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「科学的社会主義」討論欄

「科学的社会主義」の哲学を問う (1)「弁証法的唯物 論」から「唯物論と弁証法」へ

2007/2/21 レギオン 60代以上 無職

 社会主義陣営の崩壊をほぼスターリン一人のせいにしている 日本共産党であるが、そのために、専門的な述語の用法も変化 しているようだ。私が最初にそれに気づいたのは、「経済」0 3年5月号の総特集「21世紀にマルクスを読む」を読んだと きであった。そこで、鯵坂真氏が「マルクスの哲学の生命力- 唯物 論、弁証法、史的唯物論について」という一文を寄せて いる。そこには、弁証法的唯物論とい言葉はなく、「唯物論、 弁証法」とバラバラになっているのだ。私は、ベルリンの壁崩 壊の前には離党しているが、それまでの党の見解では、マルク ス主義の哲学は、弁証法的唯物論(または唯物弁証法)と史的 唯物論の二 つに括られていた筈である。例えば、次のような 具合である。

 弁証法的唯物論は、マルクス=レーニン主義党の世界観であ る。それが弁証法的唯物論と呼ばれるのは、この世界観の、自 然現象の取扱いかた、自然現象の研究方法、これらの現象の認 識方法が、弁証法的であり、またこの世界観による自然現象の 解釈、自然現象の理解、 その理論が唯物論的だからである。 史的唯物論は、弁証法的唯物論の諸命題を、社会生活の研究に おしひろげたものであり、弁証法的唯物論の諸命題を、社会生 活の現象に、社会の研究に、社会史の研究に適用したものであ る。(スターリン著「弁証法的唯物論と史的唯物論」(193 8 年))

 鯵坂氏自身も、1988年前衛1月号「科学的社会主義理論 の学問的強化と哲学領域の問題状況-唯物論哲学の創造的発展 のために」(「現代哲学の課題」新日本出版社96年に集録) では、

 最近の思想状況を考えると、弁証法的唯物論の独自の重要性 がつよまっていると思われる。「ネオ・マルクス主義」といわ れる傾向の論者たちに共通の点として、マルクス主義の歴史観 はみとめるが、弁証法的唯物論はみとめられないと主張したり 、そこまでいわないとしても、弁証法的唯物論の面をつとめて 後景に押しやる傾向がみとめられる。

と書いている。弁証法的唯物論を「唯物論、弁証法」と言い換 えることは、その重要性をつよめるよりも、つとめて後景に押 しやる傾向の一つではないだろうか。それはともかくとして、 このような変更はソ連邦解体を受けてのことに違いない。
 鯵坂氏は党の推薦で大阪府知事選に立候補しているが、関西 大学名誉教授という肩書が示すように、党の哲学上の意見を代 表する人とは思えない。しかし、念のために、しんぶん赤旗の 縮刷版を図書館で当たって、共産党の用語からは、「弁証法的 唯物論」という言葉が消えていることを確信した。例えば、「 しんぶ ん赤旗」00年1月1日号「世紀の転換点に立って」 (不破哲三委員長に聞く)や同01年11月10日号「二十一 世紀と科学の目 第37回赤旗まつり 不破議長の講演」など を読んでも、「弁証法的唯物論」という言葉はない。必ず、唯 物論と弁証法とに分けて使われている。ごく最近では、06年 5月25日、北京の中国社会 科学院での学術講演「マルクス 主義と二十一世紀の世界」(しんぶん赤旗06年5月30日電 子版)でも次のように述べられている。

 マルクス主義は、なによりもまず、世界観です。世界におけ るその地位は、その世界観が、私たちが生きているこの世界- 自然と社会を正しくとらえているかどうかで決まります。まず 、自然観への見方という問題から吟味してみましょう。マルク ス主義の自然観の第一の 特質は、唯物論と弁証法の立場で自 然を見ることです。

 ここでマルクス主義とは、不破氏の「科学的社会主義」と同 義である。科学的社会主義という呼称を採用していない中国を 配慮して、同じ意味であるとして、マルクス主義と言っている のである。ここで、ハッキリと、「唯物論と弁証法」という言 葉が使われている。
 昔、無声映画時代の弁士達は、「シェークスピアの悲劇、ロ ミオとジュリエット第一巻の終わり」などやっていたらしい。 毎度毎度の同じ口上では、マンネリになるというので、ある弁 士が、「シェークス・エンド・ピア」とやって、シェークスピ アの間にエンド豆を挟んだと、大受けをとったそうである。こ の「 唯物論と弁証法」というエンド豆語法も、単なるマンネ リ打破なのだろうか。決してそうではない。不破氏の言葉と比 較するために、前述のスターリンの言葉を再録しよう。

 それが弁証法的唯物論と呼ばれるのは、この世界観の、自然 現象の取扱いかた、自然現象の研究方法、これらの現象の認識 方法が、弁証法的であり、またこの世界観による自然現象の解 釈、自然現象の理解、その理論が唯物論的だからである。

 スターリンは「弁証法的唯物論」を単一の世界観だと主張す るのに対して、不破氏は、「弁証法的唯物論」を「唯物論と弁 証法」に格下げして、それは自然観だと言っているのだ。スタ ーリンにあっては、「史的唯物論は、弁証法的唯物論の諸命題 を、社会生活の研究におしひろげたものであり」と続けること ができた 。しかし、「唯物論と弁証法」を自然観に限定した 不破氏にはこんな芸当はできない。そこで、北京の学術講演で は、「史的唯物論がマルクス主義の社会観です。…マルクスが 提起した史的唯物論の多くの命題が、いまでは社会の“常識” にまでなったと言ってもよいと思います」とやっているのだ。 前出の「世紀の 転換点に立って」でも、

