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「科学的社会主義」討論欄

『我々は何処からきて、どこへ!』

2016/6/28 百家繚乱

第9章 二重権力状態

 帝国的な支配は帝国内の戦争を抑制するが、帝国同士の戦争を惹起し、戦争を世界的な規模に拡張した。帝国的な支配は国家の分子的な結合ではなく、支配と従属による原子的な支配関係である。帝国主義の時代は非・新植民地国家は支配国家によって分断支配され、被支配国家間の原子的な分断対立が帝国主義国家の支配に利用された。従って、帝国主義によって平和を確保する事は出来ない。平和のためには、国家間の分子的な結合が不可欠である。資本主義経済は経済を一国経済から世界経済に拡張した。だが、この拡張は経済の分子的な結合を発生させはしたが、主要な国家間の経済関係は帝国主義的な経済関係でしかなかった。経済関係自体は分子的な結合によって発展したが、この結合は同時に政治的な分割・分断を作り出し、逆に戦争を加速した。経済的なネットワークは世界的規模で発展し、資本主義システムは世界システムとなったが、政治的には一国的・帝国的であり、政治的なヘゲモニーを巡って、軍事的に分断された。

 ブルジョワ革命は産業革命によって、人類の交通・通信技術を飛躍的に革新した。この技術は人類世界を一つにして、人類史を世界史にした。この一体化は戦争の世界化でもあった。第二次世界大戦までの人類の歴史は戦争によって交通を発展させてきた。ブルジョア革命はネットワーク社会を構築して一国的には平和的な環境を構築して、戦争や内乱を防止するイデオロギー装置を開発した。メディア産業は一方向的な通信でも、絶えず大衆の気分や感情を汲み取り、上部構造に妥協を迫る機能をも果たしてきた。だが、対外的には容易に排外的となり、この排外主義は政治家の独裁的な支配の道具となった。世界の構造が原子的に分裂していれば、一国民主主義は戦争によって破綻する。資本主義経済は世界経済を分子的に結合し、資本主義は世界システムとなったが、この世界システムのネットワークは政治的・原子的に分断され分割された。この分割線を巡って政治的なヘゲモニーを巡って軍事対立が惹起し、世界戦争となった。この世界戦争はロシア革命を惹起し、第二次世界戦争は人類の二重権力状態を出現させた。

 ブルジョワジーのネットワークはホッブスが語る「万人の万人に対する戦い」のネットワークであり、原子的に分断されたネットワークである。ホッブスの思想『リヴァイアサン』は、封建的な身分制に対する批判であり、人間の自由の権利の宣言でもある。原子的に分断されている市民社会の基では、今日でも市民運動の中では有効な思想でもある。ホップス自身は平和的で親和的なネットワークを志向していた。他方では、資本主義システムはその体内に大量の労働者階級を創造し、己の墓堀人を創造する本性を持つ。この墓堀人は労働力以外に何も所有していないがゆえに、国境を越えたネットワークを形成する可能性を持つ。これが農民との決定的な相違である。ルソーの思想を見ても明らかなように、資本主義のネットワークはその体内に社会主義のネットワークを誕生させる本性を持っている。パリ・コミューンを見ても明かなように、社会主義革命は資本主義の誕生と共に発生した。社会主義は資本主義の彼岸ではなく、資本主義の反面であり、社会主義なしに資本主義自体が成長・発展できない本性を持っている。第一次世界大戦は世界で最初に社会主義を志向する政権を発生させたが、世界システムはまだ帝国主義的な分割の中にあり、資本主義的なシステムは何ら変わっていない。
 第二次世界大戦までの人類社会のネットワーク構造は国家間の原子的な構造を持って発展してきたが、この大戦以後は分子的な構造を形成しながら発展してきている。ソ連圏は分子的な結合をしていたとは言えない。この社会関係は帝国的な支配従属関係であり、原子的な結合関係でしかなかった。それに対して西側世界は、ソ連圏に対する対抗上、帝国的な支配従属関係を乗越え、国境を越えたネットワーク社会を構築して対抗した。元来、国境を越えたネットワークは社会主義システムでこそ大きく成長・発展するはずであった。社会主義が軍事力と結合すると社会主義的なネットワークは政治的に分断され、機能不全となった。逆に、西側世界は軍事的な壁を突き破って政治的に結束し、経済的なネットワークを融合した。社会主義を志向するソ連圏が帝国主義的になり、それに対抗する西側世界の方が社会主義的になった訳である。ソ連の解体は世界を資本主義で一つにした訳ではない。むしろ、この解体によって、世界の民主的で社会主義的なネットワークは一段と成長・発展する機会を獲得したのだ。

