>スタ-リン主義を批判し、トロツキ-主義を標榜されるあなた は、
風来坊さんも、毛色の変わった理論のお一人のようですね。
第 四インター系の党派と接点があるといい、その党派理論を
大宣伝している某人物がいますが、あなたもその人物と似たよ
うな理論のお一人のようですね。
ただ、私はトロツキー主義者ではないのですよ。
ですからあなたの前提そのものが、正確ではないのです。
私の立場は、トロツキーを評価しているマルクス主義者だと
いうことです。具体的にいうと、レーニン主義を継承している
マルクス主義者だということです。そもそもレーニンはスター
リンを解任し、トロツキーを後継者とするよう働きがけていた
ということですので。
ぞくにいう、反帝国主義・反スターリン主義という理論です
。
>同じトロツキ-主義者のトニ-クリフの以下の文章をどう思い ますか。
ですから、同じトロツキー主義者のという展開にはならない
のです。
そもそも、トニー・クリフとは、ソ連を国家資本主義だと押
し出しているイギリスの社会主義者なんですが、その国家資本
主義論も私は、まったくマルクス主義にもおさえられていない
ようなものだと思います。国家資本主義という理論で、ソ連を
規定するのではなく、スターリン主義として規定したほうがよ
いと私は考えていますので。
かつて社会帝国主義という言葉がありましたが、国家資本主
義にせよいずれも、資本主義や帝国主義の概念が経済学的に把
握されていない政治的レッテルでしかないといえるでしょう。
ようは、スターリン主義の規定と、その批判が経済学的・政治
学的・マルクス主義的にできていない証拠といえるでしょう。
トロツキー自身も経済学的な理論については、あまり積極的
に展開したようではないため、トロツキーを純粋に継承しよう
とする人たちは、経済学的にいえばナンセンスな人たが多いの
が実際です。長期波動論やマンデルなどがその代表でしょう。
日本で、トニー・クリフという人物をやたらと紹介しまくっ
ているのは、第四インター系の党派ですし、「トロツキー研究
」という雑誌なんかが代表的ですね。
>独立した革命党の結成を、ロ-ザ・ルクセンブルグが嫌った 事をとらえて、
まず、ローザ・ルクセンブルク理論は、「資本蓄積論」です 。彼女における帝国主義の把握は、レーニン「帝国主義」理論 をうけつけなかったということです。
彼女の帝国主義論とは、帝国主義同士の対立を根拠とせず、 帝国主義の植民地支配のための軍事力と規定したのがナンセン スだったということです。
レーニンは、「ユニウスの小冊子について」(ユニウスとは ローザのこと)を書き記していますが、根底には帝国主義に対 する、レーニンとローザの相違があったわけです。
ローザは、帝国主義を世界市場をめぐる資本主義国の競争の 極限として、基本的に同質的な構造においてとらえていた。他 方、レーニンとは帝国主義の不均等発展の除去として帝国主義 戦争をとらえていた。
ローザは「帝国主義政策は、いずれか一国、あるいは数カ国 の製作物ではなく、資本の一定の成熟段階の産物であり、本来 的に一個の国際現象・・・いずれかの国家ひとつがそれから抜 け出すわけにはいかない」と述べています。『ローザ・ルクセ ンブルク選集③』
これでは、帝国主義間に進行していた帝国主義戦争を前にし たドイツ労働者階級に対する具体的提言たりえないし、かくて 、ローザは「単一のドイツ大共和国というスローガン」を述べ ることになる。
レーニンはこれに対して、ユニウスのきわめておかしなあや まり、民族戦争でない現在の戦争に対して、民族綱領をこじつ けてあてはめようとする試み(『レーニン全集二十二巻363 頁』(日本共産党中央委員会発行より)に他ならないとして、そ の原因を、ローザの「ドイツ社会民主主義者の環境から完全に 脱却しておらず、革命的綱領を実行するのに、プチブルジョア ジーに受け入れられる点からはじめようとのぞんだ」(同)と指 摘しているのです。
つまり、帝国主義段階に対する、革命家の相違があったとい うことです。一人は、革命を成功させ、もう一人は処されたの は、たんなる運などではなかったということも私は指摘してお きたいと思います。
