投稿する トップページ ヘルプ

「科学的社会主義」討論欄

風来坊さんへ

2006/03/05 反戦・反ファシズム・日本国憲法擁護連合 20代 自営業

 ローザのレーニン批判は、私も読んでおり、ローザの問題意識は認識しています。
 また、レーニン組織論を批判した、仙波さんという社会党の理論家がいらしたことも存じています。

 ただし、私はいずれの見解も賛同することはできません。
 第一に、帝国主義との対峙という歴史的条件に規定された「国家と革命」論的な組織論がレーニンの組織論だったわけで、ローザらの展開では革命は勝利しえなかったことが実際だからです。
 第二に、スターリンの圧政については、スターリンがボルシェビキを掌握して、自らのイデオロギーを確立していったこと、つまりスターリン主義発生の問題として具体的にとらえなくてはならないということだからです。このへんが、反帝国主義・反スターリン主義の理論があるかないかで大きく違うといえるでしょう。さまざまな新左翼がいますが、この理論がない人々は、結果的にトロツキー主義者になったり、レーニン批判を展開して事足りるということにならざるをえないようです。

 また、スターリンの発生をレーニン的党組織論からといたり、レーニンから生まれたものであるととらえる説には私はくみしません。 あるいは、レーニンが後継者にトロツキーを選択し、スターリンと闘うよう指導トロツキーに指導していたが、トロツキーはスターリンとの闘争を中途半端に闘わなかったということに規定されて、トロツキーが政治的に追われ、スターリンによって刺殺されてしまったことに対して、トロツキーの闘争はスターリンのような姑息で暴圧的なものではなかったので、トロツキーを評価するなどという後ろ向きな意見はナンセンスだろうと思います。なぜならば、スターリン主義をはびこらせてしまったのは、トロツキーの闘いが不徹底だったからです。そのうえトロツキーがスターリンに仮に勝利していたら別のスターリン主義的な圧政がもたらされただろうというような意見まで述べる人がいることに私は、とても不快感をもってしかたありません。こうした理論は、第四インター系におおい愚論です。また彼らのなかには、左翼の終焉論を主張する人物まででてきいおり、階級闘争そのものからの撤退・放棄が著しい。

>数十年続いた「社会主義政権」がプロレタリア大衆の抵抗もなく崩壊したのは、

 まず「社会主義政権」ではなく「スターリン主義政権」だと指摘しておきます。スターリン主義とは何か?それは、スターリンが理論化した一国社会主義理論のことです。
 とりわけ、ブルジョアジーらは、ソ連邦の解体で、マルクス主義そのものを歴史的に葬り去ろうと躍起になっているが、具体的にいえば、スターリンの体制が破綻したということなだけなのです。
 しかし反スターリン主義理論がない人々らは、ほとんどこれらの流言に反論らしい反論もできず、瓦解していきました。
 当の東欧のスターリン主義政権は当然ですが、日本の「社会主義」運動も、もろにその波をうけてしまった。とりわけソ連をモデルとしていた運動や、反スターリン主義理論を理論化できていない人々はとりわけて動揺した。

 そもそも、直接的にはソ連の崩壊と解体は、レーガン政権との軍拡競争によるソ連経済の破綻、アフガン侵略からの撤退による破綻などに規定されているといえるでしょう。しかし、これらはすべてスターリン主義理論に基づいて形成してきたソ連が、帝国主義との妥協や屈服、対抗などに規定されてジグザクに展開してきた最後 に自ら破綻してしまったということでしかありません。

 これらの政治経済学的な分析を、レーニンにまでさかのぼって批判するという理論や、マルクスの先進国革命理論にさかのぼって、ボルシェビキ革命そのものを否定する人たちもいますが、しかしそれは、帝国主義戦争と帝国主義の実態を無視した暴論でしかないと私は指摘したい。

 なぜなら、第一次大戦も第二次大戦も帝国主義の腐朽によってもたらされたものであり、帝国主義段階のマルクス主義としてレーニンの問題提起と革命論は、重要だからです。マルクスの時代の自由主義段階とは異なっているから、先進国革命理論ではなしに、帝国主義最弱の環としてのボルシェビキ革命でよいわけです。