 私的な所有に基ずく社会関係では人間関係は自由な関係になると同時に、原子的な分裂状態に転化する。「万人の万人に対する戦い」を強いられる。制度的な身分制の支配従属関係はこの戦いから人間を解放し、共同体内部での平和と安定を保障する。共同体のこの関係によって人間は戦争・内乱等の不安定要因から解放された。従って、この支配関係は人間の「~からの自由」・消極的自由を実現する制度でもあった。しかし、この平和と安定は共同体内部で働く力であり、共同体間の関係では働ない。このため人類の前史は戦争の歴史であり、戦争を動力にした発展の歴史でもあった。
 それに対して、契約関係は親和的・分子的結合だから、「~への自由」を実現する関係にあった。人間社会のこの分子的結合は副次的な社会関係であったが、生産力の発展と共に拡大し、積極的な自由の自己意識である近代民主主義を創発した。近代民主主義は資本主義と共に誕生した。だが、資本主義自体が民主主義を前提とするわけではない。資本主義にとって必要なのは、制度的な身分制から解放された自由な労働力である。従って、封建的な身分制とは激突する。封建的な支配従属関係を否定すれば、政治的な共同体権力の正当化のためには、近代民主主義が必要となった。この民主主義は更に経済の自由化を推し進め、経済格差の拡大を通じてブルジョワ支配を加速した。
 資本主義は人間を制度的な身分制から解放したが、支配従属関係から解放した訳ではない。能力的な身分制度によって支配従属関係を一層強化した。この支配従属関係は契約による支配であるから、「~への自由」による積極的な参加による支配従属関係である。一般には契約関係は自由な意志による契約だから、人間の親和的・分子的結合を加速する関係にあるが、資本と労働力の関係では原子的な支配従属関係を産み出す。「~への自由」は擬制であって、実質的には飢えからの自由であり、消極的な自由に過ぎない。労働力商品以外に何も所有しない労働者階級にとって、市場は人間を分子的に結合する自由な社会関係にはなりえない。彼らにとっては、市場は彼らを支配する物と物の関係でしかない。
 資本主義は己の支配を正当化するためには、近代民主主義を必要とする。民主主義の原理は「~への自由」を基礎にした参加型の政治原理である。労働者階級は経済的に剥奪された積極的自由を政治的に回復する事が出来る可能性を獲得した。上部構造での戦いは下部構造に影響を与え、労働三権・労働基準法等の社会立法を実現した。これは下部構造における「~への自由」であり、積極的な自由である。下部構造における積極的な自由は社会主義システムを志向する本性を持つ。この自由は資本主義的な契約関係を乗越え、社会的な契約関係を下部構造に政治的に押し付けたのだ。資本主義は民主主義によって己を正当化する限り、社会主義システムを胚胎せざるを得ないのだ。
 下部構造における積極的自由は、民族・文化・国家によって分断されれば交渉力が低下する。スト破りを超えるには、あらゆる差別と闘わざるを得ない。労働者階級はこれらの障害を越えて結束する事によって交渉力が高まる事を現実の闘いで学習する本性を持つ。近代民主主義そのものは国家によって分断されるが、社会主義システムは国境を越えた民主主義を志向せざるを得ないのだ。下部構造での積極的自由は上部構造に反作用する。近代民主主義の狭い視野は絶えず帝国的野心と軍拡を志向するが、社会主義システムは平和と軍縮を志向する。民主主義によって己の支配を正当化する資本主義は否応なしに、二重権力状態に急速に向かわざるを得ない。

 資本主義システムにおける二重権力状態は特殊な政治空間ではなく、ブルジョワジーが労働者階級に対する軍事的な支配権を失った時に発生する一般的な空間である。元来、社会主義システムは徹底した民主的なシステムだから、労働者階級は軍事力で社会主義を獲得できない。従って、労働者階級は軍事的に勝利しても、政治的に勝利するためには長期の平和的な闘いを必要とする。ロシアではブルジョワジー自身が軍事的な冒険を繰返したために、労働者階級は民主主義と平和を守るために、長期にわたる平和的で民主的な闘いを短縮せざるを得なくなったのだ。この政治力学は第二次世界大戦において世界的な規模で惹起した。
 資本主義は絶えず経済的には国境を越え、超える事によって現象する社会問題を政治的に利用して、人類社会を政治的に分断しようとする。一国社会主義はこのブルジョワジーの挑発に散々利用されてきた。彼らにとって、社会主義経済はソ連流の鎖国的な計画経済に過ぎず、結果的には封建的な身分制的経済と変わらなくなった。国境を超える社会問題は国境を越えた政治力学で解決するしかないのだ。国際的で民主的な政治力学で国境を越えた社会的・経済的問題を解決する事が必要となる。民主的で国際的な交流・対話によって、政治的な分断を超える事こそ社会主義への道である。人類の自己意識は自由で民主的な討論なしでは獲得できない。人間の積極的な自由は人類社会の自己言及力を高める。官僚的な指揮命令は生産力を高めるが、自己言及力を高める事はない。自己言及力なしでは今日の人類は生残れない。資本主義と社会主義の分水嶺は国際的な民主主義の政治力学で決まる。