ただ、社民的限界をレーニンは指摘しているからといって、 後世の社民打撃論を展開するスターリンの理論はとんでもない 愚論であることを述べておきます。
スターリンは、ドイツ共産党をボルシェビキ型革命論で指導 はせず、社民打撃論を展開させることで、ドイツ帝国主義とナ チスに対峙させる方針すらとらなかったわけです。むしろ、社 民打撃論でナチスに協力さえし、ナチス系の労組と共闘させた り、ナチスが政権を奪取したのちは軍事条約を締結するなど、 帝国主義に屈服したやり方をとったわけです。あの時代、ファ シストは台頭したわけだが、同時にコミ二ストの台頭も激しか った。あのとき、社共が共闘してファシストどもを粉砕・打倒 していれば、第二次大戦ではなく、ヨーロッパ社会主義革命へ 時代は転化したといえるでしょう。
>スタ-リンニストどもは、これを由々しき誤りとして、また 、1918年のドイツ革命の敗北の重要な原因として、しょっちゅ う引用している。
スターリニストは、レーニンを都合上引用したり歪曲するわ けであるが、ドイツ革命の失敗はローザの合法主義・社民への 幻想、帝国主義論の誤り、国家と革命的アプローチの欠如など が原因であるが、根本は「資本蓄積論」の誤りに帰結される。
レーニンはユニウスの誤りを指摘し、帝国主義の不均等発展 から帝国主義戦争をとらえて革命を準備したわけであり、ロー ザとは相違しているのである。
トニー・クリフは、そういう視点を掘り下げられないのは、 自らも、ローザと同様の限界をもっているからである。自らを 、共産主義者とはいわず社会主義者だという後退した姿勢から も伺えるのである。
スターリン主義の誤りは、ナチス台頭を防げなかったことに 帰結されるべきであって、ローザの誤りを指摘するのは、レー ニン的地平の立場だということである。
また、レーニン=スターリンという俗説は、ナンセンスその ものである。
>彼らは、革命的左派がSPDに執着し、カウツキ-との連合を続 けた事に>対するレ-ニンの反対を引用して論ずる。が、この伝 説に何の真実もない。
実際に、レーニンはユニウスの誤りとして指摘しており、ト
ニー・クリフの主張はナンセンスである。
また、スターリンが社民打撃論を展開したのは、ドイツ革命
を推進するためのものではなく、ソ連防衛のためだったという
ことを指摘しなければならない。なぜならば、スターリンはド
イツ共産党にドイツ革命を積極・指導することはなかったから
である。
ナチスの台頭に対して、社民打撃論を展開している場合では
なく、社民と共産の反ファシズム戦線を本来であれば指導しな
くてはならないし、スペイン人民戦線におけるスターリンのお
お裏切りなども、結果的にソ連スターリン主義体制=一国社会
主義を防衛する意味から、スターリンがいかに帝国主義に屈服
した疎外物であったのかわかるはなしなのである。
>事実は、カウツキ-とその一派に対してロ-ザ・ルクセンブル グはレ-ニンよりもより明確な評価を下し、ずっと以前に彼ら との関係を断っ>ていた。およそ二十年間、レ-ニンはカウツキ- を、最も偉大な生きたマルクシストだとみなしていた。
まず、カウツキーは、ペルンシュタインらの修正主義と対峙
しマルクス主義を擁護していた時期がある。この時点でレーニ
ンらは評価していたのは当たり前である。
だが、カウツキーは帝国主義段階に移行した資本主義を賛美
し、転向していくわけであり、このためレーニンは『帝国主義
論』を記すことになったのである。具体的には、第二インター
が、自国の政府が戦争を起こすのであれば自国政府を打倒する
という宣言を裏切って、帝国主義戦争に賛同していったという
ことである。
だから、レーニンは『第二インターナショナルの崩壊』を記
しボルシェビキ型運動を展開していったのである。
そのときローザは、どのような姿勢をとったのか?というこ
とが問題だろう。
>例えば、「何をなすべきか」はカウツキ-をその主要テ-マの よりどこ>ろとして、引用し、またドイツ社会民主党をロシア 労働運動の手本と>して賞揚していた。1906年12月にレ-ニンは 書いた。「ロシアの先進的労働者は、カウツキ-が自派の著述 家であって、革命的マルクス主義の理論上の教えを基礎づけ、 解説する能力をもっている・・・人で>あることをずっと前か ら知っている」また彼はカウツキ-を「ドイツの革命的社会民 主主義者の指導者」として描きだしていたのだ。
