> ロシアでは、プロレタリア-トによって、権力の掌握が行われていたので、ブルジョア独裁の道具にすぎない制憲議会の解散は正しかっ>た。しかし、革命的プロレタリアに権力の掌握が行われていないドイツで、レ-ニン=トロツキ-派のラデックらは、国民議会のボイコットと武装蜂起を呼びかけた。これが早すぎる武装蜂起と言っているのである。
まずあなたは、ローザを持ち上げたり、トロツキー派をこき下ろしたりと、立場がジグザグですね。
何が何でも、反スターリン主義理論に対抗してやりたいという本質の現れでしょうか?
まずプロレタリア革命は権力奪取を意味し、そのためにブルジョアジーとの闘いになるから武装蜂起になるのです。
ロシア革命もそういう過程をへて労働者権力がうちたてられたわけです。そもそもフランス革命に代表されるブルジョア革命そのものが、武装蜂起だったわけです。ですから、トロツキー派であろうがなかろうが、そのような革命理論をうちたてることは、共産主義運動において間違ったものではないといえるでしょう。
そのうえで、あなたは時期的に時期が早いだとかいいたいのでしょうが、それらをいう人に限って実は、そのことそのものがおこることを拒絶したい表れなのです。
つまりそれを認めれば、自分もその意見をのべなくてはならなくなるからです。
レーニンが革命に成功したのは、どうしてか?
第一革命と第二革命の相違は何か?
その鍵は、ボルシェビキ革命運動=ソビエト運動にあるわけです。
具体的にいえば、帝国主義戦争への加担か、打倒かなのです。
ドイツでいえば戦時公債を承認したのが帝国主義社民なのですから、「帝国主義論」が指摘したことそのものとして、ドイツ社民は政治的に蠢いていたわけです。しかし、ローザはレーニンのような見解にはそもそもたてなかったわけで、ローザが蜂起に向かったのは、帝国主義打倒という路線、革命的祖国敗北主義から帝国主義戦争を革命へというアプローチではなく、自らの政治生命がドイツ社民から放逐されようとしたから蜂起したのが実際です。レーニンはロシア革命に続いて、ドイツ革命に期待するが、ローザはレーニンを聞き入れられなかったそれが、ドイツ革命の敗北を招きローザの虐殺につながっていった。露座がレーニン主義的地平にたっていたのであれば、ロシア革命に連帯してドイツ革命を指導しただろうということです。それができず遅すぎた反乱におわりローザは帝国主義社民ノスケにやられてしまったわけです。
つまり、レーニンのように社民幻想を断ち切ったボルシェビキ運動をできなかったのがローザその人なのです。彼女は、レーニンの「帝国主義論」については評価してもいないのですから。それが、ローザの政治生命を終わらせたということなのでもあります。遅すぎた反乱で終わった人と、革命を成功させた人のいい事例になるでしょう。
それは、現代日本における、社会運動を展開している人々にもつょっけつしていて、レーニンを評価する人たちと、ローザを評価する人たちが、どのような党派を形成して運動をしているのかをみれば、証明すらすることができるでしょう。
ソ連崩壊にほだされて左翼終焉論をふきながら運動を斬り縮めていく人々、闘争放棄に向かう人、闘う旗をおろす人、そなん人に限って、レーニンの悪口を饒舌に語り倒す人が少なくないことを私はいろいろな現場で見てきております。
>「あなたがたは、こういう手段(国民議会選挙への参加)を革命的な意>味で用いることができないで、機関銃か議会主義か、と考えている。もっと洗練されたラディカリズムで行こうではありませんか。こういう粗っぽい二者択一ばかりでなく。それは気楽で簡単ですが、しかしこういう単純化は、大衆の訓練や教育の役にはたちません。」(ドイツ共産党設立大会 国民議会選挙をめぐっての討論
レーニンの革命的議会戦術をあなたはご存知ですか?
議会参加と革命を同時にやりきったのがレーニンです。
ですから、日本の共産主義運動は、議会に進出しながら革命論をぶつべきなのです。実際、これに着手しているのは、日本共産党と日本労働党と中核派ぐらいでしょうか。
別にあらっぽいのではなく、レーニンの革命論を継承するのかどうかが決定的な違いなのでしょう。
また世界恐慌以降の、ナチスに対する労働者側の反撃、ドイツ社民やドイツ共産党の反撃に対する意見として、なぜ左翼はナチスを撃退できなかったのかという問題意識で、ナチスを捉えている某ドイツ人社会運動家(岩波と朝日選書に翻訳本があります)がいますが、彼の結論は労働者がナチスに対する闘いをいどむことは可能だったし、またナチス撃退をこころまちにしていた。しかし社民も共産党もナチスら対する革命的暴力を持ちながら(資本主義最大の社会主義運動を展開していた、ドイツ社民党の影響力として次の事柄を指摘したい。ドイツベルリン社民党政権の影響でドイツ警察やドイツ軍にも社民党の影響はあり社民系労働組合員らに武装指導さえしていたともいうほどであったという)ナチスと対峙する方針を選択はしなかった。それがファシストを台頭させるものになったのであると。
昨今ドイツでは、外国人襲撃を展開するネオファシストと、それと対峙する労働者左翼の闘いがあります。
日本でも排外主義を扇動しまくるファシストやその第五列が台頭してきています。これに対して、ドイツの左翼と動揺に、日本の左翼は右翼と対決・対峙しなくてはならないと考えます。
ここでローザの敗北を指摘するよりも、重要なことがあるということです。
これを機会に私は、日本の左翼運動の関係者に訴えたいことがあります。
日本における排外扇動に対して、体をはって戦ってほしいということです。同時に、右翼とうつつをぬかしているような、一部左派系面した連中を断じて許すなということです。