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「科学的社会主義」討論欄

人類の自己意識(2)

2008/3/14 百家繚乱

1、国家と世界システム

 人類の長い歴史を概観すれば、数多くの文明の興廃の歴史で あり、大国の興亡の歴史である。近代の歴史はわずか3・4百 年の歴史であって、数十万年という人類の歴史から見れば、ほ んの一瞬でしかない。人類が己の歴史を世界史として観察する 能力を獲得したのは、近代になって初めてである。それまでは 、多様で多元的な文明が興廃し、交流・交戦してきたが、この 地球上で単一の生命体として認識することはなかった。奴隷制 は、同じ人類と言う認識の否認である。動物の世界は弱肉強食 の世界であるが、共生のためのルールというものがる。共生社 会を維持するために、弱肉強食を強いられている。人間社会の 奴隷制は弱肉強食の結果ではあるが、これはルールなき弱肉強 食であり、動物の世界からの退行現象である。地上から奴隷制 が消えたのは、わずか百数十年前でしかない。今日でも、少数 先住民社会に対する差別的な扱いは残っている。
 近代社会は、人類社会を一つにしたが、同時に戦争を世界戦 争にした。この世界戦争は世界革命と人類の自己意識を産み出 し、人類社会の世界構造を劇的に転換した。第一次世界大戦に おいては、ロシアで社会主義を志向する革命が起こり、他方で は国際連盟が発足した。どのような国家も、最初は部族社会の 連合体として始まる。それは部族間の紛争を調停し、相互交流 をはかり、更には、外敵に備える機関として始まる。これは動 物の神経組織と似たような発生過程だ。次第に、国家はこの連 合体から自立し、部族社会に君臨する。更には、階級支配の道 具として機能し始めた。しかし、人類の長い間にわたる官僚主 義と民主主義の相克の歴史は、近代社会においては劇的な転換 を成し遂げた。土地所有から開放された労働者階級のヘゲモニ ーは国家を死滅に導き、人類世界を世界政府のもとで一つにす る。自由で民主的な世界政府は、人類の自己意識となる。
 今日の世界には、まだ、世界政府と呼べる政府は存在しない 。しかし、どんな国家も部族社会の連合体から出発したように 、国連は世界政府の出発点として機能する可能性がある。国際 連盟は明らかに、帝国主義列強の世界分割を目的とした機関で あり、その点ではブルジョワ列強国家の連合体であった。しか し、第二次世界大戦後の国際連合は、全く、異なる性格を持っ た機関である。ウォーラーステインによれば、資本主義は一国 的なシステムではなく、世界システムであると言う。同じよう に、「一国社会主義」というものはあり得ない。社会主義シス テムは、資本主義システム以上に一国的な枠組みを超えたシス テムだ。
 第二次世界大戦は、全世界のブルジョワジーと労働者階級の 武力対立であった。この戦争は、長い間、全体主義と民主主義 の戦争であり、民主主義が勝利したと語られてきた。第二次世 界大戦を「帝国主義列強の世界分割戦争だ」とするスターリン の判断は、この戦争の性格を完全に見誤っただけではなく、背 後からヒットラーの戦略を支援する役割を果たした。「独ソ不 可侵条約」とポーランド分割は世界の労働者階級に対する裏切 りであり、民族排外主義の象徴だ。それでも、第二次世界大戦 における民主主義の勝利は、ファシズムに頼るしかなかった世 界のブルジョワに対する、世界の労働者階級の勝利だ。世界と ロシアの労働者階級はスターリンの裏切りを乗り越えて、民主 主義と社会主義を勝利に導いた。
 第二次世界大戦後においては、「社会主義体制」はスターリ ン官僚主義を意味してきた。それに対して「自由主義体制」は 資本主義を意味してきた。第二次世界大戦後の様々な反共同盟は社会主 義に対する防波堤としての機能を果たしてきたが、反面ではス ターリン官僚主義から民主主義を防衛する機能をも併せ持って いた。社会主義が民主主義を裏切れば、反共同盟は民主主義の 同盟に転化する。東西対立の世界では、「社会主義」は官僚主 義を代表し、「資本主義」は民主主義を代表するという倒錯し た現象が立ち現れた。また、「社会主義」の下では、国境の壁 は厚く鎖国的となり、「資本主義」の下では壁が弱く開放的に なるという倒錯が発生した。元来、官僚主義は旧制度を代表し 、民主主義は新制度を代表する原理である。この倒錯は、勝利 した「社会主義」が官僚主義と融合して、民主主義的生命力( 自己意識)を失うことによって起きた。

