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「科学的社会主義」討論欄

「ヴァレンチノ・ゲラターナ」

2006/02/28 寄らば大樹の陰 50代 苦闘 するフリーター

 この「さざ波通信」にも「レーニン嫌い」「レーニン食 わず」の人がごまんと居られるようだが、生前のレーニンの側 近と思われるヴァレンチノ・ゲラターナの次の言葉をどう思わ れるか、お聞きしたいものだ。
 右翼的な人は世界で始めてプロレタリア革命を成し遂げたレ ーニンへの恐怖を、スターリン主義にドップリ浸かった人たち はスターリンを批判するのではなくレーニンを批判して根本か ら逃げ回っている。
 「レーニンの真実の姿」は不破哲三など比べ物にならない強 さと柔軟性、包容力を持っている。それだからこそロシア革命 を実現できたのだ。
 このサイトでまかり通っている生半可で得手勝手な「民主主 義」も、レーニンをスターリンとゴッチャ混ぜするトンでも論 法も、これを読んだら一度にどこかに吹き飛んでしまうだろう 。

 「生前レーニンは、たとえ個人的にかなりの権威があったに せよ、権威の源泉と見なされることはなかった。個人的権威は 、レーニンが自分の見解、政治的判断を主張し、守り通してき た論議の中から自然に形づくられ、また過去の成功から築き上 げられた合法的力に基づいている。だから彼の権威は不可侵と いうこともなかった。逆にレーニンは、いつもボルシェヴィキ 党の指導グループ内でさえ、不一致、抵抗、反対に出遭ってい た。
 彼は党の首席と認められていたが、このことは彼に反対する ことも咎めなかったばかりか、もし必要と考えられるなら、他 の同志達はレーニンの意志に反対することが認められ、また期 待されてさえいた。彼が首席だったのは、動揺し、気の進まぬ 人々さえも闘争に引き入れ、確信を抱かせた手腕ゆえであり、 反対者を拒絶し、沈黙させる権限があったからではない。レー ニンは、強固な党規律の必要性を確信していたが、反対者を、 自分だけが束縛されない規律の下に、押し込めようとはしなか った。またレーニンは、党内で公的な特権を獲得し、どのよう な分野の多数による決定の統制から、自分だけ免れようともし なかったのである。」

 ロシアにおいてはレーニン率いるヴォルシビィキは常に少数 派だったし、巨大な農民層を背景にしたエス・エルなどが多数 派を形成していた。
 トロツキーなども党外の人物であり、彼の敵対者でもあった 。
 レーニンは1917年2月革命の後、4月亡命から帰国した 時に発した「全権力をソビエトへ」で有名な4月テーゼを発し て労働者・兵士を獲得する、その後急速に勢力を拡大し、殆ど さしたる抵抗も犠牲もなく10月革命を達成する。
 また党員規約には特別に厳しかったレーニンだが、実際のと ころ彼が発作で倒れるまで一人の除名者も出していない。これ が「鉄の規律」の真実だし、これがレーニンの凄さであり、レ ーニンたる所以であり、そしてロシア革命なのです。

 常に右にぶれ左に走り、考えに考えてロシア革命をなして遂 げたレーニンは凄いと言うしかないのです。
 今、この日本に必要なのはレーニンかもしれない、彼の強さ と柔軟性、包容力を持つ人いませんか?