社会民主主義運動においては、組織もまた、そ れ以前の社会主義のさまざまのユートピア的試みとは異なって 、宣伝の人工的産物ではなく、階級闘争の歴史的産物であり、 社会民主党は、その闘争のなかに、ただ政治的意識をもたらす にすぎない。正常な諸条件のもとでは、つまり、ブルジョアジ ーの発展した政治的階級支配が社会民主主義運動に先行してい るところでは、労働者の最初の政治的鍛錬は、すでにブルジョ アジーの手で相当程度まで行われている。・・・
ロシアにおいては、社会民主党は、意識的関与によって歴史 的一時期に代え、プロレタリアートを、絶対主義的体制の基盤 を形成する政治的原子状態から直接に-目的意識的にたたかう 階級としての-組織の最高の形態へと導く、という課題を負わ されている。それゆえ、組織問題が、ロシアの社会民主党にと って、とくに難しい問題であるのは、単に同党が、ブルジョア 民主主義の一切の形式的手続きなしで組織問題を創り上げねば ならぬ、という理由からではなく、同党が、いわば・・・・・ 「無から」、真空状態のなかで、他の国ではブルジョア社会に よって準備される政治的素材もなしに、この問題を創り上げね ばならぬ、という理由にもとづいている。略
ロシア党大会を前にして「イスクラ」がくりひろげたカンパ ニアにおいて、その卓越した指導者である同志レーニンの著作 がわれわれの手もとにあるが、その著作は、ロシアの党の超・ 中央集権的な方向を組織的に表現している。
ここに強烈に、徹底して表現されている見解は仮借ない中央 集権主義のそれであり、それの根本原理は、一面では、はっき りした活動的な革命家を、かれらを取り巻く、未組織であって も革命的・積極的環境から、組織された軍団として抽出・分離 することであり、他面では、党の地方組織のあらゆる発現形態 に中央機関の厳格な規律と、それの直接的な、断乎として決定 的な関与を、持ち込むことである。それには次のような例を挙 げれば、充分だろう。
つまり、この見解に従えば、中央委員会は、党のあらゆる部 分委員会を組織し、従って、・・・・・ロシアの個々の地方組 織の全ての人的構成を決定し、お手盛りの地方党則をそれらに 与え、上からの命令でそれらの組織を解散させ、あるいは作り 出し、ついには、こうしたやり方で、最高の党判定機関・党大 会の組織をも間接に左右する、という権能を持つ。
その結果、中央委員会が党の根源的な活動の核となり、残余 の組織は全て単に、それの実行の道具として現象する。略
社会民主党には、一般に、強い中央集権的な傾向が内在して いることは、疑いを容れない。その諸傾向からして、中央集権 的な資本主義の経済的基盤から生まれ、中央集権化されたブル ジョア的大国家の政治的枠の上での闘争に鍛えられたために、 社会民主党は、本来的に、いかなる連邦独立主義にも、民族連 邦主義にも、はっきり反対する。
所与の国家の枠内におけるプロレタリアートのいかなる部分 的またグループ的利益に反対して、階級としてのプロレタリア ートの全体的利益を代表する使命を担っていて、社会民主党は 、・・・・・あらゆる場合に、労働者階級の民族的、宗教的、 職業的諸グループの全てを統一的な総合政党に統治してゆくの を当然の任務として努力してきた。略
本来、一個の闘争政党としての社会民主党の公式的な課題と いう見地からすれば、その組織内での中央集権主義は、党の闘 争能力と行動力がその条件の実現いかんによって直接左右され るような、そのような条件として現れる。しかしながら、今の 場合、あらゆる闘争組織の公式的諸要請の観点よりはるかに大 切なのは、プロレタリア闘争の特殊的、歴史的な条件である。
社会民主主義的運動は、階級社会の歴史上始めて、運動のあ らゆるモメント、そのあらゆる過程において、大衆の組織とそ の自立的直接的行動を考慮におく、最初の運動である。
この点で、社会民主党は、これ以前の社会主義的諸運動、例 えば、ジャコバン・ブランキスト型のそれとは、全く異なった 組織型を創造する。
レーニンは、その著書で次のようにいうとき、この事を軽視 しているようにみえる。すなわち、革命的社会民主主義者は、 しかし、「階級意識あるプロレタリアートの組織と不可分に結 ばれたジャコバン主義者」そのものである、と。
レーニンは、極少数者の陰謀に対立する、プロレタリアート の組織と階級意識に、社会民主主義とブランキズムとの間にあ る根本的な相異のモメントと見ているのである。だが彼は、そ れに伴って組織概念の完全な価値転換が、中央集権主義の概念 には全く新しい内容が、組織と闘争の相互的関係については全 く新しい見解が与えられる事を、忘れている。
ブランキズムは、労働者大衆の直接的階級行動を考慮におか ず、従ってまた、それは大衆組織を必要としない。
それどころか、広汎な人民大衆は、革命の瞬間になって初め て戦闘場に登場するものとされ、しかも、事前の行動といえば 、極少数者による革命的奇襲攻撃の準備というに尽きた。それ ゆえに、この一定の任務を託された人々を人民大衆から鋭く分 離することが、彼らの任務の達成のために、まず、要求された 。しかしそうした行動が、可能であり、実行されえたのは、ブ ランキスト的組織の陰謀的活動と人民大衆の日常生活との間に 、全く何一つ内的連関が存在しなかったためである。
それと同時に、戦術や活動の細かな任務も、それらのものが 基本的な階級闘争の基盤と関連なしに、任意に、小手先で即製 されたので、あらかじめ細部まで仕上げされ、一定のプランに 固定され、決定されていた。
