①世界革命への道程
カントは永遠平和を目指して「世界共和政府」を構想し、常備軍の全廃を訴えた。
若干具体性に乏しいとしても、当時としては素晴らしい構想である。しかし、カント
の世界政府は国家の均衡の上に立った世界政府であり、国家の解体ではなかった。
「万人の万人に対する闘争」と言うブルジョア概念から、国家の死滅と言う構想は産
れない。ブルジョワ概念を否定するマルクスは世界革命を構想し、国家の死滅を提起
した。世界政府は国家の死滅が前提となる。軍事的な外敵を持たない世界政府は国家
の死滅の上にしか出現し得ない。だが、マルクスの世界革命論もカントの世界政府論
と同様に具体性に欠けている。レーニンやトロツキーも世界革命を構想した。彼らの
世界革命はマルクスとは違って若干具体性を備えていた。しかし、彼らの世界革命は
ヨーロッパの革命であって、その後の世界の構造については具体的な展望を持ってい
た訳ではない。彼らはソビエト革命の延長上に世界革命を構想しただけだ。アメリカ
やアジア・アフリカ・中南米の革命については全く不透明であった。ソ連のスターリ
ン現象と共に世界革命の展望は極めて非民主主義的な性格を持ち始める。世界革命は
一部の極左的なセクトのスローガンでしかなくなった。
スターリン現象はソビエト政府への干渉戦争と深く結び付いている。そもそもロシ
アの十月革命はロシアの労働者と兵士の平和への願いから起きた平和的な革命だった。
従って、この革命は事実上ロシア軍の解体へと繋がったのであって、党と軍は分離し
ていたし、更に分離していくはずであった。ところが、干渉戦争はこうした民主的な
方向への転換を逆流させたのだ。この干渉戦争と内戦によって党と軍が深く結び付き
融合した。この戦争の勝利によって、ボルシェビキは著しく権威を高めたが、同時に
ボルシェビキの変質を準備した。レーニンの「民主集中制」は分派活動を原則的には
禁止していたが、事実上は分派活動は旺盛だったし、この分派活動によって党内民主
主義は保証されていた。しかし、党が軍と深く結び付けば党内闘争は軍事闘争に転化
する。
「クロンシュタットの反乱」事件はこうして発生した。この反乱に対する軍事的な
制圧は正当化できない。分派活動を禁止するのではなく、党と軍を分離し社会政治関
係を民主化すべきだった。レーニンもトロツキーも、こうした変質への危険に対して
無頓着だった。今日の視点で見れば社会主義の精神と軍事力は両立しない。これを両
立させようとすれば社会主義の変質が始まると考えるべきだ。スターリン現象が始っ
たのはレーニン死後ではなくレーニンの時代に既に始っていた。スターリンは一時的
な分派禁止を神聖な原則に高め、社会主義の変質と倒錯を神聖化した。また、若きト
ロツキーが指摘するように、レーニンの組織論そのものがスターリン現象を産み出す
素地を持っていたのであって、戦争に全ての責任を押付ける事も出来ない。
スターリン現象によって汚染されたソ連は極めて官僚的な社会となった。世界革命
とは世界全体のソ連化・官僚化を意味する事になった。こんなスローガンは誰にも相
手にされないのは当然であった。しかし、ベトナム共産党は自国の戦争を世界革命の
一環として捉えた。実際にも、この戦争はアメリカの革命を分娩し、東西の冷戦構造
に終止符を打つ役割を果した。アメリカのブルジョワジーが軍事的に世界の労働者階
級に敵対し、あちこちで世界戦争を繰返している限り、ソ連は解体しなかっただろう。
ベトナムの勝利を自分の勝利と勘違いしたソ連はアフガンを軍事的に支配できると倒
錯した。アフガン戦争なしでもいずれは解体する運命にあったとしても、この戦争は
ソ連の解体を劇的に加速した。それはベトナム戦争でも同じであり、戦争は余りに悲
劇的な事件であるために、歴史の歯車を急速に加速する。
人類の歴史の中でアメリカの占める位置は興味深い。アメリカは移民社会でそれ自
身が、世界の姿を反射している様な構造を持っている。近代民主主義社会への突入は
極めて早かったが、古代の奴隷制社会を代表する構造も抱えていた。この国では世界
の最も古い構造と新しい構造が同時に同居している。その点では、極めて実験的な構
造を持っている。この奴隷制社会から抜出したのは、ベトナム戦争と同時に戦われた
公民権運動によってである。とは言え、この国は徹底した直接民主主義の歴史を持っ
ていて、民主主義と多様性のエネルギーがこの国の力の源泉にもなっている。単に資
本主義のエネルギーとして観察するのは一面的だ。アメリカの民主主義は、ブルジョ
ワジーの看板とは全く逆転して、一国的な民主主義でしかない。視野の狭い一国的な
民主主義がベトナム戦争やイラク戦争へと繋がった。アメリカの民主主義は他国との
対等・平等な関係に基づいた民主主義ではなく、アメリカに対する従属関係を求める
民主主義だ。イラク戦争で傷付いたアメリカは、「帝国」的民主主義を放棄し始めて
いる。こうした民主主義観はアメリカの孤立と凋落を加速する。
とは言え、第二次世界大戦で果したアメリカの役割は大きい。世界構造の民主化に
果したアメリカ民主主義の歴史的位置は、正当に評価すべきものがある。アメリカ民
主主義はブルジョワ的偏見・一国的偏見に満ちてはいるが、今だにこの国の歴史的な
源泉であり、その積極的な性格を失っていない。世界の構造はこの国の民主主義を超
えてはいない。しかし、この国の軍事力は世界平和の脅威となっているし、世界の貧
困・環境問題を解決する上では重大な障害になりつつある。軍縮問題はアメリカの産