 だから、マルクス批判派の人たちでも、日本の政治や経済を 具体的に論じるときには、階級という言葉をつかわないでも、 財界と政治のかかわりを問題とせざるをえない。これは階級と いう角度から、政治や経済を見るという史的唯物論が、社会を 考える常識になっている 、ということなんです。

とあるから、少なくとも6年以上にわたって、不破氏は、史的 唯物論は‘常識’であると言い続けてきたことになる。しかし 、私がこの‘常識’なる言葉に引っかかるのは、次のような文 章を知っているからだ。

そこで彼らはもっと安易な方法-すなわち透徹した洞察をまっ たく具えていなくとも、人もなげに振舞う方法を編み出したの である。それは-普通の人間悟性(常識)なるものを引合いに 出すことにあった。実際、人間がまっすぐな(近頃の言葉だと -素直な)悟性を具え ていることは、すばらしい天与の賜物 である。しかし、我々はこの常識を行為によって-換言すれば 、我々が十分に思惟を尽くしたうえでの理性的な言説によって 、証明せねばならない。しかし自説を弁護する言句に窮した場 合に、常識をあたかも神のお告げででもあるかのように持出す べきではない。洞察と学とが落ち目になり、衰退の一途を辿る ようになると、このときとばかりに常識を引合いに出すのは、 当世の狡猾な発明の一つである。…しかし、洞察がひとかけら でも残っているうちは、常識を引合いに出すなどという便法を 用いないように心掛けたいものである 。(カント著「プロレ ゴメナ」篠田英男訳 1977年 岩波文庫)

 確かに、不破氏の場合には、「唯物論と弁証法」と史的唯物 論の関係づけができずに、「洞察と学とが落ち目になり、衰退 の一途を辿るようになって」、常識という言葉を引合いに出し ていると言えるかも知れない。しかし、「狡猾な発明の一つ」 と言えるかどうかは疑問である。「不破さんに、じっくり聞い た日本共産党綱領改定案の魅力」(03年7月6日 しんぶん 赤旗)では、

 独占資本主義イコール帝国主義というのが、これまでの常識 でした。レーニンの時代から二十世紀のかなりの時期までは、 この常識でよかったのですが、世界の植民地体制が崩壊した、 そして植民地支配を許さない国際秩序が生まれた、ということ で、世界の様子がすっか り変わってきたのですね。

 と言っているのだ。ここでは、‘常識’というのは移ろ い易いものだと認識していることは間違いない。これでは、将 来、誰かが、「史的唯物論が正しいというのがこれまでの常識 でした。不破の時代から最近までは、この常識でよかったので すが、…」などと言い出すに違いない。「狡猾な発明の一つ」 として、‘常 識 ’を引合いに出しているのならば、こんな矛 盾した使い方をするはずはない。要するに、不破氏の思考レベ ルは「哲狡猾な発明」ができる段階以前なのだ。
 不破氏の科学的社会主義の世界観とは自然観(「唯物論と弁 証法」)+社会観(史的唯物論)の二元的構造であるが、その 実は、スターリンの「法的唯物論と史的唯物論」の一元的構造 と瓜二つと言ってよい。だから、本当はスターリンのように一 元的に論理を展開する以外にはないのである。しかし、スター リン の名前を出すのは憚れる。そこで、「常識」を持ち出し ているのである。史的唯物論=マルクス主義(科学的社会主義 )の社会観であり、それが社会変革の思想であることを認める としても、それがマルクス主義自然観(「唯物論と弁証法」) にどう関るかは全く明らかではない。不破氏は、自身が理学部 出身ということを意識して か、講演や執筆内容には、その多 くはNHKスペシャルなどの通俗科学番組の受売りが多いのだ が、やれ宇宙論とか、星の誕生とか、DNAとか、人類の起源 とその移動とか、壮大な自然科学の成果を振りかざしている。 それが「唯物論と弁証法」の正しさを実証し、強いては、「科 学的社会主義」の正しさを立証するとしている。 確かに、そ れで、「科学的社会主義」の自然観の正しさは証明されたとし よう。しかし、それが、「科学的社会主義」の社会観=史的唯 物論の正しさの証明には関連しない。そこで、史的唯物論を常 識という以外にはないのである。
 不破氏は、何故、かくも「科学的社会主義」の自然観を力説 するのであろうか。中世から近世への移行期には、ガリレオの 迫害に見られるように、反動的思想と科学はするどく対立した 。しかし、ガリレオを迫害した反動思想と自然科学とはすでに 少なくともデカルトの時代には折り合いついており、それが現 在に至 っているのである。某自称社会主義国のように、政治 指導者に対する神がかり的な崇拝を国民に強要しているような 国家をターゲットにしているのなら別であるが、「科学的社会 主義」の自然観=「唯物論と弁証法」を振りかざして、政治的 な反動思想と闘っている不破氏の奮闘は的外れなのである。

 次回以降では、「弁証法的唯物論」とは如何なるもので、共 産党がそのすべてを破棄したものかどうかを検証してみたい。