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「科学的社会主義」討論欄

反戦反ファシズム連合さんへ(民主主義について)

2006/03/05 風来坊 50代 自営業

 クラーラ・ツエトキーンの事実誤認に基づく、「ローザ・ルクセンブルグがボリシェビキによる制憲議会の解散に反対した」という前提のローザ批判が一部にある。
 しかし、ローザ・ルクセンブルグの制憲議会批判は、制憲議会の解散の可否ではなく、社会主義による民主主義の新しい発展であった。
 制憲議会の解散から、エス・エルの弾圧に至るボリシェウ゛ィキの政策は、社会主義的民主主義の原則に反して、ボリシェウ゛ィキの一党独裁を進めるものではないか。そしてこのような誤りの根源を、独裁と民主主義を対立させる「レーニン=トロツキー」の理論に求めたのである。
 以下ロシア革命論を引用するが、ローザが「議会」という言葉を使わずに、「普通選挙によって選ばれた人民代表制度」は、彼女が制憲議会の解散そのものに反対したものではないことを端的に現している。

 トロツキーは十月に構成された憲法制定議会の特殊な欠陥から憲法制定議会はすべて不要だという結論を下し、しかも彼は革命期間中は、一般に普通選挙によって選ばれた人民代表制度は全て役にたたないというところまでこれを一般化したのである。
  「政府の権力をめぐって、公然かつ直接的な闘争が行われてきたおかげで、労働者大衆はごく短期間に豊富な政治的経験をつみ、一段一段と急速に発展している。民主主義制度という動きの鈍い機構は、国が広ければ広いほど、そして技術的な設備が不完全であればあるほど、この発展に追いつくことができなくなる。」(トロツキー)
 ここですでに「民主主義制度一般の機構」が問題にされている。これに対してまず指摘しておかなければならないことは、人民代表制度に対するこのような評価の中に、これまでの全ての革命時代の歴史的な経験とは明らかに対立するような、ある図式で、かたくなな見方が現れていることである。
 トロツキーの理論によれば、選出された議会という物は全て、選挙人が投票所に行ったその瞬間の精神状態や政治的成熟や気分をその場限りで反映するものにすぎない、という事になる。従ってその理論によれば、民主主義の機関は常に選挙期間中の大衆の映像にすぎないものであって、丁度ハーシェルの星空が常に示しているのは、我々が眺めた時の天体の状態ではなく、無限の彼方から地球に向けて光の使者を送り出した瞬間の状態であるようなものだ、ということになる。
 一度選出された者と選挙民との間の生きた精神的なつながりの全てやその両者の間の継続的な相互関係の全てが、ここでは全て否定されている。
 これは歴史的な経験の全てに何とはなはだしく矛盾することであろう!
 歴史的な経験が示しているのは、それとは逆に、民衆の気持の生き生きとした流れが、絶えず代表機関を取り巻いて渦巻き、代表機関の中にまで浸透して、その方向を決定するということである。
 そうでなければ、どんなブルジョア的な議会でも、時折「国民の代表」が、突然「新しい精神」に元気付けられて全く意外な主張をするといった愉快なはね上がりが見られたり、乾涸びきったミイラが時に若返ったり、シャイデマンの子分のような連中がー工場や仕事場や街頭で騒ぎが起こるとー突然自分の胸の中に革命的な高鳴りを見出すといった事がどうして起こりえようか?
 そして選出された代議体に対する大衆の気分や政治的成熟のこのような不断の、生き生きした影響力の行使が、まさに革命の真只中では、党の看板や選挙人名簿といった杓子定規な形式の為に活動を停止すべきなのであろうか。?