カウツキーが帝国主義に屈服する以前には評価していたとい
うことでしょう。時期的にいえば、第二インターナショナルの
崩壊過程前のことですので。
しかも、重要なのはペルンシュタインらマルクス主義修正主
義者どもとの対決をカウツキーは展開したということが理由な
のです。
しかし、レーニンはカウツキー批判を『帝国主義論』と『第
二インターの崩壊』で主張している。しかし、トニー・クリフ
は、このことをあえてふれず、かなりいい加減なレーニン批判
を展開している。
つまり、レーニン批判をやっているわけで、やすしさんあな
たの本心は、トニー・クリフを持ち出して、レーニン批判を展
開なさりたいのでしょう?しかも、ボルシェビキに由来する(
といってもそれを反革命的疎外物に落としこめたスターリンと
ブハーリンの影響が強い)日本共産党の「理論戦線」において
。
>1908年8月には、彼は、戦争問題及び軍国主義問題について の典拠としてカウツキ-を引用した。1910年、ロ-ザ・ルクセン ブルグがカウツ>キ-と権力獲得の途につ・・・(文字化け)・ ・・レ-ニンはカウツキ-に組して彼女に対抗した。1914年2月 になっても、ロ-ザ・ルクセンブルグとの民族問題論争で、レ- ニンはマルクシズムの権威者として、カウツキ-を援用してい た。
まず、ローザのマルクス主義理解はかなり誤りが多く、民族
問題の認識もだいぶあやまりが多いのでこれは別で私が具体的
に、評論したいと思います。
そもそもローザの帝国主義の把握そのものが間違っています
ので、このへんとすり合わせて論評します。
根底には、ローザの『資本蓄積論』が間違っているわけです
ので、このへんも私があとでほりざけていくことにします。
ただし、ローザ批判はレーニン主義的地平からであって、ト ニー・クリフの詭弁でしかないようなスタ理論だという展開は 、事実からしてナンセンスだと指摘しておきましょう。
>戦争の勃発と、カウツキ-によるインタ-ナショナリズムへの 裏切りが>あって、始めて、彼に対するレ-ニンの幻影は消えた のだった。そのとき、彼は認めている。
第二インター崩壊、帝国主義賛美、自国帝国主義戦争への屈 服です。
>「ロ-ザ・ルクセンブルグは正しかった。彼女はずっと以前 に、カウツキ-が、党内多数派に奉仕する、要するに日和見主 義に奉仕する、御用理論家であることをはっきりと覚っていた のだ。」(ロ-ザ・ルクセンブルグ トニ-・クリフ)
まず、トニー・クリフは、『帝国主義論』や「ユニウスの小 冊子について」を隠蔽しながら、自らの政治的立場のために歪 曲さえして、レーニン批判を展開しているといわざるをえない でしょう。
>あなたのロ-ザ批判は、トニ-・クリフの言うスタ-リンニス トによるロ-ザ批判とそっくりな気がしますが、
あなたがおだしになったトニー・クリフの主張とされる引用 は、レーニン批判をもとに展開されているようです。スターリ ンに触れてもいるようですが、あなたの出した引用文の最後は 、レーニン批判で展開されていますしね。
また、スターリンとローザが同時代的なものではありません
でしたし、スターリンによる社民打撃論とは直接的関連もあり
ません。
スターリ二ストがローザを批判してきたといいうよりも、ボ
ルシェビキがローザを批判してきたというのが正確だろうとい
えるでしょう。
スターリンもトロツキー(メンシェビキからの移動)もボルシ
ェビキ政権に参加したわけですから。
また、レーニン=スターリンという説に私は賛同さえしませ
んので。
>この問題だけは、あなたはスタ-リンニストと同じ立場に立 つのですか。
あなたは、わざわざトニー・クリフという人物が述べたとい う引用文を代弁して、スターリ二ストと同様のローザ批判だと いいたいようだ。だが、それでは、まったく、ローザの敗北を 擁護することにはならないのである。
なぜならば、ボルシェビキ型革命理論と、ローザの相違が現 実に革命の成功と敗北を分けたものであったからだ。
そもそもトニー・フリクをトロツキストだというが、ではト ロツキーはローザらついてどのように評価しているのだろうか ?まずそのへんをあなたはあげるべきではなかろうか?