 しかし、その後のスターリンの圧政と帝国主義の延命に規定されて、現代帝国主義とソ連スターリン主義はともに内的矛盾を抱え込みながら形成してきたわけで、その一端であったスターリン主義がまずは崩壊したというのが現実だろうかと思います。現代帝国主義のほうは、通貨危機やバブル崩壊にみまわれ長期不況を繰り返している。労働者も社会格差が浸透するなかで、戦争動員がはかられている。イラク戦争などにみにられる市場争奪が激化しており、通貨ブロックの対立構造がネックになってきているわけです。アメリカそのものの矛盾はかなり深刻であり、戦争をすることで矛盾を回避しているようなものです。

 これらに対して、労働者階級は決して敗北せず階級闘争を展開しているというのが実際です。日本の場合は、ブルジョアジーらがアメリカにおくれて政策展開をとってきたわけですから、日本の労働者の闘いも時期的に海外におくれて展開されてくるであろうといえるでしょう。もっともこの先手をぬって共謀罪なんかを設定しようとしているようです。

 こうした事柄を左派系面して否定していく人たちもいますが、ようは階級闘争を肯定するか否定するのかということに規定されてくるでしょう。ちなみに、私と論争を繰り広げている人々の多くは、階級闘争は昔のことだ、左翼や労働運動は終焉したのだという意見にいたっている人々が多いようです。

>ほんの一握りの人物の独裁にすぎず、プロレタリア大衆の意識を変える事ができなかったせいではないだろうか。

 プロレタリアの意識を変えるという言い方は意味不明ですね。
 むしろ、プロレタリア独裁を打ち出せないのが問題だと思うし、スターリンはプロレタリア独裁ではなく、自らが政治的に掌握したポルシェビキを使って独裁にいたったのが問題なのです。そのなかで、完全にレーニンやトロツキーは歴史的に葬り去られてしまった。
 しかしながら、独裁システムとしてボルシェビキをとらえ、独裁者が出てくるシステムだと展開したがるローザらのレーニン批判を紹介しながら、ブルジョア民主主義のシステムを美化するのはナンセンスだと指摘しておきます。

 そもそもローザでは革命を成功させることはできなかったという意見が、いつのまにか独裁に話題は転換してしまっていますが、スターリンの圧政は重要ですから、別で具体的に論じたほうがいいでしょう。
 あとスターリンの圧政をレーニンに帰結したがる人らに多いのが、スターリンの肯定的評価だったりするのが皮肉なはなじです。

>トロツキー主義者は、スターリンに、その責任を求めるが、ローザの批判は、レーニンとトロツキーは一体の者として批判している。

 スターリンに責任を求めるといいながら、ローザの批判は、スターリンはでてこないので、そういうロジックは不適当だと思います。
 時代的にローザの時代にはスターリンは台頭していませんので。
 重要なことは、スターリンの圧政をレーニンに帰結したがる人らに多いのが、スターリンの肯定的評価だったりするのがおおいことです。

>また組織論的には、ボリシェビキの系譜はトロツキーでもスターリンでも本質的には大差がない。

 などといいきってしまうところが、ナンセンスなのです。
 まずレーニン理論とスターリン理論はまったく別物だということをあなたは理解できないようです。
 スターリンは、「レーニン主義の基礎」としてレーニンの不均等発展理論を一国社会主義論に歪曲して宣伝しまくったわけです。
 レーニンは、後継者にトロツキーを選択していたことは事実でありスターリンと対峙するよう指導したのが実際です。
 あなたにとって、一濃く社会主義論と世界革命論は「大差」ないといいたいのでしょうが、それは第二次大戦後や帝国主義の延命に直結する問題であるので非常に重要なのです。またソ連一国社会主義が破綻してしまったことも直結することがらですから、非常に重要なのです。しかしあなたはそれらを大差ないと評価してしまっている。そのうえで、革命を敗北に導いたローザを評価してくるということは、結果的にあなたは革命への恐怖と不審が根底にあるのだと露呈させてくれているのでしょう。

>結局中央委員会と大衆の役割をどう考えるかの問題である。

 労働者と断定できないところがあなたの限界なのですが、党組織と労働者における、労働者の役割などというとらえかたは、ローザののべた労働者自己解放としてのプロレタリア運動いこる共産主義運動にもおとるものだと思います。
 ローザを私が評価するとすれば、労働者自己解放としての共産主義運動という一点にあるでしょう。

 結局、労働者の自己解放運動だとおさえきることが共産主義者にとって必要不可欠なことではないでしょうか?