軍複合体との闘いでもある。国際的にこの産軍複合体を解体する闘いが必要だ。その
ためには世界各国で軍縮を求める闘いも必要となる。世界構造の民主化とアメリカの
産軍複合体の解体は同時に進行しなければならない。人類の長い歴史から観察すると、
近代民主主義はアメリカで開花し、このアメリカで終焉しつつある、と言える。この
国の巨大な産軍複合体こそ、視野の狭い近代民主主義の象徴である。世界の民主的な
構造転換は否応なしに産軍複合体に解体を迫る。近代民主主義からの離陸は世界革命
と同時に進行する。
アメリカの近代民主主義は世界の盲目的な社会主義に対する「歴史の棒」としての
役割を果した。アメリカのブルジョワジーは「自由と民主主義」を輸出する大義名分
を掲げて世界戦争を挑発した。スターリン主義者はアメリカ帝国主義との闘いのため
に近代民主主義を偽善として否認した。しかし、20世紀の社会主義は様々な逸脱と
試行錯誤を繰返しながらも、この「歴史の棒」に耐え抜き、21世紀の社会主義とし
て再び甦りつつある。ソ連の解体なしに21世紀の社会主義は産声を上げなかった。
ソ連の解体作業は社会主義者が推進した事件ではなく、ブルジョワジーが推進した作
業である。しかし、この解体は、結果的にブルジョワジーが明日の時代を担う労働者
階級に贈ったプレゼントだった。ヘーゲルは「ミネルヴァの梟は夕闇迫るころ飛び立
つ」と言う。ネオコンの「一極主義」はアメリカの未来ではなく、アメリカの黄昏で
しかなかった。アメリカが産軍複合体から抜出さなければ、「夕闇」は暗闇に向う。
逆に、アメリカ民主主義が新自由主義と産軍複合体に決別すれば、21世紀を通じて
アメリカの輝きは復活する。
社会主義者はどうしても仲間を大切にしすぎる一面がある。結局の所、この仲間へ
の思いやりは己への甘えに繋がった。仲間を大切にする必要はあるが、己への甘えは
自殺行為となる。否定の否定、己への甘えを断切る事が、真に仲間を大切にする道で
ある。近代民主主義の人権思想はこの事を教える。社会主義者は近代民主主義から学
ばねば成らない。産軍複合体はアメリカのブルジョワジーの甘えである。既に歴史的
な役割を終えた集団の利権をブルジョワジーは必死に守ろうとする。節度のない甘え
はブルジョワだけでなく、社会主義を自称する国家でも堂々と正当化されている。軍
縮問題はイデオロギーを超えた問題である様にさえ見える。しかし、軍縮問題こそイ
デオロギー問題の核心だ。軍事力の問題こそ人類の前史と後史を分ける分水嶺である。
軍拡の志向は社会主義とは全く無縁だ。軍拡こそ人類の盲目的な前史であり、利己的
パラダイムの象徴だ。軍縮は世界革命への道程である。
②軍縮への進路
第一次世界大戦はロシア革命と国際連盟を創発した。この事は世界政府と社会主義革命が深い関係を持つ事を暗示する。世界で最初の社会主義革命は
世界戦争の焦土の中から誕生した。ベトナム戦争(アメリカの革命)アフガン戦争
(ソ連の革命)、21世紀の社会主義はイラク戦争と共に産声を上げた。人類はどう
してこんなに無駄な戦争を繰返すのか?。それは人類の世界構造が余りに動物的で盲
目的だからだ。革命はこの盲目性からの脱出のために起きる。戦争を惹起する古いパ
ラダイムから抜出すために新しいパラダイムが発生する。だが、20世紀においては、
この新しいパラダイムは民主的なエネルギーを失い、直ちに軍拡競争を開始した。地
球環境問題はこの盲目性に終止符を打つ事を求める。20世紀の社会主義は余りに盲
目的過ぎた。このために新自由主義が世界中を荒らし回り地球環境を危機に陥れてい
る。地球環境問題はブルジョワジーの責任だけではない。左翼の盲目性と分裂が新自
由主義を加速して来た。
ソ連の解体によって東西の軍事対立は解消したと歴史的には言われている。しかし、本当の所は、この軍事対立の解消はベトナム戦争でのアメリカの敗北から始ったのである。ベトナム戦争での社会主義の勝利は世界のイデオロギー的な武力対立を終らせた。それにも関わらず、社会主義者が相変らず軍事力と「民主集中制」の組織論に頼る闘いを志向したために、世界中のあちこちで社会主義者は敗北を重ねた。ブルジョワジーが軍事力と利己主義に頼る事と、社会主義者が軍事力とセクト主義に頼る事によって引起される悲劇の意味は全く異なる。ブルジョワジーは「万人の万人に対する闘い」の概念で、幾らでも悲劇を正当化できる。しかし、社会主義者は同じ概念で悲劇を正当化すれば裏切となる。そこで
ブルジョワジーの攻撃と挑発に責任を押付け、それに対する防衛として軍事力と教条的な組織論を正当化し、その悲劇と分裂の責任を他党派に転嫁する。しかし、歴史はこうした詭弁を許さない。
社会主義者が軍事力とセクト主義に頼っても、ブルジョワジーが軍事力と利己主義に頼る結果と同じ事になると考えれば、とんでもない勘違いである。ブルジョワジーは古いパラダイムだから、軍事力と利己主義に頼っても正当化できるが、新しいパラダイムを自称する社会主義者が同じ概念で正当化すれば裏切となる。権力は正当性の観念で成立するのであって詭弁では成立しない。ブルジョワジーは元来盲目的であり、己の盲目性は正当な原理である。社会主義者が己の盲目性を正当化すれば詭弁となり、己の権力と権威の基盤を掘崩す結果にしかならない。それはブルジョワジーへの敗北宣言であり、自分自身への裏切、ブルジョワジーへの従属である。ブルジョワ官僚の自己保身は当然の権利であり、成功