トニー・フリクという、ソ連は国家資本主義だというような 理論水準の人物が行う論評はくだらないものであり、帝国主義 論をあえて挙げず自らのレーニン批判を展開する人物はナンセ ンスだと私は指摘しておきたい。そもそも、帝国主義とはなん であるのか、帝国主義段階移行後に、国家「資本主義」なるも のを規定すること事態がナンセンスなのである。帝国主義段階 期に、帝国主義の最弱の環としてのロシア革命はおこったので あるが、それかスターリンによって歪曲され変容させられ、破 綻したということに他ならない。 国家資本主義も何もなく、ソ連スターリン主義は破綻してしま ったわけである。
>スパルタクスブンドの結成は、1916年1月、戦時国債予算の 決議から1年半も経っていませんから、遅すぎたという評価に は同意できません。
戦時公債にオッケーしたということは、戦争動員体制そのも
のです。
それから一年以上かかったかどうかではなしに、レーニン『
帝国主義論』でいうまでもなく、帝国主義に対する姿勢がボル
シェビキ並みではなかったということが現実なのです。
しかも、ボルシェビキは、早くに帝国主義との対峙を組織化
していたが、ローザは帝国主義社民への幻想がはなはだしく、
戦争体制が明確になって一年以上も遅れての組織化であったと
いうことのほうが驚くべきことなのです。
レーニンは、『帝国主義論』で早くにも、ボルシェビキを組
織化することに着手していたわけなのです。
それは時局的にすばやい対応ということだけではなくて、帝
国主義に対する『国家と革命』の認識にも直結する問題だとい
えるでしょう。
ローザを賛美する人たちなどにいえることですが、いずれも『
国家と革命』論がないわけです。
第四インター系とのメールを宣伝している方がいるが、よう
は彼らは、ボルシェビキ革命を自ら切り開くことへの恐怖・帝
国主義権力との対峙をさけたいという本心が伺えますね。
その立場から、日本共産党に同意を求め、かつ、レーニン主
義的理論を主張している何人かに何かしら、論争を吹っかけて
いるといえるでしょうか?
私は、日本共産党には、オーソドックスなレーニン主義的立 場を維持している方々がいることを知っています。そしてボル シェビキの理論を継承するのかどうかが重要なのだと思ってい ます。
もっとも、カウツキーを評価したり、レーニンを批判したり 、第四インターとのメールを宣伝している人々は、右側から修 正主義をせまっているということです。今日的情勢は、レーニ ンが指摘している帝国主義の不均等発展(通貨ブロックが対立 構造の根底)に規定されて、戦争が起こってきているというな かで、日本もしだいにきなくさい情勢に向かっているにもかか わらず、現代は帝国主義ではないような理論をぶちかましたり 、アメリカのみが問題であるかのように主張しまくるのはナン センスこのうえないだろうと私は指摘しておきます。
>ばらばらになって、申し訳ありませんが、後2~3回ぐらいに 分けて>というよりも、私の力不足で、一気に書けませんので 。
トニー・フリクという人物がこう指摘していますという展開 ではなしに、あなた自身が具体的に問題提起されるほうがいい のではないかと私は思います。
そのうえで、私はトロツキストではなく、オーソドックスな レーニン主義者であり、反帝国主義・反スターリン主義の立場 を維持しているということです。