2、世界システムのニ重権力状態

 第二次世界大戦後の世界は「社会主義体制」と「資本主義体 制」に分かれて、軍事対立した。この世界システムは二重権力 状態にあるシステムとして見ることができる。第二次世界大戦 における民主主義の勝利によって、世界の資本主義システムは 社会主義的な要素を含むシステムに転換した。確かに、世界の 資本主義システムは第二次世界大戦後も西側経済として興隆し てきたし、ソ連解体後の今日では、益々全世界を席巻して「社 会主義」を駆逐しつつあるかのようだ。しかし、それは社会主 義を「一国社会主義」として見た観点であって、こうした「社 会主義」は益々敗北せざるを得ないだろうし、駆逐されざるを 得ない。元来、社会主義は共産党の一党独裁でも官僚的な計画 経済でもない。これはスターリンによって歪められた原理だ。 一部はロシア革命の指導者レーニン・トロツキーにも責任はあ る。しかし、ロシア革命前の社会主義は国境を越えた「自由と 民主主義」と同一であった。国境を越えるという国際主義こそ 、近代民主主義と社会主義の分水嶺であった。数多くの「民主 主義者」が戦争に荷担したのに対して、真の社会主義者は単純 な愛国主義を排除し、徹底的に戦争に反対した。ここにこそ、 社会主義の真髄がある。
 世界における自由と民主主義の発展という観点から見れば、 第二次世界大戦は世界の構造を民主的な構造に劇的に転換した 。その後の民族解放闘争・ベトナム戦争は、これを一段と拡大 した。この戦いの中で、ソ連は否定的な役割ばかりを果たして きたわけではない。いかなる人間・集団も存在する権利と価値 をもって存在している。どんな人間・集団も否定的な側面と肯 定的な側面をもって存在している。ソ連の解体によって、その 存在理由と存在価値を全面否定するのは、清算主義であり思考 停止だ。第二次世界大戦後もアメリカの黒人は公民権を獲得し ていなかった。アメリカの黒人奴隷は、やっと開放されただけ であり、人間としての対等な権利を持っていなかった。元来、 アメリカのブルジョワはヨーロッパのブルジョワよりは進歩的 で平和的な志向を持っていた。しかし、第二次世界大戦で世界 のブルジョワジーと労働者階級の力関係が逆転したことに脅え たアメリカのブルジョワは強力な反共政策に転じた。ベトナム 戦争は「マッカーシズム・赤狩り」が産み出した必然的な結果 だ。だが、ベトナム戦争はアメリカの革命を分娩した。ベトナ ム戦争の敗北によって、アメリカの反共政策は劇的に転換した 。アメリカは武力による反共政策を放棄した。
 スターリン現象とは社会主義運動の中に現れた盲目性・自己 意識の欠如だ。「社会主義体制」は盲目的ではあったが、社会 主義を志向していたのも事実として認める事ができる。国内的 には先進的な社会福祉制度を確立していたし、資本主義的な弱 肉強食を拒否していた。対外的には民族解放闘争に大きな役割 を果たし、西側経済ブロックにも側圧として機能した。他方で は、「資本主義体制」のブロックにおいても労働者階級の力は 巨大な力を現し、戦前のような帝国主義戦争はもはや不可能と なった。第二次世界大戦は「自由と民主主義」を世界システム の中心に押し上げた。この「自由と民主主義」は世界の労働者 階級のヘゲモニーを飛躍的に拡大した。しかし、同時にスター リン現象が東側ブロックだけではなく、西側ブロックの左翼の 中にも広範な影響を与えてもいた。戦後の社会主義は、東側だ けでなく西側においても、スターリン主義の盲目性によって汚 染されていた。「社会主義の敗北」によって、二重権力状態が 崩壊したわけではない。世界の社会主義システムは、世界の労 働者階級の民主的な力によって支えられたシステムである。ソ 連の民主化が、労働者階級の国際的な民主的力を破壊すること は有り得ない。むしろソ連の解体は、労働者階級の国際的力の 成長によって準備されて起きた事件であり、平和的で合法的な 社会主義運動の飛躍的な発展を準備した。「一国社会主義」の 枠に閉じ込められ、裏切られてきた力の開放である。
 人類の自己意識であるはずの社会主義運動の中に、どうして スターリン現象のような倒錯が起きたのか?これは戦争と深く 結びついている。ロシアの十月革命は極めて平和的で民主的な 革命であった。しかし、その後の憲法制定会議の解散は歴史的 に妥当な戦略ではなかった。この解散はソビエト政府の正当性 を奪い、内戦を刺激した。更に内戦に対する干渉戦争で、ソビ エト政府は否応無しに軍事力によってソビエト政府の権力を守 らざるを得ない状態に陥った。この戦争によって、党と軍事組 織が融合し、本来相対立するはずの社会主義と軍事力が融合し た。「民主集中制」は非合法活動や軍事活動においては有効な 組織論である。この活動では、高い秘密性と集中制が必要とな る。しかし、非合法活動は合法的な権利を獲得するための活動 であるべきであって、権力を獲得するための活動ではあっては ならない。社会主義は民主主義がより一層発展した社会を志向 するのだから、合法的で平和的な活動によってしか目的を実現 できない。社会主義的な権力を軍事的に防衛することはできて も、獲得することはできない。国家の死滅を志向する社会主義 は、軍事力とは相対立する関係にある。軍事力は人類の盲目性 から産まれた力だ。軍事力と融合した社会主義は盲目的で官僚 的な「社会主義」へと変質する。内戦に勝利した後は、直ちに 党と軍の分離・社会政治関係の民主化に着手すべきだった。ス ターリン現象の責任をスターリン個人の責任に帰す事はできな い。

