通じて明らかにしてきた不破・志位指導部の病気、すなわち、その独善性とセクト主義と自画自賛、それらの根源にある党防衛(指導部防衛が本質)最優先思想、その思考における教条主義、意見の相違を組織的に排除する歴史的な習性、国民の政治意識を無視する観念性と主観性、相互の力関係の計算を忘れた選挙戦術、指導の誤りをなりふり構わず隠蔽する性癖、誤りが公然化することへの極度の恐怖症、党の真実を一般党員と共有せず、真実の指導部独占と手足にすぎない一般党員への組織的分離、宮本や不破の独裁制と呼ぶのがふさわしいjcpの民主集中制等々は、根本的には小ブルジョア政治の特徴なのである。
 労働者階級の利害を反映した政策を掲げるかぎりで、jcpは労働者階級の政党と言えるのであるが、その指導部はjcpの戦前戦後の歴史を通じて小ブルジョアが占拠してきたのであり、今日まで党内外を通じて労働者階級の政治と組織運営がなされることはなかったのである。小ブルジョアの政治はブルジョア政治手法を継承するのである。

74、jcp指導部の小ブルジョア性の歴史的背景
 むろん、指導部を構成するメンバーの出身階級が問題ではなく、指導部が行う政治実践の小ブルジョア性が問題なのであるが、85年のその歴史を通じて小ブルジョアの政治実践が是正されることがなかったことは世界でも特異な事例であろう。労働者階級の政治と小ブルジョアの政治とでは、あちこちで齟齬を来たし、一致する場合もあれば不一致する場合も多く、主要な戦場である国家権力との闘争では余分なリスクを負う(すでに連載で見てきた相互の力関係を考慮しない政治・選挙戦術など)のであるから、長い階級闘争の歴史過程では小ブルジョア政治とその担い手は淘汰されてしかるべきところであるが、三度の解党・壊滅の歴史を経てなおかつ復活している。
 この事態の社会的背景には日本という国が恐ろしく小ブルジョア的な国であったことがあるであろう。列強に伍するだけの帝国主義国家になりながら、その基盤産業が圧倒的な比重を占める農業であり、資本(財閥)は絶対主義(半封建制)権力である天皇制を打倒するどころか、天皇の権力にすがってはじめて資本たり得た国である。むろん、一国を支配する資本が成立することなしにはマルクスらの古典が言う典型的プロレタリアートが生成してくるはずもない。戦前の『講座派』系の流れをくむ学者達が”もんぺをはいた労働者”と言う由縁であり、そして、この国の君主たる天皇が20世紀半ばである1945年に至るまで人心に深く食い込んだ現人神としてこの国に君臨したという歴史を持つ国である。
 王権神授説が生きた権威として自己の存在を弁証した絶対王政の時代は、イギリスに比べればはるかに小ブルジョア的な国であったフランスにあってさえ18世紀末には方が付けられたことと対比すれば、1945年まで現人神が生き残った日本という国の小ブルジョア性の深さと広さがうかがい知れよう。
 特に力説しておかなければならないことは、近代国家の根本原理である政教分離が宣言されたのは1947年に発布された日本国憲法においてであり、それまでは人身(人心)の自由どころかその精神までが天皇という君主に鷲づかみにされ、『私』なき”滅私奉公”が理想の人格として生きていたのである。その究極の形態が戦前の”特攻隊”である。
 こうした社会的、精神的風土を背景にjcpは1922年に創立されるわけであり、設立当初はインテリ(小ブルジョア)中心の党形成となるのは自然なことであった。しかしながら、その後に参加してきた労働者階級出身者も”職人かたぎ”に象徴されるように多分に小ブルジョア気質を抱えていたのである。第二次共産党の再建時に小ブルジョア・イデオロギーというべき福本イズムが急速に党内に広まったこともその証拠になろう。
 経済政策などでは労働者階級の利害を掲げることはできても、実際の政治運動ではその小ブルジョア性の自覚、その克服方法を編み出すことができなかったのである。泳ぎ方を本で学んでも泳げるようになるわけではないことと同じである。実際に泳げるようになるには実地の経験と工夫、努力が必要なのであるが、戦前のjcpにはその経験期間があまりに短かすぎたのである(注34)。その結果、解党と壊滅の三度の試練を経てもなお、小ブルジョア指導部が復活してくるのである。