 全く逆だ!まさに革命こそは、その灼熱によって、世論の波や民衆の生活の脈搏が、代議体に対して瞬間的に驚くべき影響を与える、あの微妙な、微動する鋭敏な政治的雰囲気を創り出すのである。
 旧体制下の制限選挙によって選出された古い反動的な、あるいはせいぜいのところで穏健な議会が突然、変革の英雄的な代表者に、尖兵になるという、あらゆる革命の初期の段階に見られる周知の感動的な光景は常に正にこのようなところから生まれて来るのである。
 その古典的な事例が、1642年に選出、招集され、7年間に亘って、その座に座り続けたイギリスの有名な長期議会であって、その間に民衆の気持ちや政治的成熟や階級分裂を反映し、さらにひざまづいた「下院議長」の下での王冠との初期のいじらしい小競り合いから元老院の廃止、チャーズル王の処刑、共和国の宣言へ、という絶頂点までの革命の進展のあらゆる有為転変を、映しだしたのである。
 そしてこれと同様の見事な変化が、フランスの三部会でも、ルイ・フィリップの全権議会でも、いやそれどころかー最近の最も目覚しい例はトロツキーのごく身近のーロシア第四ドウーマ(国会)でも繰り返されたのではなかっただろうか?第四ドウーマは、1912年に、反革命の厳しい支配下に選出され、1917年2月に突然、変化に老いらくの恋をして、革命の出発点になったのであった。
 これら全ては、「民主主義(制度)という動きの鈍い機構」が、-正に大衆の生き生きとした運動と不断の圧力の下では、強力な矯正力を備えているということを示している。
 そして制度が民主主義的であればあるほど、大衆の政治生活の脈搏が生き生きとして、力強ければ強いほどー堅苦しい党の看板や古びた選挙人名簿などにも関わらずーその働きは、一層直接的で確かなものになるのである。
 確かに、どんな民主主義的な制度にも、おそらく人間の制度の全てが持っているような、限界や欠陥はあろう。
 ただ、トロツキーやレーニンが発見した民主主義一般の除去という救治策は、それが抑えるはずの悪よりも一層悪い。
 それはあらゆる社会的制度に付き物の欠陥を正すことができる唯一のものである、生き生きとした泉を、つまり、広汎な人民大衆の積極的な、自由な、精力的な政治生活を殺してしまうからである。
 もう一つの際立った例を考えてみよう。それはソウ゛ェト政府が制定した選挙法である。この選挙法に、どんな実際的な意味があるのか、全く分からない。
 民主主義制度に対するトロツキーとレーニンの批判から出て来る結論は、彼らが普通選挙によって選出される代議体を原則的に否定し、もっぱらソウ゛ェトだけに依拠しようとしている、ということである。
 そうだとすると、一体何の為に普通選挙法が制定されたのかが、そもそも、全く分からない。この選挙法が、何らかの形で実施されたのかどうかも、我々には分からない。この選挙法に基づいて、何らかの種類の代議体が選出されたという話を、聞いたことがないからである。想像するに、おそらくこれはいわゆる"机上の空論"の理論的産物として、残っているものにすぎないのであろう。
 しかし、そうだとしても、これはボリシェウ゛ィキの独裁理論の極めて注目すべき産物である。選挙権というものは全て、一般に全ての政治的権利同様に、「公正」とかという抽象的類型や、それに類したブルジョア民主主義的な空文句によって評価されるべきものではなく、それが目指した社会的、経済的な諸関係に照らして評価されるべきものである。
 そしてソウ゛ェト政府が制定した選挙法は、正にブルジョア的・資本主義的社会形態から社会主義的社会形態への過渡期の為のもの、つまりプロレタリア独裁の期間のものである。
 レーニン=トロツキーが代表するプロレタリア独裁の解釈によれば、選挙権は、自分の労働で暮す者だけに与えられて、その他の全ての者には与えられないことになる。
 ところで明らかに、このような選挙法は、経済的にも、労働意欲を持った全ての者に、自分の労働で十分な、文化的と言えるような生活を可能にするような状態にある社会でしか、意味がない。
 これは今日のロシアに妥当するだろうか?世界市場から締め出され、最も重要な原材料源を止められてしまったロシアが闘わなければならない、とてつもんく大きな困難や、経済生活全般の恐るべき混乱や、農業と工業と商業に亘っての所有関係の変革によってもたらされた、生産関係の急激な変動の為に、無数の人達が、経済的なメカニズムの中で、何らかの形でも、自分の労働力の使い道を見付けられるような可能性を全く失って、突然生活の根を失い、通常の生活の軌道の外に放り出されているのは、明らかである。
