マクロの悪魔を放置する構造というのは、大衆意識と智識人との結託により行なわれてきた。
例えば、80年代石原軍団ブームと第二次レッドパージ、その後の村山連立内閣による社会主義の議会からの掃討を想起せよ。
人間有史以来の「本質的革命」とは、私見では、帝国とヘブライの合作による経典革命と、イギリスの鑑真であるカールマルクスと大英帝国の結託による、世界産業革命の二つでしかない。事実書きにくいことだが、フランスは革命の失敗の国として史実に残ったのである。
神聖ローマの趨勢というマクロドイツ史におけるカールマルクスを想起し、その目で資本論をよみとけば、マルクスの学閥主義者としての限界による、国家や資本的生産の揚棄の不可能性を鑑みる事が出来よう。
大中華と小中華のコスモスの違法禅譲の連鎖の歴史と、西洋の革命とでは、やはり質が異なる。
その最大の違いが「アーメン」である。この、世界最古の一神教は、普遍宗教の核としてあらゆる地域に散乱して、包括的な集合意識統治の概念装置として扱われてきた、日本では梵天及び弁天干渉。インドシナではプラプラム、インドではブラフマ、西洋ではエル。イスラエルではヤハウェ。そして、アフリカ及びイスラムではラー。
人類抹殺の神ラーである。キリスト教とは世界最古の一神教であるアモン教の人文的統合と継承の革命である。
普遍宗教の学説では、これらが全て同じ神であり、ニュートンは、この概念装置の有効な時間は有限であり、2053でこの世界は尽きるという論文を書いていたという。