社会主義の理念についての議論がしにくくなってからだいぶたちます。それにはもちろん理由があります。アソシエーション論など、いくつかの試みは行われていますが、まだ、時期尚早と感じる人も多いかもしれません。
一石を投じるような気持ちで、以下のような菅井の見解を述べてみます。
資本という物件化 疎外 からの解放が、社会主義の中核にあるべきと考えます。
国家による中央計画 は、資本という物件化 疎外からは一歩前進といえました。
とりわけ、インフラ、鉄道、電力、道路などの全国的なものについてはそれは必要なことです。
ですが、、いかに国家にすべての情報が集まるようにしくんだところで、そこで全ての計画が可能ではありません。
現に、社会主義体制の下でも、闇市場、自由市場がその補完として生じました。
個々の生産、消費連関における展開の必然性にもとづいた具体的な計画が社会主義経済の本当のあり方だと考えます。富、資産価値といったような抽象的なものではなく、米の生産とか、芋の生産とか、自動車の必要とか、団地の建設だとか、具体的な必要の流れを満たすしくみ。
たくさんつくらなければ、ではなく、必要なものをつくる。もうけるためにつくる、ではなく、必要なものをつくる。
基本的には、計画主体も国家一元ではなく、当事者。
それでも生じてくる新しい必然性は、自由な活動の中で生じるようにするべきだといえます。
必要労働の縮小と自由な活動時間の保証がともに必要です。