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「科学的社会主義」討論欄

社会主義的分配論の深化を

2012/10/1 道 半端 60代 不動産業

第23回党大会は、日本共産党右傾化の今日的集大成でもあったようです。「社会 主義的分配」の否定と「社会主義 市場経済」路線の導入はその象徴です。話題性としては古くなったものの、社会 主義における分配のあり方の追及 は、一方では搾取をなくす方法と道筋を示すことであり、他方では労働者の健康 で文化的な生活のための展望を開 くものです。「社会主義的分配論」についての討論は、まだまだ不十分ではない でしょうか。

日本共産党の不破議長(当時)は共産党22回大会7中総の「結語」で次のように 述べています。「これまでのよう に、社会主義になったら生産物を『労働に応じて受け取る』ことになると言った 社会像だとしたら、未来社会も、 現状とあまり違わないと思う人が多いかもしれません。多くの人は、資本主義社 会での賃金とは『労働に応じて受 け取る』ものだと考えているからであります。これは、分配論の角度からの社会 主義・共産主義社会論では、未来 社会の進化を的確に語ることは出来ない、と言うことです」。・・・マルクスが 「ゴータ綱領批判」で、共産主義 の低い段階(社会主義)での分配が「労働に応じて」になると指摘したのは明ら かです。・・・マルクスの言葉と 一般常識を同列に扱う、共産党トップの言葉としては、ちょっと信じられない気 持ちですが・・・。

「さざ波通信」は共産党が「二段階論」を否定したことを批判します。マルクス もレーニンも、更にこれまでの日 本共産党綱領も、生産手段を社会化した段階での「労働に応じて」から「必要に 応じて」を規定しているのであり 、不破氏が言うようなブルジョア経済学者の立場で無いことは明らかであり、批 判は当たらないことを主張します 。その理論的根拠のひとつが以下の主張になりそうです。(綱領改定案と日本共 産党の歴史的転換(下)「共産主 義の2段階説」(2)――どう見るべきか)

「資本主義社会の分配原則は」「所有に応じた分配である」「賃労働者が永続的 に所有するのはただ労働力のみで ある。その唯一の所有物を労働者は資本家に切り売りしなければならない」「資 本の側に巨大な富の蓄積、労働の 側にかっつかっつの生活上のわずかな資源と引き換えにますます増大する労働苦 と不安定性が蓄積する」「これが 資本主義的な生産様式から生じるところの資本主義的な分配様式のもたらす現実 である。マルクスが共産主義の低 い段階において『労働に応じた分配』を主張したのは、以上の現実に対するアン チテーゼとしてである」「生産手 段を集団的労働者の社会的所有に移すことによって『労働に応じた分配』の前提 条件を作り出す。労働者が新たに 生み出した富から必要なものを控除した後、・・・個人的消費手段部分が労働に 応じて個々の労働者に分配される 。これは生産関係における搾取の廃絶と同じ意義を分配関係においてもつ。なぜ なら、労働者が社会に与えたもの と同等のものを(控除の後)受け取るという原則は、一握りのものが他者を犠牲 にして多くの富を独占する事を不 可能にするからである」

まず、資本主義での「分配」が「所有に応じて」であるのは間違いありません。 資本は生産手段を所有しているだ けで、生産物のほとんどを自分のものとしますが、労働者は労働力の所有者に過 ぎないゆえに、その「価値」分し か所有(賃金)できないというのが、資本主義の現実です。すなわち、何を所有 しているか、によって彼の収入( 分配)は異なってきます。しかしこれは、過去の習慣を引き継いだにすぎず、理 論的根拠のないことは明らかです 。

