まず、風来坊さんの冷静な姿勢に対して私は、まず敬意を表します。
あなたの立場と私の立場は、レーニン評価についての根本的な相違だと認識しており、決して互いが譲り合うことはおそらくないだろうと思います。
しかし重要なことは、ローザは革命を敗北させた人、レーニンは革命を成功させた人まずそれが歴史的事実だということです。
さらに、スターリンを打倒できなかったトロツキーの政治的手腕の脆弱性によって、スターリン主義ははびこり帝国主義は延命し、一国社会主義そのものも破綻してしまったということなのが事実なのです。
ただ、反帝国主義・反スターリン主義理論が共産主義運動内部で多数派ではないために、レーニンそのものに対する認識が錯綜しているのだと推察しています。
風来坊さんのあげられた意見に対する反論は前回同様ですので割愛しますが、結論的にいえば、レーニンとローザの意見のぶつかり合いとして、レーニン理論をローザは受け入れられないことを自己正当化するためにレーニン組織論を槍玉にあげているようなものです。
また、労働者自己解放性についていえばレーニンはそれが欠如していたのではまったくありません。
>反戦反ファッシズム連合さんは遅すぎたと言うが、2条件を満たす状況にあったと言えるのだろうか。だから早すぎる蜂起と戒めたのではないか。
第一次大戦という情勢下のことです。帝国主義戦争を革命へみちびくことができたのがレーニン、できなかったのがローザということです。もっといえば帝国主義打倒の路線をもっていたかどうか?そのための運動を組織的に展開しきったのかどうなのか?ということです。
ローザはそれが欠けていたということです。その本質的背景は、ローザの「資本蓄積論」の間違いと、帝国主義段階に対する認識の甘さです。あるいは帝国主義社民への幻想です。
そもそも第二インター・バーゼル宣言はどのように提起していたでしょうか?
「帝国主義論」はどのような立場からかかれたものでしょうか?
ローザの戦術・革命論は、どのような情勢からおきたことでしょうか?あなたは絶対にそれらをみとめないとおもいますが、あるいわ理解なさらないようですが、ローザは自分らの政治生命が危うくなりかけたことを察知して、スパルタクスを組織化したわけです。早すぎる蜂起でもなんでもなく、レーニンソビエト運動のような、一斉蜂起さえなかったのがローザです。
なぜならば、レーニンが何度も展開してきた帝国主義戦争を革命へ、帝国主義打倒のための運動を展開しようとしなかったのがローザだったのですから。