の条件である。社会主義官僚の自己保身は階級に対する裏切りであり、失敗と破綻への進路である。例え一時的には成功したとしても、むしろこの成功こそ破滅の条件を成就する。
ゲバラは第二第三のベトナムを作るといって、南米のボリビアで軍事闘争を始めた。
彼の目標は明らかに世界革命であった。ゲリラ闘争がキューバで成功したからといっ
て、ボリビアでも成功するという構想は、今日の視点から見れば幼稚すぎた。しかし、
ベトナムを起点にして世界を変えるという彼の熱情は間違っていなかった。それはゲ
バラに限らず世界の左翼青年の熱い願いだった。そしてその願いは完全ではないにし
ても実現したのだ。この事実に世界の左翼は気づかず、古い教条的な思考のままだっ
た。このために世界の左翼は長い停滞期を向えた。人類は意識ではなく、自己意識に
よって動物から己を区別した。自己意識の欠如は盲目性となって己自身に襲い掛かる。
アメリカはブルジョワ国家であり、世界の悪の根源は全てここにある、という短絡志
向は詭弁である。
アジェンデのチリ革命は軍事クーデターによって圧殺された。この時代はまだベト
ナムを中心にして東西が戦争中の時代であった。この時代は資本主義と社会主義が単
に軍事対立していた時代ではなく、戦争をしていた時代だ。だからこそ、ベトナム人
だけでなく自分も戦わなければ成らないと考えて、ゲバラはボリビアのジャングルを
目指した。社会主義の思想は一国的なレベルではなく、世界的なスケールでしか語れ
ない。ゲバラはこの事をよく知っていた。何よりもベトナム戦争そのものがこうした
スケールでの闘いだった。今日のボリビアでは、ゲバラの精神を受継ごうとする政権
が誕生した。ゲバラは軍事闘争では敗北したが精神的には勝利した。人間は知的な動
物である。一時的な軍事的勝利には何の価値もない。ナポレオンはロシアを軍事的に
蹂躙したが、その事によって権力を失った。ゲバラは軍事的に敗北したが、その事に
よって権力を獲得した。
ゲバラがキューバの特使として日本を訪問した時は、時の通産大臣たる池田勇人は
ほとんど相手にしなかった。今日では、本当の所は分らないが、日本の保守的な政治
家の中でさえゲバラは大人気だ。ベトナム戦争後、ブルジョワは世界政治の力学の変
化に適応して来た。逆に、左翼はこの政治力学の変化に適応して来なかった。新自由
主義の盲目性によってどん底に落とされた中南米の民衆と左翼は、否応なく国際政治
力学の変化に適応せざるを得なくなった。そして更に、中南米の変化は世界の構造転
換をより一層加速しつつある。歴史は様々な試行錯誤を繰返しながらも、一点に留ま
ろうとはしない。一点に留まろうとすれば歴史は否応なしに己を打砕く。今日の地球
は我々に「歴史の棒」を振りかざしつつある。この棒から逃げれば逃げるほど、この
棒の厚さは大きくなる。地球環境問題の解決をブルジョワジーに委ねようとする無責
任は己自身を破滅させる。ブルジョワジーは元来盲目的である。彼らには元来、この
問題を解決する能力が備わっていない。彼らには、「地球崩壊後どうやって生き残る
か?」と考える知性しか備わっていない。温暖化を防ぐのではなく、温暖化後どうやっ
て資産を増やすのか?、と真剣に考える。
だが、階級闘争至上主義では世界の問題を解決できない。労働者階級も消費者とし
てはブルジョワと同じ市民だ。同じ市民として一緒に考えるしか道がない。もう、出
来ないかも知れないが、これ以上ブルジョワを追い詰めたって、官僚から配給された
商品しか消費できない社会はうんざりだろう。ブルジョワには温暖化後の資産の増や
し方ではなく、温暖化を防ぐ事によって資産を増やす方法を考えさせなくては成らな
い。資産の増やし方となったら、彼らは労働者階級などよりは遥かに優れた知性と技
術力を持っている。この知性と技術力を利用しなくては地球環境問題は解決できない。
こうした方向に人類を導くには、国境を越えた労働者階級の結束した力が不可欠だ。
この結束した力はベトナム戦争でもイラク戦争でも姿を現した。アフガン戦争では余
り現さなかったが、戦争となると世界の労働者階級は党や党派を超えて結束した力を
指し示す。軍縮問題になると途端に、軍事産業で働く労働者がいるためか、元気がな
くなる。地球環境問題はブルジョワ任せに成り易い。こんな事をいつまでも続けてい
たのでは人類は生残れない。もし、このまま地球環境の崩壊が続けば、結局の所、未
来の労働者階級は官僚から配給された商品しか消費できなく成るだろう。いずれにせ
よ、世界革命は避けられない。地球環境が崩壊状態なのに、ブルジョワだけがいい思
いをしているなんて、未来の人類は許さない。無駄な軍事産業のためにこんな世界革
命をやるのは全く馬鹿げている。
日本の憲法9条は第二次世界大戦で誕生した条項である。人類の前史と後史の分水
嶺となった戦争の反省としてのこの条項は、この戦争の性格を見事に反映している。
今日のボリビアの指導者は憲法9条を高く評価し、自国の憲法に反映させようとする。
中南米の革命を夢見てボリビアのジャングルに入ったゲバラの思想は、今日の世界で
は憲法9条の精神と深く結び付く。この条項が必要なのは日本国民だけでなく世界の
民衆全体にとって必要な条項だ。地球環境問題はこの条項の先験性を輝かす事になる。
アフリカの内戦や世界各国の軍事紛争と飢餓で苦しんでいる民衆にとっても、必須の
条項である。革命は輸出できないと言うが、平和は輸出するものだ。一国だけで平和
を維持する事は出来ない。平和は輸出しなければ維持できない。平和の輸出が革命だ
