何が問題か
今回からポパーの学説を批判的に検討します。私個人の疑問の出発点は二つあ
ります。
第一にポパーは、マルクスの歴史科学を反証可能性がなく科学の名に値しない
と否定しましたが、歴史科学それ自体は自然科学の中でも、たとえば地質学とし
て確立しています。良く知られているように過去形で語られる命題は、(タイム
マシンでもない限り)反証不能であり、地質学的な命題も例外ではありえませ
ん。それでも、地質学が科学であると信じられているのは何によるのか。
第二にポパーは、革命より漸次的改革を主張しましたが、共産党政権が次々と
倒れたのに世界は幸福に向かっていないという私なりの観察をもとにした判断が
あります。つまり、漸次的改革はむしろ後退しているのではないか、その背景に
はポパーが想定し得なかった理由があるのではないかという予想です。この二つ
の疑問から私は、ポパー理論に原理的な誤りがあると考えるに至りました。
第一の点は、ポパーの流れをくむラカトシュが、「科学的」という言葉の定義
にかかわって、ポパー理論を「方法論的反証主義」と呼んで限定的なものに押し
とどめたことと関係しているでしょう。そこで、あらためて「科学的」とはどう
いうことかを整理し直す必要性を感じます。
第二の点は、ポパーが、彼の科学哲学に基づいてマルクス主義を批判しながら
社会や政治についていろいろと提言したことが、結局のところ、マルクス主義の
本質を射抜いていないと思われる点です。
今回は、もっぱら第一の論点にかかわることだけを取り上げ、第二の論点にか
かわることは次回(最終回)にまとめます。
ところで、ウィトゲンシュタインは、彼の「論理哲学論考」の中で、数学的な
証拠や論理的推論は単なる同語反復にすぎないことを指摘しています。それらは
どんなに精緻なものであっても、例えば、「雨は降るものだとすると、雨は降っ
ているか、降っていないかである」、あるいは「人間は死ぬ。Aさんは人間であ
る。従ってAさんは死ぬ。」といった命題と本質的には同類です。これらの命題
は、文や方程式の内的な関係について語っているにすぎず、現実の世界について
はいかなる情報も与えてくれないし内容がない、とウィトゲンシュタインは主張
しました(その1で挙げた文献1参照)。
「論理哲学論考」はウイーン学団のバイブルのように扱われていたので、この
ことの意味についてはポパーも熟知していた筈です。しかし、ポパーにとって
は、ある学説が「科学的」なものかどうかが判定できる便利な基準が見つかりさ
えすれば、そうしたことはどうでもよかったのです。彼の目的は科学の法則を唱
えるマルクス主義の否定です。それが科学でないことを論証できれば、マルクス
の膨大な文献を逐一検討する必要がなくなります。そのため、帰納法を否定する
「観察の知識(理論)負荷性」の原理が最大限活用されることになります。
科学の営みは単純ではない
ポパーは、「現実の科学者は、まず先に解答を思いえがき、それからそれをさ
さえる事実をさがし始める」とビューラーが言ったことをヒントに反証主義科学
哲学の開拓に着手しました。ビューラーの評価には一面の正しさがあります。実
際多くの科学者は「仮説検証法」を多用しながら研究を進めています。しかし同
時に、多くの科学者は、検証よりもむしろ仮説構築に労力を割いているというの
も事実です。ところがポパーはこの仮説構築のプロセスや仮説の論理構造そのも
のについてみるべき考察を行なっていません。当の科学者達が長い間ポパー理論
に注目しなかった理由がここにあると思います。ポパーはアインシュタインの仕
事から大きなヒントを得た訳ですが、その仮説構築のプロセスは多分にヒューリ
スティック(発見的)で、そこからは、ポパーとして「批判的精神」以外に何も
汲み取ることがなかったのです。
ポパーは、科学の現場で他のおおぜいの科学者達が行なっている作業それ自体 を分析して科学哲学構築の参考にするということをしなかった。このこと自体 が、ひとつの仮説を生み出そうとするときに、多くの科学者が研究対象と向き合 いつつ悪戦苦闘する姿勢とはかけ離れています。科学者がもっとも腐心している 仮説構築の作業に目を向けずに、反証可能でありさえすれば「科学的」とみなせ るというなら、「明日は晴れる」と占い師が言うのも「科学的」なのかとの疑問 が出されるのも当然かもしれません。反証がいかに重要だとしても、反証に値す る仮説を生み出すことができなければ無意味です。
