80、いよいよ、総選挙だ
安倍政権に続く福田政権による1年足らずでの政権投げ出し、自民党総裁選、新首相選出、臨時国会、解散へと政治日程は総選挙へ、総選挙へと流れを加速させている。総裁選のお祭りも不発に終わった感があるが、騒ぎの幕間から現れたのが部落差別意識という古い時代の感覚を引きずる麻生太郎、元首相・吉田茂の孫というのであるから、自民党政権の幕引きには打ってつけの人物を自民党は選び出したことになる。 10月9日解散、11月9日投票というスケジュールも取りざたされているが、いずれにしても11月前半には選挙という日程は動かなくなっており、総選挙の焦点は自民党の下野、政権交代という流れへと日を追って収斂されつつあるように見える。
あらゆる作戦は野党を圧勝させ、政権交代へと結びつくものでなければならない。大事なことは勝つというだけでなく、当事者をも震撼させるほど圧勝するということが重要である。総選挙の民意を不明にする魑魅魍魎の政界再編を封ずる手段がこれである。
私の見るところでは、すでに政権交代論が世論となるところにまで成長してきており、もうひとつ、何かのきっかけがありさえすれば、この流れは自民党政権の”新顔”を一気に押し流してしまうほどの奔流になるであろう。麻生は評判の悪い後期高齢者医療制度の見直しなど、選挙対策で、急遽方向転換をはじめているが今となっては逆効果である。
jcp(共産党)は6中総で、政権交代ではなく「政治の中身の変革」ということが総選挙の争点だというのであるが、”ピンぼけ”であることがますますはっきりしてきた。前々回に述べたとおり、政権交代なしにはどのような政治変革もありえないのであり、セオリー無視の争点設定なのである。この「政治の中身の変革」というキャッチフレーズが「確かな野党」に代わる新スローガンだと説明する市田の話を「赤旗」で読んで、なるほどと納得したものである。相変わらず、動機が民主党という流れに埋没したくないというセクトのせまい根性から出たスローガンであることがよくわかる。
この党の指導部にあっては、国民多数の政治意識にマッチした政治スローガンを考えるのではなく、自党の都合を押し出すスローガンばかりが登場して国民の心を捉えるということがない。
81、政治指導者に必要な基礎的能力
さて、常々疑問に思っていたことであるが、不破らjcp指導部の政治指導者としての能力の一端を検討してみよう。政治指導者の能力の中心は、古典文献を講釈できる能力や事務管理能力にあるのではなく、複雑で絶えず変化して行く政治情勢を的確に読み取り、限られた時間の中で適切な戦術を提起し、実践の経験を通じて党員に確信を与えて奮起を促し、所定の政治的成果を達成していく能力にあることは誰しも否定しないであろう。政治指導者の能力は学術研究や事務管理能力とは異なる別個の高度な能力なのである。
そこで、議論を限定するために、こうした能力の中から適切な戦術を提起できる能力という側面を取り出してみよう。
適切な戦術を提起するためには、その時々の政治・経済情勢や相互の力関係、国民の政治意識の有様等々、戦術を決定する際に考慮すべき客観的諸条件の全体を具体的に分析・考察することができなければならない。そればかりでなく、それらの考慮すべき客観的諸条件の網の目の中から望ましい変化や成果を得るために重視すべきポイントを探し出し、どこにどういう順序でどう働きかければどのような可能性が開けてくるのかという現状打開の構想力も必要とされているのである。党の綱領があります、では話にならないのであって、その綱領実現に接近する現状打開の具体策の構想力が問われているのである。
しかし、構想力のことは脇に置くとして、考慮すべき客観的諸条件の全体を”具体的”に分析・考察するということが非常に重要なのである。これがなければ、戦術は根拠なきものとなり構想力も単なる思いつき、空想力にすぎなくなる。ところが、不破や志位らには政治の現実を具体的に分析・考察するという戦術を提起するための基礎となる能力、政治指導者にとって基礎となるこの能力がないのである。そこで、政治指導者としてのこの基礎的能力の欠如を論証してみよう。
82、2003年の都知事選で不破はどういう分析をしたか?(1)
不破は100冊を超えるほどの多数の著作を持つと言われているが、彼の書いたもので具体的に諸資料とその数値を用いて現実を分析・考察したものはほとんどないのである。 近年でそれらしきものとして数字を載せた小論考で目にしたのは2003年の都知事選についてのものである。この論考は「都知事選への新しい取り組みについて」という題名で不破によって都後援会決起集会で報告されたもので、その主旨は党員公認都知事候補の擁立を弁護し、無所属推薦候補の方がベターだという党内外の世論を排除したものであった。