 jcpの戦後史を多少でも知る人ならわかるであろうが、この党の「民主集中制」のもとで、異なる見解を持つ多くの党員が党から排除されたのであるが、その排除と一枚岩の政治見解の形成は党内論争をなきものにしたのであって、指導部の小ブルジョア性からの脱却のための貴重な契機を喪失することにもなったのである。

<(注34)、戦後の党を半世紀にわたって支配した宮本顕治でさえ、入党が1931年5月で中央委員として逮捕されたのが1933年12月である。22歳で入党し正味の党活動期間はわずかに2年半にすぎないのである。>

75、党内の分裂と不破の専制
 戦前の日本を並のブルジョア国家の一類型とみる見解では、jcpの指導部を長年占拠してきた小ブルジョア政治ということすら理解できないのであるが、しかし、ここは歴史研究の場ではなく、関心はjcp指導部の政治を転換させるという政治実践の領域の問題にあるのだから、論ずべき主要な論点に戻ることにしよう。
 それは党についてであれ、政治情勢についてであれ、真実を共有する指導部グループとその真実から排除された一般党員との分裂という問題である。かつての宮本独裁、現在の不破独裁とも言えるような組織的な実態のもとでは、この真実を共有する指導部の範囲は”寡頭制”というほどに狭いものであり、おそらくは常任幹部会員20名のうちの一部、5指にもならないのではなかろうか? というのも、かつて党のNo4と呼ばれ離党した元常任幹部会員・筆坂秀世でさえ、その著書「日本共産党」で次のように書いているからである。
 「私は宮本氏とは直接会話したことがない。」(111ページ)とか、当時、書記局長であった志位や書記局次長であった浜野が「指導部の意見はこうだった。」(98ページ)とさかんに言っていたことをあげ、「彼らが指導部と呼んでいたのは不破氏のことだった。」(同)とあるからである。宮本はすでに引退寸前の老衰の身であった。
 機関決定を経ずに不破が先にあれこれ言いだし、後追いで機関決定をするjcpの姿を数多く見てきたことからすれば、これらの筆坂の記述は十分に信憑性があると言えるのであって、先に挙げた二つの総括視点も不破の指示であったと見て間違いないであろう。
 筆坂の記述からわかることは、ここに言う”寡頭制”は「指導部」という機関でありながら不破個人のことなのである。党の機関が不破個人と融合している。 半世紀にわたるjcpの姿を見ればわかるように、この組織にはトップをチェックする機関がなく、個人と癒着した頂点の機関は個人専制となり、機関が個人を支配するのではなく不破個人が無限に機関に浸透し機関を支配していくのである。”不破共産党”という名辞はこの党の本質を最も適確に表現したものになる。
 しかも、支部間の交流が自由に行えず、組織的には縦割りの”たこつぼ型”の組織で、上部批判は上部が認めたものしか日の目を見ない組織にあっては、実態のうえでは下の意向・批判が上に反映されることは例外でしかない。事実のうえでは上から下への一方通行があるだけで、不破による真実の独占は、どう呼ぶにしろ、不破の特権化、全能化、神格化と志位以下の党指導機関の官僚化と末端党員の盲目的兵卒化という傾向を生むことになる。そして、すでに述べたように、指導部に盲従する兵卒党員こそ不破ら指導部の理想の一般党員像なのである。

76、真実の独占者と組織の宗教団体化
 こうした傾向を持つ組織に、不破の「科学的社会主義」思想と日本人の伝統的・理想的人格像である”滅私奉公”を持ち込んで考察して見るとどうなるであろうか?  一般党員は指導部が与える選挙戦の総括ばかりでなく、人類の理想ともいうべき「科学的社会主義」を不破から与えられるのである。jcpにあっては「科学的社会主義」は人類が獲得した最高の思想であり、かつ人類救済の唯一の科学的思想であるから、その解釈・講釈ができる唯一者・不破は預言者モハメッドに等しい特別な存在となるのは避けられないであろう。批判と論争がなく、他の有力な論者のいない世界ではそうなるほかない。他方の一般党員は不破の著作を読んだり、不破の講義を聴いて不破に”帰依”するほかないのである。
