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「科学的社会主義」討論欄

社会主義的分配論の深化を レーニンの分配論 ①

2015/1/7 道 半端 70代

レーニンは「国家と革命」で、次のように言います。

「共産主義社会は、最初は個々人が生産手段を占有していると言う『不公正』だけを廃絶するにとどまらざるをえない。そして、消費手段を『労働に応じて』(欲望に応じてでなしに)分配するという他の不公正を、直ちに廃絶することはできない」。(p134)
「生産手段を社会全体の共有財産に移す(普通の用語法での『社会主義』)だけでは、まだ分配の欠陥と『ブルジョア的権利』の不平等とを除去するものではなく、生産物が『労働に応じて』分配される限り、この権利は支配し続ける」(p134)

 これまでの「定説」では、レーニンが「労働に応じて分配」は社会主義の分配原則である、と定義づけたとされています。しかしここではレーニンは、「労働に応じて」は「不公正」であり、「ブルジョア的権利」で「不平等」である、といっています。果たしてレーニンは何を言いたかったのか、これまでの「定説」の根拠はどこにあるのか、検討すべき問題でしょう。

そして、分配とは生活手段の個人的所有であり、「所有」の根拠は「労働」であるとするのが、現在の経済学です。したがって「労働に基づく所有」であれば、分配が「労働に応じて」行われるのも当然でしょう。しかし「労働に応じて」が確立したのは資本主義経済においてであり、それまでは支配者に収奪された残りが、奴隷や農民の生活の糧(分配)でした。資本主義を否定・克服したばかりの社会主義の分配が「労働に応じて」を避けて通れないのであれば、それはどう有るべきかを追求することが求められます。

では、レーニンの「分配論」を具体的に見ていきましょう。

まずレーニンは「すべて権利とは、実際には等しくなく、互いに平等でない種々の人間に、等しい尺度を当てはめることである」(p133)として「労働に応じて」は「ブルジョア的権利」であり「不平等」であると言います。マルクスも「この平等な権利は、不平等な労働にとっては不平等な権利である」(ゴータ綱領批判・大月書店・p26)と同じことを言っています。

つまり、本来不平等な諸個人を同じ尺度で測ることで、不平等な結果を強いることになる、と言うことです。「労働に応じて」分配は、個々人それぞれが違う「天性」を持っており、しかも家庭環境も受けた教育や訓練もまったく違う境遇で育った人々を、同じ「労働」と言う尺度で測るのは、個人の人権・人間性を無視したものであり、不平等であるということです。

しかし同時に、マルクスは「生産者の権利は生産者の労働給付に比例する。平等は、等しい尺度で、すなわち労働(長さまたは強度・筆者)で測られるという点にある」(ゴータ綱領批判・大月書店・p26)と指摘します。この規定はレーニンとは違い、「平等な権利」とは、諸個人を同じ尺度(労働の長さまたは強度)で測ることであり、その結果、分配には差が出るが、これが「ブルジョア的権利」=「平等な権利」であると言うことです。

すなわちレーニンは「ブルジョア的権利」の本質的内容を、マルクスはその形式的側面をいっているのですが、ここでの問題は、生まれたばかりの共産主義(社会主義)での分配は「労働に応じて」と言う形式で行われることをどう見るかということです。つまり、レーニンのように本質批判だけでは分配問題の解は得られないと言うことでしょう。

そしてマルクスは社会主義になっても分配は、当面は資本主義と同じ形「賃金=労働に応じて」で行われること、言い換えれば「平等の権利」(ブルジョア的権利)に基づくものであること、これを変えていくことで、本来目指すべき社会主義的分配に到達できるのであり、さらに共産主義的分配「必要に応じて」が展望できる、ことを示します。

さらに社会主義の分配が、資本主義の「賃金」の側面を引き継ぐものであれば、それは「労働力の価値」=労働者の生活費であり、そうであるならば「健康で文化的な生活ができる分配」が社会主義的分配の基本であるということです。

そして資本主義の賃金は、名目上「労働に応じて」ではありましたが、正規と非正規、男女間の賃金格差が大きく、その是正が大きな問題でもありました。社会主義の最初の課題が「労働に応じて分配」を充実させることであり、同一労働・同一賃金・男女同一賃金の実現を目指すことになるでしょう。その意味でも「労働に応じて」は社会主義の分配の出発点であり、基礎となるものです。

以上のように「労働に応じて」に対して、マルクスは分配形式として分析を進めることで、共産主義的分配への展望を示しましたが、レーニンには、この観点からの問題意識がなく、本質論に終始することで、具体的な展望を見失ったと言えそうです。

すなわち、マルクスは「ゴータ綱領批判」で、社会主義から共産主義への分配方式の発展を理論的に示しましたが、レーニンは「労働に応じて」と「必要に応じて」を並べるだけで、何故それが発展していくかの理解がありません。その一つの証拠が次に示すレーニンの規定です。ちなみに不破氏は、マルクスの指摘を理解しないばかりか、曲解して、社会主義、共産主義の分配論そのものを否定してしまいました。

レーニンが社会主義的分配について、どのように考えているかが次の言葉でわかります。

「『働かざるもの食うべからず』――この社会主義的原則は、すでに実現されている。『等しい量の労働には、等しい量の生産物を』――この社会主義的原則もまた、既に実現されている。けれども、これはまだ共産主義ではない。そして、これはまだ、不平等な人間の不平等な(事実上不平等な)量の労働に対して、等しい量の生産物を与える『ブルジョア的権利』を除去するものではない」(p135)