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「科学的社会主義」討論欄

自由の彷徨

2013/6/22 櫻井智志

 日本において、「新自由主義」ではなく、丸山眞男や戸坂潤が言うような「政治的自由主義」「思想的自由の精神」は成り立たないのか。
 獄中にいることが多かった戦前共産主義者は、日本において、確かに弾圧に耐えて非転向を貫いた志賀義雄、徳田球一、宮本顕治らもいた。しかし、日本の軍国主義化していく風潮の中で、広く連携し、特高の側がでっち上げた「人民戦線」などの実態がある思想と行動の統一を保障する各人の自由の尊重は、できなかった。
 私は参院選前に、ずっと日本共産党よりも広原盛明さんを囲む護憲円卓会議や脱原発制定ネットワークや首都圏脱原発連合、都知事選に動いた上原公子さんや佐高信さん、宇都宮健児さんらを拠り所としてきた。

 選挙運動が進むなかで、共産党委員長志位和夫さんの演説を動画で見た。それは日本共産党中央委員会での総会時の報告である。私の志位さんに対する感想は、今までよいものではなかった。そつのない優等生タイプだけれど、もうすこし堅さが柔軟さをあわせもち、新日和見主義事件の時にそれを制止・処分する立場に立たされたといううわさをふきとばすくらいの人間味の広さや懐の深さが欲しいと感じてきた。
 だが、「六中総」という会議での一時間におよぶ演説を聴いていて、この政治家は上田耕一郎タイプにはなれないけれど、共産党冬の時代にトップに立って風雨をしのぎながら、懸命に政治反動化に闘っている、そういう不思議な感動があった。
 それからだ。
 緑茶会脱原発政治連盟に入っていたが、緑茶会の推すみどりの風の露木順一さんでなく、はたの君枝さんを支持する方向でインターネットで勝手連を取り組みはじめたのは。神奈川には「かながわ勝手連」という市民団体があり、緑茶会が露木さんを神奈川の推薦としたのも「かながわ勝手連」のプッシュと連携している。みどりの風の代表である谷岡くにこさんは、大学の学長をしながらも、次々に取り組んでいる政治行動は、魅力的な内容である。
 福島の原発被災地の前町長さんもみどりの風から立候補した。それは国会周辺での市民集会での谷岡さんの取り組みによるとみろが大きい。

 日本には、敵味方に二分して、裁断していくことが政治行動ととらえる考え方がある。それに比べて、敵味方にわかれても、敵と任ずる相手の自分との違いがどこかをわかることが大切である。自分との違いを認識した上で、相手と断絶をどう解消して連帯できるか。それを見極めることは、非常に厳しい。
 敵ならまだしも、ほとんど味方なのに意見の微妙な対立で敵視する。そうしていつも民衆サイドはぱらばらになって支配されていく。まさに江戸時代の徳川幕府の庶民支配と変わらない。

 自由、自由はどこへいくのだろうか。
 厳寒の極地で戦争に追い出され、敵国となった相手国から逃げ続け、手は泥にまみれ、頭脳はただなにごとも考えられない。それでも、自分がまだ生存しているという感触のみが自分が人間であったことを想起させてくれる・・
 そう手帳に記し、中国大陸で戦死した田邊利宏の人生はいまみなお、『聴けわだつみのこえ』に収められた「春雷」「雪の夜」などの詩によって現代に生き続けている。そのような人間存在のありようは、まさに「自由」の問題をなおざりにして、通過過ぎることはできない。

 私は、科学的社会主義とか共産主義とかマルクス主義とか、政治思潮が頭脳的にととのった合理的な思想体系だから、今回の参院選神奈川選挙区でひとつの立場に立っているわけではない。
 私が戦争中に、獄中や戦場で死の極限においやられたひとびとの「生きる自由と権利の課題」を実感するがゆえに、改憲して国防軍をつくり、ふたたび侵略国家となって世界中をハゲタカのように獲物を漁る軍国主義勢力が台頭し、それと真剣に闘おうとする。そんなひとびとがいることにはっとして、私の政治的自由を、一票しか入れられぬなら、有効に生かしたい。
 それはまさに、私にとり「人間的自由」の彷徨の一局面ということである。