 グラムシはファシズムを「受動革命」と呼んだ。E・フロムも「~からの自由」は官僚主義・全体主義に繋がる、と言う。社会的な関係でしか生きられない人間にとって、共同体の支配従属関係は、飢えや戦争・不安からの自由を与える関係でもある。第一次世界大戦後ロシア革命と世界大恐慌によって、世界資本主義システムは全般的な危機に突入した。元来、この危機からの脱出口は社会主義システム以外になかったのだ。だが、ロシアはスターリン現象によって変質していたし、ヨーロッパの左翼はこの変質に連動して、「社会ファシズム論」で破産した。アメリカのブルジョワジーはまだまだ健在であった。ヨーロッパのブルジョワジーは逆にこの危機を利用して、受動革命を遂行した。「~への自由」によって危機から脱出できなくなった労働者階級は「~からの自由」によって、危機から脱出するしかなくなったのだ。人間は「~への自由」による積極的な参加によって、危機から脱出できなくなれば、利己主義「~からの自由」による消極的な自由へと逃避するしかなくなるのだ。
 ドイツと日本の経験によれば、一箪ファシズムによる軍事支配が確立すると、内部の民主的なエネルギーは枯渇し、外部の力によってしか倒れなくなってしまう傾向が強くなる。消極的な自由によって人間社会が原子的に分断支配されると、共生的な関係による積極的な自由へ転換する事は容易でなくなる。労働者階級にとって民主的な権利・市民的な権利は生命線である。一箪死んだ生命は甦れないのと同じように、民主主義も一箪死んでしまえば容易には甦れなくなる。世界大戦と言う地獄のような空間なしには民主主義は甦れなくなった。日本の民主主義も「東京大空襲」「広島・長崎」の惨禍の中からしか甦れなかった。戦争を見ても明かなように、ファシズムは革命過程を加速する一面を持つ場合もあるが、労働者階級にとっては致命的な敗北となる可能性もある。「社会ファシズム論」によって労働者階級の民主的・市民的な権利を自ら放棄したスターリン主義の犯罪的責任は余りにも大きい。

 イギリスとフランスのブルジョアは依然として帝国的な野心に満ちていたから、ソ連よりはナチスに同情的であり、ドイツの野心を西側ではなくソ連に向く努力をしていた。ポーランドのブルジョアもソ連よりはナチスのドイツに期待した。こうしたヨーロッパの政治力学から脱出するために、スターリンはヒットラーと取引し、ナチスと共にポーランド侵略を開始した。独ソ不可侵条約とポーランド分割はスターリンの重大な裏切・犯罪であるが、ヨーロッパのブルジョアにも重大な責任がある。資本主義は民主主義によってしか、己の支配を正当化出来ないから、ファシズムは資本主義自身の破綻宣言である。アメリカとイギリスの資本主義はまだ民主主義的な正当性を確保していたが、社会主義なしではこの正当性を防衛できなくなっていた。第二次世界大戦の分水嶺が、ヨーロッパではなくスターリングラードから開始した、と言う歴史的事実はこの大戦の歴史的性格を明瞭に語っている。
 軍事力には資本主義の軍事力と社会主義の軍事力と言う概念は成立しない。如何なる戦争でも、ある種のイデオロギー的性格を帯びざるを得ない。どのような国家も戦争を開始する時は、ある種のイデオロギー的正当性に訴える。この時、特定の階級がこの軍事力にどのように関わるかによって、その軍事力のイデオロギー的性格が決まる。ナチスのように「国家社会主義」を掲げても、労働者階級が受動的であれば、ブルジョア的な性格が濃厚な軍事力である。ソ連軍も社会主義を掲げていたが、開戦当初の労働者階級は受動的であった。スターリンのヒットラーへの信頼とソ連民衆の受動性が悲劇を加速した。だが、ソ連領土がナチスに侵略されるにしたがって、労働者階級の抵抗性は積極化しヘゲモニーを行使し始めた。イギリスやアメリカでも指揮権はブルジョジーが握っていたが、階級の意志は社会主義者だけを通じて表出する訳ではない。ブルジョワジーは己の支配を正当化するには労働者階級に妥協する必要がある。階級の意志は民主的な回路を通じてブルジョワの指揮の中でも表出する。労働者階級にとって民主主義は己の闘いに不可欠な原理である。
 第二次世界大戦は極めてイデオロギー的性格が濃厚な戦争であり、ファシズムと民主主義の闘いであった。ファシズムはブルジョアによる労働者階級に対する剥き出しの軍事的な支配である。この戦争は他面では、破産した資本主義と新しく産れ出ようとする民主的な社会主義の軍事的な武力対決でもあった。世界の労働者階級はブルジョワの剥き出しの軍事力から、政治的な勝利を獲得するための民主主義を防衛したのだ。ソ連は確かに民主的ではなかったが、ソ連の労働者階級はこの戦争で受動性から積極性に転じている。ソ連の労働者階級にとって、スターリン体制は国際的な政治力学から見てまだ利用価値が残っていた。戦後のアメリカにおける「赤狩り」・ベトナム戦争を見ても明らかなように、スターリン体制の利用価値は戦後も残っていた。世界大戦で世界の労働者階級は民主主義を防衛できたが、アメリカのブルジョワジーは労働者階級に対する軍事的な支配権を失っていなかった。社会主義は軍事的に獲得できないから、社会主義は資本主義に政治的にしか勝利し得ない。スターリン現象によって変質したソ連の力では社会主義の政治的な勝利はあり得なかった。ベトナム戦争でのアメリカの敗北こそソ連の解体を準備したのだ。アフガン戦争はそれを加速したのである。

