いわゆる「労働に応じて分配」が「社会主義の分配方式」であると規定したのはレーニンではなく、スターリンだと言うことについて。
昭和27(1952年)年10月に発行された、ソ同盟科学アカデミー哲学研究所・コンスタンチーノフ編集・堀江邑一訳の「ソヴィエト社会の解明」から、この時代の分配の考え方を見てみます。(以下、引用文「 」のページ数は本書のものです。)
本書は原著序文で「社会主義社会の生産力および生産関係の発展、社会主義国家の経済的役割、ソヴィエト民主主義の発展、社会主義国家の指向的力としてのレーニン・スターリンの党の指導的、鼓舞的役割などに関する諸問題が解明されている」と言うように、革命後、30余年のソ連社会主義の総括的側面を持っているようです。
「国家の諸機関が用いる行政=管理者的手段と経済的手段とを区別しなければならない。後者の本質は社会主義的生産および分配という経済的テコの利用にある」(p45)として、その基礎は「(1)物質的関心という要素を社会主義的生産の向上のために利用すること、(2)労働等価の原則を、労働支払いの関係においても、社会主義企業間の関係においても、適用すること」(p45)と言います。
そして、社会主義は「社会主義的生産向上のための・新たなかつ強力な・物質的刺激を発展させ」「労働者に自分の労働に対する真の関心を起こさせている。このことが社会主義経済の発展にとっての決定的な推進力の一つなのである」(p45)として、
第一に、「社会主義社会における労働は社会的な仕事であり、自分自身のためであると同時に、また社会のための労働であるが、資本家のための労働ではない。」(p45)こと
第二に、「エンゲルスの表現によれば、社会主義は労働力を商品の役割から開放するのであるが、その意味は、社会主義社会の労働者が社会的生産物の中で持つ分け前が、彼の労働力の価値に依存しているのではなくて、彼が社会のために差し出す労働の量と質とに依存している、ということである。」(p45)こと
第三に、「剰余生産物は勤労者の社会的必要のため、社会主義的拡大生産のため、勤労者の物質的および文化的水準の向上のため、国防強化のために、すなわち勤労者自身の利益のために、支出される。」(p45)ことをあげ、
「労働に応ずる社会主義的分配原則は、個人の利益と社会の利益との正しい結合のための必要条件の全てを歴史上初めて作り出している。」(p45)と言います。
そして「ソヴィエト国家は労働に応ずる社会主義的支払い原則を社会主義の経済法則として用い、種々の賃金支払い形態を適用している。すなわち、国営企業では出来高払い=割り増し払いその他が、コルホーズでは労働日による分配と追加支払いがそれである。」(p46)と主張します。
そしてさらに、本書は、社会主義の分配について、次のように言います。
「マルクスが『ゴータ綱領批判』の中で示したように、労働に応ずる社会主義的支払い原則の基礎には、商品交換の基礎にあるのと同じ労働等価原則がある。労働支払いに適用される労働等価の原則とは、『社会的ファンドに当てられる労働の量を控除した後、各労働者は・・・彼が社会に与えたものに応じて社会から受け取る』(レーニン)という意味である。」(p46)
「社会主義的関係の新しい型は、労働に応ずる報酬というその性質上進歩的な原則をも規定する。・・・搾取がなくなれば、生産された生産物の全ては社会および団結した生産者たち自身の処分に委ねられることとなる。このことが『各人はその能力に応じて働き、その労働に応じて受け取る』という社会主義の原則を実現する可能性を与える。」(p19)
「レーニンは『個人的関心喚起の上に、国民経済のあらゆる大部門を築かなければならない』と語った。その意味は各労働者への支払いは彼の労働いかんによって定められ、各企業の物質的状態はこの企業の活動いかんによって定められる、ということである」(p46)
「労働に応ずる社会主義的支払い原則とホズラスチョット(独立採算)との基礎には労働等価の原則があり、これは価値法則と商品=貨幣関係との利用によって実現される」(p46)
「共産主義とは異なって、社会主義にとって特徴的なことは、労働者への労働支払いが労働の量と質とに直接依存している形態をとっていることである。労働に応ずる社会主義的支払い原則にある等価性は価値の内容を構成し、貨幣形態で実現されている。」(p47)
以上のように、スターリン時代のソヴィエト社会主義では、経済計画の国家的管理・法律による義務化を行いながらも、実際の経済の運営には「物質的関心」と「労働等価の原則」を適用していることが強調されます。
「物質的関心」とは、レーニンが『ネップ』を導入する際に、農民を初めとした小生産者の労働意欲を上げるためには、彼等の物質的要求(個人的関心)に応えなければならない、と指摘したことを表したもので、具体的には私的生産と商業を認めることでした。
また「労働等価の原則」とは、生産物に含まれる『労働量=労働時間』の等しいもの同士が交換される『等価交換』ということで、商品交換の原則です。この等価交換を社会主義の分配にも、企業間の決済にも使うことが、必要とされています。
そして前に見たように、レーニンは「労働に応じて」はブルジョア的権利で、不平等、不公正であるとし、社会主義の分配原則とすることに「躊躇」がありましたが、スターリンは、明言・断定しています。
さらにスターリンは、価値法則と商品経済が社会主義に必要であると言っています。不破氏は、スターリンが社会主義的市場経済を潰したとしていますが、少なくとも、この頃(1952年)まで価値法則と市場経済が経済運営の柱とされていたのは明らかなようです。不破氏は、スターリンはレーニン死後間もなく農業集団化を強行し、市場経済を放棄したと言っていますが、どう説明するのでしょうか?
スターリンの主張の検討は別の機会にやりたいと思いますが、問題点をいくつか指摘しておきます。
① 社会主義、あるいは、そこでの分配は「物質的刺激」「個人的関心」を基礎にするのか?
これは本質的に資本主義の手法ではないか。
② エンゲルスは、「社会主義は労働力を商品の役割から開放する」と言っている、としながら、他方で「等価交換」と言う商品経済の原則が社会主義であるとするのは、矛盾している
また逆に、分配が「労働力の価値」ではなく「労働の量と質」によるものだとすれば、社会主義の分配は差別を前提にしていることにならないか。
③ つまり、ブルジョア的権利である「等価交換」が社会主義的分配、社会主義経済の原則とする理由は?
これも矛盾している。過渡期の問題としての位置づけが不明確。
④ スターリンは「労働に応じて」「等価交換」「価値法則」「市場経済」を社会主義の経済原則としているが、不破氏は「労働に応じて」だけは別のものとしている。その理由、根拠は?
⑤ さらに付け加えるとすれば、スターリンは「必要に応じて」への発展、展望を考慮しているとは思えない。。その理由の一つは、スターリンが「価値法則」は共産主義の段階まで必要である、としていたことと関係があると思われる・・・