ところで、岩波の雑誌「科学」に1994~1995年に10回にわたって連載された、都 城秋穂さん(岩石学者)による「地質学とは何だろうか」という論考がありま す。そこでは、ポパーの反証科学哲学とクーンの科学革命論の両面から、伝統的 地質学が有するある種の欠点についての指摘がなされています。 この論考全体 の評価についてはここではふれませんが、当然のこととして、都城さんがポパー 理論を用いて歴史科学としての地質学を批判する視点は、ポパーがマルクスの歴 史科学を批判する視点と重なります。第一に、「観察の知識(理論)負荷性」に 基づく帰納法の否定です。第二に、過去に起こった現象について法則性を主張す る仮説は反証可能性を有していないとの批判です。
地質学の成果として得られる、過去におこった地質現象の実体復元についての ひとつの仮説は、別のもっと有力な仮説の登場によってのみ退けられます。しか し、その新しい仮説それ自体もまた反証可能性を有していません。このとき、そ の優劣はどのように判断されるのでしょうか。出来合の学説の優劣の比較につい て言えば、とりあえずは、より広範囲の、より多くの、より長期の、またより細 部の現象が説明可能であるほど優れているというようなところでしょう。
このように考えると、「科学的」とは、何と曖昧な概念であることかと思いま す。それでもそれが科学と認められるには、最低必要ななにがしかの要件がある はずです。しかもそれが、ポパーが考える科学の要件をクリアーできていないの が既に明らかだとすれば、新たな鍵はポパーが考察しなかった仮説構築のプロセ スや、その仮説の論理構造の中にあると予想されます。歴史科学は犯罪捜査と同 じであると書けばわかり易いでしょうか。
観察と帰納、および自然の現象学
歴史科学の中には、結果から原因を推定するインバージョン(逆問題解法)と
よばれる方法論を意識的に追求することで近代化をなしとげた分野もあります。
例えば、過去の津波被害のデータを基に、その被害をもたらした地震の震源地や
震源過程を、コンピューターシミュレーションによって遡って特定するというよ
うな(津波インバージョンと呼ばれる)方法論です。このような複雑系を扱う科
学にはある共通した特徴があります。複雑系とは、結果が原因に影響するという
ような非線形過程と言い換えても良いでしょう。こうした問題にインバージョン
を適用する際には、最低限必要な、独立した事象についての観察事実の数が、イ
ンバージョンモデルの理論の性格によって決まります。そして、その最低必要な
数を超えて観察事実が増えるほど、原因となった事象についての特定精度が上が
るという特徴があります。
このように、コンピューターを用いたインバージョンによって過去の事象を再 現するというような研究スタイルは、ポパーが反証科学哲学の構築に向けて歩み 始めた時代には存在していませんでした。歴史科学にとって学説の優劣を決める もうひとつのポイントは、その学説を構築するために用いられた観察事実の質と 量であると言えるでしょう。観察(観測)という行為は、現代の科学にとっても あい変わらず最も重要な営みなのです。ところがポパーは「観察の知識(理論) 負荷性」原理などから、観察を基礎とする方法論としての帰納法を否定しまし た。しかしそれは、ポパーの帰納法の理解そのものが誤っているのです。そもそ もなぜ、帰納と演繹という概念が生まれたのでしょうか。
純粋に演繹的な推論は、既知の法則から出発して論理思考の積み重ねのみに よって新たな法則を導きだします。一方、帰納法の基礎である生の自然(現象) を観察するという行為も、知識(=先入観=既知の法則)を媒介としてある種の 判断が得られるという点で、演繹的な側面を有しています。しかしそれは必要条 件ではあっても、それだけで観察という行為による認識のプロセスを説明するに は十分ではありません。自然(外的世界)の認識は、古来より多くの哲学者や心 理学者が語っているように、いろいろな段階を経て成し遂げられる筈のもので す。感覚・知覚の作用の後には情報の組織化の作用が必要です。この二つの段階 を受け渡す原理としてフッサールが彼の「純粋現象学」の中で解き明かした「理 念」の態様は、遡ればプラトンの「イデア」に源流を求めることもできるでしょ う。