3、社会主義と自己意識

 レーニンの組織論とスターリンの「民主集中制」は全く異な るのは明らかだ。レーニン時代のボルシェビキ内では分派活動 は公然と行われていたし、党内民主主義は生きていた。分派活 動を禁止・排除すれば党内民主主義は死滅する。民主的な社会 においては、党内民主主義がない政党は死滅する。だが、軍事 官僚と結びついた党は、党内民主主義なしで生き残る事ができ る。スターリンの組織論は、レーニンの組織論の土壌の中から 育ったのは明らかだ。レーニンの組織論は非合法的で軍事的な 活動においてのみ有効な組織論だ。若きトロツキーが批判した ように、彼の組織論は代行主義・官僚主義となり、本来の社会 主義運動からは逸脱する。第二次世界大戦におけるソ連の勝利 と世界各地の共産党組織のパルチザン活動の優位性は、この逸 脱した組織論を神聖化する役割を果たした。スターリン現象は レーニンの組織論を神聖化することによって起きた現象だ。非 合法的・軍事的な活動の組織論と合法的で平和的な活動の組織 論は全く別物だ。合法的で平和的な活動では、公開で民主的な 組織論でなければ役立たない。今日の先進国における共産主義 運動の退潮は、レーニンの組織論と決別できなかったからだ。 己の過ちを「反共攻撃」の責任にしている限り、スターリン現 象の盲目性と退潮から抜け出せない。
 人類が自己意識を獲得するためには、左翼がスターリン現象 の盲目性から抜け出さなければならない。スターリン現象は、 資本主義と社会主義が軍事的に対立しているために、社会主義 も己を軍事的に防衛せざるを得なかった時代の倒錯した現象だ 。このために、「社会主義」を軍事的に輸出できるという倒錯 が起きた。ベトナム戦争とアフガン戦争はこの武力対立と倒錯 に終止符を打った。社会主義システムを軍事的に防衛する必要 がなくなったことは、人類の歴史から見て極めて大きな前進だ 。人類の自己意識と軍事力は相対立する概念であり、力である 。軍事力で自己意識を獲得することはできない。自己意識は軍 事力を否定することによってしか獲得できない。社会主義は平 和的で合法的な過程によってしか自らの姿と力を現すことがで きない。軍事的な対立のもとでは、社会主義は己の力の偉大性 を表出できない。ソ連解体後の今日でも、世界のブルジョワジ ーは労働者階級に対する軍事的な支配権を喪失している。世界 システムの二重権力状態は依然として変わっていない。むしろ 、ソ連の解体は世界システムの民主化を加速した。しかし、い まだに世界の軍拡は止まらない。世界の労働者階級は世界シス テムのヘゲモニーを確立しているとは言えない。人類は盲目性 から脱出できていない。依然として世界システムは盲目性と合 目的性との激しい緊張関係の中にあって、合目的性は己の優位 性を確立していない。地球環境問題と飢餓問題は、否応無しに 二重権力状態からの脱出を求めている。
 人類はある日突然目覚めて、自己意識を獲得するわけではな い。人類の自由と民主主義・平和を目指す戦いが、各国・各地 域で繰り返される過程の中で形成されてくる。世界における自 由と民主主義の発展は、否応無しに労働者階級のヘゲモニーを 高める。自由と民主主義は、ソ連の解体によって後退したので はなく、更に一段と拡大・発展しつつある。資本主義は封建制 を打倒したのではなく、封建的な官僚システムを利用しつつ、 それを乗り越えて発展してきた。同じように、社会主義は資本 主義を打倒した彼岸にあるのではなく、資本主義的なシステム を利用しつつ、それを乗り越えるシステムである。ネップや今 日の「社会主義市場経済」を見ても、社会主義と資本主義は排 他的な関係になっていない。高度な資本主義構造においては自 動安定化装置を抱えており、資本主義の経済循環性は社会福祉 制度によって緩和する傾向を持っている。今日の世界では、こ の自動安定化装置を一国的なレベルから、全世界的なレベルへ と拡大することが必要だ。この装置を一国的に高度化しようと しても、発展には限度がある。グローバルな世界においては、 近隣が窮乏化すればこの安定化装置はずたずたに解体される。 近隣窮乏化との闘いなしに、己の安定化はあり得ない。窮乏す る近隣から自国の安定化装置を守るために、グローバル化に反 対するのは本末転倒だ。