 これは資本家階級や地主階級についてばかりでなく、中産階級の広汎な層や労働者階級自身についても、言えることである。工業生産が落ち込んだ為に、都市プロレタリアートが、農業に職を求めて、大量に農村に流入したというのも事実であろう。こういう状態の下では、全般的な労働の強制を、経済的な前提とする政治的な選挙法というものは、全く理解し難い処置である。
 その意図からすれば、これは搾取者だけを、政治的に無権利にしようとするものであろう。ところが、生産的な労働力が、大量に生活の根を失っている一方で、ソウ゛ェト政府は逆に国有産業を、以前の資本主義的所有者達に、いわば、賃貸しをせざるを得ないという状態に直面している。
 同様にソウ゛ェト政府は、1918年4月には、ブルジョア的な消費組合とも、妥協せざるを得ない状況に直面した。さらには、ブルジョア的な専門家達の利用が不可避であることも明らかになった。
 この現象のもう一つの結果は、プロレタリアートの益々広汎な層が、赤衛軍として、国家からの公費で養われるようになる事である。
 こうして現実には、この選挙法は、小ブルジョアとプロレタリアートの益々増大しつつある広汎な層を無権利にしてしまう。経済機構が、これらの人々を仕事につかせる方策を全く持っていないからである。
 選挙法は、社会の現実から遊離したユートピア的な幻想の産物として取り扱うのは、愚かなことである。そして正にそれだから、選挙法が、プロレタリア独裁の真剣な手段ではなくなるのである。
 「アナクロニズム、完成した社会主義的な経済的基盤にこそふさわしい法的状態の先取りで、プロレタリア独裁の過渡期には合わない」
 十月革命の後に、全中間階級とブルジョア的、小市民的知識人達が数ヶ月に亘って、ソウ゛ェト政府をボイコットして、鉄道、郵便、電信、学校経営、行政機構を麻痺させ、こうして労働者政府に反抗した時には、当然、この抵抗を鉄拳をもって打ち砕く為に、政治的権利や経済的生活手段の剥奪など、彼らに対するあらゆる抑圧処置が必要とされた。
 正にここに、全体の利益になるある特定の処置を強行したり、阻止したりする為には、いかなる権力の行使をも、ためらうべきではない、という社会主義的独裁が姿を現したのであった。
 これに対して、社会の極めて広汎な層の権利の全般的な剥奪を宣言し、それらの層に対して、社会の枠の中で経済的に暮らしていけるような、いかなる場所を用意する事ができないでいて、それらの層を、政治的に社会の枠の外に置く選挙法は、あらゆる具体的な目的の為の具体的な処置としての権利の剥奪ではなく、長期的な効力を持った、一般的な規則であって、それは独裁に必然のものではなく、長続きしない思いつきである。
 しかし、憲法制定議会と選挙法を論じただけでは、まだ問題を論じ切った事にはならない。さらに、労働者大衆の健全な公共生活と政治活動の最も重要な民主主義的な保障の廃止、つまり、出版の自由、結社、集会の権利が、ソウ゛ェト政府の反対者には、全て停止されている事をも考察しよう。
 こうした権利の侵害の論拠としては、民主主義的な選出機関の動きの鈍さというトロツキーの前述の主張では、不十分でどうにもならない。
 それどころか、逆に、自由で制約のない出版、妨げられることのない結社・集会の日常生活なしには、正に広汎な人民大衆の支配などというものは、全く考える事もできない、という事こそが、明らかな、争う余地のない事実なのである。
 レーニンは、ブルジョア国家は、労働者階級の抑圧の為の道具であり、社会主義国家は、ブルジョアジーの抑圧の為のものだ、と言っている。社会主義国家は、いわば、資本主義国家の裏返しにすぎない、という事だ。
 この単純化した見方は、最も重要な本質的な事を見落としている。ブルジョア的階級支配は、全人民大衆の政治的訓練や教育を全く必要としない、少なくとも、特定の狭い限度以上には、必要としないという事である。一方、プロレタリア独裁にとっては、それこそが生命の源、空気なのであって、それなしには、プロレタリア独裁は、存在する事ができないのだ。
 「政府の権力をめぐって公然かつ直接的な闘争が行われてきたおかげで、労働者大衆はごく短期間に豊富な経験を積み、一段一段と急速に発展している」。ここでトロツキーは、自分自身と自分の党の仲間たちを、この上なく的確に反駁している。
 正にこの通りであるからこそ、彼らは彼らは公衆の生活を抑える事によって、政治的経験の泉と発展の一層の昂揚を塞いでしまったのである。それとも、経験や発展は、ボリシェウ゛ィキの権力掌握までは必要だったが、頂点に達してしまってからは、余計なものになった、と考えるべきなのか。
 実際はその逆だ!ボリシェビキが勇気と決断とを持って、立ち向かった巨大な課題こそが、大衆の極めて集中的な政治的訓練と経験の集積を求めたのである。
