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「科学的社会主義」討論欄

「科学的社会主義」の哲学を問う(3)レーニン哲学の放棄と客観的真理

2007/3/2 レギオン 60代以上 無職

 共産党がレーニン哲学を放棄したことは随所に見てとることができる。 「(1)「弁証法的唯物論」から「唯物論と弁証法」へ」で引用した鯵坂氏の「マルクスの哲学の生命力-唯物論、弁証法、史的唯物論について」では、「意識は脳の産物である」(反デューリング論)という言葉は紹介されているが、レーニンの反映論は姿を消している。これは、マルクスに関する記述だから、敢えて、レーニンに触れていないのではない。「しんぶん赤旗」00年1月1日号「世紀の転換点に立って」(不破哲三委員長に聞く)でも、レーニンはまったく引用されてない。少なくとも、「反映論」は完全に放棄されているのだ。
 かなり大きな哲学辞典に当たっても、レーニンの「反映論」という項目はないようだ。だから、「反映論」が消えても、学問一般への影響は少ないであろう。しかし、それで困るのは、これまで散々、「反映論」を振り回してきた共産党を初めとする一部の人達である。反映論を否定して、エンゲルスに戻って、意識は「脳の産物である」としてしまうと、客観的真理の存在を証明することは不可能になってしまう。まさか、不破氏のような超越的人間の脳がその産物として、客観的真理を生み出すと言うわけには行かない。人間の意識の外部には客観的真理が厳に存在し、その客観的真理へ無媒介的に無限に接近しうるのが共産党なのである。そこから、共産党のの無謬性、客観的真理への接近過程としての輝かしい歴史があるのだ。しかし、共産党は客観的真理の存在の証明を誤魔化し、客観的真理の存在がもたらすであろう共産党の無謬性を主張する論理構成を見いだしたようである。次に、それを見て行こう。
 1993年の暮から翌年の新春にかけて、共産党は丸山真男氏(「思想」1965年3月号の「思想の言葉」)への批判を展開した。これには、当時の宮本議長の最後の執念が感ぜられる。そこには、前回の佐々木力氏からの孫引きになるが、レーニンの「反映論」が色濃く滲みでていて、次のような言葉が踊っていたのである。

反映論と唯物論的見地から大きく逸脱した主観主義的観念論という制約をもっていた。科学的社会主義を理論的基礎とする日本共産党は、その理論と行動の基準を、「大衆動員の効果」といった近視眼的な「宣伝価値」ではなく、客観的真理との一致という「真理価値」にもとめている。政治の世界においても、どれだけ真理に接近しているかという真理性の基準こそが、その党の理論と実践の成否を、最終的はかる唯一の基準である。(山口富男)

 まさに反映論が堅持され、客観的真理は断固として存在し、共産党は無媒介的にそれに接近できるとされていたのである。しかし、第20回党大会決議(1994年7月)にはある変化が現われる。

 歴史には客観的法則があるが、それはひとりでにすすむものではない。人民のたたかいこそ、歴史を創造する力である。また、社会発展の法則を認識し、社会進歩に自己の人生をかさねることにこそ、真の生きがい、理性と人間性の発揮がある。この間、わが党は、戦前、若くして革命運動に参加し、節をまもってたおれた先達たちの革命的生涯に、新しい光をあててきたが、彼らがつらぬいた生き方もここにある。わが党は、この間の重要なイデオロギー活動として、丸山真男氏の日本共産党論とその理論的基礎への批判をおこなってきた。丸山氏の日本共産党論は、侵格戦争に反対してたたかった日本共産党にも戦争責任がある、さらには絶対主義的天皇制の精神構造が日本共産党にも「転移」しているなどというものであるが、こうした議論の根本には、だれが真理の旗をかかげて歴史にたちむかったか、それが歴史によってどう検証されたかをまじめにみようとせず、冷笑をもってとらえようとする観念論的・傍観者的歴史観がある。歴史の進歩は、大局的には正義と道理にたつものが、さまざまなジグザグをへながらも、最後には勝利することを教えている。『日本共産党の70年』が明らかにしたように、戦前、戦後の日本共産党の歴史は、反戦平和、民主主義、生活擁護、覇権主義反対の闘争など、それを証明したかけがえのない達成がある。真実にのみ忠実で、なにものをも恐れない自己分析の見地を発揮した、一貫した党史をもち、展望をもって歴史を語りうることは、日本共産党の誇りである。

