前回の「その1」の投稿の後、推奨サイトとして挙げた高坂邦彦さんのHPが3月末日をもって閉鎖されていたことを知りました。特に今回の内容は高坂さんのまとめから学んだことが多く、閉鎖の理由はわかりませんが、大変残念なことです。ちなみに、高坂さんのHPの存在は、加藤哲朗さんの「ネチズン・カレッジ図書館:学術論文データベース」(http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/database.html)にリンクされていたので知りました。
ポパーのマルクス(主義)観
ポパーは、ウイーンでユダヤ人一家の三人兄弟の末子として生まれ育ちました。父親は弁護士で、子供時代は裕福な家庭であったようです。その後、第一次世界大戦後のオーストリア経済の破綻などから家庭は没落し、後にナチズムが台頭すると亡命生活を余儀なくされます。ポパーが最も憎んだのは、ナチズム的な全体主義です。しかし、あまりにも凶暴なナチズムを批判する作業自体は、学問的な魅力からはほど遠いものでした。一方マルクス個人については、彼の博愛主義、精神的自由への渇望、社会変革へ向けられる情熱、知的明晰さや学問的高みの全てについて、ポパーは大変尊敬さえしていたようです。しかし、逆にそうした魅力の大きさ故に、マルクスの学説が将来人類社会に大きな影響をおよぼし、未曾有の災禍をもたらすことになると、確信を持って危惧しました。
ポパーは、1919年に起こったデモ隊への発砲事件を目撃して、それまで傾倒していたマルクス主義から離れていったようですが、その8年後の1927年、再びウイーンで労働者のデモ隊に警官隊が発砲してもっと多数の死傷者がでるという事件(七月事件)がおこりました。この事件をポパーは、マルクス主義にいだいていた危惧が現実のものになったと考え、オーストリア社会民主党指導部を批判しました。なぜ指導者たちは労働者の人命を祖末にして兵隊のように扱うのか。このように、市民を兵隊のように扱い、予想されていた多数の人命の犠牲を敵方のみに責任転嫁して開き直るのは全体主義に他ならないと。ポパーは、既にこの頃から、人生を賭けてマルクス主義と闘う決意をしていたのでしょう。マルクス主義が科学を装っている以上、これと全面対決するためには、そもそも科学とは何かという、それまで教育研究所に通いながらあたためて来た問題意識を深めることが有効だと考えたのだと思います。
マルクス主義批判の三つの論点
ポパーのマルクス主義批判の第一の論点は、過去の歴史を科学的に解析して得られたとされる歴史発展の法則についてのものです。ポパーによれば、過去の歴史の中に何らかの規則性が見出されたとして、それを法則と言ってしまうのは、単に「二度あることは三度ある」を法則にまで持ち上げてしまう愚をおかすに等しい態度です。100回続けて起こったことでも101回目にはどうなるかわからないと考えるのが「科学的」な態度であるということになります。
「長い間鶏に餌をやって育ててきた男がいる。だがある日彼はついに鶏の首をひねる。・・・」(バートランド・ラッセル)
そもそも過去形で語られる命題は反証可能性を持ちません。
第二の論点は、マルクスの未来予測についてのものです。この点でポパーの思想に影響を与えた物理学上の発見がもうひとつあります。それは1925年のハイゼンベルクの「不確定性原理」です。これは、素粒子の世界では、観察という行為そのものが観察対象に影響を与えるので、素粒子のある瞬間の位置やふるまいを確定的に予測することはできないという原理です。素粒子の世界でなぜこのようなことがおこるかと言えば、観察対象も、観察する側の手段や媒体となる光(光子)も、どちらも素粒子という括りで同格なので、作用と反作用が両者に同じスケールで顕われるからです。そうだとすると、人が、自らが一員である人の社会を観察するという行為にも同じ原理があてはまるとポパーは考えました。実際に、株価の予測を発表することで市場に影響を与えてしまい、予測が狂ってくるというような現象が思い浮かびます。
そうしたことからポパーは、人類社会の過去の歴史の中に規則性を見いだし得たとしても、それは一つの結果にすぎないものであって、その規則性を法則にまで高めて未来を予測することは原理的に不可能であると結論しました。つまり、マルクスの未来予測はまったくの幻想で非科学的だと否定した訳です。以上のことを基礎にポパーは次のように主張します。