 そこには政党内部の役割分担としての合理的な関係は存在せず、限りなく宗教的な関係に近い関係が支配する。というのは、不破の著作を縦横に論じ合うという伝統は半世紀この方jcpには存在しないし、人類救済思想としてのjcpの「科学的社会主義」は社会思想であるだけでなく”バイブル(聖書)”と同様、人倫の大義を説くものでもあるからである。志位の先来の86周年記念講演の演題は「正義と道理に立つものは未来に生きる」であって、牧師の説教の演題にしても違和感はない。それに加えて、選挙総括をめぐる二つの視点の相反に見られるように、真実の独占者・不破の著作や講演、総括には真実が書かれていないからでもある。合理的な理解ではなく、不破の説くことを信ずることが求められるのである。”帰依”と言うしかないではないか。
 不破にあっては<(注33)>で簡単に触れたが、若い頃から理論は真実を写し取る器ではなく、その時々の何らかの事態を説明する”方便”にすぎないのである。まさに寄る辺なき小ブルジョアにふさわしい理論感覚なのである。
 党員は「科学的社会主義」の思想で精神の一部を支配されるのではない。その思想の価値観、倫理観ゆえにその精神の中核を支配され、”滅私奉公”型の党活動を理想の党活動として理解するようにならざるを得ない。これは理想の党員像という観念であるだけでなく現実に党活動の強制で押しつけられる党員像でもある。
 労働者がおのれ自身を回復し自分自身に立ち返る休日にさえ、「大運道」の立ち後れの挽回日として党勢拡大運動に駆り立てられる。8月30日の「赤旗・党活動のページ」は「8月前進・飛躍こそ総選挙の備え」という大見出しを打ち、「問題は緊迫感をもって30、31日の土・日を中心にどれだけの支部、党員の動きをつくれるかにある」云々とやられるのである。

77、党生活に埋没する私生活
 ”帰依”と奉仕の日常であり休日もない。これでは党員の私生活はないも同然、あるいは党生活のために私生活がある人生のようなものであるが、狂信的宗教の伝道者ならいざ知らず、こうした日常は一般党員のまともなライフ・スタイルと言えるであろうか? 一般党員はいやおうなしにその精神を含めて全生活を党に支配されるのであり、党の要請に応えられる人格とは”滅私奉公”型の人格であることも言うまでもない。そこでは限りなく”滅私奉公”するものがすぐれた党員であり、私生活を確保する度合いが高まるにつれて、その党員は思想性が高まっておらず、鍛えられなければならない党員なのである。”滅私奉公”型の党活動からの距離がそのまま不良党員の度合いを測る尺度となる。
 これではjcpに入党し社会貢献の志を持っていても、精神的なバランスをとることが極度に難しくなり、多くの場合、日を経ずして”鬱状態”に襲われるのではなかろうか? 党が求める理想的党員像との距離があまりに大きいからである。思想や主義に殉ずることに至高の価値があり、社会救済活動である党活動に全的な価値が置かれる組織にあっては、党員の精神は倫理的にも支配され私生活を確保する理由が解体され、丸ごと党に差し出される(”帰依”!)ほかないのである。私生活を確保する度合いが高まるにつれて党員としては”不良化”を意識せざるを得なくなり、社会貢献の志も”不良化”の自覚で曇らざるを得ないであろう。
 一般党員が、このような精神状況におかれる組織は近代的な政党組織と言えるであろうか? レーニン世界のような戦争と革命の一時代ならわからぬでもないが、民主主義が支配する時代にあっては少なくとも政治活動、党生活は党員個人の私生活の一部という位置づけがなされなければならず、党が丸ごと党員の精神生活を支配するものであってはならないだろう。労働者には党生活以外に職業生活と家庭生活があり、個人の休息の時も必要であり、それらを充足させながら長い政治闘争を戦い抜かなければならないのである。
