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「科学的社会主義」討論欄

「科学的社会主義」の哲学を問う(4)ネグリ・ハートから学ぶ

2007/3/9 レギオン 60代以上 無職

 ネグリ・ハートの『〈帝国〉』((水嶋一憲他訳、以文社03年)では、「第二部 主権の移行」において、近代ヨーロッパ哲学におけるさまざまな展開を通じて主権の概念がたち現われる形象を跡づけている。近代になって、中世の類比的存在(片足はこの世界に置いているがもう一方の足は超越的な領域においている二元論)が否定され内在性の平面が革命的に発見される(知識と行動からなる内在的な領域としての存在が措定される)。「ヨーロッパの近代性の誕生場面において、人間存在(ヒューマニティ)はこの世界におけるみずからの力を発見したのであり、また、それはこうした尊厳を、理性と潜勢性についての新意識へと統一したのである。」
 しかし、このような革命的プロセスは争いを引き起こすことになった。これは必然的に反革命を導くことになった。そこでは、秩序が優先され、再び超越的権力が持ち出されてくる。「言いかえれば、欲望に対抗すべく、秩序を持ち出してくるものなのである。こうして、ルネサンスは、戦争-宗教戦争、社会戦争、内戦-をもって幕を閉じることになった。」
 このようなヨーロッパの抗争は、当時ヨーロッパによって発見されたアメリカ圏にも及ぶことになる。「ルネサンスの人文主義は、人間の平等性や特異性と共同体、協働とマルチチュードといった革命的な概念を初めて打ち出したのだが、このような概念は、地球全体を水平に横断して広がっていくような、さまざまの力や欲望と共鳴しあうものであり、他の住民と領土の発見によって強化されるものであった。」 しかし、歴史はそのようには進まなかった。「反革命的な権力のほうもまた、他の住民たちをヨーロッパの支配のもとに従属させることの可能性と必要性を自覚しはじめた。ヨーロッパ中心主義は、新たに見出された人間の平等性がもつ潜勢性に対する反動として生まれたものなのだ。」 つまり、反革命がグローバルな規模で勝利したのである。
 デカルトからカントをへてヘーゲルに至る哲学の系譜は、この反革命をイデオロギーの面から支えるもであったのである。その頂点に立つヘーゲルに関して、ネグリ・ハートは次のように総括的に述べている。

 ヘーゲルは、反革命的な展開に最初から暗に含まれていた以下の事柄を、明らかにしてみせた。すなわち、近代的な人間性の解放は人間性に対する支配と不可分であり、マルチチュードの内在的目標は、不可欠かつ超越的な国家権力へと変容させられてしまう、ということである。たしかに、ヘーゲルが内在性の地平を回復させ、知の不確かさ、行動の優柔不断さ、カント哲学の信仰主義的な端緒といったものを取り除いたということは、本当である。けれども、じつをいうと、ヘーゲルが復活させた内在性とは、そこにおいてマルチチュードの潜勢性が否定され、神の秩序というアレゴリーのなかに包摂されてしまうような、盲目的な内在性なのである。人文主義の危機は弁証法的なドラマトゥルギーへと変容してしまい、どの場面においても目的がすべてで、手段はたんなる装飾にすぎないものとなってしまう。
 奮闘したり、欲望したり、愛したりするものは、もはや何も存在しなくなった。人間の潜勢性の内実が、目的論によって阻害され、ヘゲモニー化されてしまったのだ。逆説的なことに、中世キリスト教の伝統における類比的存在が、弁証法的存在としてよみがえったのだった。ショーペンハウアーがヘーゲルをキャリバン(シェイクスピアの『テンペスト』に登場する「野蛮で奇形の奴隷」のこと、引用者註)と呼んだのは皮肉なことである。この人物は、のちにヨーロッパの支配に対する抵抗の象徴として、そしてまた、非ヨーロッパ的な欲望を肯定するものとして、持ち出されるようになったからである。とはいえ、ヘーゲルにおける〈他者〉のドラマおよび、主人と奴隷のあいだの抗争は、ヨーロッパの拡大とアフリカ、アメリカ、アジアの民衆の奴隷化という歴史をその背景とすることによってのみ生じえたものなのだ。言葉を換えるなら、ヘーゲル哲学の唱える絶対精神の内部への〈他者〉の回収と、世界史を劣った諸民族から発してヨーロッパで頂点に達するものとして把えるヘーゲルの歴史観とを、ヨーロッパによる征服と植民地主義が揮ったまさに現実の暴力と結びつけずにおくことは、とうてい不可能なのである。端的にいって、ヘーゲルの呈示する歴史は、内在性の革命的平面に対する強烈な攻撃であるばかりか、非ヨーロッパ的欲望に対する否定でもあるのだ。

 ヘーゲルに対する総括はもう少し続くが、この辺で打ち切っても、ヘーゲル哲学の位置づけを明らかにするには十分であろう。「唯物論と弁証法」なるエンド豆語法哲学にあっては、マルクスとエンゲルスがそれまでの哲学を集大成し、「すべて社会と自然にたいする人間の科学的な認識を、画期的に前進させたもの」(不破哲三 「世紀の転換点にたって」しんぶん赤旗01年1月1日号)なのだそうである。だから、万事、そこから出発すれば間違いないという立場のようである。それが「科学の目」の立場でもある。たしかに、マルクスは、ヘーゲルにおいて観念論的に転倒している弁証法を唯物論的に正立させたと言われている。しかし、それによって、上に指摘されたようなヘーゲルの反革命性が洗い流されたとは思えない。中身は依然としてヘーゲルなのだから。そう考えると、マルクス・エンゲルスから出発すれば十分ということは大いに疑問になる。
 「アルチュセールは、マルクスは唯物論者であることは間違いないけれども、弁証法は採用しなかったのだ」とも言われているようだ。そうであれば、エンド豆が弾けて、弁証法の豆が一つ転がり落ちることになる。アルチュセールによれば、1845年にマルクスはヘーゲルを捨てて、スピノザに戻ったのだという(的場昭弘 『マルクスを再読する』五月書房04年)。ネグリ・ハートでは、近代の反革命に組しなかった哲学者として、スピノザが挙げられている。デカルトからヘーゲルへの哲学系譜の中では、スピノザがすっぽりと抜け落ちているである。ネグリ・ハートはそのスピノザに注目している。だから、単純に、マルクス・エンゲルから出発すれば十分と誰もが考えている訳ではない。
 哲学の使命があるとすれば、人類の将来的課題に対して、的確な指針を与えるもでなくてはならないであろう。また、構成的な面では、哲学はハイブリッドであると思う。科学者が有用な新しい素材を作りだすときには、可能なあらゆる成分の混合比を試行錯誤的に決め、反応条件を制御する。新しい哲学もそれと同じではないかと思う。スピノザに遡ることも一つの方法であろう。また、ヨーロッパ中心主義の弊害を除き、非ヨーロッパ的欲望を大事にするならば、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オセアニアにあった伝統的思想、あるいはイスラム世界の思想も考慮しなければならないかも知れない。そのような広範でかつ歴史的にも遡及した思想の中からハイブリッドを探すことが大事ではないだろうか。そのような立場から、「科学的社会主義」なるものを見ると、ただ、「共産党」の正当性の立証に奉仕するだけのいかにも狭隘なものに見えて仕方がないのである。

 次回には、「科学的社会主義」哲学の内容よりも問題含みの、その体制的な面について触れたい。