4、新自由主義と盲目性

 資本主義を乗り越える力は、暴力や権力によって資本家を打 倒する力ではなく、国境を越えた労働者階級の自由で民主的な 公開の討論によって獲得できる。「新自由主義」は国家の死滅 という視点から見れば、「否定的な役割しか果たしていない」 とは言えない。国境を越えた人間社会の経済的・政治的・文化 的な交流を加速することは必要だ。「一国社会主義・一国平和 主義」的な視点から「新自由主義」を批判しても、時代錯誤な 議論にしかならない。しかし、「新自由主義者」の多くが減税 ・「小さな政府」を志向しながら、軍拡を志向するのは、彼ら の本当の狙いがどこにあるかを端的に示している。ベトナム戦 争によって敗北した世界のブルジョワは、スターリン官僚主義 の敗北によって復活を夢見る。「新自由主義」は「一国社会主 義」の弱さに付け込み、二重権力状態から抜け出そうとするブ ルジョワのイデオロギーだ。「新自由主義」に「一国社会主義 」を対置するのは自殺行為でしかない。「新自由主義」の盲目 性には盲目的な「社会主義」を対置しても無駄だ。自由で民主 的な社会主義、己の歴史的な責任を自覚した社会主義以外に対 置できない。自己意識を保持した社会主義は勝利を、従って、 統一を志向する。
 市場任せの「市場原理主義」では、地球環境は益々悪化する ばかりだ。また、市場原理主義では、世界の貧困問題は益々悪 化するばかりで、この貧困問題は「テロの原因」ともなって、 人類が抱えている問題を悪化させる。「新自由主義者」が軍拡 を志向するのは、何ら不思議ではない。己自身の行為によって 引き起こされた社会政治的問題を軍事的に解決しようとする志 向である。こうした馬鹿げた世界は第二次世界大戦ですでに破 産した。自動安定化装置を高度化・国際化するのではなく、こ の装置を地球規模で解体しようとする。かつては西側先進国の 自動安定化装置は東側ブロックの側圧と言う世界状況の中で一 国的に高度化してきた。側圧から開放されたブルジョワは、官 僚社会主義の残骸の上に、すでに破産したロマンの復活を夢見 る。他方では、世界の左翼・社会主義運動はいまだに、「一国 社会主義」の盲目性を克服できていない。官僚主義・セクト主 義が健在で、このために分裂している。この事が、「新自由主 義」に大きな活躍舞台を提供している。
 今日の世界人口の圧倒的大部分は、まだ農民であり労働者階 級ではない。今日の世界では、ブルジョワジーと農民の同盟( 新自由主義)が幅を効かしている。しかし、この同盟は内戦と テロ・飢餓を惹起し、農民の生活を破壊する。そして何よりも 地球環境問題は人類全体の生存を脅かす。人類の盲目性(新自 由主義)を軍事的官僚的に排除することはできない。人類の自 己意識は盲目性を官僚的に排除することによってではなく、こ れを一契機として利用することによって獲得できる。盲目性を 民主的な目的意識性によって矯正(強制)・誘導することが必 要だ。今日の地球環境問題は、世界の農民に対する労働者階級 のヘゲモニーを求めている。この国は世界第二の経済大国だが 、地球環境問題では国際的責任を果たしていない。この国の左 翼の統一は世界の政治関係に巨大な影響を与え、民主的な世界 構造のために大きな役割を果たす。この国の左翼が統一した力 で政治革新を図ることは、国際的な責任だ。