 労働者の休日における組織的党活動の要請は原則禁止とするべきであり、その意味では通年の「大運道」などもってのほかである。指導部は「党の力量不足」という口実で党勢拡大運動を通年化しているが、「党の力量不足」は日常の党活動のなかで埋めていくべきものであって、国政選挙向けに「大運道」をやり土日もなしに党員を動員すべきではない。期間を定めたノルマとしての党勢拡大は、その期間が過ぎれば元へ戻るというのが四半世紀来の経験則であって、党の力量を高めるどころか、党員の疲弊と徒労感が残るばかりで私生活への被害も甚大になるであろう。
 jcp指導部が求める党活動は戦争と革命の一時代のそれと同じである。党生活、政治活動に全生活を没入させるのが理想像であり、民主主義という時代の転換が求めている党活動のスタイルが創造されていない。経験的な言い方になるが、学生運動活動家の活動スタイルがそのまま党活動の理想型として生きているのであり、ここにも指導部の小ブルジョア性が露出している。

78、小ブルジョア指導部によるjcpの機能不全
 指導部が不破個人と融合し、私人が無限に指導機関に浸透する不破専制、不破独裁となるjcpという政治組織にあっては、真実の独占者は不破一人であり、そこに発生する党の分裂は政治組織としてのjcpを機能不全に陥れつつあるというのが現状である。10年来の国政選挙における後退がそのことを象徴的に示しており、不破が衒学的に言う「政治対決の弁証法」、すなわちjcpの発展過程での一時的後退というような事態ではない。政党の歴史にとって10年という歳月は決して短いものではない。お隣の国である中国の共産党が党創立から権力奪取までにかけた歳月は28年である。
 機能不全の別の一指標を示すとすれば、国政選挙におけるjcpの基礎票の推移をあげることができよう。志位は2005年の郵政選挙を総括した4中総でjcpの基礎票を「二百数十万程度」と言っているが、20年以上前の1984年の7中総においては宮本(当時議長)は冒頭発言で次のように言っている。「客観的には、比例代表選で日本共産党の党名を書いた4百16万が日本共産党の基礎的な票であった」(「赤旗」1984年1月26日)
 現在とは異なって1984年頃はまだ無党派層の比率はそれほど大きくなく、支持者と政党の関係もそれほど流動的ではなかった時代には、参議院選比例区の党名記入方式の選挙ではjcpの比例区票はおおむね基礎票とみなしてもまちがいではなかった。1984年当時の基礎票が比例区票の1割減の370万票程度とみても、現在ではその3割減がjcpの基礎票なのである。
 議席の減少は21世紀に入って顕著になったものの、基礎票はすでに80年代から減少過程に入っていることや赤旗読者のピークが1980年であったこととも思い起こすべきである。基礎票、赤旗読者の減少過程はすでに4半世紀も続いているのである。”教祖”不破の衒学趣味である「政治対決の弁証法」にだまされてはなるまい。
 さらに別の指標を取り出せば、真実の独占者とその他とへの組織の分裂は、今では第2の亀裂を生み出しているのである。政策は労働者階級の政策を掲げておりながら指導部の行う国政上の政治実践(例えば、選挙戦術など)は小ブルジョアのそれであることからくる亀裂である。末端党員には身近な労働者への具体的な貢献・援助を説きながら、国政上の政治実践では、他党との選挙協力による政策の実現より全小選挙区立候補による党議席拡大が優先するという小ブルジョアのセクト主義が現れている。
 末端党員による国民への具体的献身と国政における指導部の小ブルジョアセクト主義、言い換えれば、末端党員による労働者階級のための政治活動と指導部による小ブルジョアの政治、それらの積み重ねが市町村議選レベルの善戦健闘と国政選挙レベルでの凋落として現象しているのである。社会主義諸国の崩壊という悪影響はどの選挙領域においても均等に作用するわけではなく、国政選挙の領域で顕著に現れるのは、指導部の国政上の政治実践が小ブルジョアの政治実践、小ブルジョアセクト主義による成果なき政治実践だからである。今では市町村議選の議席の消長と国政選における議席の消長とは一致しないのである。
 小ブルジョア指導部の限界が時代に問われる季節がやってきたということである。一般国民の所得が戦後史ではじめて減少に転換した時代は同時に本格的な”政治の季節”を迎えたことを意味するのであるが、そこで求められているのは労働者階級を中心とする勤労者大衆の政治であって小ブルジョアの政治ではないのである。