 ここでは、「真理の旗」という表現もあるが、「客観的真理」という言葉は姿を消している。つまり、わずか半年後の大会決議では、客観的真理というレーニン的表現は姿を消した。書き出しは史的唯物論の表明で始まっている。ここで、不破氏が‘常識’に昇華させた史的唯物論が持出されているのである。しかし、読み進んでいって分かるように、この“常識”から出発したものが、次第に党の絶対的な無謬性への確信と進化していくのである。何の証明もなしに、 史的唯物論という‘常識’が、かつての客観的真理と同じような役割を担うことになるのだ。このすり替えがどのような意味を持つかを次に検証したい。
 大会決議文では、「絶対主義的天皇制の精神構造が日本共産党にも「転移」しているなどという」丸山真男氏の主張が論難されているが、ひょっとすると、象徴天皇制の精神構造が現在の日本共産党にも「転移」しているような気がするのだ。戦前には、絶対天皇制のイデオロギー(皇国史観)がまさに世界観としてあり、皇室の永続性を保証していた。丁度、客観的真理が存在するとする「弁証法的唯物論」の世界観が共産党の無謬性を保証したように。戦後の象徴天皇制になって事情は一変した。天皇制を支えたイデオロギーが崩壊したのだ。しかし、皇室の伝統、開かれた皇室、皇族方のお人柄、国民の敬愛の念、それらによって、皇室は国民とともにあり、国民が存在する限り皇室は存在するという、すなわち天皇制は永続するという“常識”が確立してしまった観がある。こうして、全く論理的な基礎づけなくして、天皇制は存続しうるのだ。
 この精神構造が現在の共産党に「転移」していると言ったら過言であろうか。日本の敗戦には社会主義体制の崩壊が対応する。皇室の伝統には、党の輝かしい歴史が対応する。開かれた皇室には、開かれた共産党が対応する。昨今の『プリンセス・マサコ』騒動から分かるように、開かれた皇室の「開かれた」はあくまでも括弧つきなのであるが、その点でも、共産党はそっくりである。皇族方の人柄には、「わが党の議員は数は少ないが、値打ちがある」と不破氏が評価しているように、素晴らしい党員が多数いるとしていることに対応しよう。国民の敬愛の念とは政党支持率に対応するが、残念ながら、この点では象徴天皇制には遅れを取っている。他の点では引け劣らないから、これが克服できれば、理論的基礎づけなくして、組織としての共産党の永続性は保証されるというものである。
 中世では、王権神授説にみられるように、絶対的・超越的な神が存在し、君主制を裏付けるとされた。しかし、近代になると、そのような存在論的な証明はもはや維持できず、機能論的に君主制の正当性を偽装するさまざまな方策が編み出されてきた。かなり弱い意味ではあるが、絶対天皇制から象徴天皇制への動きもそのラインの一つであろう。しかし、女性天皇の議論があったときに、一部には、天皇制の危機とばかりに、かつての絶対天皇制へのノスタルジアを表明する人たちがいた。体制が危機に瀕すると、絶対的・超越的な論理にすがって、体制維持を図ろうとする反動的思想が現われるのは歴史が示す通りである。共産党にあっても、客観的真理へのノスタルジアは相当なものであろうと思うから、状況によっては、またぞろ、客観的真理が厳然たる存在論として復活する可能性がないわけではない。「史的唯物論」が‘常識’と言うまでに理論的に追い詰められているのならば、それこそ、常識に立ち返って、客観的真理の存在の確信から派生した妄想から完全に脱却することが、共産党に求められていると思う。

 03年5月の『経済』の鰺坂論文以来、私には、共産党の哲学理論、「科学的社会主義」の哲学が支離滅裂になっているのではないかと思っていた。しかし、私のごとき、門外漢があれこれ言うのもどうかと思って、沈黙していた。しかし、この度、ネグリ・ハートの諸著作を読むに及んで、黙っているよりは、広く問題提起をした方がよい確信するにいたった。次回は、私にそれを促した動機について述べたい。