5、地球環境問題と自己意識

 地球は人類のみならず、この地上にあるすべての生命のため にある。人類は勝手に、自分の都合のいいように地球を改造す る権利は無い。この地上に、勝手に国境線を引いて、排他的に 独占する権利などあるはずが無い。何人も、平等に酸素を吸う 権利があるのと同じように、この地上を平等に利用する権利が ある。地下の化石資源は今日の地上を所有する人間が貯えた資 源でもなければ、彼らのために貯えられた資源でもない。地球 に対する所有権は人類の傲慢であり、盲目性の象徴だ。このた めに、長い間、人類は戦争を繰り返し、軍拡を続けている。地 上の生命環境を破壊し続け、地球資源を浪費する。「奢れる者 は久しからず」という歴史の鉄則は今日の人類にそのまま通用 する。土地に対する一定の独占的な使用権・自然権を認める事 は出来るとしても、排他的な所有権は人類の盲目的な権利だ。 地球環境問題はこの人類の傲慢に対する警告だ。今日の人類は 、地球資源と地球環境に対する目的意識性・意識的な計画性な しには、生き長らえる事は出来ない。
 「ガイアの思想」によれば、地球は生きた生命体だという。 人類の自己意識は地球の自己意識でもある。この地球は数十億 年という長い時間をかけて、己自身を意識的・合目的に己を改 造する能力をもった人類を創造した。しかし、今日の人類の盲 目性はこの地球生命を破壊する。破壊する力を富と勘違いして 己惚れている。盲目的であることが恥ではなく、誇(埃)とな っている。ジェレミー・リフキン『地球意識革命』によれば、 地球的な規模で人類の意識革命が必要だ、と言う。存在は意識 を規定するが、意識も存在を規定する。今日の先進国の市民は 、65億分の1としてふさわしい生活をしているのか?人類の 自己意識は我々の自己意識だ。我々自身の民主的な自己意識な しに、地球環境問題の解決はない。今日の世界経済・構造は余 りに先進国優先にできている。この構造を民主的な構造に転換 しなければ、地球生命は破壊されつづける。
 人類の自己意識を求めて、今日の地球は悲鳴を上げている。 課題はその解決ための物質的条件と共にやってくる。ソ連の解 体はこの条件であったと、未来の人類は刻印するだろう。今日 の社会主義者に求められているのは、過去の栄光にふける無知 ではなく、この廃墟から甦ろうとする意志と勇気である。

 なお、参考までに以下の投稿をリンクする。
「世界革命の曙」
「地球環境問題が提起している課題(1)」