79、イデオロギーの守護神・不破の勤行と末端の疲弊
 今回の投稿の最後に、やっと得られた不破指導部の小ブルジョア政治という把握、概念を点検してみることにしよう。この把握は単なるレッテルではないのであって、この概念を得ることで不破指導部の他のいろいろな側面も見えてくるのである。一つは連載で述べた指導部の誤りをあたふたと隠すことに見られる何物かへの恐怖症のことであるが、小ブルジョアの不破らは本能的に労働者政党から放り出されることを恐れているのである。放り出される原因となるあらゆることを万難を排して排除しようとするのである。上に引用したレーニンの忠告など馬耳東風なのである。
 その政治方針、政治戦術、選挙戦術、大衆運動における骨がらみのセクト主義は小ブルジョアの専売特許とでも呼ぶべきもので、レーニンが数々の事例を挙げて「共産主義における左翼主義小児病」という著作で説いたところである。
 次は評判の悪い共産党という党名に固執する理由であるが、公式には大きな誤りを犯したことがなく由緒ある歴史を持つからだというようなことを言っているが、党の実質的な前進・発展、労働者政策の実現への近道になることならば、名前にこだわる必要はさらさらないはずなのである。その発祥の地ドイツでは、もともと社会主義労働者党とか社会民主党と呼んでいたのである。しかも、不破は他の投稿で明らかにしたことであるが、マルクスの文献を改竄し、レーニンをトリックで陥れマルクス平和革命論に無知だと誹謗する人物なのである。
 その不破が共産党という党名に固執するのが不思議なほどである。しかし、極度の不評であれ、その名前に固執するのは、真実のところでは、この名前がなければ「科学的社会主義」という不破を神格化する経文が売り物にならなくなるからであり、労働者政党の指導部を占拠する指導者としての”余人をもって代え難い”価値もなくなるからである。小ブルジョアが労働者政党の指導部を占拠する最大の武器はマルクス・エンゲルスの講釈師たる能力なのであり、また不破の「科学的社会主義」がなくなれば不破らを支える”滅私奉公”型の党活動家もいなくなるからなのである。
 不破が山荘の”マルクス館”にこもり、不破の政治指導には何の役にも立たない「マルクス・エンゲルスの革命論研究」をするのも「科学的社会主義」という教義の守護神としての勤めであり、和尚の日常の勤行と同じことなのである。その科学的、実用的意義は全く問題にならないのであって、不破にその研究が不破の政治指導、長期低落の打開に役立つのかと訊く方が”野暮”というものなのである。
 不破を信奉する党員諸兄は不破の勤行という決めつけを私の憶測だと思うであろうから、不破の言葉を引用しておこう。昨年の12月13日の「赤旗」には「革命論の研究講座終わる」という見出しで不破の次のような講義最後の「訴え」を載せている。「マルクス、エンゲルスが・・・絶えず新しい問題に挑戦し、科学的な回答を追求したように、科学的社会主義の立場で新しい問題に挑戦する、その態度をこそ受け継ぎ、身につけてもらいたい。」 不破の革命論研究は「新しい問題」、目下の凋落の打開策に役立つものではなくて、幹部党員が「その態度を・・身につける」という精神修養が目的だったのである。
 そしてまた、民主主義だというフィクションとしての「民主集中制」への固執についてであるが、不破(指導部)による真実の独占、教義解釈権の独占は組織における専制、上意下達の一方的組織、すなわち、「民主集中制」という名の実態としての専制組織なしには成立しないのである。
 こうして不破独裁のもとでは、不破という私人が指導部という機構に全的に浸透し、不破の都合が党中央の政治方針ということになっていくのである。組織トップは私人が機構を併呑し、下部は機構が個人の私生活を併呑していく。指導部の小ブルジョア政治は組織における独裁を構築し、国政における議席減を招きよせ、、中間機関を官僚化する。組織機構に私生活を併呑された下部党員はカルト化するか、そうでなければ精神的にも肉体的にも疲弊していくのである。(つづく)