とすれば、革命も輸出するものである。内政不干渉という原則は国際連盟の原則だっ
た。帝国主義列強による世界分割の平和的な固定、こんな内政不干渉の原則など、何
の意味もない。我々人類は地球という同じ惑星の住人だ。内政不干渉の原則は平和を
維持する上では意味を持っていたのは明かだが、地球環境が大問題になっている今日
のグローバルな世界においては、余り意味を持たない。こうした傾向は情報通信技術
の発展によって、更に一段と加速するだろう。
軍縮問題では世界的な政治圧力が不可欠だ。軍縮問題は世界革命の進展以外には進
まない。憲法9条を守る義務を背負った日本の社会主義者は、世界革命の旗を高く掲
げるべきだ。9条を一国的に守ろうとするのは時代錯誤だ。この条項を世界に向って
創発しなければ、守る事は出来ない。柄谷行人氏は『世界共和国へ』で「主権の世界
政府への譲渡が私の世界同時革命論です」と言う。主権の譲渡という構想は当然の道
筋だとしても、実際問題としては一度に全国家が同時に主権を譲渡する様な事は、お
よそ考えられない。現実には、EU・ASEAN・AU・中南米機構のように地域ブ
ロックごとの統合が進行し、地域ブロックを通じて主権の譲渡が進行するように見え
る。他方では、国境を越えた多様な国際機関が、現実的な行政能力・統制能力を強化
する事が考えられる。しかし、ネグリが言うような国境を越えた「帝国」が世界市場
や様々な国際機関・機構を利用して、世界の民衆に敵対して来る現象も現れる。従っ
て、世界政府の創発と世界革命は深く連動しているとは言え、別次元の概念である。
世界政府は新しいマクロな人類秩序の発生である。世界政府の創発は人類の責任と
義務である。世界政府は永続する世界革命の目標地点である。国境を越えた階級闘争・
市民運動を基盤にした世界革命、従って「永続革命」によってしか、世界の民衆を基
盤にした世界政府を創発できない。かつての世界革命論は階級闘争至上主義であり、
労働者階級が同時に消費者としての市民でも有ると言う一面を見逃した革命論だった。
確かに、階級闘争を市民運動に解消する事は出来ない。世界市場と様々な国際機関で
は、労働者階級とブルジョワジーの利害は対立しているのは明かなのであって、この
対立を市民運動で調和する事は出来ない。しかし、国際的な規模での階級闘争はヘゲ
モニー闘争であって、知的文化的な闘争になる。ブルジョワジーや「帝国」は様々な
国際機関を利用して、利己的なパラダイムを拡大しようとする。逆に労働者階級はこ
れらの国際機関を利用して共生的なパラダイムを国際的な規模に拡大する闘いが必要
になる。その点では、労働者階級の国際的ネットワークと市民運動の国際的ネットワー
クは融合する。この融合したネットワークを基盤にして世界政府は創発する。
③地球環境・飢餓問題(第三次世界大戦)
ラブロックの『ガイアの復讐』によれば地球環境問題は第三次世界大戦である、と
言う。このままでは地球環境問題は第二次世界大戦以上の夥しい犠牲者を産み出す。
この災害は自然災害の形態を取りながら、実際は人工的な災害であって、避けられな
い自然災害ではない。この災害の程度は地域によって大きな較差は存在するが、世界
全体を巻込む世界大戦と似た様な災害となる。この災害は人間の利己的で盲目的なパ
ラダイムから産れる災害である点でも戦争と同様な性格を持つ。地球の環境破壊は世
界中で、重大な飢餓問題を惹起するのは明らかだ。第一次世界大戦は一発の銃声から
始まったのと同様に、地球環境の崩壊はいつどこで螺旋運動を開始するか分らない。
NHKのドキュメンタリー『海』によれば、日本近海の海底資源として注目されるメ
タンハイドレートは海底温度がほんのわずか上昇するだけで、大量のメタンガスを地
上に吹上げる可能性がある、と言う。メタンガスは二酸化炭素の10倍以上の温暖化
効果があり、このガスによる温暖化によって、更に大規模なメタンガスの海底溶解が
始る可能性がある。極地や山脈の氷河(クーラーシステム)の溶解が更に一段と地球
の温暖化を加速する。温暖化による砂漠は更に一段と地球の温暖化を加速する。熱帯
林とサンゴ礁の消滅はもはや現実的な問題となって我々に迫りつつある。
映画「アース」によれば、小惑星の衝突によって地球は太陽に向って23.5度傾
いている。この奇跡的な偶然の傾きと太陽からの適度な距離が地球に多様な気候と地
理条件をもたらし、地球は生命にとっては完璧な条件を持った「幸運の惑星」である、
と言う。地球は過去6億年のほとんどの間、大気中の二酸化炭素濃度は400から6
000ppmの間で変動していたが、過去40万年間では300ppmより低かった。
人類は地球の奇跡的な環境条件の下で誕生したが、産業革命以後この環境条件を自ら
破壊し現在は370ppmとなっている。人類は地球と言う母体の中で大切に保護さ
れ、個体的に発生して来た。だが、今日の人類は誕生を守ってきた来た母体を急激に
破壊し続けている。まるで、母体を自由に破壊する権利が自然権であるかの様に錯覚
している。人間は母体を食いちぎって誕生しようとしているかの様である。人間は母
体なしで生きては行けない。地球崩壊後、富める者だけが生残れる等と言う事は有得
ない。世界大戦後、戦争責任を追及されたのと同様に、地球崩壊後、富める者は崩壊
の責任を背負う事になる。
地球環境問題は深刻な食料危機問題を惹起する。地球環境対策のためにバイオエネ