 レーニン=トロツキーが意味する独裁理論の暗黙の前提は、社会主義的変革とは、そのための完成した処方箋が革命政党の鞄の中にあって、それを、ただ全力をあげて実現さえするればよいことだ、ということだ。
 だが、残念ながらーあるいは場合によっては、幸せなことにーそういうものではない。
 経済的、社会的、法的制度としての社会主義を実際に実現することは、摘要さえすればよいような完成した処方箋を寄せ集めることとはおよそ異なって、全く未来の霧に包まれた事柄なのである。
 我々が綱領として持っているものは、処置を取るべき方向を示す、ごく僅かの大きな道標にすぎず、しかも、主として否定的な性格のものなのである。
 社会主義的経済への道を拓く為には、まず最初に何を取り除くべきかのおおよそについては、我々は知っているが、他方社会主義的原則を経済、法律、全ての社会的関係の中に導入する為に、いかなる種類の、大小様々な無数の具体的、実践的な処置をその都度とるべきかということについては、どんな社会主義政党の綱領も、どんな社会主義教科書も説明してはいない。
 これは欠陥ではなく、これこそがまさしく科学的社会主義のユートピア的社会主義に対する長所である。
 つまり、社会主義的社会制度とは、経験という独自の学校から、生きた歴史の生成から、機が熟して生まれて来る歴史的な産物であり得るものであって、この点では、有機的な自然と全く同様であり、結局はその一部をなすものであって、現実の社会的な要求と共にその要求を満たす手段を、課題と同時にその解決をもたらすという美しい習慣を持っているのである。
 しかし、そうだとすると、社会主義がその本質からいって強制されたり、指令によって導入されたりするものでないことは、明らかである。
 社会主義は、一連の強制処置を前提としている。-私有財産などに対しては。否定、破壊は命令することができるが、建設、積極的なものの創造は命令できない。
 処女地。無数の問題。ただ経験だけが訂正し、新しい道を拓くことができる。
 ただ何の拘束もない、沸き立つような生活だけが、無数の新しい形態を、即興曲を考え出し、創造的な力を持ちあらゆる誤りを自ら正すことができる。自由を制限された国家の公共生活は、民主主義の排除によって、あらゆる精神的な豊かさや進歩の生き生きとした源泉を塞いでしまうからこそ、息苦しくて、惨めで、形式的で不毛なものとなる。
 そこでは問題は政治的な事だったが、経済的、社会的問題でも同様である。
 全人民大衆がそれに参加しなければならない。そうでなければ、社会主義は、ごくわずかの知識人達によって、机上から命令され、強制されるようなものになろう。
 無条件に開かれた公共的統制が必要だ。そうでなければ、諸経験の交流が新政府の役人たちの閉鎖的な内輪でしか、行われないことになろう。腐敗は避けがたいものとなる。
 社会主義の実践は、数世紀に亘るブルジョア的階級支配によって、人間的に貶められてきた大衆の全面的な精神的変革を求める。
 利己的な本能の代りに社会的本能を、怠惰の代りに大衆のイニシアチブを、あらゆる困難を乗り越える理想主義を、等々。レーニンほど、このことを知り、徹底的に語り、執拗に繰り返してきた者は他にはいない。ただ、彼は完全に方法を間違えている。
 命令、工場監督官の独裁権力、厳罰、恐怖の支配。これらは全て一時的な間に合わせである。
 こうした再生への唯一の道は、公的生活という学校その物がもたらす訓練、無制限の広汎な民主主義、世論である。正に恐怖の支配こそは、志気を沮喪させ、頽廃させるもとだ。
 これらが全て欠落した場合には、現実には何が残るのだろうか。?レーニンとトロツキーは、普通選挙によって選出された代議体の代りに、ソウ゛ェトを労働者大衆の唯一の真の代表機関であるとした。しかし、全国の政治生活が抑圧されるのに応じて、ソウ゛ェトの中の生活力も益々衰えて行くに違いない。
 普通選挙、無制限な出版・集会の自由、自由な論争がなければ、あらゆる公的制度の中の生活は萎え凋み、偽りの生活となり、そこには官僚制だけが唯一の活動的な要素として、残ることになろう。
 公共の生活は次第に眠り込み、無限のエネルギーと限りない理想主義を持った数十人の党指導者が指令し、統治し、現実には、その中の十人位の傑出した首脳達が指導して、労働者のエリートが指導者達の演説に拍手を送り、提出された決議案を満場一致で承認する為に、時折会議に招集される、ということになろう。
 つまり、要するに同族政治なのだー独裁には違いないが、しかしプロレタリアートの独裁ではなく、一握りの政治家達の、つまり全くブルジョア的な意味での、ジャコバン支配のような意味での独裁なのである。