フッサールは、客観的世界が存在するという信念が正しいかどうかについての
判断を保留しても、その信念がどこから生まれるのかを記述することは可能で、
そのことによって、自然(世界)認識のしくみを解き明かすことも可能になると
考えました。「観察」という行為を通しての自然(世界)認識を素過程へ分解し
たとき、純粋意識の中に立ち現れる知覚や像から人として共有可能な対象概念を
生み出すためには指向性と対象性を備えた「理念」の態様が要請される。「事
実」の概念からなる集合が任意の「理念」によって関係づけられたものを「構
造」と呼ぶなら、その「構造」そのものもまた「理念」の態様に他ならない、と
フッサールは考えました。こうした発想法は、現象学的還元という言葉が示すよ
うに、先に述べたインバージョンと同じ性格のものです。
私の理解によれば、フッサール現象学の正統な後継者は「身体論」を構築した
メルロ=ポンティです。二人は、概念理解が言葉を媒介としてなされるとして、
新たな言葉が誕生する現場、その瞬間に光を当て、「理念」のふるまいと自然
(世界)認識におけるその意義を解き明かしました。ポパーの科学哲学が、既に
言葉が存在して表現されている概念についてのみ問題にしているのと対照的で
す。ポパーは、自然科学そのものが、新たな言葉の誕生(概念理解)を目指し
て、人々に共有されている「理念」を足がかりに言語化される以前の生の自然と
直接触れ合ってきたことを理解していなかったようです。
仮説構築プロセスの科学性
このように、純粋に演繹的な推論と異なって、帰納法は、感覚・知覚の作用を
出発点とする人間的自然(外的世界)認識のプロセスを必然的に伴うものです。
私は、帰納法は、ポパーが言うようには軽々しくは否定できないもので、むしろ
科学活動の本質を表現したものに他ならないと考えています。そこで、出来合の
理論や仮説が「科学的」なものかどうかを論じたポパーの視点から一端離れま
しょう。その上で、仮説構築のプロセスや学説の論理構造について、その正統性
なり「科学性」なりを吟味することが可能であるということを確認しましょう。
ここで、現代科学の現場において「科学的」という概念がどのように捉えられて
いるかを、私なりに次のように整理したいと思います。
1.根拠(証拠)として挙げられる事象に再現性がある(第三者による検証が可
能)
2.推論に論理的な誤りがない
1は帰納的なるもの、2は演繹的なるものについての評価というわけです。こ
の2つの条件を満たせばとりあえずは「科学」と認められているというのが現代
科学の現場の実態だと思います。特に観察事実や実験結果の再現性は重要で、
「常温核融合騒動」や、いろいろなねつ造疑惑の問題などでは、もっぱらこの点
に注目が集まりました。実際に、自然科学の学術雑誌の査読過程では結論の反証
可能性が問題になることはほとんどなく、むしろ証拠の再現(検証)可能性の方
が重要視されます。
さて、例えば条件1について、証拠の収集に恣意性がない、証拠の質(精度)
と量が推論に必要な条件を満たしている、などといった付帯条項を挙げることも
できますが、それらは全て条件2の方に含めることができます。そう考えるとこ
ちらはやっかいで、実際にかなりの曖昧さを含んでいます。この曖昧さもまた、
人のなせる科学の本質であり、社会と科学の関係を議論するのに重要性をおびて
くると考えられるので、次回にもう一度ふれることにしましょう。
ポパーが反証(主義)科学哲学を構築して世に認められた頃、これを意識しな がらも、まったく別の観点から科学的認識についての学説を唱えたのが武谷三男 さんです。やや蛇足のようになりますが、ポパーのそれと好対照と思われるので 要点だけを紹介しておきます。
武谷三男の「三段階論」と帰納法の復権
理論物理学者であり、自然哲学者にして社会運動家でもあった武谷三男(たけ
たに みつお)さん(1911~2000)は、自然の法則的認識は、1.現象論、2.