不破は党員公認候補の方が無所属推薦候補より有利な条件が多々あり、党員公認候補では選挙戦が不利になると言うのは根拠のない誤りであることを論証しようとしたのであった。しかし、結果は不破主張に従って都委員長の職責(?)として候補者となった若林義春の惨敗に終わったのである。不破の主張は事実をもって覆されたということになる。
党員若林の獲得票が36万票で、前回(1999年)の無所属・三上の66万票の半分しかとれなかったのである。99年の都知事選は青島幸男の不出馬に刺激されて、明石康、鳩山邦夫、柿沢こうじ、舛添要一ら有力候補がひしめく中に石原が”後出しジャンケンだ”と批判されながらも参戦した選挙戦であった。この乱戦の中で三上が66万(5位)を獲得したのであるから、三上票は東京都におけるjcpの基礎票と見なし得る得票であった。
一方、不破推薦の2003年の若林の場合は当初一騎打ちの様相を呈していたものが、公示直前に見るに見かねて立候補した無所属・樋口恵子の”おばさん学者”候補に81万票さらわれ、石原が308万票で圧勝した選挙戦となってしまったのである。 党員若林は基礎票の6割しか集票できず、不破の主張はギャフンというほどに事実でもって粉砕されてしまったばかりか、300万票を獲得した石原を増長させる原因ともなったのである。2007年の都知事選は無所属推薦候補に戻しており、不破は事実でもって自己の主張を否定したわけである。
83、2003年の都知事選で不破はどういう分析をしたか?(2)
不破の論考は「都知事選への新しい取り組みについて」という表題で2003年3月3日の「赤旗」に発表され、今もjcpのHPに公開されているが、今読み返してみると、そこにあげられた数字の”勝手読み”ばかりが目につく記念すべき小論である。
この小論を読むと、不破が現実の政治情勢を具体的に分析し考察することができない種類の人物であることがよくわかるのである。簡単にjcpのHPで手に入る小論だけに党員諸兄の皆さんに一読をお勧めする。
不破が行う分析の内容に立ち入ってみよう。不破はまず、直近の3回の都知事選で無所属推薦候補を擁立して獲得した票は、その前後の国政選挙での獲得票と比較して「得票の谷」となっていることを指摘し、無所属推薦候補の方が票を取れるという主張に反論する。
「九一年の場合ですと、たとえば前の年(一九九〇年)の衆議院選挙で、東京での私たちの得票の合計は七十四万四千六百七十一票でした。しかし翌年の知事選挙では、四十二万一千七百七十五票。その翌年(一九九二年)に参院選挙がありました。東京選挙区では、七十五万六千六百四十七票、比例では四十九万九千七百四十九票。つまり日本共産党という党名をかかげての選挙でとった得票よりも、無党派の候補者を推した知事選の得票は少なかったのです。」
不破はこうした議論を1995年と1999年の都知事選についても数字を取り出して行い、結論として次のように言う。
「この実態をまったくみないで、『無党派だから得票が増える』、あるいは『公認になったら得票が減る』、そういう思い込みで、今度の私たちの決断をみていただくのは科学的ではない。そのことをまず私は最初に申し上げたいのです。」
84、2003年の都知事選で不破はどういう分析をしたか?(3)
ここには論理のすり替えがあることが不破にはわからないようだ。無党派推薦候補の方が党公認候補より集票力があるという経験則の主張は都知事選の枠内での主張であって、選挙の種類が異なる選挙戦の数字を持ち出して比較してもこの経験則否定の論拠にできないのである。不破は都知事選という枠組みを取り払い、党公認候補と無所属推薦候補という枠組に問題を置き換えてしまっている。
数字を持ち出すのならば、都知事選における無党派推薦候補擁立の場合と党公認候補擁立の場合とを第1に比較してみなければならない。その実例がないのであれば、なるべく似通った大都市を抱える事例を探してこなければならない。たとえば大阪府知事選とか京都府知事選、名古屋県知事選などである。
どうして、選挙の種類が違う国政選挙と比較して不破のような結論(経験則の否定)が出せないかというと、報告の後の方で不破自身で言っているが次のような理由があるからである。
「知事選挙と党派の議員選挙とは性格が全く違う選挙です。知事選には、われわれの頑張りのいかんだけでなく、別の政治力学が働きます。」