 長い間、資本主義までは人類の前史であり、後史は社会主義から始まると信じられてきた。だが、人類の長い歴史を概観すると人間は動物から知性によって離陸しようとしているのは明かである。この知性は弱肉強食による競争ではなく、共同体内における共生的な関係によってこそ育まれてきた。人類は長い間戦争によって経済力を競い合ってきた。この戦争は人間の共生的な社会関係を破壊する。近代以前の歴史では、共生的な社会関係と民主的な社会関係は必ずしも一致しなかった。民主的な社会関係は群雄割拠となった。労働者階級の歴史的な登場で民主的な社会関係は共生的な社会関係となった。ブルジョワが労働者階級に軍事的な支配権を喪失する事によって、この大戦は戦争の歴史に大きな転換点を作ったのだ。労働者階級はファシズムを打ち砕く事によって、ブルジョワジーに政治的にはまだ勝利してはいないが、軍事的には勝利した。この大戦における民主主義の勝利は労働者階級の軍事的なヘゲモニーを確立した。中国革命はこの軍事的なヘゲモニーの中で進行したのは明かである。この中国革命は人類の東西の力学関係を変えつつある。人間の持つ力は民族・人種を超えて変わらない事を指し示しつつある。
 今日では「民主主義国家同士は戦争しない」と語られている。ブルジョワジー同士では散々戦争を繰返してきたが、労働者階級同士では戦争しないと言う事を意味している。戦争に対する民主主義の勝利こそ人類の前史と後史の分水嶺である。労働者階級は民主主義によってしか政治的に勝利できない。民主主義の勝利こそが労働者階級の勝利を準備するのだ。資本主義システムはそれ自身の内部に社会主義的なシステムを創発する習性を持つ。社会主義システムはある日、突然資本主義システムにとって変わるようなシステムではない。社会主義システムは徹底した民主主義的な国際システムである。資本主義から社会主義への移行は人類の長期にわたる民主主義的で国際的な闘いによって獲得される。社会主義システムの発展が市場経済システムの発展を加速する性向を持つから、この移行は極めて長いジグザグで複雑な道を辿らざるを得ない。「XDAY」は第二次世界大戦の攻防を決める重要な戦いであったのは確かであり、多くの人間の犠牲によって獲得した地平だが、この世界大戦の行方は決まっていた後の戦いでもあった。もし、未来の人類がこの移行の日付を定義しようとすれば、「スターリングラードの戦い」で定義するだろう。

 人間は誰でも自分が子供から大人になった時はいつなのか、判別は難しい。それでも、自分で自分の進路を決めた一瞬と言うのは、判別できるかも知れない。これは自分が世界に向かって自らの意志で立ち向かおうとした一瞬でもある。人間は誰でもいつの間にか大人になっているが、この一瞬を知るのは大人になってからずっと先の事である。変化しているときは変化のためにもがき苦しみ必死だから、この苦しみが大人になるための大事な経験である事を知るのはずっと先になってからである。人類の歴史についても同じである。人類はいつ後史の段階に突入したのかを知るのは、後史に突入してからずっと先の段階である。人類はいつ、時代の流れに流されないで、自分の足で立つ決意をしたのか?、いつ消極的な自由から積極的な自由に向かって「道」を選択したのか?、いつ戦争から平和と民主主義に向かって己を投企したのか?、未来の人類はいずれこの一瞬を刻印する時が来る。この一瞬は「スターリングラードの戦い」であったと。