レ-ニンの組織論は、社会主義の理論や方法は、階級それ
自身の中からではなく、階級の外から与えられるべきものであ
り、党と中央委員会は、社会主義の理論と実践に関する無誤謬
性のもとに、極度に集中化された指導性のもとに働く職業的革
命家によって形成される。つまり、職業革命家による労働者階
級の解放ということになる。
レ-ニンのこの見解に対して、ロ-ザは、党は階級の前衛であ
ること、その党が中央集権的に組織されるべきであり、厳格な
規律によって、多数の意思が実現されなければならないことに
は賛成した。
しかし、ロ-ザがどうしても賛成できなかったのは、党が階
級の前衛と言いながら、階級から相対的に独立して、無誤謬性
の信念のもとに、階級を上からまたは外から支配する態勢をと
っていることだった。
彼女はどこまでも大衆の主体的な創造性を重視していたし、
新しい闘争形態は、指導者によって「作り出される」ものでな
ければ、彼らがあらかじめ用意した完全な処方箋を引き出せば
よいといったものではありえない。
また、この大衆の創造性を十分に発揮させるためには、あら
ゆる上級機関に対する自由な批判が必要であり、この自由の保
障によってのみ、党の硬直化が防止され、運動の誤謬が修正さ
れる。
自由は常に意見を異にするものの自由を意味しており、政府
の支持者または党員-いかに彼らが多数でも-に対してのみ自由
を与えるのでは、それはけっして自由ではない。
だから、ロシア革命におけるボリシェビキのように、指導部
の意思を階級や組織全体に独裁的に押し付けるべきではない。
プロレタリア大衆は、あれこれ誤謬を犯しつつも、自らの経験
を通じて自分たちの役割を体得していくし「真に革命的な労働
運動が自ら犯す誤謬の方が、最上の中央委員会の無誤謬性より
も、歴史的にみてははるかな実りが多く、価値があるものであ
る。
プロレタリア-トの大多数が、自覚した意思と、自覚した行
動を持たないところに、社会主義はありえない。
「スパルタクスのプログラム」
1 スパルタクス団は、労働者階級の上に立って、あるいは、労 働者階級によって、政権をとろうとする政党ではない。スパル タクス団は、ただ、その目的を最も確信する労働者階級の部分 に過ぎない。それは、広範な労働運動を、各段階において、そ の歴史的任務に向ける部分なのだ。革命のすべての段階で、そ れは社会主義の究極の目的を明示し、また、すべての民族的問 題のなかで、プロレタリア世界革命に役立つものを明らかにす る。
2 スパルタクス団は、ドイツ労働者階級の大多数の明白な意思 を通じる以外に、決して政治的権威を僭取しない。スパルタク ス団の意見、目的、戦術と、彼らがはっきりと一致できると考 えない限り、絶対に。
プロレタリア革命は、敗北と勝利を通じて、苦しみと、苦い 経験とのつらい細道を、一歩一歩たどっていくことによって始 めて、明確になり、完成される。
スパルタクス団の勝利は、革命の始めにではなく、その終わ りにある。それは何百万の社会主義プロレタリア-ト大衆の勝 利とまったく同じである。
反戦反ファッシズム連合さんは遅すぎたと言うが、2条件を 満たす状況にあったと言えるのだろうか。だから早すぎる蜂起 と戒めたのではないか。
ロシアでは、プロレタリア-トによって、権力の掌握が行 われていたので、ブルジョア独裁の道具にすぎない制憲議会の 解散は正しかった。しかし、革命的プロレタリアに権力の掌握 が行われていないドイツで、レ-ニン=トロツキ-派のラデック らは、国民議会のボイコットと武装蜂起を呼びかけた。これが 早すぎる武装蜂起と言っているのである。
「あなたがたは、こういう手段(国民議会選挙への参加)を革命 的な意味で用いることができないで、機関銃か議会主義か、と 考えている。もっと洗練されたラディカリズムで行こうではあ りませんか。こういう粗っぽい二者択一ばかりでなく。それは 気楽で簡単ですが、しかしこういう単純化は、大衆の訓練や教 育の役にはたちません。」(ドイツ共産党設立大会 国民議会選 挙をめぐっての討論)