ルギーを活用しようとする事は、後進国に換金作物を押付け、著しく国民の自給率を
低下させる。「コメはハイチで何世紀にもわたって栽培され、二十年前まではハイチ
の農民は一年間で約十五万トンのコメを生産し、それは国内消費量の九五%を十分に
カバーしていた。」(イアン・アンガス)新自由主義の支配によって、今日のハイチ
は米の輸入国家となり、国民は「泥のクッキー」を食べている。先進国の国民は、後
進国の食料資源で車に乗り、肉料理を食べて肥満する。海面上昇は耕作地と居住地を
減少させ、否応なしに世界中で難民・飢餓問題を惹起し、内戦・戦争の原因となる。
更に、産軍複合体はこの戦争で膨大な利益を上げる。この利益で先進国の子供達はア
イスクリームを食べる。後進国の子供達は代りに武器をもらい地球を暖める。戦争は
一端開始すると、憎悪が憎悪を呼び、最後には全世界を巻込んで廃墟化する。廃墟化
して始めて世界戦争は終結に向う。地球環境問題も2度の世界大戦と同じ螺旋運動を
描く可能性を高めている。軍事基地のために死滅しつつあるジュゴンの命は我々人類
の未来を暗示する。
第一次世界大戦は帝国主義列強の再分割戦争だった。今日では国境を越えた「帝国」
が利己的な闘いを繰広げ、経済格差の拡大に狂奔する。この利己的で盲目的なパラダ
イムは、「テロとの戦い」を名文にして、飢餓と貧困に苦しむ民衆に対して巨大な軍
事力の銃口を向ける。貧乏人が貧困に苦しむのは自己責任であり、資産家の利益を守
るのは社会的な責任である、となる。利己的な闘いにおいては軍事力のみが平和を保
証する。軍事力を担っている資産家を守る事は社会的責任である、となる。利己的な
闘いの観念から地球環境・飢餓問題の解決の糸口は見えない。他方では、チェルノブ
エリやソ連・東欧の環境破壊を見ても、官僚的な体制からも解決の糸口は見えない。
官僚体制は代行体制・無責任体制である。人間の無責任な自然破壊が地球環境を汚染
する。ブルジョワを排除した「社会主義体制」はブルジョワ国家以上の盲目性を発揮
した。
戦後の民主主義は先進国の公害問題を解決する上で大きな役割を果した。とりわけ
市民運動が決定的な役割を果した。地球環境・飢餓問題は国境を越えた民主主義が決
定的な役割を果す。今日の地球環境の破壊と飢餓は国境を越えた民主主義の欠如から
くる。民主主義の問題を国境を越えて考えなければ地球を救えない。今日の世界では
国際的な市民団体が地球環境・飢餓問題で大きな役割を果している。地球上で生きる
人間の権利は、国境を越えて対等・平等であるという市民運動は、社会主義の目標と
同じである。一国社会主義の思想は、社会主義運動を一国内の権力闘争に閉じ込め、
市民運動を政治闘争の補完物にした。社会主義の国際主義から見れば、むしろ一国内
の政治闘争こそ、国際的な市民運動の補完物であるべきなのだ。国家権力は一国的な
社会的・経済的な問題を解決する上では大いに役立つ。しかし、社会主義者の最も重
要な課題は、国家権力を通じて世界構造の転換を計る事だ。権力の利己的なパラダイ
ムは戦争を繰返して来た。今日ではこのパラダイムは地球環境の破壊になっている。
この権力のパラダイム・シフトを通じて、世界システムのパラダイムを転換する事が、
社会主義者の最大の課題である。
階級の国際的課題は権力掌握後にやって来る訳ではない。一国社会主義の思想は国
際的責任を権力掌握後の責任にする。こうして、国際的な市民運動を政治闘争の補完
物にしようとする。長い間、左翼は地球環境問題に無関心だったのはこのためだ。戦
争は生死を賭けた闘いだから、国際的な市民運動を惹起したし、左翼も深く関って来
た。しかし、地球環境問題もいずれは生死を賭けた国際的課題になる。そしてそれか
らでは遅すぎる。ブルジョワジーは利己的で盲目的な本性を持っている。彼らに地球
環境問題の解決を委ねるのは無責任だ。これは左翼の一国的な利己的パラダイムであ
る。左翼はこのパラダイムを抜出さなければ、権力へと接近できない。新自由主義は
一時的には破綻したが、左翼がこのパラダイムから抜出さなければ、再び新たな装い
を持って登場する事になる。セクト的で盲目的な運動は例えどんなに頑張ろうと敗北
する。ブルジョワは利己的なパラダイムだから、セクト的・盲目的であっても頑張れ
ば報われる。左翼はブルジョワと同じ地平で頑張っても報われない。地球環境・飢餓
問題は世界戦争と同じ規模で戦われる国際的な政治課題である。この世界戦争を世界
革命に転化する事が今日の左翼の課題である。戦争は常に革命を分娩してきた。世界
戦争は世界革命を分娩した。地球環境・飢餓問題は第三次世界大戦であり、人類のパ
ラダイム・シフト、世界革命なしには出口が見えない。
人間は長い間自然を改造して来た。とりわけ、産業革命はこの改造の速度を加速度
的に進化させた。産業革命以前は東洋の方が豊かであった。元帝国の西洋への進行が
西洋を目覚ましたのかも知れない。西洋は進んだ東洋を模倣したのではなく、東洋の
矛盾から学び東洋を乗越えて産業革命を開始した。今日の地球環境問題は、東洋が西
洋の矛盾から学んで西洋を乗越えようとしているからではなく、西洋を模倣し、西洋
に追いつこうとしている事によって惹起している。東洋は西洋を模倣し追いつく事は
出来ない。地球の限られた資源と環境が許さない。西洋の矛盾から学び、それを乗越
える以外に人類の未来はない。東洋は長い間、自然を改造するのではなく、自然に適
応する志向を持っていた。西洋を模倣するのではなく、東洋本来の適応志向を取戻し、