実体論、3.本質論の三段階を経て深化していくと考えました(武谷の三段階
論)。武谷さんは『現代物理学と認識論』の中で、「すなわち物理学の発展は、
第一に即自的な現象を記述する段階たる現象論的段階、第二に向自的な、何がい
かなる構造にあるかという実体論的段階、第三にそれが相互作用の下にいかなる
運動原理にしたがって運動しているかという、即自かつ向自的な本質論的段階の
三つの段階において行なわれることを示した。」と述べています。武谷さんの現
象論的段階は、情報を収集・整理して、その中に表層的な規則性を発見する帰納
法の手続きの段階と言い換えても良いでしょう。
武谷さんの主張は明快です。「全ての研究は、この三段階を経て完成される。
現象論が成熟していないのに実体論をやると失敗する。実体論が完成していない
のに本質論をやると失敗する。問題はその際、必ず野心家が居て、十分な段階に
達していないのに既に本質論にかじりついている者が少なくないという現実であ
る。そこで、負けず嫌いの者(多くの研究者)は、先を越されまいと我先に本質
論に飛びつくことになる。そこを見極めなければならないのは、研究の入り口に
立ったばかりの者にとってはかなりの程度の困難を伴う。結果的に、多くの場
合、現象論がおろそかになってしまう。そういう意味でも、かえって現象論的な
研究は、確信と熱意を持ってなされなければならない。」
(この括弧書きの部分は私の古いノートにあるメモからとったものですが、私の
文体ではないので誰かの解説文を書き写したものと思われますが、失念してしま
いました。)
武谷さんは1934年に京都大学を卒業後すぐに湯川秀樹・坂田昌一氏らと共に 「中間子理論」の研究をしていて(1934年~1940年)、その過程で1935年「世界 文化」同人に参加し、三段階論に関する諸論文を発表しています。また、この論 考は既に、彼の卒業論文の中にその萌芽が現れているそうです。重要な事は、湯 川さんの中間子理論は、坂田、武谷両氏との共同研究の成果であって、その研究 の指針として三段階論が極めて有効に活用されたということです。現在の物理学 界では、武谷さんの三段階論が湯川さんのノーベル賞受賞の原動力であったとい う認識はゆるぎないと思います。
武谷さんの三段階論の研究は、それまで哲学者によって生み出されたいかなる 認識論も、自然法則の認識の深化に何の訳にも立ってこなかったという反発から 開始されたと言われています。そして、彼は見事に新しい認識論を完成させ、実 際にこれによって華々しい成果が生み出されたのです。それゆえ武谷さんは 「(自分の信じる)一つの認識論を主張する人は、その認識論をあらゆる局面に わたって馬鹿正直に適用する」ことを求め、世の中に流布している間違った認識 論はその過程で淘汰されると主張しました。
ポパーの失敗
ポパーは、科学哲学界のアインシュタインになりたかった。そして、彼自身、
実際にそうなれたと実感できた瞬間もあった。しかし、それが錯覚に過ぎなかっ
たことは、ポパー理論が当の科学者達から忘れ去られようとしていること一つを
とってみても明らかです。
彼の失敗はいくつかあるでしょう。例えば、アインシュタインがニュートン力 学に基づく宇宙観を根本的に転換したことは学界にも一般にも広く受け入れられ ているのに、実社会でのニュートン力学の有用性は相対性理論を上回っていて、 今なお、中・高等物理教育の基礎になっているという事情が理解されなかった。 このことは、原理的な正しさと実社会での意義や有用性とは別物であることを教 えています。一方ポパーは、ウイーン学団の論理実証主義に基づく科学哲学上の 成果だけでなく、人々が内面に抱えている経験主義的・素朴実在論的ないろいろ なアイデアの全てを有害無益と否定し去ってしまった。
私は、ポパーの失敗の第一の要因は、彼の科学哲学がマルクス主義の批判のた めという、ある意味不純な動機に支えられて構築されたことにあると考えていま す。彼の中では、研究の結果得られる筈の結論がマルクス主義を原理的に否定し 去る力を持つものである必要が、ことにあたる最初から要請されていました。と ことん原理的であろうとしたそのために、マルクス主義をまるごと否定し去るの と道連れに社会にとって有用ないろいろなアイデアの全てを否定し去ってしまっ たのです。
しかし、先に述べた検討から、「科学」と「疑似科学」を原理的に選り分けよ
うとしたポパーの試みは成功していないように思えます。たとえ原理的には正し
くても「使えない」ということでもあるでしょう。その「使えなさ」は、武谷さ
んが求めたように「その認識論をあらゆる局面にわたって馬鹿正直に適用する」
ことによっていっそう明瞭になり、その過程でポパー理論は淘汰されてしまった
わけです。
逆説的ですが、ポパーは、私たちが、間違いであることがまだ発覚していない
というだけで特定の学説にしがみつく存在であることに気づかせてくれました。
逆にまた、反証可能性の有無だけで「科学」、「疑似科学」とレッテルを貼るこ
とはできても、どのような説が社会にとって意義あると認められるのかは全く別
問題であるということにもなる。反証可能であってもなくても、まだ間違いが発
覚していないに過ぎないという点では同格なのです。人類にとっての意義や有用
性は、科学を取り巻く社会的な要請を含めた「合理性」とでも言うべき別の視座
によって判定されるべきものです。
次回は、この点を巡る最近の科学哲学の動向を紹介し、ポパーのマルクス主義
批判を再検討します。
参考文献:『自然の現象学 -メルロ=ポンティと自然の哲学―』加國尚志著 晃 洋書房 2002年