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「科学的社会主義」討論欄

疎外された民主集中制と芝田進午氏の健闘

2013/6/8 櫻井智志

 芝田氏は、著書『実践的唯物論への道』(2001年)で多くの注目すべき見解を述べている。そのひとつが民主集中制論である。日本共産党と異なり芝田進午氏は、はじめから固定した強固な一枚岩の民主集中制があると考えていない。民主主義をになう組織は、組織化の過程で官僚集中制から民主集中制へと闘争しつつ到達すると説く。その根拠は組織論としての民主集中制は同時に認識過程でもある。組織的過程と認識的過程との統一として把握している。民主集中制は自由分散主義と対立概念である。認識過程において多面的多角的多元的になるみちすじに比べ、分散主義からは一面的認識しかうまれない。問題はなぜ多くの共産党が官僚集中制だったのかである。芝田氏は民主集中制は民主的中央 集権制とは似て非なるものと捉える。

 芝田氏は民主主義的組織においても、組織化の過程とは官僚集中制から民主集中制への闘争のブロセスと考察している。民主集中制は決して民主的中央集権制とは異なるという見解は、原語の翻訳分析からも発しているが、より根本的には唯物論の把握に起因している。史的唯物論の通説では、唯物論の根本問題は物質と意識のどちらが優先されるかを重視している。芝田氏の哲学は、労働が人間を人間たらしめ、労働過程とは組織的過程と技術的過程の統一でありこれを生産様式と考えている。労働過程に対応して、言語の認識過程と組織過程の統一を構想し、さらに集団の組織的過程と認識過程の統一を構想している。大工業により、集団の組織と認識の過程は民主集中制を発生させたが、民主主義的組 織においてさえ官僚集中制と民主集中制との闘争によってしかそれは実現しえないと説いている。

 終始日本共産党にとどまり続けた芝田さんは、運動に終始批判的な見解を保ちつつ、運動の真の発展のために貢献し続けた。
 芝田氏が取り組み続けた実践は、日本共産党を他から尊敬され注目されるような高次の実践だった。社会科学研究セミナーの取り組みも、ノーモアヒロシマコンサートの10年間もそうだった。アリスハーズ夫人記念平和基金もそうだった。運動が紋きり型にならず創意工夫にみちたものになるように実践を構築した。民主集中制が真のそれでなく、官僚集中制に堕しても、官僚集中制に闘い創造的な実践を提出し続けることにおいて、民主集中制を創造し続けようとした。
 東大哲学科の恩師出隆教授が除籍されても、哲学の先輩古在由重氏が除籍されても、それまでの日本共産党員としての交流は途絶えても自らは党員であり続けた。それは一方では苦痛でもあったろう。組織的原則に従いつつ 、ぎりぎりの闘争であったろう。

 良心的な多くの知識人は、日本共産党の意義を認めつつもこの党のさまざまな限界として、組織論としての民主集中制をあげる。確かに川上徹氏が勇気ある発言をおこなった『査問』(筑摩書房)を読むと、いかに組織的病理が蝕んでいるかを如実に知る事ができる。けれども、芝田氏は、民主集中制を告発して党を離れた組織が、決して民主集中制を超えた存在となりえていないことを指摘する。芝田氏は今の日本共産党を、民主集中制から逸脱していることを批判しつつ、日本共産党がもつ意義を擁護している。  この視座からは日本共産党自身が自己革新し続けない限りは、芝田氏の指摘を克服することはできない。つまり芝田進午氏の指摘により、日本共産党は二重に高められねばならぬ宿題を課せられているわけである。私の思う限り、そのことを深く認識している党員研究者や幹部党員は必ず存在する。彼らが共産党ルネッサンスをめざすことによって、民主集中制は疎外された官僚的中央集権制から再び民主集中制へと回復する。

 表面に出されない外部圧力によって管理人高橋貴之氏が自ら閉鎖したインターネットサイト「JCPウォッチ」がある。ここで民主集中制の問題を書いた反応として、「民主集中制の芝田氏の意義は了解しても、芝田氏自身もその犠牲となっているし民主集中制は権力の集中としか成りえない、」という返信をいただいた。確かに。その通りかも知れない。だが実在として大工業と労働過程の理論をもとに、民主集中制の発展のたるにぎりぎり尽力した芝田さん自身はもっとリアルに日本共産党の実態を把握していた。挫折して党外から批判するよりも、この思想家の忍耐は限度を超えてもいたろう。それでも死ぬ直前まで、国家権力と御用科学者を相手に、新たな時代の困難とての生化学災害裁判に取り組 み続けた芝田さんの闘争こそ、私も含め民主集中制などあり得ないと言う無責任さを超越している。あり得ない民主集中制を創造するために死闘を党内で奮闘した勇気こそ、称賛に値する。

 民主主義的中央集権制は官僚的中央集権制とは異なる。前者の民主集中制は、その実現された例を寡聞にしてあまり知らない。ベトナム戦争でアメリカ帝国主義と闘い続けて勝利したベトナム共産党の事蹟は該当するかもしれない。日本共産党が民主集中制をめざしていたことは確実だが、実現したことはほとんどないだろう。資本主義による疎外を被っていたからとも考えられる。けれど内部でその実現のために格闘した労働運動家や哲学者もいた。最近、フォーラムの原理「円卓会議」の論理が注目されている。戦後すぐに中井正一氏は「委員会の論理」を発表している。組織論として追求したい。日本共産党以外の政党が『民主集中制』を批判している。「疎外された民主集中制」を批判してもあまり 意味はない。共産党は、真剣に「民主集中制」そのものを実現する努力を行うべきである。