不破は自分でこのように言っているのであるから、都知事選という枠組みを取りはらって「性格が全く違う」選挙戦の比較はできないのである。上記の国政選挙との比較で都知事選における無党派推薦候補の票の方が増えるの減るのという議論ができないことを不破は自分で証明しているわけであって、自分で自分を殴りつけるとはこのことである。
不破は現実から取り出した具体的数字がどのような制約を受けており、どの範囲で何事かを説明する材料として有効なのか皆目見当がつかない種類の人間であることがわかるであろう。彼は現実から取り出した数字を取り扱うことが不得手であり、それが著作にも反映しているのであるが、問題は、これでは現実の政治情勢を分析する能力がないということである。
となると、彼は政治指導者としてその政治方針や選挙戦術を何に基づいて決めているのかという別の問題が発生することにもなる。ここからは余談になるが、彼の「科学的社会主義」にもとづく理屈(理論)なのであって、そこから現実離れの、党の力量を”リアル”に考慮することを忘れた教条主義の選挙戦術や「科学的社会主義」の大局観に基づくだけの政治指導がでてくるのである。
85、2003年の都知事選で不破はどういう分析をしたか?(4)
うえの例は不破が党員、支持者を”丸め込む”ためにでっち上げた議論であって、不破はその論理のインチキぶりを知っているのだという不破弁護(?)論者がいるかもしれないので、他の例をあげてみよう。
不破のように都知事選という枠組みを取り払ってしまい、無党派推薦候補と党公認候補という枠組みにすり替えてしまえば、事例は無数に挙がってくる。自分が住む神奈川県の50万都市・相模原市の市長選と県議補選のjcp得票数を取り出している。1997年の選挙のことで、市長選では無所属推薦jcp市長候補は18000票、県議補選jcp公認候補は31000票であった。この二つのjcp得票を取り出して、党公認候補は無所属推薦候補より不利ではないという自説の”論証”にしている。この”論証”自体が論証にならないのはすでに述べたこと(異なる種類の選挙の比較)だが、それにもまして50万都市の選挙結果を1000万都市の首長選に適用できると判断する不破の頭脳をとくと観察されたいところである。
あるいはまた、地方の知事選を取りあげる。
「さきほど、前回のいっせい地方選挙では、十二の都道府県で知事選挙をやったと言いました。実はそのうち五県は共産党の公認候補でした。それらの県で公認候補を立てることで得票が少なかったのかというと、実情は違うのです。得票率を東京とくらべてみますと、四年前の東京の三上さんの得票率は12・11%でした。ところが五県のなかで、岩手県の公認候補は12・94%、佐賀県は17・51%、大分県は18・56%、島根県は19・85%。公認候補を立てた五県のうち四県までが、東京以上の得票率で、大きな得票をえたのです。 しかも、これらの県は、共産党の力の比較的弱いところです。・・・つまり党公認の知事選挙が「得票の谷」ではなしに「峰」になるわけです。・・・私はこういう経験からも、公認候補か無党派・無所属かということは、絶対不動の境界線にはならないという教訓を、くみ取るべきだと思います。」
ここにあがった5県の知事選のうち、大分を除いて一騎打ちなのであるが、一騎打ちになれば国政選挙でのjcp得票率より高くなるのはほぼ当然のことと言える。選択肢が二択だからである。そうした事例の結果から都知事選で党公認は不利ではないという結論に誘導する判断の狂いは説明するまでもないだろう。また、地方の知事選と都知事選でも選挙の状況が大きく異なる点も見落とされている。
もう一つ、付け加えると、ここでは都知事選の経験則として言われてきた無党派推薦候補がベターだという主張が不破にあっては「絶対不動の境界線」とすり替えられていることも付け加えておこう。誰も党公認候補が絶対ダメだとは言っていないのであって、同じ都知事選を闘うのなら無所属推薦候補の方が闘いやすいし集票力も党公認より高まると言っていたのである。不破の議論にあっては、自説の主張がすり替えになっていることが自分にわからないばかりでなく、相手の主張も自説の弁護に都合がいいようにすり替えらている。彼にはそうした性癖がある。
こうした不破のデタラメ分析が事実でもって粉砕されるのは必然であったが、若林の惨敗が決まっても、次回の都知事選には無所属推薦候補に戻しても、自説への反省、自己批判は不破の口から一切出てこないのが不破指導部の特性なのである。