マルクス主義の指導者たちは、なぜ労働者を兵隊のように扱うのか。結局それは、マルクス主義の中にある「歴史法則主義」に起因する。科学的に解き明かされた歴史発展の法則に従ってきたるべき未来社会がやってくると大衆を信じこませることで、そこへ向けたあらゆる運動が正当化されてしまうのである。たとえそれが科学の手続きをもって予測されたものであっても、一つの学説である以上、それが正しいという証明は不可能である。その危険性は、そのようにあやふやな未来へ向けて、幾千万の大衆を兵隊のように動員して、いわば国家規模、世界規模での人命を賭けてSFじみた実験をおこなうことにある。これは暴挙である。その実験が壮大な失敗に終ったとして、誰も責任をとれないのは明白だというのに。
さて、第三の論点はもっと重要なことがらです。ポパーは、マルクス主義者の主張の中に、ある種の受け入れがたい傾向を見いだしていました。それは、歴史発展の法則に従ってきたるべき未来社会に合うように「現在」を生きる人々の価値観までをも改変されなければならないと急かす傾向です。マルクスが言うように、大多数の人は資本主義の世界では物欲が肥大するというような、その社会の経済の枠組み(下部構造)に合致した政治的・文化的な価値観(上部構造の要素)を持ちがちです。そうした価値観は、未来社会へ向けた性急な変革を目指す立場からは運動の障害になると考えられます。そこでマルクス主義者は、来るべき共産主義社会に合致する価値観をそなえた者へ今から自己変革すべきだと主張します。そうすると当然のように、実社会の中でいろいろな軋轢を生じます。そこで失敗や挫折をすると思想的な弱点を糾弾されるというようなことになります。
このことがポパーにとって受け入れがたかったのは、科学は絶えざる反証にさらされなければならない筈なのに、マルクス主義者の中にマルクス主義そのものの反証を公平になしうる資格のある者が皆無になってしまうということでした。こうした傾向から、ポパーは、そのことの中に全体主義的な傾向を嗅ぎ取りました。いろいろな失敗から反省することがないということは、ブレーキもハンドルもなく直進するだけの車に乗り込むに等しいことです。壮大な、世界を巻き込んだSF的実験は、このままでは破滅的な局面まで突き進んで終るほかないであろう。ポパーは、その予兆をウイーンの七月事件に見ていたのでした。
絶えざる反証と漸次的改革
ポパーの反証主義科学哲学からくる政治的立場は明確です。まず、あらゆる学説にとって、それが正しいという証明が原理的に不可能である以上、国民全体の命運を左右するような壮大で後戻りの困難な社会実践、つまり革命などはめざすべきではないということになります。かわりにもとめるべきは漸次的改革です。一つの政策(学説)にもとづいて改革を実行するということは、それ自体が反証実験にさらされるということに他なりません。間違いだとわかれば後戻りすれば良いことです。
その改革が仮に間違いであった場合に撤退できるよう、それを間違いであったと判断する基準が予め明示されている必要もあります。反証可能性は、指導者による失敗の言い逃れを許さないための原則的なこととして、科学が進歩するように社会が進歩するためにもどうしても必要なことです。相対性理論のように、絶えざる反証を生き延びてこそその価値は高まります。
また、社会的な長期予測には絶えざる改良・変更を加えなければなりません。不確定性原理から素粒子のふるまいが確率論にもとづいてのみ予測可能であるように、人類社会の未来予測も確率論的なものでなければなりません。そうである以上、日々初期条件が更新されなければならず、予測結果も変動して当然であり、誤差を含んだものであるという前提を認めなければなりません。この点でマルクス主義の未来予測は、「量から質への転換」という発想から、本質的に定性的・確定的で硬直しており、受け入れられません。
これらのことは、「ひらかれた社会」のもとでのみ実現可能です。全体主義社会では客観的な反証そのものが不可能です。したがって、社会の改革を求める運動の優先課題は、情報公開の徹底を基礎とした民主主義的な制度改革であり、全体主義的な傾向との絶えざる闘いをとおしてよりいっそうひらかれた社会を実現しようとする取り組みです。
さて、これまでの二つの投稿文は、ポパーとその思想を読者にわかりやすく伝えようとして、いくぶんポパーに肩入れしたトーンになっていると思います。実際に私は、ポパー理論の明晰な洞察に接して、沢山のことを学びました。しかし、先の投稿の導入部で述べたように、私は、ポパーの理論は一面の誤りを含んでいると感じています。次回はそのことを書くつもりです。