03年ごろには、これもたまたまであったが、佐々木力氏の「マルクス主義科学論」(みすず書房97年)を読む機会があった。この本は、トロツキーの科学思想を評価する立場で書かれてはいるが、多くの資料が引用されており、「弁証法的唯物論」の成立に関する事情を理解するには適した本である。そこで、まず、「弁証法的唯物論」という表現をマルクス・エンゲルスは一度も使ったことはなく、それが最初に用いられたのは、マルクスらの文通相手であったドイツの労働者著作家ヨーゼフ・ディーツゲンの「マルクスと哲学」(1887年)(杉山吉弘訳 法政大学出版局95年)の中であることが分かった。だから最初は、エンド豆語法は、マルクス・エンゲルス訓古学者としての不破氏の面目躍如たるところで、マルクス・エンゲルスが使わない言葉は使わないという主義かと思った。しかし、「弁証法的唯物論」=「唯物論と弁証法」と強弁することは無理で、「弁証法的唯物論」という言葉を抹殺することで、一体何が棄てられたのだろうか。それは、十分に検証されなければならない。
「弁証法的唯物論」という言葉がマルクス主義哲学の用語として、広く流布したのには、レーニンの「唯物論と経験批判論」(1909年)とそのスターリンによる称賛が大きく貢献したことは間違いない。レーニンの「唯物論と経験批判論」は、ロシア・マルクス主義の父と呼ばれるプレハーノフのマルクス主義は「全一的な世界観」であるとの立場を受継いでいる。プレハーノフは、マルクス・エンゲルスの唯物史観に加えて、もう一方の柱である「哲学的唯物論」を打ち立てたのである。もっとも、彼の唯物史観の解説書である「史的一元論」(1985年)では、「弁証法的唯物論は行為の哲学である」とされ、「弁証法的唯物論」は唯物史観を指すとされていたのである。しかし、レーニンは、プレハーノフに倣うならば、「哲学的唯物論」というべきところで「弁証法的唯物論」と言っているのである。
レーニンは第一版序文の中で、「すべてこれらの連中は、マルクスとエンゲルスが、何十回となく自分達の哲学的見解を弁証法的唯物論と呼んだことを知らないはずがない」と述べているが、厳密な用語法の点ではこれは正しくはない。しかし、プレハーノフ的に「弁証法的唯物論」は唯物史観を指す解釈すれば、あながち間違いとは言えない。マルクスとエンゲルスは、唯物史観については、確かに、何度も言及している。ここでは、プレハーノフにならって、マルクス・エンゲルスが主張した唯物史観=「弁証法的唯物論」という関係が成立ちうる。だから、こっそり、プレハーノフの「哲学的唯物論」=「弁証法的唯物論」というすり替えを行えば、マルクス・エンゲルスが「全一的な世界観」を持ち、それを「弁証法的唯物論」と呼んだという主張を展開することができる。これは私の思いつき的見解ではあるが、「弁証法的唯物論」という用語法はレーニンの一種の詐術かも知れない。
しかし、このレトリック上の詐術以上に問題なのはその中味である。「唯物論と経験批判論」の中で、レーニンは明らかにマルクス・エンゲルスの哲学的見解からのいくつかの逸脱を行っているのである。なかでも有名なのは、次のフレーズである。
マルクスの理論が客観的真理であるという、マルクス主義者がともに分かちもっている、その意見からでてくる唯一の結論は、つぎのことにある。すなわち、マルクスの理論の道にそっていくことによって、われわれは、いよいよますます客観的真理に近づくであろう(この真理はけっしてきわめつくすことはないが)、これとは別のどのような道にそっていっても、われわれは、混乱といつわり以外のなにものにもいたることはできないであろう。
これと同じ文章が、不破氏の「史的唯物論研究」(新日本出版社1994年)にも引用されているというから、彼も同じ考えも分かち持っていたことは確かである。
これと対をなすのが、認識は客観的に実在する物質を人間の意識ないし感覚器官が「反映」ないし「模写」することによるとする反映論的認識論であろう。レーニンは言う。
意識は一般に存在を反映する-これは全唯物論の一般的命題である。これと、社会的意識は社会的存在を反映する、という史的唯物論の社会的意識は社会的存在を反映する、という史的唯物論の命題との直接不可分の関連を見ないのは、不可能なことである。 唯物論一般は、人類の意識、感覚、経験等から独立した客観的に実在的な存在(物質)を認める。史的唯物論は、社会的存在を人類の社会的意識から独立したものと認める。意識はどの場合でも、存在の反映、せいぜい近似的に正しい(適切な、理想的に正確な)その反映にすぎない。
私は理科系人間で、「現代自然科学と弁証法的唯物論」(岩崎允胤、宮原将平 大月書店1972年)などこの手の本を数冊持っているが、この反映論こそ自然科学的認識論の最高の到達点とする主張のオンパレードと言ってよい。かつて、何故このような「弁証法的唯物論」が猛威をふるったのだろうか。それはスターリン抜きには考えられないであろう。彼こそが「弁証法的唯物論」を「全的世界観」として権威付けたのである。しかし、社会主義者としてスターリンを抹殺してしまえば、19世紀の末に、西欧哲学が不毛なロシアにおいて発生したローカルなマルクス主義の主張である「弁証法的唯物論」などに拘る必要はない。そのように見れば、「弁証法的唯物論」から「唯物論と弁証法」への変換は必然であると、共産党は考えたに違いない。
「弁証法的唯物論」をスターリン的な歪みから解放し、「唯物論と経験批判論」のレーニンではなく、「哲学ノート」のレーニンに戻るならば、「弁証法的唯物論」を少なくとも現代の科学論に生かすことが可能かも知れない。これは多分、佐々木力氏の立場なのだが、そうすれば、嫌でも、トロツキーの再評価に行かざるを得ない。60年代末の学園紛争の際には、封鎖学生をトロツキスト呼ばわりして、正当防衛権の名のもとで、封鎖の実力解除を指揮したのは紛れもなく共産党であった。トロツキストとトロツキーは如何なる関係にあるのか分からないが、そこで、多くの血を流して闘ってきた共産党にとっては、トロツキーを評価できるはずもない。
私の考えでは、「弁証法的唯物論」から「唯物論と弁証法」への変換は、レーニン哲学の放棄と断言してよいと思われる。個人的には、それは歓迎すべきことである。「弁証法的唯物論」の呪縛のもとで、それを何とか仕事に生かそうと、空しくもがいた思い出があり、また、「唯物論と経験批判論」によって、私の哲学的思考回路が滅茶苦茶にされてしまった苦い経験があるからである。
しかし、レーニン哲学の放棄は、同時に、その到達点である客観的真理の否定に繋がることである。共産党にとってそれは大問題である。共産党という組織の無謬性、永続性、優越性の源泉が客観的にして永遠の真理の存在に基づくものである。だから、レーニン哲学を否定しながらも、客観的真理の存在を証明して見せることが必要になる。それがどのように行われているのだろうか、次にそれを検証してみたい。