人類全体に向ってこの志向を創発しなければならない。日本人は「もったいない」と
言う概念を取戻し、世界に向って創発する義務がある。
古い東洋の適応志向は官僚的な利己的パラダイムであった。東洋は封建的な身分制
によって平和を維持してきた。農業革命の時代においては、この平和が富をもたらし
た。産業革命の利己的パラダイムは東洋官僚の利己的パラダイムを蹂躙した。産業革
命時代においては戦争と軍事力が富をもたらした。そしてこの戦争は世界戦争となっ
て世界革命を分娩した。社会主義革命は否応なしに一国的な制限を突破して世界革命
となる本性を備えている。ブルジョワ革命の申し子だったナポレオンは軍事的な世界
革命を夢見た。それに対して、社会主義革命は平和的な世界革命以外に進路がない。
平和革命は知的なゲームでもある。東洋世界は同じ産業革命の利己的パラダイムで覇
権を握る事は出来ない。情報革命時代にふさわしい共生的パラダイムによる適応志向
こそが、東洋の再生を可能にする。地球環境問題は自然を改造して人間に適応させる
志向では解決しない。自然への適応という長い間続けてきた人類の志向に再び回帰す
る必要がある。
人間は物質を改造・創造するが、人間自身も物質システムであり、物質的な諸法則
に支配される。人間は物質を創造しながら、意識的・合目的的に物質世界に適応する
事が出来るに過ぎない。人間の利己的パラダイムに合わせて物質世界を創発する事は
出来ない。動物は己の利己的パラダイムに合わせて合目的的に適応する。人間は物質
を創造し、物質世界を改造する精神能力を獲得したがゆえに、利己的パラダイムに合
わせて適応出来なくなった。人間は世界を改造し、世界を環世界化する。利己的パラ
ダイムは己自身を破壊する環世界である。人類は何度も自殺する核軍事力を持つが、
この軍事力はこれ以上、人類は利己的パラダイムでは生きて行けない事を指し示して
いる。地球環境・飢餓問題は核軍事力と同じ利己的パラダイムから産れた問題だ。人
間は精神的・創造的能力を獲得した事によって、人間と自然の関係は共生的な関係に
転化しなければ成らない。
精神は物質の自己意識である。物質の自己意識に留っている精神は、動物の利己的
なパラダイムから脱出できない。精神は己を物質から区別しているに過ぎず、己と物
質の統一、共生関係を獲得していない。精神は物質に対しては創造的・意識的に働き
かけるが、己自身に対しては、創造的・意識的に働きかける事が出来ていない。利己
的なパラダイムは己自身に対する盲目性・自己破壊性となって現れる。この自己破壊
性に対する抵抗として発生する共生的パラダイムが精神の自己意識であり、グローバ
ル・ブレインの自己意識である。第一次世界大戦は最初の精神の自己意識を産み出し
たが、その歴史的任務に対する明確な自己意識に欠けていた。この任務を自覚するた
めには多くの試行錯誤・ジグザグを繰返さざるを得なかった。このジグザグがスター
リン現象である。
人類は物質的には、既に第二次世界大戦によって後史の段階に突入したが、イデオ
ロギー上の意識はまだ前史の段階にある。人類はこの新しい物質的な関係の自己意識
を獲得してないために、依然として世界システムは二重権力状態が続いている。第二
次大戦後の二重権力状態はグローバル・ブレインの軍事対立、精神の分裂であった。
丁度それは右脳と左脳の分裂と交流の遮断である。両者は共に利己的パラダイムによっ
て支配されていた。この軍事対立は、共生的パラダイムに対する支配を正当化する理
由として使われていた。軍事対立と錯誤の解消は、分裂していた共生的パラダイムを
統一した。利己的パラダイムは己の支配に対する正当化の根拠を失った。地球環境問
題がグローバル・ブレインの重要な課題として意識された現象とソ連の解体・スター
リン現象の終焉とは切離しがたく結び付いている。二重権力状態の下では一人一人の
意識上の変革を求める平和的な闘いが主要な戦略となる。地球環境・飢餓問題は否応
なしに精神の自己意識を要求する。それは21世紀の社会主義として産声を上げつつ
ある。
④21世紀の社会主義
社会主義の思想は近代民主主義の利己的パラダイムを乗越え、国境を越えた人類全
体の共生的なパラダイムの思想である。第一次世界大戦は人類全体の共生的パラダイ
ムを志向する権力を誕生させた。他方では、この世界戦争はブルジョワ的な粉飾を持
ちながらも、世界政府の萌芽(国連)に繋がる「国際連盟」を誕生させた意義は大き
い。スターリン現象は偶然に産れた現象ではない。どんなパラダイムも歴史的な受難
を逃れては、新たに誕生する事は出来ない。人類の前史は戦争によって国力を競う時
代であったから、戦争に終止符を打とうとする権力も軍事力なしでは己を防衛できな
かった。スターリン現象は新しく産れ出ようとするパラダイムが、古いパラダイムの
世界で己を防衛するために、纏わざるを得なかった古いパラダイムの外皮である。
第二次世界大戦は民主主義を世界の中心に押上げた。だが、この古いパラダイムの
外皮は、第二次世界大戦で歴史的役割を終えてはいなかった。アメリカのブルジョワ
ジーは、スターリン現象を利用しながら、新しいパラダイムに激しく軍事的に攻撃を
続けた。ベトナム戦争の敗北はこの軍事的な冒険に終止符を打った。世界の労働者階
級の古いパラダイムの歴史的役割は、ベトナム戦争と共に終了した。この戦争の終了
と共に、古いパラダイムにしがみ付く左翼が、急速に衰退したのは当然の成行である。
