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「科学的社会主義」討論欄

「オール与党」について

2007/5/12 百家繚乱 50代 事務職

 今日の日本における地方政治においては、共産党が主張する 「オール与党」という概念は一面の真実を確かに表現している 。しかし、この国は世界経済から見て、先進国であり、一人当 たりの国民所得もかなり高い水準にある。社会福祉水準も同じ アジアや世界から見れば、かなり高い水準にある。「オール与 党」は、こうした高い水準を実現・維持する上で大きな役割を 果たしてきたのも事実である。共産党は何も役立っていなかっ た、とは言わないが、「オール与党」という概念で、自らの政 治的無能・政治的孤立を自慢しているのと同じである。
 政党と言うものは、圧力団体ではなく、政権を目指し獲得し てこそ、社会的な役割を果たす事が出来る。野党のままでは、 圧力団体と何も変わらない。「唯一の野党」とは、つまり、「 唯一、政治的に役立たない政党」という意味を含んでいる。「 確かな野党」を目指す事は、「確かな役立たない政党」を目指 す事と同じである。「オール与党」と言う概念で、セクト的な 小さな勢力拡大を求める限り、小さな政治勢力から抜け出す事 は出来ない。どんなに小さなセクトであろうと、日本の未来を 見通す知性と勇気があれば、他の政党と協力して、この国の政 治転換のために巨大な役割を果たす事が出来る。そのためには 、セクト的な野心と独善から抜け出して、この国の政治転換に 対する責任を自覚しなければならない。セクト主義と独善主義 は、自己意識の欠如、盲目性である。
 弁証法と言うものは実に面白い。「我が党だけが正しい」と 言う命題は、「我が党だけが間違っている」と言う意味を含意 している。いかなる政党も、それなりの存在意義を持って存在 している。すべてが間違っている政党は存在できないし、「す べてが正しい」政党はファシスト政党になる。ナチスとスター リンのソ連共産党は「唯一正しい」政党であったために、唯一 間違っていた。どんな人間も、政党も、それなりの積極的な側 面と否定的な側面があり、それを認め合う事によって協力関係 に立てるのである。「我が党だけが」となったら、他の政党は 協力関係に立てなくなる。多元性と多様性を承認しなければ、 民主主義社会では生き残れない。どんな人間も、政党も、他の 人間や政党と協力し会い、切磋琢磨し合う事によって、自己革 新も可能となる。自己革新は、おのれ自身を否定し、他者から 学ぶ事によって、始めて可能となる。
 「孫子の兵法」によれば、人間の戦いにおいては、最大の敵 は己れ自身である。この命題は、戦国の武将だけではなく、企 業経営においても同じであり、政治家や政党でも同じである。 「奢れるものは久しからず」というのは、日本だけではなく、 万国共通である。人間はどうしても易気に流れやすい。自分を 正当化できれば、うぬ惚れやすい。「オール与党」は共産党の 存在意義の一面を表現しているが、共産党の政策を正当化して いる訳ではない。「オール与党」、こんな概念・政治的孤立で 、己を正当化するのは本末転倒である。壁の内側で、どんなに 自己満足していても、壁の外側にいる国民から見れば、全く馬 鹿馬鹿しい「奢り」である。戦国時代だけじゃなく、企業経営 においても、「敵から学ぶ」事は勝利のための絶対要件である 。「我が党だけが」となったら、他党と協力関係には立てなく なるし、敵から学ぶ事は出来ない。敵から学ぶ事が出来なけれ ば、自己革新の能力も失う。共産党だけが「正しい」事を認め なければ、共産党と協力し会う事が出来なくなる。共産党と協 力し会う事は、「共産党だけが正しい」事を認める事になる。 こんな馬鹿馬鹿しい党官僚の知性は旧石器時代と同じである。
 共産党は「オール与党」を敵視して、己れ自身を敵視・否定 する事が出来ない。共産党の党官僚は、己の最大の敵が己自身 である事を理解できない。これは「民主集中制」が陥る必然的 な盲目性でもある。党官僚の自己保身は、党と国民の間に巨大 な壁を作ろうとする。国民に向かって開かれた党においては、 党官僚の地位は不安定になる。民主主義の制度は、政治家に安 定した地位を保証しないのが鉄則である。「己との戦い」に敗 れた政治家は、政治的な市場から退場するのが、民主主義のル ールである。政治的な自己革新の能力を失えば、政治的な終焉 である。党官僚に安定した地位を保証する「民主集中制」は、 民主主義とは全く相容れないし、自己革新の喪失である。ソ連 の解体はこの事を見事に表現した。「オール与党」の概念が「 誇り」になるのは、「民主集中制」と言う壁に守られた小さな 世界だけである。政治的無能・孤立を自ら「誇り」にしている のでは、どんな未来も開かれない。この小さな世界の壁を乗り 越えて、自由で民主的な公開の討論を開始すべきである。この 討論によって、自己意識を獲得し、自己革新も可能となる。「 オール与党」の概念では、共産党は「己れ自身との戦い」に勝 利できない。
 壁の外側に這い出し、「オール与党」に楔を打ち込み、この 国の政治的な転換を目指す必要がある。そして、この転換のヘ ゲモニーの一端を担うべきである。「我が亡き後に、洪水は来 れ」では、「洪水」が襲うのは共産党の頭上だけである。「オ ール与党対共産」という対決図式は、この党の潜在力と可能性 の一面を表現しているが、これは共産党の肯定的な成果ではな く、この党の発展と未来を著しく制約している障害に過ぎない 。この対決図式から抜け出し、政治変革を願う広範な国民との 共闘の輪を広げる。「確かな野党」ではなく、「確かな与党」 への進路を掴み取る。「我が党だけが」ではなく、「我が党と 共に」歩む政党との共闘・協力こそが必要なのだ。