労働力の所有者に過ぎない労働者への分配は「賃金」という形で、すなわち「労 働力の価値」に対して支払われま す。労働力の価値は「労働者の生産(生活)費」ですが、形式的には「労働の量 と質」の対価です。より多く働き 、より多くの生産物を生み出す労働力には、より多くの「分配」が行われます。 労働者の個人的能力差は分配の差 として表されます。ここに労働者同士の収入をめぐる競争の根拠があります。多 く働けば多くの収入が、技能を高 めればより高い収入が得られることが、労働者を自主的に働かせる「原動力」に なっています。言い換えれば、資 本主義の労働者への分配とは「労働(能力)に応じて」ということであり、労働 者にとってはそれが「所有に応じ て」の内容です。

マルクスが「ゴータ綱領批判」で、「生まれたばかりの共産主義」での分配が 「労働に応じて」であるとしたのは 、この段階では資本主義の「母斑」を「経済的にも、社会的にも、精神的にも」 避けることができない、という前 提で述べたものであり、社会主義の分配も「労働に応じて」から出発しなければ ならないことを指摘したものです 。したがって、「生産手段を集団的労働者の社会的所有に移すことによって『労 働に応じた分配』の前提条件を作 り出す」という主張は正しくありません。

すなわち「所有に応じて」へのアンチテーゼとして「労働に応じて」を提起した ということではなく、マルクスは 単に、「そうせざるを得ない」という現実を言ったまでです。しかし同時に、社 会主義での「労働に応じて」は「 進歩」(ゴータ綱領批判)しており、資本主義的「労働に応じて」とは違うこ と、資本主義的「労働に応じて」を 否定・発展させることが社会主義の分配であることを指摘します。この具体的内 容を明らかにすることが「社会主 義的分配論」です。資本主義であれ社会主義であれ「所有」の根拠が「労働」で ある以上、分配が「労働に応じて 」行なわれることは合法則的です。「さざ波通信」は「労働に応じて」と「所有 に応じて」を分断することで、資 本主義での分配方式と共産主義の第一段階での分配方式の「区別と連関」を無視 する結果となったようです。

また「労働者が社会に与えたものと同等のものを(控除の後)受け取るという原 則は、一握りのものが他者を犠牲 にして多くの富を独占する事を不可能にする」との主張にも問題があります。社 会主義において、一握りの者の「 富の独占」を不可能にできるのは、生産手段の社会化の結果、生産物が社会的所 有になるからであり、分配が社会 から直接行なわれるからです。言わば「働かざるもの食うべからず」(レーニン 「国家と革命」)(すなわち、働 かないものには分配する必要がない)が実行されるからです。

したがって、「労働者が社会に与えたものと同等のものを受け取るという原則」 は、分配の方式(等価交換)です が、これが「生産関係における搾取の廃絶と同じ意義を分配関係においてもつ」 ということには、ならないことも 明らかです。資本主義では、労働力に対する等価交換による分配が搾取の源泉 (労働力は自身の価値以上の価値を 生み出すのであり、剰余価値を資本が取得する)であり、この分配方式を否定す ることが搾取をなくすことです。

すなわち、生産手段が社会化された段階では、生産物が社会のものとなることに よって、労働しない「一握りのも の」に分配する必要がなくなるから、彼らの「富の独占」は「不可能」になり、 「搾取の廃絶」が実現します。し かし「労働に応じた分配」は依然として資本主義的分配「原則」であり、この分 配方法にある限り、分配の不平等 (生活格差)をなくすことはできません。そして「労働に応じて」=「等価交 換」の権利を否定し「不等価交換」 で分配を受ける「必要に応じて」を実現することで、社会主義から共産主義に発 展します。

社会主義的分配のあり方を求めることは、社会主義とはどのような社会か、われ われはどのような社会を目指して いるのか、を追求することです。社会の基礎が経済であり、生産と消費の好循環 で運営されているのであれば、生 産のあり方と同時に消費のあり方、すなわち人間がどのようにして「生産」され るのかが明らかにされなければな らないでしょう。社会主義は「生産手段の社会化」を通じて「生活の社会化」を 目指すものではないでしょうか。