 そればかりではない。こういう状態は暗殺、人質の射殺等々といった公的生活の野蛮化をもたらさずには、おかないであろう。これはいかなる党派も免れる事のできない客観的な法則だ。
 レーニン=トロツキー理論の根本的誤りは、正に彼らがカウツキーと同様に、独裁と民主主義を対立させるところにある。ボリシェウ゛ィキの場合もカウツキーの場合も、問題の提議は「独裁かそれとも民主主義か」となっている。
 カウツキーはもちろん民主主義に賛成だが、それはブルジョア民主主義のことだ。というのも、彼はブルジョア民主主義をまさに社会主義変革との二者択一の関係に置いているからである。
 レーニン=トロツキーは逆に、民主主義に対して独裁を支持しているが、そのことによって一握りの人物たちの独裁を、つまりブルジョア独裁を支持しているのである。これは二つの対極だが、両者ともに真の社会主義の政治からは等しく離れている。
 プロレタリアートはひとたび権力を握れば、カウツキーの忠告に従って「国の未成熟」という口実の下に社会主義的変革を諦めることはあり得ず、自分自身とインターナショナルと革命を裏切ることなしには、もっぱら民主主義にだけ献身することはできない。
 プロレタリアートは、まさに即刻、精力的に、断固として、容赦なく社会主義的処置に着手すべきであり、そうしなければならない。つまり独裁を行うのである。 しかしこの独裁は階級の独裁であって、一党や一派の独裁ではない。階級の独裁とは、つまり、最も広く公開され、人民大衆がこの上なく活発、自由に参加する、何の制限もない民主主義の下での独裁である。
 「マルクス主義者として、我々は形式的な民主主義の偶像崇拝者であったことは一度もない。」とトロツキーは書いている。確かに我々は、形式的な民主主義の偶像崇拝者であったことは、一度もない。我々はまた、社会主義やマルクス主義の偶像崇拝者であったことも、一度もないのだ。
 それでは例えば、社会主義が、マルクス主義が我々にとって具合の悪いものになった場合には、クーノー=レンシュ=パルブス流に、ゴミ箱に投げ込めばよいという事になるのだろうか?トロツキーとレーニンはこの問いをはっきりと否定している。
 我々は形式的な民主主義の偶像崇拝者であったことは一度もない、ということは、ただ、我々は常にブルジョア民主主義という政治的な形式から社会的な核心を選り分け、常に形式的な平等や自由の甘い皮の下に在る社会的な不平等や不自由という苦い核を剥き出してきた、ということに他ならない。ーそれも平等や自由を投げ棄てる為ではなく、労働者階級が皮で満足せずに、むしろそれを新しい社会的内容で満たす為に政治権力を握るようにと鼓舞するためにである。
 プロレタリアートの歴史的な使命は、権力を握ったときに、ブルジョア民主主義の代りに社会主義的民主主義を創始することであって、あらゆる民主主義を廃棄してしまう事ではない。
 しかし、社会主義的民主主義は、社会主義経済という土台が創られたときに、はじめて、それまで一握りの社会主義的独裁者達を忠実に支持してきた、おとなしい人民への素敵なクリスマスプレゼントとして、約束の地で始められる、というものではない。
 社会主義的民主主義は階級支配の廃止、社会主義の建設と同時に始まる。それは社会主義政党による権力の獲得の瞬間に始まる。社会主義的民主主義こそは、プロレタリアートの独裁に他ならないのだ。
 まさしく、独裁だ!しかしこの独裁の本質は民主主義の用い方にあるのであって、その廃止にあるのではない。ブルジョア社会の既得権や経済諸関係への精力的な、断乎とした介入であって、それなしには社会主義変革は実現されないからである。
 しかし、この独裁は階級の仕事であって、階級の名の下に少数の指導者が行うべきものではない。つまり、それは大衆の積極的な参加から一歩一歩生まれ、大衆の直接的な影響下にあり、全公衆の統制を受け、人民大衆の政治的習練の高まりの中から生まれて来るものでなければならない。

 この後の文書は、やむを得ない処置として認めながらも、この処置が国際的に規範化される事を防ごうとしているものだが、結果として、ローザの意思は生かされなかったので、以下省略する。(ロシア革命論ローザ・ルクセンブルグ)

反戦反ファッシズム連合様
 以上のローザの民主主義論に対する見解をお願いします。

 社会主義社会の本質は、勤労大衆が管理される大衆であることをやめて、政治経済生活の全てを自らのものとして生き、自ら自覚を持って、自由に決定しながら進めていくところにある。(スパルタクスブンドは何を求めるか?)