反共攻撃が原因ではなく、己の盲目性・教条主義こそ衰退の真因である。左翼は右翼
と同じパラダイムでは勝利できない。しかし、左翼も右翼も対立しながら相互に浸透
し合っている。この浸透を拒否すれば敗北する。左翼が教条的になれば、右翼の方が
社会主義的で進歩的な政策を持つ事になる。イデオロギーの如何を超えて、敵から学
ばねば勝利できないのが、民主主義の鉄則だ。
世界各国の左右の闘いの中で、権力は世界へと上昇しながら、下方へと移動する。
世界の民主化は否応なしに、世界のグローバル化を加速し、世界政府を志向する。こ
の過程は同時に権力の下方への移動の過程でもある。利己的なパラダイムの基では、
上方の権力は下方の自主性・活力の収奪、消極性によって維持される。共生的なパラ
ダイムの基では、上方の共生的パラダイムは下方の自主性・創造性・活力によって維
持される。世界が一体化すればする程、人間はグローバルに考えてローカルに行動す
るか、ローカルに考えてグローバルに行動する事が必要となる。世界政府は軍事力を
必要としない政府であり、強制権力の機能を益々低下させる共生的な権力とならざる
を得ない。だが、共生的な権力は利益第一主義に対しては、様々な強制的な規制を強
化するだろうし、それなしには己を維持できない。国連や様々な国際機関はこうした
下方の積極性・自主性を支援するプログラムを志向する。世界の多国籍企業やブルジョ
ワはこれらの国際機関を利用しながら、利益を上げようとする。利益を上げる事自体
を否定する事は出来ない。しかし、利益第一主義は下方の積極性を利己的なパラダイ
ムに変質させる。利己的パラダイムは後進国の経済を一段と破壊する。こうした変質
に対する監視・闘いが不可欠である。
トロツキーは人類の自己意識について次のように語る。「人間社会における無政府
的な諸力を意のままに制御しうるようになれば、人間は自己自身の制作に、化学者の
乳鉢とレトルトをもって、とりかかるであろう。人類ははじめて、自己自身を原材料
として、あるいは、せいぜいのところ肉体的・精神的な半製品としてみなすようにな
る。矛盾に満ち、均衡を失した現在の人間は、新しい、いっそう恵まれた人類に道を
拓くであろう。この意味でも、社会主義は必然の王国から自由の王国への飛躍となる
のである。」(『革命の擁護』)マルクスにとって、「自由の王国」は想像の世界で
あった。トロツキーにとっては現実的な課題となった。今日の世界では、内戦・飢餓・
環境問題で苦悩する民衆にとって、切実で現実的な課題に成りつつある。
21世紀の社会主義は南米の先住民社会の解放運動と共に誕生した。この日本でも
社会主義運動は部落解放運動(水平社運動)と深く関わって成長した。南アフリカの
アパルトヘイトで苦しんだ黒人運動は、今日ではアフリカ大陸全体を揺動かす。受難
者こそが歴史の扉を開く鍵を握っている。今日の日本の貧困問題との闘いは、この国
全体の進路を転換させる可能性を秘めつつある。受難を受けただけでは、歴史の扉を
開く力を確保できない。長い歴史を観察すれば、一般的には他の階級・階層にすがっ
て受難から逃れようとするのが、自然である。しかし、それは新たな受難を準備する
結果に成り易い。受難の原因を解明し、この受難から脱出するための進路を掴み取れ
ば、勝利は半ば見えた様なものになる。スターリン現象と勇敢に戦ったトロツキーは
己の生涯を悲劇的な運命として捉えてはいない。
トロツキーは次のように語る。「我々は、主観主義には陥るまい。また、むら気を
起こして、歴史が自分達の産んだ事象を複雑な、筋の通らぬ道に導いた、として歴史
に腹を立てる事はすまい。起きつつある事を理解する事は、既に勝利を半ば確保して
いる事を意味する」(『わが生涯』)と。
2月革命後のソビエトが、実質的な国家の主人として立現れながら、この事実に対
する自己意識を持たなかったために戦争を続けざるを得なかった。ロシアでは戦争が
この自己意識をソビエトに向って強要した。今日の世界では地球環境問題と貧困問題
が自己意識を人類に向って強要しつつある。人類が自己意識を獲得するためには、ス
ターリン現象からの脱出が不可欠だ。スターリン現象を人類史の中で理解する事は、
トロツキーの思想から学ばなくては不可能である。21世紀の社会主義はスターリン
現象を乗越えつつあるし、乗越える事なしに、新しいパラダイムを創発できない。ス
ターリン現象をスターリン個人に押付け、自分達は無縁だった、と言う考えはどんな
党派でも破綻させる。世界中の戦後左翼でセクト主義・教条主義と無縁だった党や党
派は存在しない。むしろ、この無縁主義・自己意識の欠如こそ、今日の左翼の分裂・
セクト主義の原因となっている。トロツキーは徹頭徹尾、民主主義と国際主義を志
向した。そのためにスターリン主義者から最も激しく攻撃された。「トロツキスト」
を自称した世界においても、スターリン現象は何ら変らなかった。21世紀の社会主
義はトロツキーの国際主義・民主主義から学ぶ事なしには見えてこない。
トロツキーは『哲学ノート』で次のように書く。「師の教義は出来合いの結果とし
てのみ取上げられ、それは怠惰な思考のための暖かい寝床と化している。カントとそ
の亜流に対するヘーゲルの言。」ヘーゲルはカントの寝床を拒否して、師を超えよう
とした。トロツキーもマルクスの寝床を拒否して、新時代を模索した。マルクスやレー
ニンの暖かい寝床に居座っても、未来への進路は見えない。自己の受難の責任を他党