86、不破10年の罪と罰
都知事選においては、候補選択の基本線は無所属推薦候補ということで1999年の都知事選が終わった段階から追求されていたのであるが、4年の歳月をかけてもすばらしい無所属推薦候補を獲得できなかった。それほどにjcpの”集客力”は落ちていたのである。だから不破は無所属推薦候補を擁立するに至らなかったことを党員、支持者に詫びて、そのうえで次善策として党員公認候補の擁立を決断したと報告するべきだったのである。しかし、この”天皇”は党公認候補ではまずいと言う党内外の意見に腹を立て、”俺の言うことが聞けないのか”とばかりに、ここに紹介した欠陥論考を開陳したのであるが、おかげで我々は不破の現状分析能力をつぶさに知る機会を得たわけである。
”ひょうたんから駒”ならぬ掘り出し物なのであるが、しかし、この論考を観察にするにつれ愕然たる気分に襲われるのは私だけではないであろう。
不破が”政治音痴”なのは、その教条主義に原因があるばかりでなく現状を分析する能力がないからでもある。ここには相互関係があり、現状を分析する能力がないから、古典文献だけに頼った議論をする、すなわち教条主義になるという関係があり、結果として、複雑で変化する政治についていけず、彼の「科学的社会主義」の大局観を語るだけの”政治音痴”となってしまうことになる。
不破がまったくの無能力だ、というのではない。彼は政治指導者としては無能力なのである。宮本時代に宮本の指導の下であれこれの指定された任務をこなす能力は発揮できても、政治全般を判断しあれこれの戦術を構想して全党を指揮する能力は彼にはないのである。その無能力を隠すために、彼は政治家としては学者風に振る舞い、学者としては政治家風に振る舞って”ヒラメ”専従にかしずかれていたのであるが、現実はごまかせないものである。
宮本が引退して党首就任早々、1998年の参議院選に大勝して即座に安保凍結の連合政権論を民主党に持ちかけた例を思い出してみよう。党首就任当初はあれこれ思いつきを試そうとしたようであったが、民主党からは拒否され、党内外からは無原則的連合政権論だと批判されることになり、政治指導者としての能力欠如を自覚させられたのである。以来、一転して唯我独尊の全小選挙区立候補戦術一点張りの”はりねずみ”に変身してしまった。その結果が口先とは裏腹に国政選挙における事実上の自・公・共連合の形成となり、国民は塗炭の苦しみに追い込まれたのであって、不破jcpの”罪と罰”は10年にわたる凋落となって現れているのである。
87、相撲協会と不破共産党
親方、関取衆の不祥事続きで相撲協会の不評の理事長がやっと辞任したと思ったら、協会の最高意思決定機関である理事会の理事として居残りを決めたそうだが、そのことをある理事は親しい財界人から批判されたと言う。
「それだから相撲協会は世間知らずの馬鹿だと言われるんだ。民間会社なら絶対あり得ないことだ。」
新理事長は文部省に謝罪に訪れたとき、大臣から外部の人材を理事会に入れるべきだと要請されている。
相撲協会と同じことがjcpでも起きている。政治指導者としての能力がなく10年の凋落の総責任者であるから、議長の辞任は当然のことで不破は常任幹部会にも残るべきではなかったのだ。現役に不破の知恵を提供するだけなら”相談役”、jcpでは名誉幹部会員の地位がふさわしいだろう。
常任幹部会に残るということは、世間の常識では”院政を敷く”ということである。政治指導者としての能力がないのに”院政を敷く”のは、権力欲と党私物化の証拠と世間では見なされる。そのことに気がつかないのは、不破と志位ら、常識はずれの指導部周辺だけであろう。
来るべき党大会ではすっぱりと常任幹部たる地位からも退きたまえ。そのことを総選挙前に発表すれば、jcpの得票にも好影響をあたえるであろう。宮本が引退した後の1998年の参議院選が”ご祝儀”得票を得たように、今度も得票が増えるはずである。また、その方が学者としても政治家風に振る舞うことからも解放され、世間の批判に耐える著作もできるというものである。
追記:連載もようやく最後のテーマにたどりついた。jcpの「民主集中制」についてである。すでに結論と提案については成案を得ているが、関連文献、その他を調べるためと諸般の事情で投稿には時間がかかりそうである。また、総選挙も間近に迫っており、一応ここで連載は終わることにして、「民主集中制」については連載の『補足』として後日に投稿することにしたい。長い間のお付き合いに感謝申し上げます。