ロム3様
感想、ありがとうございます。
個人的には、あまりマルクスとかレーニンにこだわりません。良いものは良いし、彼らとて人間、80年、120年先の未来を、的確に想像できたはずがありません。現在の視点から考えれば、不足しているものも多々あると思います。
要は、科学的な立場で社会を分析すること、仰るように、
>生活感を重視する政治が国民によって支持される
つまり、どうすれば、私たち庶民の生活が安定して豊かなものになるか、安心して幸せに暮らせるか、だと考えています。
人口の大半を占める労働者、仮にその労働者の割合が九割以上なら、その労働者が支配する社会というのは、きわめて民主的な社会に近いことになります。ソ連の間違いは、この労働者による支配ではなく、ごく一部の共産党を中心とした特権階級による、非民主的な支配であったことです。「労働者の社会」といいながら、実は労働者を抑圧支配する社会だったのです。
代表民主主義には、一部の人間に権力が集中し、そして、代表しているはずの民を裏切り、独裁権力者を生んでしまう可能性が、絶えず秘められています。
インターネットを政治に導入することで、この権力の暴走をチェックできます。また、上述したように、人口の大半は労働者なのですから、ネットがイニシアチブを発揮する体制というのは、労働者の支配する社会といってもよく、このことは、コミュニズムの考えとも矛盾しません。
老人問題について、政策提案があります。
「人間にとって労働そのものが欲求となるような社会」という、理想があります。老人は働けないから、ぶらぶらしてればいいというのでは、あまりにむなしい生活だとお考えになりませんか?
せめて、一日一時間でもいいから、老人も出来る範囲の労働に参加する、老人から労働の楽しみを奪わない、社会であるべきだと考えています。 資本主義社会ではそうした生産効率を下げる、金儲けに繋がらない、老人労働者を雇うような社会には、成りようがありません。 老人が、ささやかながらも、こうした社会参加ができるようであれば、認知症患者などは減り、人々はもっと幸せになるはずです。