派に押付けるのは容易い。だが、そうした思考からは未来への進路は見えて来ない。
自己の歴史を否定的に総括する自己意識こそ未来への進路を切開く。今日の社会主義
者は今だに脱皮前の蛹のようだ。しかし、今日の世界では、蛹を守る外皮や寝床は存
在しない。国境を越えた自由で民主的な空間以外には、社会主義者が生きて行ける空
間は存在しない。
ヘーゲルは「真の反対というものは相手の手許に飛込み、相手の勢力圏内で立ち回
るのでなければ成らない。相手を彼自身の外部で攻立て、また相手の居ない所で勝利
をおさめても、勝利とは言えない」と言う。社会主義は資本主義の外部で勝手に勝利
したと宣言しても、それは何の勝利でもない。社会主義は資本主義の彼岸にあるので
はなく、資本主義の内部で育ち、それを乗越える以外に道はない。軍事対立の下では
解放区があった。軍事力によって守られた解放区では、どんな人間も解放されていな
い。壁の境界では数多くの死体が積重なっている。解放区は壁の境界における死体の
補給基地に過ぎなくなる。社会主義を軍事的に防衛できるとしても軍事的に獲得する
事は出来ない。むしろ、軍事力こそ社会主義の敵であり、人間性の敵なのだ。ブルジョ
ワジーも利益第一主義という狭い視野を持ってはいても、長期的な利益を志向すれば、
労働者階級の利益と必ずしも敵対関係にはない。だが、「帝国」に長期的な利益を志
向させるためには、世界の労働者階級と市民の民主的なヘゲモニーが不可欠である。
この民主的な圧力とヘゲモニーなしに「帝国」の良心に期待する事は無責任であり、
無駄である。人類の自己意識は「帝国」を排除する事によってではなく、「帝国」に
対する民主的なヘゲモニーを確立する事によって獲得できる。
イギリスの『スターン報告』によれば、世界のGDPのわずか1%のコストでGD
Pの20%の環境破壊による損害を防ぐ事ができると言う。全世界のGDPの20%
の損害は世界戦争と同じ規模の損失だし、この損失によって世界中で飢餓・内戦問題
が発生する事は確実である。今日の世界の二重権力状態は利己的パラダイムと共生的
パラダイムの二重権力状態と見る事も出来る。当初はアメリカもソ連も利己的なパラ
ダイムで世界を2分していただけであった。社会主義は利己的なパラダイムでは勝利
できない。それに対して共生的なパラダイムは、世界の民族解放と民主主義を求める
力として、この利己的パラダイムの対立を利用しながら成長して来た。軍事対立の時
代にはゲバラとアジェンデの実験は失敗したが、社会主義は新しい理念を模索しなが
ら再生しつつある。この二重権力状態の力関係を逆転出来る可能性は高まっている。
ホフマイヤーの『生命記号論』によれば「意識とは身体の実存的環世界を、肉体が
空間的物語的に解釈したものである」と言う。ダマシオの『無意識の脳 自己意識の
脳』によれば、情動をコントロールしているのは体制神経の原自己(身体の表象)で
あり、原自己は無意識の脳で、意識する事は出来ない、と言う。感情は意識と情動の
両者からコントロールを受けるが、情動は無意識だからコントロールを受けにくい。
脳を究極的にコントロールしているのは身体そのものであって、身体が脳を通じて環
世界を観察している、と考える事も出来る。脳には意識できない巨大な交感神経網が
繋がっている。脳は空腹を感じ、それに対応した指令を出す。しかし、空腹なのは脳
ではなく身体である。脳は明かに思考の中心であるが、我々は単に脳だけで考えてい
るのではなく、身体全体で考えている。身体と脳は弁証法的な関係を持っている。脳
は身体の構造に合わせて形成され、身体も脳に合わせて形成される。脳は身体に指令
し支配するが、この脳を支えているのは身体である。世界と交流し、世界を感じてい
るのは身体である。
地球はグローバル・ブレインの身体である。グラムシは「人間は全て、哲学者であ
る」と言う。人間は誰でも「自分は如何なる存在なのか?。いかに生きるべきか?」
と自問しながら生きている。己と世界を自問しながら試行錯誤する。民主主義の欠如
は戦争と環境破壊を惹起する。今日の地球環境・貧困・軍縮問題は代行主義・官僚主
義では解決しない。神経細胞は身体の異常を感知しその情報を伝えるが、それだけで
ある。細胞は自己意識を持たないから、身体の異常を意識出来ない。人間は誰でも自
己意識を持つから、身体(地球)の異常を意識できるし、その解決策を考える事が出
来る。人間は誰でも地球の主人であり、地球という身体に責任を負っている。人間は
すべからく政治家で有らねば成らない。
世界システムの盲目性は確実に第三次世界大戦に人類を導く。他方ではこの戦争に
抵抗する大きな反乱も始っている。第二次世界大戦までの内乱は、世界が廃墟化して
から始った。人類はこんな過ちを繰返すべきではない。今日の人類は内乱によって世
界の廃墟化を食止める事が出来る。情報革命時代の二重権力状態にある世界システム
の中では、知性と熱情、自由で民主的な討論がこの権力の方向を決定する。ロシア革
命のエネルギーは第一次世界大戦からの脱出がこの熱情と知性の源泉であった。直接
民主主義のソビエトは、自由で民主的な討論によって、全世界を震撼させた。第三次
世界大戦(地球環境・飢餓問題)は再びこの討論を、世界的な規模で要求する。グロー
バル化する今日の世界では、ブルジョワジーは「帝国」となって国境を越えつつある。
世界の労働者階級と市民も国境を越えて進まなければ、世界のパラダイムを転換でき
ない。あらゆる全戦線で戦争を内乱へ!