それゆえに、組織の活動メンバーは、当然、自己の活動分野 外で、あらかじめ決定された意思の純粋な実行機関、中央委員 会の道具に成り変った。
それに伴って、また、陰謀家的中央集権主義の第二のモメン トが与えられた。
すなわち、党の個別機関が、その中央機関に絶対的に盲目的 に服従すること、並びに、この中央機関の決定的な機能が、党 組織の最外縁部まで波及伸長されること、である。
社会民主党の行動の諸条件は、これとは根本的に異なってい る。その行動は、基本的な階級闘争から歴史的に生まれる。そ の場合、この行動は、弁証法的な矛盾の中で動いて行く。
すなわち、プロレタリアの軍隊は、この時、闘争そのものの 中で、初めて生み出され、闘争の中で初めて闘争の課題を明ら かに悟らされる、ということである。この場合、組織と啓蒙と 闘争は、ブランキスト的運動の場合のように切り離され、機械 的に、また時間的に分離されたモメントではない。それらは同 一の過程の異なった諸側面であるにすぎない。
一面からいうと、-闘争の一般的諸原則はさておいて-準備を 整えられ、あらかじめ確定され、細目を決められた闘争戦術、 が一中央委員会が社会民主党党員達に叩き込みうるような、そ ういう闘争戦術というものは存在しない。他面、組織を創り出 す闘争の過程が、社会民主党の影響範囲のたえまない変動を条 件づける。
この事から、直ちに結論されるのは、社会民主主義的中央集 権は、その中央権力への党の闘士たちの盲目的な従順さ、機械 的な服従を基礎としうるものでない事、他面、既に確固たる党 活動家へと組織された階級意識あるプロレタリアートの中核と 既に階級闘争に捉えられ階級的啓蒙の過程の中に置かれている 周辺的層との間には、絶対的な隔壁は設けないこと、である。
それゆえ、この二つの原則、-皆に代って考え出し作り出し 決定するような一つの中央権力のもとに、党組織の全てが、そ の活動の全てが、その活動の極細部までをも含めて、盲目的に 服従すること、並びに、レーニンによって弁護されているよう に、党の組織された中核をそれを取り巻く環境から厳しく峻別 すること、という二つの原則に基づいて、社会民主党内の中央 集権を作り上げることは、我々に、ブランキスト的な陰謀家サ ークルの運動の組織原理を、労働者大衆の社会民主主義的運動 へ機械的に翻案することである、と思われる。
おそらく、レーニンは、自らの「革命的社会民主党員」を「 階級意識ある労働者の組織と結合されたジャコバン主義者」と 規定したとき、自己の立脚点を、彼らの敵達の何れかがなしう るよりも、はるかに鋭く認めていたことであろう。
しかし、実際には、社会民主党は、労働者階級の組織と結合 されているのではなく、労働者階級それ自身の運動なのである 。それゆえ、社会民主主義的中央集権は、ブランキスト的中央 集権主義とは、本質的に異なった状態であらざるをえない。
この中央集権主義は、労働者階級の個別的グループや個別的 個人とは対立する、労働者の啓蒙された闘う前衛の意思の絶対 的集中以外の何ものでもありえない。それはいうなれば、プロ レタリアートの先導的層の「自己中央集権主義」であり、それ ら先導的層自身の党組織内での多数支配なのである。略
いかなる時にも、社会民主党にとって重要なのは、将来の戦 術のために出来合いの目論見を、予め考え、立てることではな く、当該の支配的闘争形態に対する正しい歴史的評価を党内で 生き生きと保ち、プロレタリア階級闘争の見地から、闘争の所 与の局面の相対性並びに革命的諸モメントの必然的昂揚に対す る生きた感覚を持つことである。
しかし、レーニンが行うように、否定的性格を持つ、絶対的 権能を党指導部に付与するならば、それは、その本質からして 、必然的に発生する、あらゆる党指導部の保守主義を、全く人 為的な仕方で危険なほど強めることになろう。
社会民主主義的戦術が、一中央委員会によってではなく、全 党によって、より正しくは、全運動によって創造されるのであ れば、党の個々の組織には、明らかに、行動の自由が必要なの であり、その自由のみが、当面する状況によって提示されるあ らゆる手段を闘争の昂揚のために徹底的に駆使し、また、革命 的イニシアティブの展開を可能にするのである。
しかし、レーニンによって推奨された、超中央集権主義は、 その全本質において、積極的創造的な精神ではなく、硬直した 夜景根性によって支えられている、と我々には思われる。
彼の思考の過程は、党活動の結実ではなくて、主としてその 統制に、その展開ではなく制限に、運動の結集ではなくその締 め上げに向けられている。略
現実に革命的な労働運動が現実の中で行う誤りは、歴史的に は、最上の「中央委員会」の完全無欠に比べた、はかりしれぬ ほど実り豊で、価値が多い。(ロシア社会民主党の組織問題 ローザ・ルクセンブルク)
数十年続いた「社会主義政権」がプロレタリア大衆の抵抗も
なく崩壊したのは、ほんの一握りの人物の独裁にすぎず、プロ
レタリア大衆の意識を変える事ができなかったせいではないだ
ろうか。
トロツキー主義者は、スターリンに、その責任を求めるが、
ローザの批判は、レーニンとトロツキーは一体の者として批判
している。また組織論的には、ボリシェビキの系譜はトロツキ
ーでもスターリンでも本質的には大差がない。
結局中央委員会と大衆の役割をどう考えるかの問題である。